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2021年8月16日月曜日

空間の美学01 本当の豊かさとは 経済優先を考え直せ 学芸通信,新潟日報連載 全6回 19900731~0911

 空間の美学 学芸通信,新潟日報連載 全6回 199007310911

 

本当の豊かさとは 経済優先を考え直せ空間の美学1学芸通信,新潟日報 19900731

一坪一億円    01

 PHOTO:都心の極小建売り住宅 /売地の看板数億円戸建住宅のちらし/ワンルームマンション

  大都市圏の居住者にとって住まいの問題は深刻である。などというより、腹がたつのを通りこしてあきれはてる問題である。住宅一揆が起きないのは何故だろう、と心底思う。

 年収の十倍のお金を出しても住まいを手にすることができない。あるいは、通勤に二時間もかかるところでなければ住宅を買えない。もう気違い地味ている。東京の場合、都心では数億円を超える。一体誰が買うのだろうと思うのであるが、結構売れる。余計腹が立つ。

 住まいをめぐる問題は、資産を持つ層と持たない層とで大きく二分されつつある。ウサギ小屋と呼ばれる住まいですら入手するのが困難な層が存在する一方で、いくつもの住まいを所有し、豊かさを謳歌する層が広範に存在しはじめていることも事実である。

 しかし、住まいが一億円するからといって、その住まいが豊かといえるであろうか。実際に見てみると、なんでこの住宅がこんな値段なのか、ということが少なくない。諸外国の状況からみると、日本の住まいの価格は信じ難い。同じ価格でとてつもなく広い住宅を手にすることができるのである。日本では、ほとんどが土地の値段であって、上物(うわもの)としての住宅の値段は建てられた瞬間にも限りなく零に近いのだから、一億円の住宅が貧相に見えても当然といえば当然なのである。

 住まいの豊かさは、その価格が高いか安いかということで測れるものではないだろう。適正な価格で、誰もが住まいを手にすることができる方が余程豊かである。どこかおかしい。むしろ、住まいの豊かさを価格で測る、その見方こそ貧しいのではないか。

 こうした状況を生んだのは空前の住テクブームである。多くの人が住まいを投資の対象とし、財産形成の手段と考えてきた。そこにまず問題がある。決して、他人事ではない。買い換えや転売をしなければ、とても住まいを買えない、そんな状況にまきこまれているのは、資産をもたない層も同じである。ワンルーム・リース・マンションなどに投資するのはむしろサラリーマン層なのだ。

 だから、住宅土地問題を全て政府の無策のせいにするのは誤りである。政府の無策を笑うまえに、また怒るまえに、自らを見つめてみる必要がある。自らの住まい・空間の美学を打ち立てる必要があるのではないか。

 住まい・空間の美学を問題にする以前に、空間の経済学が住まいを支配している。私利をもとめて経済論理のみが横行するところに、住まい・空間の美学が育つ筈もない。



02 今なぜ入り母屋御殿 底流に想像力の貧困空間の美学2学芸通信,新潟日報 19900807

03 景観壊す無国籍デザイン 住まいの向上と無縁空間の美学3学芸通信,新潟日報 19900814

04 簡素化した建築儀礼 建てる過程を大切に空間の美学4学芸通信,新潟日報 19900828

05 都市住宅の型 伝統育てるために必要,空間の美学5,学芸通信,新潟日報 19900904

06 物過剰の追放 「狭く貧しく」返上を,空間の美学6,学芸通信,新潟日報 19900911

 

 

住まい・空間の美学  住まいの豊かさとは?

