死者の家:トバ・バタックの家,at,デルファイ研究所,199311A
死者の家 トバ・バタックの墓 スマトラ
布野修司
東南アジアを歩いていて、興味深いのが墓である。実に様々な形態の墓がみられるのである。
インドネシア、マレーシアはムスリムが多いから、イスラームの墓を頻繁に眼にするのだが、これが実にそっけない。土葬なのであるが、極端な場合、土を盛って木を一本立てただけのものがある。普通、四角く囲って、頭に低い石柱もしくは木杭が立てられる。足の所にも立てられ一対となるケースも多い。もちろん、立派なものになると墓石がつくられ、墓の上にシェルターがつくられたりするのであるが、一般的に単純なものが多い。東南アジアの場合、頭をメッカの方に向けるのが多い印象だけれど、てんでバラバラの場合もある。
イスラームの死生観は、ヒンドゥー教や仏教とは随分異なっているようだ。イスラーム各派で埋葬の形は異なるのだが、サウジアラビアなどでは、特別な葬儀や墓参を全く行わず、埋葬のあとにも墓標を立てないのだという。
ムスリムにとって、現世の死はそのまま全ての終わりを意味しない。それは束の間の眠りの期間にすぎず、ほどなく審判をうけた後、天国なり地獄で永遠の来世を送る一ステップに過ぎない。人によっては、死は一〇日、あるいは一日か半日の出来事にしか感じられないものだという。墓はあんまり意味がないのである。
スラバヤのカンポン(都市内集落)を歩いていて、そこが墓地だと気づいてぞっとしたことがあるのであるが、ムスリムにとっては墓地に住むことはそう違和感がないのである。
それに対して、イスラーム化以前の墓や墓地には様々なものがある。東南アジアには入念な葬送儀礼を行なう地域が多かったのである。死者の記念として、石を工作したり、巨石を建てたりすることは、ニアス、トバ、トラジャ、中央スラウェシ、フローレス島、スンバを含む島嶼部の他の多くの地域社会の特徴である。
墓は「死者の家」である。家の形をした墓もよく見かける。サラワク、低地バラム地方のブラワン族は、死者の骨を洗い、サロンと呼ばれる見事な彫刻が施された共同霊廟にそれを安置する。バロック的な棟飾りを持った同様の霊廟は、サラワクのケンヤ族、カヤン族、カジャン族、プナン・バ族などでも一つの特徴となっている。また、イバン族は、優雅に彫刻されたスンカップと呼ばれる小さな「埋葬小屋」を作る。
北スマトラのトバ・バタック族は、住居を模した霊廟を建てた。ほとんどがキリスト教に改宗したのであるが、今日でもその伝統が残っている。その霊廟はかつては石造であったが、今日では、一般的にペンキを塗ったコンクリートで作られており、伝統的な住居の形を模した精巧な複製となっている。住居型の墓は、トバのいたるところに点在しており、巨大なトバ湖の中央にあるサモシル島には、特に多くみられる。また、同じバタックでも、カロ高原のカロ・バタックは、特異な形態をした納骨堂をもつ。
土着宗教において、先祖との実り多い関係を維持することは極めて重要であった。そのための施設である、墓や廟や納骨堂は、先祖のための家であり、生きている者と先祖との交流のための空間なのである。
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