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2022年5月31日火曜日

編集委員会委員長就任・組閣 2001年6月、『建築雑誌』編集長日誌 2001年4月25日~2003年5月31日

 『建築雑誌』編集長日誌 2001425日~2003531

            布野修司

 

普段日記などつけない。試みないのだから三日坊主に終わるということもない。日常を省みようともせず、それを恥じない。生来の怠惰はどうしようもない。

そんな僕が、こともあろうに意を決して、『建築雑誌』の編集を続ける間、日誌のようなものを綴ることにした。

というのは嘘。日誌を書いて公開するように、というのは編集部の強~い要望である。編集委員会が何を考え、どのような議論を踏まえて編集作業を行っているのか、できるだけ生の声で伝えて欲しい、ということだ。

全くもって自信がないが、断る権利はなさそうだ。おそらく編集委員の助けを借りることになるに違いないけれど、気楽に編集「裏(嘘)話」など気の赴くままに記してみたい。

日記はつけない僕でも、海外を旅する時だけは、何故かいつも一冊のノートを持参して、見たこと、聞いたことをメモする習慣がある。殴り書きの間に領収書や名刺や電車の切符などべたべた張り付けるから、ノートは三倍ぐらいに膨れあがってしまうのだが、本棚を数えたらそんなノートが31冊になっている。ろくでもない記録なのに、何か貴重な財産のような気がしている。

『建築雑誌』の編集も、二年間のジャーニーjourneyと思えばいいのである。ジャーナルjournalとはそもそも日録, 日誌, 日記という意味である(2001111日)。

 

回想・・・編集委員会発足まで

200161

 正式に編集委員長になる。なったはず。仙田会長に連絡するもつかまらず。

 

200165日 

学会のアジア建築交流委員会に出席。ようやく編集部の小野寺さん、片寄さんと直に打ち合わせができた。太田邦男委員会は真木さんと今井さんが担当。渡辺武信委員会で小野寺さんとは一緒であったが片寄さんとは初めてである。とにかくよろしくお願いしま~す、である。この二人がいなければ何も立ちゆかない、ということは前二回の経験でよ~くわかっている。

しかしそれにしてもいつも思うけれど、37000部を超える雑誌の編集をたった二人で担当するとは大変なことである。会告欄の分担、下請け体制などを聞く。助っ人となる編集事務所について相談を受ける。

そして、初めて編集のフレームを確認する。編集委員会が担当するのは、特集40p(or 24p、2月号学会報告、7月号学会予告、8月号学会賞)+常設欄15pである。

そして、編集委員の人数を聞いて大いに困った。20人強でお願いしたい、と小野寺さんはいう。そして、各支部から可能な限り起用して欲しいとおっしゃる。また、国土交通省、業界からもお願いしたい。わかってはいたつもりであるが人数の読みは甘かった。既に半数近くは打診していたのである。責任転嫁するわけではないけれど、会長は何人でもいい、とおっしゃっていたような・・・気がする。

 問題は旅費である。出席率8割で予算措置をしているという。僕は、京都を拠点にしており関西の委員の比率は高くなる。しかし、旅費代がかかるからといって東京中心というのもおかしい。

まず、その場で若山委員会の論壇投稿は止めることにし、支部通信委員制度を提案する。毎回お呼びするわけにはいかないけれど、地方の声を受け止める場を設定すべきだと思ったからである。また、瞬間的に「地域の眼(まなこ)」という常設コラムも思いついた。一号2p、2年間24号で48p、47都道府県から一人ずつ登場願おう。また、この際各支部から一人は編集委員とするのを原則にしようと思った。これは旅費の問題ではない。ポリシーの問題である。次期委員会にも引き継がれるといい。

それにしても困った。作業部隊として、布野チルドレンに加わってもらうとどうしても人数は増える。メールも使えることであり、旅費の枠は尊重するということで多少の人数増は認めてもらうことにする。特に規定があるわけではないという。

 

200167

 建築学会賞委員会へ出席。仙田会長に途中ではあるけれど組閣名簿を提出、意見をもとめる。全ての支部は埋まっていない。編集委員会は相対的に独立していると言っても、編集委員の選任は理事会マターである。会長からも何人かの推薦を頂く。女性委員が足りない、足りない、といって変な顔をされた。