  1.一坪一億円          ○価格  

 2.入母屋御殿                          ○イメージの画一性

 3.展示場の風景        ○多様性の中の貧困

 4.建築儀礼                             ○建てることの意味

 5.都市型住宅                         ○型の不在

 6.ウサギ小屋                   ○狭さと物の過剰

 7.電脳台所                              ○感覚の豊かさと貧困

 8.個室 家の産業化                  ○家族関係の希薄化

 9.水。火。土。風       ○自然の喪失 

10.死者との共棲                        ○歴史の喪失

 

 

 

 




展示場の風景                03

  PHOTO:展示場の住宅の並ぶ風景・○○風住宅

 

 

 住宅展示場を歩いてみよう。夢のような住宅が並んでいる。それがまた実にヴァラエティーに富んでいる。地中海風あり、アーリー・アメリカン風あり、コロニアル・スタイル(植民地様式)風あり、ヴィクトリア様式風あり、ドイツ民家風あり、数寄屋風ありと様式が細かく区別される、それほど多彩である。

 住宅展示場の多様なデザインをみるとつくづく日本の住まいは豊かになったと思う。かっては、住宅のスタイルなど問題とされなかったのである。

 プレファブ住宅の歴史を振り返ってみればいい。一九五九年に三坪程のミゼットハウスが初めて売りに出されて以来、六十年代のプレファブ住宅は、安かろう悪かろうの代名詞であった。プレファブといえば、バラックのイメージなのである。

 しかし、今や高級住宅というイメージがむしろ強い。その転換点は、オイルショックだ。プレファブ住宅は全く売れなくなる。プレファブ住宅の商品の種類が各社とも一気に増えた。商品化住宅の様式化の現象と呼ばれるのであるが、スタイルそのものが問題とされ出したのである。価格や規模のみならず、住宅の質が、その豊かなイメージが求められ始めたのだ。

 しかし、住宅デザインの多様化現象は、本当に住まいの豊かさを示すのであろうか。デザインは多様でも、例えば、間取りはそんなに多様ではない。nLDKという記号でわかってしまう。暮らし方のほうが同じようなパターンをしているのだから無理もない。デザインの違いといっても、住まいの本質的なあり方とは無縁のように思えなくもないのだ。

 デザインの差異といっても小手先のファサード(正面)デザインの違い、顔のお化粧の仕方の違いといえるかもしれない。それに、決定的に違うかというとそうでもない。全て和洋折衷であるといってもいいのではないか。それぞれ、○○風であって、きちんとした様式そのままではないのである。いろいろの国の様々な様式の断片が組み合わされているだけといえば、いえなくもない。いってみれば全て無国籍のデザインだ。

 かって民家は、全て同じような間取りで、同じような材料でつくられていた。そうした意味では画一的であった。しかし、それが集まって豊かな村や町の景観をつくりだしてきた。地域地域でその景観は多様であった。

 しかし、現在の住宅デザインの多様性は、集まることによって不協和音を奏でるだけだ。特色なくホワイトノイズ(白色騒音)化してしまう。住宅展示場はそうした日本の町の縮図である。

 

 


建築儀礼                    04

  PHOTO:建前(上棟式)の風景・セルフビルドの住宅

 

 

 かつて、といってもそう遠くない昔、住宅は買うものではなくて建てるものであった。いまでも、もちろん、大工さんや工務店に頼んで住宅を建てる注文住宅の形は多いのであるが、建売住宅やプレファブ住宅のように、パンフレットやカタログを見て買うという形が随分と増えてきた。

 それとともに、消えつつあるのが建築儀礼である。地鎮祭をして起工式をして、上棟式をする、という建築儀礼である。消えつつあるというのは不正確だ。しかし、随分簡素化されるようになったことは事実である。何故か。

 一般には、車のせいだとされる。大工さんが車で現場へ通うようになって、上棟式でもお酒を飲むわけにいかなくなった。お酒は持って帰ってもらって、式はできるだけ簡単に、という形が増えているのだ。

 上棟式というと、近所の人々を招いたり、お餅を配ったり、大変なことであった。負担もかかる。住宅を建てるということは、その家族にとって一大行事であり、大きなお祭りなのである。けれども、建てる方も、面倒臭くなった。節目の儀礼はともかく、毎日休憩の時にお茶を出したりすることはほとんどしない。

 建築儀礼が次第に簡素化されつつあることは、住宅を建てることそのもの、建てるプロセスそのものが軽視されつつあることを示している。毎日、お茶を出すというのは、職人さんたちに感謝し、気持ちよく働いて頂くという意味もあるけれど、毎日、現場で打ち合せし、細部を決めていくそうした場でもあった。しかし、現在は、そうした場がない。何度かの打ち合せと図面だけで、あとは出来上がったものを引渡すという形だ。

