[01] 避けられね「第三の開国」? 異質なものの共存原理、外国人労働者問題①、建設通信新聞、1991年4月1日
[02] 身近で見えない「スラム」、拡散する隔離空間、外国人労働者問題②、建設通信新聞、1991年4月2日
東京の都心から三〇キロ、職場である大学へ通うためにいつも使う私鉄沿線の駅。一年ほど前からであろうか、アジア系外国人の数がめっきり多くなった。もともとその駅を利用する外国人というと決まっていた。残念なことに閉店してしまったのであるが、日本でも数少ないネパール料理の店が町にあった。外国人といえばその店を経営するネパール人夫婦だけであり、町の人によく知られていたのである。そんな小さな町に何人もの外国人をみかけるようになったのは大きな変化だ。
もっとも昼間の時間には目だたない。見かけるのは早朝か夕刻である。ある朝、極めて早い時間であった。駅を降りて歩くと反対に駅へ向かう人々が外国人ばかりなのである。不思議な感じがしたことをよく覚えている。辺りには畑も見られる。首都圏とはいえ、未だ農村的な風景が残っている町である。そうした町に外国人が住みつき始めている。一体どんな場所に住んでいるのか。
ひとつの答えがまもなくわかった。キャンパスのすぐ前、門から五〇メートルのところにその家はあった。まさに燈台もと暗しである。木造平屋の一軒屋である。六畳一間に押入と流しの台所がついた小さな家だ。その一角には三軒ほど建っている。学生たちがかっては下宿に借りた。研究室の学生が借りていたこともある。その一部屋から数人の外国人男性が出てくるところに偶然行き合ったのである。フィリピン人と黙されるその男性達は、迎えにきた乗用車に乗って走り去った。ピンとくるものがあった。
リクルーターが、一軒屋や木賃アパートを借り、そこに大勢が住む形で外国人が居住する、そんな形が増えている、とは聞いていたのであるが、まさかこんなに身近にそうした一軒家があるとはいささか驚きであった。外国人労働者問題はつくづく身近だと思う。しかし、極めて身近な外国人労働者問題が一般に意識されない。都心から三十キロも離れた場所に外国人が居住するのはひとつには家賃の問題がある。外国人が首都圏一帯に極めて少人数で分散的に住んでいること、しかも、日本人とできるだけ接触しない形で住んでいること、外国人労働者問題がみえない理由である。
何故、わが町に外国人が増えつつあるのか。そのおよその解答もまもなく見当がついた。駅前で不動産屋を開いているO君が専ら外国人のために借家を斡旋しているのだというのである。近くに立地する工場で働くブラジルからの研修生の住居を紹介してくれといわれたのがきっかけであった。外国人というと全て断わられて困り果てて相談を持ち込まれたのである。以後、様々な情報ネットワークを通じて外国人客が増え出した。知合いを頼って仲間が集まるパターンである。
不動産屋以外で、わが町の外国人居住の実態に詳しいのがタクシーの運転手さんである。意外なことに、外国人労働者は専らタクシーを利用するのだという。地理に暗いということもあるが、日本人と接触したがらないのだという。コンヴィニエンス・ストアは、彼らにとっても極めて便利がいいのであるが、そこで沢山買い込んで荷物が重いということもある。大勢で利用すればタクシーも割安である。何人かの運転手さんに聞くと仲間内の情報を合わせればどこに外国人が住んでいるか大体わかるという。外国人労働者が首都圏近郊でどうした暮しをしているか、ぼんやりと浮かび上がってきはしないか。
日本全国の建設現場で外国人労働者がどの程度就労しているのか、その実態は明らかでない。法務省の「昭和63年における上陸拒否者及び入管法違反事件の概況について」によると、不法就労者の総数男、八九二九人(総数一四三一四人)のうち、土木作業員は三八〇七人である。約四割が建設業関連ということになる。しかし、「不法就労」はもちろんそんな数字にとどまらない。
同じ統計で、不法就労の多い国は、アジアからの「不法就労」者が圧倒的で、フィリピン五三八六人、バングラデシュ二九四二人、パキスタン二四九七人、タイ一三八八人、韓国一〇三三人、中国五〇二人の順である。入国目的別に入国者数をみてみる。観光ビザによる入国者総数九十七万八千人のうち、アジアからの入国者が五四万人、アフリカから二千四百人、南米から一万八千人である。もちろん、全てが不法就労の疑いがあるなどという、乱暴なことを言おうというのではない。強調したいのは公式の数字が実態からかけはなれているということだ。
外国人登録者の数をみると、韓国朝鮮の六十七万七千人、中国の十二万九千人、アメリカの三万三千人に続いて、フィリピンが三万二千人、タイが五千三百人、バングラデシュ二一〇〇人、パキスタン二千百人といった実態である。フィリピンから九六〇〇人、パキスタンから九千二百人、タイから一万九千人といった入国者数と不法就労者の数を比べてみると、十倍から二十倍、一五万人から二十万人の不法就労者が日本に滞在すると推測されるのである。
この大変な数の「不法就労者」はどこに住むのか。わが大学のある首都圏近郊の町の様相がその一断面である。あちこちの工事現場を覗いてみる。出入国管理法の改定以降も多くの外国人を労働者をみかける。外国人の就労が中小の現場で日常化していることは容易に推測できる。しかし、その実態には眼をつむられている。建設業界の重層下請けの構造と「不法」というレッテルのために覆い隠されているのである。
[03] 寄場の変容 重層構造のさらなる重層化、外国人労働者問題③、建設通信新聞、1991年4月3日
[04] 差別と排外主義 「不法」というレッテルが生み出すもの、外国人労働者問題④、建設通信新聞、1991年4月4日
[05] 建設現場の光景 お寺と黒人、外国人労働者問題⑤、建設通信新聞、1991年4月5日
[06] ウサギ小屋文化 非関税障壁としての住まい、外国人労働者問題⑥、建設通信新聞、1991年4月8日
[07] 最底辺 ガストアルバイターの光と影、外国人労働者問題⑦、建設通信新聞、1991年4月10日
[08] 歴史の記憶 朝鮮人と日本の経験、外国人労働者問題⑧、建設通信新聞、1991年4月11日
[09] 貧困の共有 インドネシアのカンポンの世界、外国人労働者問題⑨、建設通信新聞、1991年4月12日
[10] 情報公開われらの内なる国際化 開かれた世界へ、外国人労働者問題⑩、建設通信新聞、1991年4月15日
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