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2021年8月21日土曜日

空間の美学06 物過剰の追放 「狭く貧しく」返上を 学芸通信,新潟日報連載 全6回 19900731~0911

 空間の美学 学芸通信,新潟日報連載 全6回 199007310911

06 物過剰の追放 「狭く貧しく」返上を,空間の美学6,学芸通信,新潟日報 19900911

 ウサギ小屋                  06

 PHOTO:家電、家具で溢れるインテリア

 

 

 日本の住まいのことをウサギ小屋などという。西欧人にいわれて、僕らもなるほどと思っていつのまにか定着してしまった。日本の住宅はとにかく狭い。平均住宅面積は、大きくなってきたのだけれど、特に、大都市圏の住宅は、少しも広くなっていない。ちっとも日本の住まいが豊かになった気がしないのは、狭いからである。

 しかし、一方、住まいの内部に眼をやれば、様々なものが溢れかえっている。ソファーやサイドボードなどの家具、冷蔵庫や洗濯機・乾燥機、電子オーブンや自動食器洗い機、クーラーなどの家電である。最近では、電話やファックス、パソコンやワープロ、テレビやビデオ、ステレオやカセットデッキなどAV機器が随分と増えた。豊かで贅沢になったと言わざるを得ないだろう。

 空間は貧困で、物が過剰というのが日本の住まいである。狭い空間をどうやりくりするかが、インテリア・デザインの手法となっている。押入を如何に改造するか、居間のコーナーにちょっとした書斎をつくるのはどうするか、床下や天井裏をうまく収納に使うのはどうすればいいか、様々な工夫がなされる。狭さの美学、やりくりの美学である。

 家電製品も小振りのものが多い。幅や奥行きなど寸法はぎりぎりにまできりつめられる。狭い空間にフィットしなければ、売れないからである。小さいことはいいことだという美学が骨身に染み着いているようにも思えてくる。鴨長明の「方丈庵」や茶室の伝統が想い起こされるのである。

 しかし、それにしても物が過剰すぎるのではないか。人のために住まいがあるのではなく、物のために住まいがあるというのでは本末転倒である。

 部屋の真中にデーンと応接セットが置かれる。応接セットが主役で、人は床の上にセットを背にして座っていたりする。日本の住まいは天井が低いということもあろう、椅子座の生活と床座の生活がうまく調和がとれないことが多いのである。 

  住まいは広ければ広い方がいい、と誰しも思う。しかし、無限に広い住まいを希求するわけにはいかない筈だ。それに、広ければ広いほど豊かである、ともいえないであろう。小さくても豊かな住まいはある筈だ。

 日本の住まいは過剰に物が詰め込まれ重くなりすぎている。余計なものを置かない、買わない、という美学があってもいい。物を沢山所有することは、必ずしも住まいの豊かさの指標にはならない。日本の住まいの場合、むしろ、物を追放することが空間をリッチに使うことにつながるように思う。

  


01 本当の豊かさとは 経済優先を考え直せ,空間の美学1,学芸通信,新潟日報 19900731

02 今なぜ入り母屋御殿 底流に想像力の貧困,空間の美学2,学芸通信,新潟日報 19900807

03 景観壊す無国籍デザイン 住まいの向上と無縁,空間の美学3,学芸通信,新潟日報 19900814

04 簡素化した建築儀礼 建てる過程を大切に,空間の美学4,学芸通信,新潟日報 19900828

05 都市住宅の型 伝統育てるために必要,空間の美学5,学芸通信,新潟日報 19900904

06 物過剰の追放 「狭く貧しく」返上を,空間の美学6,学芸通信,新潟日報 19900911

 

 

住まい・空間の美学  住まいの豊かさとは?

 

 1.一坪一億円               ○価格  

 2.入母屋御殿                            ○イメージの画一性

 3.展示場の風景               ○多様性の中の貧困

 4.建築儀礼                              ○建てることの意味

 5.都市型住宅                           ○型の不在

 6.ウサギ小屋                        ○狭さと物の過剰

 7.電脳台所                              ○感覚の豊かさと貧困

 8.個室 家の産業化                      ○家族関係の希薄化

 9.水。火。土。風            ○自然の喪失 

10.死者との共棲                          ○歴史の喪失

 

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