 住まい・空間の美学といっても、それでは一体誰の美学かわからない。お仕着せの美学、カタログから選択しただけの美学である。

 どんなプロの建築家でも、現場を大事にする。逆に、現場を大事にする建築家こそがプロと呼ばれる。それぞれ違った具体的で個別的な特定の土地に住宅は建つのだからそれは当然である。

 住宅を建てることを僕らはあまりにも面倒臭がるようになったのではないか。もう少し、時間をかけて楽しんでもいいのではないか。ものをつくるということは、そしてそのプロセスは本来楽しいものである。

 建築には素人でも、住むことについて僕らはそれぞれプロである。現場でじっくり時間をかけて自分にあった住まいを作り上げるのがその原点である。多様で個性的な住まいのあり方こそ豊かであるとするなら、お仕着せではなく、自分の美学を現場で磨くことである。

 

 


都市型住宅                  05

  PHOTO:町屋OR画一的な戸建建売団地の風景(航空写真)

 

 

 日本の都市には、日本の都市の特性がある。そして、それなりの魅力がある。しかし、一般的にいって貧しいと思う。

 第一、雑然としすぎている。雑然としていることについては、その魅力を主張する人も多い。特に外国人がよくそういう。日本ほど建築の自由な国はない、勝手気ままなデザインが百科瞭乱で、そのアナーキズムに活気がある、様々な建築規制のある欧米だとこうはいかない、というわけだ。

 確かに、そうした見方もあろう。しかし、ただ雑然としているだけで、都市の特徴が雑然性にあるというのはやはりいただけない。スクラップ・アンド・ビルドを繰り返すのみでいっこうに都市の骨格ができない。歴史的な表情がストックとして形成されないのは、どこかに欠陥があると言わざるを得ない。都市というのは、そこに住んできた人々の歴史の作品でもある筈だからである。

 日本の都市が雑然として無個性に見えるひとつの理由は、都市住居の型をもっていないからである。日本の住居の原型となっているのは、農家である。持家一戸建て志向が強いのは、農村部の民家が住宅イメージの原型となっているからである。現在でも、庭付き一戸建ての住宅を人々は終(つ)いの栖(すみか)と考えているのである。

 町屋とか、長屋とか、都市住居の伝統もなくはない。しかし、一般的には都市の伝統そのものが日本には希薄であった。江戸は、世界最大の、巨大な村落であったといわれるのであるが、戸建住宅がただ密集した形で出来上がったのが日本の都市の原型なのである。

 ヨーロッパの場合、古くから都市住居の伝統がある。コートハウス(中庭式住居)の伝統がそうだ。イスラム圏にも、中国にもコートハウスの伝統はあるのであるが、都市に密集して住むためには、通気や換気、日照などをうまく制御する装置としての都市住居の型が必要なのである。

 日本の場合、都市住居のひとつの形式として、共同住宅、アパートメント・ハウスが導入され始めたのは、大正期から昭和の初めにかけてのことである。関東大震災後に建設された同潤会のアパートなどが初期の例だ。半世紀余りの歴史があるにすぎない。

 みるところ、日本に合った都市型住宅を作り出すことに僕らは失敗し続けてきた。極端に言うと、ただ住宅を積み重ねただけの集合住宅をつくり続けてきただけだ。そのことと都市の景観が雑然と貧しいこととは大いに関係がある。もう少し集まってすむための空間を考えてみる必要がある。戸建持家志向のみでは、日本の都市は一向に豊かになるまい。


ウサギ小屋                  06

 PHOTO:家電、家具で溢れるインテリア

 

 

 日本の住まいのことをウサギ小屋などという。西欧人にいわれて、僕らもなるほどと思っていつのまにか定着してしまった。日本の住宅はとにかく狭い。平均住宅面積は、大きくなってきたのだけれど、特に、大都市圏の住宅は、少しも広くなっていない。ちっとも日本の住まいが豊かになった気がしないのは、狭いからである。

