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2022年9月24日土曜日

建築界の涼しくなる話,そして、建築家はいなくなった、日経アーキテクチャー,19960812

建築界の涼しくなる話,そして、建築家はいなくなった、日経アーキテクチャー,19960812

そして、建築家はいなくなった・・・

布野修司

 

 建築学科が無くなるという話は、怪談でもミステリーでもない。現在進行中のノン・フィクションである。日常的にぞっとしている。させられている。

 建築学科が無くなるというのは、この間の大学改革(大学院重点化、教養学部の廃止等々)にともなって、その名前が消えつつあることを言う。もちろん、建築学科という名前が全ての大学で無くなるわけではなし、名前が無くなったって、「建築」あるいは「建築コース」が無くなるわけではない。

 しかし、建築学科の再編成の過程で起こりつつあることはそう楽観もできない。要するに問題は、建築学科はどういう人材を育てるのかである。あるいは、建築家を建築学科は育てられるのか、ということである。古くて新しい建築教育の問題である。

 現場を知らない教師が建築を教える。自分の住宅の設計もしない教師が建築を教える。これは、心底ぞっとすることである。もちろん、この教師とは僕のことだけれど、余りにそんな教師が多すぎないか。

 最近、土木の先生とつきあう。デザイン教育にすこぶる熱心な先生である。もうセンスは「建築家」と変わらない。やっぱり、デザイナーは建築学科でないと育たないといいたい気分はある。しかし、何の根拠もないことにぞっとする。土木と建築との間にデザインの境界などないのである。

 建築学科が何も建築家を育てるわけではない。安藤忠雄の例を出すまでもなく、独学の建築家は少なくない。また、インダストリアル・デザインや美術の世界からの転身の例も枚挙に暇がない。もしかすると、建築学科なんか要らないのかもしれない。逆に、建築学科という制度が建築家を生まないのだとすれば大いに滑稽でそれこそぞっとするではないか。 



 

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