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2021年8月1日日曜日

見聞録07 知られざるモニュメント 丹下健三の「動員学徒記念若人の広場」  一九六七年 兵庫県福良町(淡路島)

 布野修司 共同通信 学芸=見聞録 連載全21回 2000年8月~20024

  知られざるモニュメント

  丹下健三の「動員学徒記念若人の広場」  一九六七年 兵庫県福良町(淡路島)

 布野修司

 


 今や建築家としてもデビューを遂げた建築探偵藤森照信(東大教授)から、瀬戸内の島に丹下健三の未発表作品があると聞いたのは二年ほど前のことである。スライドを見せられ、へぇーと驚いた。丹下健三と言えば、日本を代表する建築家であり、その作品は常に話題を呼んできたから、未発表作品があるとは俄に信じられなかったのである。

 たまたま鳴門大橋を渡っていて思い出した。遠くの山の上に三角形の塔が見える。尋ねると、「「若人の広場」です、丹下さんの設計ですよ」。地元ではよく知られていた。

  マッシブ(量塊的)な粗石積みの展示施設は、阪神淡路大震災でダメージを受け、閉鎖中であった。石積みの丹下作品など他にはない、と我が目を疑う。しかし、設計計画は確かに丹下流である。軸線を明確に設定しながら、微妙に視線をずらす仕掛けがある。屋上庭園、広場、モニュメントへ向かう通路が巧みに配されている。

 竣工が一九六七年と知って、大いに混乱する。六〇年代は丹下の全盛であり、一方で、代々木の国立屋内競技場(一九六四年)、山梨文化会館(一九六六年)など、建築構造技術を駆使した新たな表現が次々と生み出されているからである。未来都市を目指した大阪万国博の会場設計も既に進められていた。粗石積みの建築は如何にもプリミティブだ。

 何故、この動員学徒のための記念碑が建築界で発表されなかったのかは何となくわかる。第二次世界大戦中(一九四二年)の大東亜記念営造物コンペ(設計競技)に一等入選することによってデビューした丹下の戦後の「転向」を告発する論調が当時建築界では支配的であったからである。

 しかし、この作品の「発見」によって浮かび上がるのはむしろ、丹下健三における戦前戦後における一貫性ではないか。既にそうした指摘はあるが、日本の近代建築の歴史に一石を投じる「発見」となることは間違いない。

 


     



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