傑作は伊藤圭子委員。国土交通省からの委員が決まらない。何人も適任の人が思い浮かぶが皆忙しい。全体構成上女性が欲しい。建築技術教育普及センター時代、建築文化景観問題研究会で「アーバン・アーキテクト制」をめぐって一緒に仕事をしたことのある伊藤さんに学会から電話する。「若い世代で、元気な女性を推薦願いたい」というと、「私でよければやりますよ」。即決まりである。

 

200168

 一斉にメール。焦るのは、7月半ばから5週間、海外調査に出掛けることが決まっているからである。一ヶ月で1月号、2月号どころか常設欄の目途をつけて置く必要がある。

 

2001612

 初理事会。学会方針を理解して編集に当たるように理事会には必ず出席せよ、とのこと。斉藤専務理事がしきりに会員数の減少を指摘するのが印象的。建築界のリストラが必要であるとすれば、建築学会もリストラが必要なのは当たり前である。編集委員会の上位に友澤副会長が束ねる情報委員会という親委員会があることを知る。作品選集も一応編集委員会が関係する。

懇親パーティーがあって、その流れで、友澤、小野寺、片寄、布野の四人で簡単な顔合わせ懇親会。会告欄、情報ネットワーク欄も編集委員会の守備範囲だという。毎号55p(39p)編集すればいいと思っていたから、とまどう。会告欄については強烈な思い出がある。特集はなんでもいいんですよ、会告さえあれば、好きにやって下さい、と言われたことが一度ならずあるのである。こうした意見は今でもエンジニア系の会員に強い、というのが僕の思いこみである。正直、そうだとすれば気楽である。期待されていないのだから自由にやればいい。ところが友澤先生は、どちらかというとホームページがあるから会告欄は縮小せよ、という意見である。他の学会もホームページが主流になりつつあるという。

 

2001615

 ようやく組閣完了。編集委員会は32名の構成となった。委員には、会長就任の挨拶原稿、過去の特集一覧、過去の常置欄リストなどとともに次のようなメールを送った。編集委員の決定は、710日の理事会を待たなければならないけれど、日程が合わない。79日に第一回編集会開催で見切り発車である。

 

■建築雑誌(20012003)編集委員会委員の皆様へ 布野修司 2001615

編集委員への就任ご承諾ありがとうございました。

近々、事務局から正式の依頼等がいくと思います。何卒よろしくお願いします。早速で恐縮ですが、以下の点、ご承知おき下さい。

Ⅰ 委員会開催について

 第1回 79日 15:0017:00 建築会館 田町 第2回 830日 15:0017:00 建築会館 田町 第3回 922日 学会大会中 本郷:東大 第2回、第3回はご相談の上決定します。

Ⅱ スケジュール

 学会から別送の予定 9月上旬に1月号の原稿依頼をしなくてはなりません。

Ⅲ 編集フレーム

1 編集委員会が担当するのは、特集40p( or 24p、2月号学会報告、7月号学会予告、8月号学会賞)+常設欄15pです。議論はありますが、このフレームで出発します。特集:大の月9号小の月3号 ×224号 研究年報2

編集にあたって(略)

 常設欄 1p 2p 4p 

 ・地域の目 2p 24×2 47都道府県+1

・海外情報 外国人の眼 1p(例えば、外国雑誌の編集長のメッセージ)

・インターネットの頁 1

 ・巻末(巻頭)インタビュー(特集にからめる あるいは 建築界の重鎮長老) 

 エンジニアリング 技術ノート

 文献抄録

 編集後記

基本(通奏)テーマ 鍵語 

 4つあるいは6つの問題領域を設定し、繰り返し問う。4×3×2or6×2×2

 デザイン

 土地

 建築技術

 世界

 地球環境

新学会長重点項目

防災・健康のための横断的学術研究 発注システム 建築博物館・・・

 

特集テーマ(例えば思いつくままに)

   アジアの都市建築

   エコ・アーキテクチャー・モデル

   日本の建設産業 構造改革の行方

   日本のタウンアーキテクト

   建築教育・技能教育・・建築資格

   ストック改造の技術

   設計者選定問題

   日本の住宅と家族 都市型住宅

   世界遺産/殖民都市

  

