スペインイヤーに思う,世界史的意味としては,日経アーキテクチャー,日経BP社,19920511
スペインイヤーに思う 布野修司
スペインイヤーに何を思うといわれても何も思わない、というのが正直なところだ。スペインというとバルセロナに数日滞在したことがあるだけである。「やっぱり、ドメネク・イ・モンタネールよりガウディの方が上だ」などといっても始まるまい。先日も、毛綱毅曠、渡辺豊和の両先輩に「バルセロナへ行ってモンセラーを見てないのか」といって馬鹿にされたばかりである。
世界の枠組が大きく変動し、「歴史の終焉」が言上げされる今、スペインがことさら焦点となっているとは必ずしも思えない。EC統合を象徴するなど、もしかして、後で振り返ってなるほどスペイン・イヤーだったのか、ということかもしれないのだが、今のところ、「スペイン! スペイン!」というのは日本の旅行業界の陰謀ではないか。
世界史的な意味としては、コロンブスの「新大陸発見500周年」のほうが考えてみる価値があるかもしれない。「発見」とは何か。「新大陸」とはどういうことだ。元からあったではないかとクレームがついた。そこで「二つの大陸の出会いから500周年」ではどうかということになった。しかし、交流は遥か以前からあったではないかとすぐさま反論がである。どうもわれわれはヨーロッパ中心史観を抜けでていない。
しかし、それにしても、コロンブスというのは悲喜劇の人だ。
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