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2022年9月17日土曜日

超高層の功罪,居住空間としての追求を,日経アーキテクチャー,日経BP社,19920928

  超高層の功罪,居住空間としての追求を,日経アーキテクチャー,日経BP社,19920928

超高層の功罪                             布野修司

                   

 先日、NHKの教養特集(7月18日放映)で、徹底して超高層建築を批判するC.アレグザンダーの千種台団地(名古屋)の再開発プロジェクトが取り上げられた際、コメンテイターとして発言を求められたことを思い出す。番組の流れもあって、基本的にC.アレグザンダー支持のコメントとなったのであるが、必ずしも、超高層建築を否定しているわけではない。言い訳けめくが、オフィスビルなど、超高層建築が必要な場所、シチュエーションもある、というのが僕の意見である。

 ただ、住宅については、一般的にいって超高層には反対である。単に密度の問題であれば、C.アレグザンダーのいうように、低層建築でも、ヘクタール当り1000人でも1500人でも可能である。そして、接地性の高い方が、技術的にも、経済的にも、あらゆる点で生活環境として優位であることは明らかなことである。

 しかし、どうしても超高層住宅が必要なケースがある。香港やシンガポールを考えてみてもいい。その場合、超高層建築で如何にすぐれた居住環境を創り出すかがテーマとなる。今建設される超高層住宅といえば、一個一個の住宅をただ積み重ねるだけである。それと例えば京町家の形式をただ比べても無意味だ。少なくとも、京町家の形式とそれが保証した生活環境を超高層で如何に実現するかが問題にされるべきである。超高層の功罪という言い方はもう久しく以前から不毛である。 







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