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2022年5月13日金曜日

設計入札,現代のことば,京都新聞,19960910

  設計入札,現代のことば,京都新聞,19960910


設計入札            009

布野修司

 

  「東京都の水道局が、指名競争入札にした職員住宅の基本設計委託を、ある設計事務所が1円で落札しました。設計料のダンピングと設計報酬の自由についてご意見をお願いします」と、建築専門誌から求められた。

 絶句である。

 1円入札が、アイロニーとして行われたとしたら、あるいは建築界の談合体質へのプロテストとして試みられたとしたら、かろうじて意味があるのかも知れない。しかし、昔からこの手の話は耐えないのだからしゃれにもならない。恥ずかしい限りである。

 しかし、それにしても設計入札はどうしてなくならないのであろうか。公共施設の内容は、設計料の多寡によって決められるべきではない。入札が設計という業務に馴染まないことは明かではないか。にもかかわらず、それが無くならない建築設計業界の体質は絶望的と言わざるを得ないのかもしれない。京都の実態は果たしてどうなのであろう。

 どのように設計者を決めればいいのか。ある特定の公共施設に最も相応しい建築家が特命で随意契約によって選ばれる場合もあろうが、一般的にはコンペ(設計競技)によるのがいい。京都でもこれまでいくつか行われてきている。

 コンペといっても色々あるけれど、最近試みて面白いと思っているのが、公開ヒヤリング方式の指名コンペである。何も難しいことはない。従来審査委員会のみで行われているヒヤリングを公開で行おう、というだけである。一種のシンポジウムと考えればいい。半日の時間で、しかるべき場所さえあればいいのである。

 指名を受けた設計者たちは自らの提案を審査員のみならず市民に対してもわかりやすく説明しなければならない。仲間内でのみ通用する難解な建築的コンセプトを振り回してもはじまらない。競争者も同席しており、専門的な裏づけについてもしっかり答えなければならない。テーマの定まらないまちづくりシンポジウムなどより、はるかに真剣でスリリングである。

 血税を使って公共施設をつくるのであるから、その内容は市民に公開されるべきである。また、どのような施設が相応しいか議論されるべきである。公開ヒヤリングの場は既にまちづくりの第一段階ともなりうる。

 今のところ、島根県のいくつかの自治体で試みられ、島根方式と呼ばれ始めているのであるが、少しの努力でどんな自治体でもすぐにできることである。公共施設であるからには、それなりの時間と智恵を使って、少しでもいいものができるように努力がなされるべきである。建設費をもとに施工者を決めるのとは違う。まずは、どのような施設をつくるかが問題である。設計料が安いからというだけで設計者を決めるのはあまりにも乱暴である。設計入札など論外である。そして、設計入札に応じる建築家など論外である。

 



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