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2022年9月21日水曜日

これぞ建築批評,筆一本で食べる難しさ、日経アーキテクチャー,19961104

 これぞ建築批評,筆一本で食べる難しさ、日経アーキテクチャー,19961104

筆一本で食べることの難しさ 

 

 「これぞ建築批評」と言われても困る。建築批評というものが近代日本において成立しているかどうか、常々疑問に思っているからである。第一、建築批評家というプロフェッションが成立していないという実態がある。筆一本で食べることができた建築批評家がいるのか。浜口隆一が東大をやめて批評家の道を目指したのが珍しい例ではないか。川添登、長谷川尭といった建築を一般に開く役割を果たした批評家がしばらく筆一本で食べたけれど、大学の先生になった。今、松山巌が唯一健闘を続けているけれど、その文筆活動は狭い建築の世界を既にはるかに超えている。

 建築批評が文学批評や音楽批評や美術批評と違って自立した批評家を持たないことは、建築批評家を食べさせる建築ジャーナリズムが成立していない、ことと関係がある(一年間紙面と年収に値する原稿料を何人かのすぐれた若い書き手に保証しさえすれば、建築批評のシーンはがらりと変わるであろう)。とりわけ、建築の魅力を専門家以外にも知らしめた批評と言われると、建築をめぐる言説の以上のような構造を指摘せざるを得ない。

 以上を言い訳として、建築批評の流れを大きく変えたと思われる批評を挙げるとすると、宮内康の『怨恨のユートピア』(宮内康建築論集として復刻の予定あり)と長谷川尭の『神殿か獄舎か』につきる。少なくとも僕は強烈な印象を受けた。いずれも近代建築批判、戦後建築批判の最初の批評を集めた評論集である。建築批評は金太郎飴のように同じようなことを明治の頃から繰り返すだけだ。二人の批評はそれを異化する可能性を僕らに示してくれた。以後、建築批評は再び後退し続けている。



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