私の京都新聞評「「景観と観光」掘り下げて」,京都新聞,20061008
布野修司
「美しい国へ」というのが九月二六日に発足した安部新内閣のスローガンだという。「美しい国」と言われれば、「美しく」なくなりつつある国土を反射的に思う。具体的で身近な都市景観のことである。
景観の問題は、京都が深刻で、景観法の施行とともに新たなテーマとなりつつある眺望景観について危機的な現状が報告されている(「鴨川から見た東山、京都御苑 27眺望緊急対策必要」、九月一七日、地域総合面)。「景観は京の宝」(上田正昭、天眼、六月一七日)である。湖国近江にとっても景観が命であることは言うまでもない。東海道山陽新幹線から見える景観の中で、米原―京都間が最も美しいと思う。水利の秩序を基にした集落景観がよく残っている。しかし、滋賀でも、この間たびたび県南部のマンション建設ラッシュについて景観問題が報じられてきた。大津市中心街の区画整理頓挫(「地権者の合意確保が壁、景観配慮、今後の鍵」、九月一八日)は、問題の根を物語っている。
九月一九日、国土交通省は基準地価の調査結果を発表した。東京、大阪、名古屋の3大都市圏の地価は16年ぶりに上昇したという。京都市内も中古マンションの価格が分譲価格を上回り(「京の中心部ちょっとバブル!?」、二七面)、「大津・湖南の沿線上昇」である。地権者にとっては、地価上昇は歓迎すべきことである。しかし、不動産価格の上昇のみを追求することによって引き起こされてきたのがこの間の景観問題である。
「景観で飯が食えるか」というのが、マンション供給業者・地権者のセリフであるが、「景観」で飯が食えるようにならないものか。新幹線新駅問題で不明朗な土地取引が取りざたされるが、土地を投棄の対象にする国が美しい国土を生み出さないことははっきりしている。
キーワードのひとつは観光である。「京の観光力、めざせ集客5000万人」シリーズなど本誌は京都については観光をよく取り上げる。観光は単に数(指標)の問題ではない。観光客の数をめぐる読者の応答(「年鑑観光客数」どの程度正確?、九月一七日)が問題を投げかけている。要するに誰にとっての観光かという問題が根にある。滋賀について、大森猛日本観光学会会長が「民」中心の振興事業を訴える(一〇月二日)。大いに共感するが、貴重な観光資源である景観をなし崩しにしているのはそれ以前の問題である。新駅をいうのであれば、米原駅はなんとかならないものか。「景観」も「観光」も重要である。紙面で掘り下げて欲しい。
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