 しかし、一方、住まいの内部に眼をやれば、様々なものが溢れかえっている。ソファーやサイドボードなどの家具、冷蔵庫や洗濯機・乾燥機、電子オーブンや自動食器洗い機、クーラーなどの家電である。最近では、電話やファックス、パソコンやワープロ、テレビやビデオ、ステレオやカセットデッキなどAV機器が随分と増えた。豊かで贅沢になったと言わざるを得ないだろう。

 空間は貧困で、物が過剰というのが日本の住まいである。狭い空間をどうやりくりするかが、インテリア・デザインの手法となっている。押入を如何に改造するか、居間のコーナーにちょっとした書斎をつくるのはどうするか、床下や天井裏をうまく収納に使うのはどうすればいいか、様々な工夫がなされる。狭さの美学、やりくりの美学である。

 家電製品も小振りのものが多い。幅や奥行きなど寸法はぎりぎりにまできりつめられる。狭い空間にフィットしなければ、売れないからである。小さいことはいいことだという美学が骨身に染み着いているようにも思えてくる。鴨長明の「方丈庵」や茶室の伝統が想い起こされるのである。

 しかし、それにしても物が過剰すぎるのではないか。人のために住まいがあるのではなく、物のために住まいがあるというのでは本末転倒である。

 部屋の真中にデーンと応接セットが置かれる。応接セットが主役で、人は床の上にセットを背にして座っていたりする。日本の住まいは天井が低いということもあろう、椅子座の生活と床座の生活がうまく調和がとれないことが多いのである。 

  住まいは広ければ広い方がいい、と誰しも思う。しかし、無限に広い住まいを希求するわけにはいかない筈だ。それに、広ければ広いほど豊かである、ともいえないであろう。小さくても豊かな住まいはある筈だ。

 日本の住まいは過剰に物が詰め込まれ重くなりすぎている。余計なものを置かない、買わない、という美学があってもいい。物を沢山所有することは、必ずしも住まいの豊かさの指標にはならない。日本の住まいの場合、むしろ、物を追放することが空間をリッチに使うことにつながるように思う。

 


電脳台所                    07

 PHOTO:電脳台所・HA(ハウスオートメーション)、HS(ホームセキュリティー)機器

 

 

 ハウス・オートメーション(HA)、ハウス・セキュリティー(HS)ということで、コンピューター制御による住宅機器が様々に開発されつつある。三種の神器(洗濯機、テレビ、冷蔵庫)の時代や3C(カー、カラーテレビ、クーラー)の時代に比べると、まさに隔世の感がある。住宅の設備は随分と高度になった。そして便利になった。

 掃除、洗濯、裁縫、炊事など家事労働の形は、家電製品の登場で大きく変わった。家事労働の時間は大幅に削減されることになったのである。便利になることによって余暇ができる。自由な時間を好きな趣味や学習やスポーツなどに使うことができる。自由な時間は生活のゆとり、豊かさの指標である。

 外から電話でお風呂のお湯をわかすことができる。セットしておけば、自動的に好きな料理ができる。室内環境は自動的にコントロールされる。実に結構なことである。しかし、ますます、便利になって、ワンタッチで、全てがコントロールできるようになることに対して不安がないわけではない。

  故障したり、緊急の場合のシステムに問題があるといった技術的な不安では必ずしもない。具体的な物と身体との具体的な関係が希薄になって行くのではないかという漠然とした不安である。様々な生活技術が失われていくのではないかという危惧があるのである。

 システム・キッチンの流行がわかりやすいかもしれない。既に台所はかってのような台所ではない。台所は、煮たり焼いたり、食器を洗ったりする場所であるだけでなく、食べ物を保存をして置くなど多様な場所あった。しかし、極言すると、今では冷凍・レトルト食品を簡単に調理するだけの場所となりつつあるのである。そこで、台所は作業の場でなく、インテリアの一部となる。家具としてのシステム・キッチンが生まれた由縁である。