   21世紀の建築デザイン

 

当面の作業

   学会の課題の整理

   過去の建築雑誌の総括

   編集フレームの設定

   14号案

 

■建築雑誌(20012003)編集委員会構成案は以下のようである。途中で何度も編集部の二人にチェックして頂いた。専攻分野、出身大学、所属委員会、職場、年齢、居住地・・・、毎に表をつくって頂いた。もちろん、偏りはある。学会の委員会の代表によって構成しても、理事会や学術委員会のようになるだけである。小嶋一浩、古谷誠章、貝島桃代、塚本由晴、鈴木隆之そして新居照和といった建築家の面々に入ってもらった。会員の多くは設計事務所員ということもある。彼らの総合的関心を大きな指針にしたい。

組閣は満足である。当たり前だ、最初から不満ならやっていけないだろう。事務局もまあまあのバランスだという。問題は、多くの先生に推薦いただいたのに断念した委員候補が少なくないことだ。第一、仙田会長の推薦者がほとんど入っていない。結果を見ると、お膝元から塚本由晴君だけである。石田君、土肥君も東工大だけど全く系列を異にする。仙田会長からはいつでも意見をもらえるであろう、というのが勝手な判断である。推薦いただいた各先生には失礼極まりない言い方であるが、推薦名簿は編集に当たって大いに活用させて頂こうと思う。

 

編集委員長

1布野修司   京大 東洋大 東大         建築計画 都市計画            近畿(京都)

編集幹事

2松山 巌  作家 東京芸大           評論                  関東(東京)

3古谷誠章  早稲田               建築家 建築計画            関東(東京)

4石田泰一郎  京大 東工大            視環境 光               近畿(京都)

5大崎 純   京大                構造力学                近畿(京都)

編集委員

6青井哲人  神戸芸工大学 近畿大学 京都造形大学 アジア建築史             近畿(大阪)

7浅川滋男   鳥取環境大学 奈文研-京大      建築史                中国(鳥取)

8伊加賀俊治  日建設計 早大            地球環境               関東(東京)

9伊藤圭子  国土交通省(都市整備公団) 京大   建築行政          関東(東京・千葉)

10岩下 剛  鹿児島大学 早大           室内化学物質汚染          九州(鹿児島)

11岩松 準  佐藤工業 京大            建築生産 PM CM       関東(東京)

12遠藤和義    工学院 芝浦工大 東大        建築経済 建築生産        関東(東京)

13小野田泰明 東北大学               建築計画             東北(宮城)

14貝島桃代  筑波大学 東工大 日本女子大学    建築家           関東(東京・茨城)

15勝山里美  大林組広報室 横浜国大        環境工学設計           関東(東京)

16北沢 猛  東大(都市工)            都市デザイン           関東(東京)

17黒野弘靖  新潟大学               建築計画             北陸(新潟)

18小嶋一浩  東京理科大 東大 京大        建築家              関東(東京)

19鈴木隆之    京都精華大学 アトリエファイ 京大   建築家  小説家     近畿(京都・千葉)

20高島直之  評論家 武蔵野美術大学        美術評論             関東(東京)

21田中麻里  群馬大学 京大-奈良女子大学     住居学              関東(群馬)

22Thomas Daniel  F.O.B. ヴィクトリア大 京大   建築家              近畿(京都)

23塚本由晴  東工大                建築家             関東(東京)

24土肥真人  東工大 京大             造園 まちづくり        関東(東京)

25新居照和  建築家 関西大学           設計              四国(高知)

26野口貴文  東大                 材料              関東(東京)

27羽山弘文  北大                 環境          北海道(北海道)

28福和伸夫  名古屋大 清水和泉研-        構造 防災          東海(愛知)

29藤田香織  東京都立大 東大           構造             関東(東京)

30八坂文子  鹿島建設 東大            構造設計           関東(東京)

31山根 周  滋賀県立大学 京大          都市計画           近畿(滋賀)

32脇田祥尚  島根女子短期大学 京大        まちづくり          中国(島根)

 


 

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