「防災の日」を前に,事故は一定の確率で起こる?,日経アーキテクチャー,日経BP社,19920831
防災の日を前に 布野修司
臍を曲げて言えば、「防災の日」などというのがまずよくない。また、それをたまたま発売日が会うからといってテーマにするセンスがよくない。「防災の日」に、防災訓練をしたり、いざという時のトレーニングをするのはいいだろう。災害時のパニックを避けるための準備は必要である。しかし、「防災の日」がないと災害のことなど考えないという感覚こそが恐ろしい。事実、「防災の日」があるおかげで、その日を除けば、一般庶民は災害をほとんど意識することはないのである。
しかし、建設現場となるとそうはいかない。安全対策はどこの現場でも頭が痛い。注意をし、毎日点検するのだけれど、それでも事故は起こる。
先日、暗然とするようなレクチャーを受けた。安全対策は徹底されてきたのであるが、それでも事故は一定の確率で起こっているのだという。要するに、極論すれば、安全対策の如何に関わらず事故は起こるのである。もちろん、これはマクロな統計上の話である。でも、例えばトンネル工事で、距離数に比例して死亡者が出るというデータをどう解釈すればいいのか。また、ヨーロッパやアメリカと比べても、その確率は高いのだとしたら、どうか。
結論は、日本の建設産業の構造に根ざしているということになりはしないか。その体質改善は、「防災の日」だろうがなんだろうが、以前から一貫するテーマである。
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