 今に、自動料理器ができるかもしれない。既に、焼いたり煮たり蒸したりという部分的なプロセスについてはコンピューター・プログラム付きのものがある。果して、味噌汁や漬物など、お袋の味とか我が家の伝統の味といったものも、簡単にコンピューター・プログラムとして伝承されるのであろうか。

 生活の知恵と呼ばれる様々な生活技術は、住まいから次第に追放されてきた。ナイフや包丁を使えない子供たちが育っていく。手で触れた感覚より、センサーの数字を信用する感覚が育って行く。自分の感覚より、感知器のブザーに反応する習性がつく。便利になるのはいいけれど、感覚や感性を貧しく鈍感にするのでは困ったものだと思う。


密室(個室の集合としての住居)              08

 PHOTO:AV機器満載の個室/カプセル・マンション/ホテルの個室(長期滞在型:AV機器完備)

 

 金属バット殺人事件、女子高校生コンクリート詰め殺人事件、連続幼女誘拐殺人事件といった凄惨な事件が起きる度にクローズアップされるのが個室の問題である。

 子供部屋が密室化することが犯罪を生むのではないか、子供に個室を与えるのは是か否か、というのだ。もちろん、子供部屋の独立、個室化ということと凶悪な犯罪を単純に結びつけることはできない。密室の問題でまず問われているのは家族の問題である。家庭内の人間関係である。住宅の物理的な構造が事件を生むのであれば、そこら中で犯罪が頻発している筈だ。そんな馬鹿なことはない。しかし、日本の住まいが単なる個室の集合と化しつつあることは一方で問われていいと思う。

 戦後の日本の住まいの歴史は、一部屋づつ規模を拡大する歴史であった。まずは、食寝分離、すなわち食べる場所と寝る場所を分けることが目標とされた。その結果生み出されたのがDK(ダイニング・キッチン)という日本独特のスペースである。続いて、公私の空間を分離すること、すなわち、家族の団らんのための居間を確立することが目指された。そしてさらに、家族のひとりひとりの部屋を確保することがテーマになった。

 一方、家の中での仕事は、どんどん、家の外へ追放された。すなわち、サービス産業によって代替されるようになってきた。食事の宅配サービスやハウス・クリーニングなど、家では何もすることがないほどである。

 その究極の形態はと問われれば、それはまるでホテルのような住まいである。ベッドメーキングからなにからなにまで、あらゆるサービスがついた住まいである。実際、そうした、ホテル型のマンションは既に建設されつつある。

 もちろん、そうした住まいが一般化していくのは簡単ではない。しかし、その前に問われるのが家族の関係である。あらゆるサービスが外化され、住居が単なる個室の集合となるとすれば、家族の結びつきの意味が改めて問われる筈だからである。

 テレビやビデオ、ファックスやパソコン、様々なAV機器、情報機器がビルトインされた個室は、物質的には閉じられているけれど、様々なメディアを通じて世界に開かれている。しかし、その一方で家族の直接的関係が希薄になりつつあるのだとすれば大問題だろう。単に家計を共有するというだけでない、家族の触れ合いをより豊かに実現する住まいがそれぞれに求められつつある。そうでなければ一緒に暮らす意味がない、そんなところまで日本の住まいは到達しつつありはしないか。


地水火風                    09

 PHOTO:囲炉裏のある風景

 

 日本の住まいが豊かになるにつれて、確実に失われたのは自然との関係である。都市化とともに日本列島全体から自然が失われてきたのだから当然といえば当然なのであるが、自然との関係を徐々に希薄化してきた意味は住まいにとって大きい。

 空気調和設備など設備機器の発達で、住宅内の環境を人工的に制御できるようになったことによって、次第に季節感が失われてきたことは実に寂しいことだ。しかし、問題は単に季節感だけの問題ではない。

 環境を自由にコントロールできるのはいい。しかし、そのために余りにも多くのエネルギーが浪費されている。そして、そのことが都市や地球規模の環境に及ぼす影響が忘れ去られてしまっている。実に大きい問題である。

 例えば、水はどうか。僕らは水を蛇口をひねればすぐにでてくるものだと思っている。只(ただ)ではないが、空気と同様、無限に近いものだと思っている。しかし、水に恵まれない地域は世界に多い。毎日、少しづつ水を買って生活している多くの人々が発展途上国の大都市にはいる。それに比べると僕らは贅沢だ。雨水を利用したり、飲料水以外は、家庭用排水を再利用しようというプログラムもあるけれどまだ実現はしていない。

 また、僕らは水を完全に制御できるものと無意識に考えているのであるが、集中豪雨で河川が溢れる水害は決してなくなったわけではない。全ての道路を舗装するため、雨がすぐに河川に流れ込み、都市ではかえって洪水が起こりやすくなったりしているのである。

 そういえば、土を都会ではほとんど見なくなった。土がなければ緑もない。緑が失われ、疑似的自然のみが創られのは悲しいことだ。

 水や土だけではない。風はどうか。風通しというのは住宅にとって極めて重要だったのだけれど、すきま風すらなくなった。室内を密封し、室内気候を機械的に制御することだけが目指されてきたのである。

 火はどうか。住居の中で、火のウエイトはますます小さくなっていく。料理から調理へ、火を使う場所であった台所がほとんど火を使わなくなるのだから当然である。薪割や焚火は都会ではもう見かけない。ゴミを身近に処理することはないのである。

 ゴミといえば、僕らの生活は余りにも浪費的である。捨てるために生産する悪循環である。自然のエコロジカルなサイクルを傷つけ、取り返しのつかないところまで至りつつある、そんな気がするのにやめられない。こんな状況を果して豊かというのであろうか。

 

 

  

 


死者との共棲

 PHOTO:墓地公園/霊園/墓のマンション

 

 日本の地方都市はどこでもミニ東京のようだ、とよく言われる。日本の都市の風景がどこでも同じように見え始めたということは、それぞれが固有の歴史を失いつつあることを意味している。

 同じ様な材料を使い、同じ様な構法によって建てられたかっての民家は画一的であった。しかし、それぞれの町や村は個性的であった。何故だろう。それに対して、現在は、一見、多様に見える住宅が建てられているのに、都市のほうが画一的にみえるのは何故だろう。

 ひとつのヒントは、かっての村や町は、はっきりとした境界をもっていたのに、現代の都市は、のっぺらぼうに連続しているということだ。具体的には、死者のための空間を考えてみるといい。

  かって、人は住まいで生まれ住まいで死んだ。誕生から死に至るまで、住まいが舞台であった。しかし、今は、生まれるのも死ぬのも病院という施設である。冠婚葬祭や通過儀礼も全て住居や集落と一体で行われてきたのだけれど、都市の中の施設において行われるようになった。

 墓地は、かって住まいに近接して置かれていた。町外れや村外れにあって、彼岸と此岸を境界づけていた。すなわち、死者は生きているものとともにあったといっていい。

 しかし、現代はどうだ。ほんの一坪程の墓地を買うのも大変である。まるで住宅を買うのと同じである。死後の住まいを買うのにも僕らは汲々とせねばならないのである。

 墓地は郊外へ郊外へ次第に追放されていく。ニュータウンのような郊外型霊園が次々に造られた。そして今やお墓のマンションも出現している。墓地の問題と住宅の問題は全く同じ経緯を辿ってきたのである。

 僕らは死者のための空間を全く考えずに生者のためだけの都市を考えてきたといえるだろう。考えてみれば当り前である。一千万人の都市があれば一千万人の墓がいる。しかも、都市が歴史を重ね、人々が世代を重ねれば、その何倍ものスペースがいる。しかし、そんなことはおかまいなしだ。

 死者をないがしろにするということは、その生の軌跡をないがしろにすることである。都市が無数の人々の歴史的な作品であるとすれば、それぞれの歴史を無視するということは、都市の歴史を無視するということを意味する。

 歴史を考えない、歴史の積み重ねを無視する、そんな都市と住まいのありかたが果して豊かといえるであろうか。

 

 

 

 

 

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