21世紀のユートピア 都市再生という課題(10)「地下に眠るローマの都市遺構 ウォーターフロント・バルセロネータ バルセロナ ガウディの生き続ける街」,日刊建設工業新聞,200209 27
連載 二一世紀のユートピア・・・都市再生という課題⑩ バルセロナ 都市再生とは何か。何を再生するのか。都市再生デザインの行方を探る
ガウディの生き続ける街
地下に眠るローマの都市遺構
ウォーターフロント・バルセロネータの再開発
バルセロナ
布野修司
バルセロナと言えばガウディである。今年はガウディ生誕150周年、ガウディ年ということで、とりわけ街はガウディ一色の感があった。グエル公園のガウディ博物館のみならず、バルセロナ市歴史博物館、カサ・ミラなど至る所でガウディ展が開かれているのである。バルセロナは三度目、前回訪れたのはフェリペⅡ世生誕四〇〇年の一九九八年だが、四年経ってサグラダ・ファミリアは随分と工事が進んだ。グエル邸もカサ・ミラも世界遺産に登録されて随分と整備が行われた。ふたつとも初めて内部を見ることができたけれど、やはりガウディはただものではない、と思う。
ところで、着工後100年を超えて猶未完であるサグラダ・ファミリアのようなシンボルを持ち、カテドラルや王の広場の地下にはローマ時代の都市核遺構を埋蔵するバルセロナのような都市において、再開発はどのように考えられるであろうか。どこかに再開発プロジェクトはないかと探していて、たまたま『バルセロナ・プラス』(二〇〇二年夏 No.22)という雑誌の中に「ラ・バルセロネータ:海の見える地区」という小さな記事を見つけた。一九九二年のバルセロナ・オリンピックを機にウォーター・フロントの再開発が開始され、様々な施設の建ち並ぶ海岸線が甦ったという。確かに、新しいガイドブックを覗くと、ニュー・スポットとしてウォーター・フロントが紹介されている。
早速、「コロンブスの塔」辺りから歩いた。まず、14世紀の王立造船所を改造してつくられた海洋博物館の規模と展示の質の高さに舌を巻いた。バルセロナは海に開かれた街であったのだと今更のように思う。モンジュイックの丘から海を望むとコンテナヤードが延々と広がっている。ウォーター・フロントは、濃密な中世のゴシック・クオーター、また、セルダが計画した整然としたグリッドの新市街とはまた別のバルセロナの顔だ。
バルセロネータを地図で見ると、平行に建物が並んで、まさにコンテナヤード、あるいは貨物車の引込線のようだ。記事(無署名)によるとバルセロネータは市壁外に出来た最初の街区だという。一四七七年に始まる港の建設とともに宅地が築かれてきたが、スペイン継承戦争の際の都市陥落に伴い、フェリペⅤ世によって中心街から移住させられた人々が住みついたのが地区の始まりである。一八世紀前半、一五列の住居列を直行する三本の通りが分割する、味気ない地区設計に当たったのは軍事技師フアン・マーチン・セルメーニョと建築家フランシスコ・パレデスである。
最初の一家族用住居は八.四メートル四方の敷地に二階建てであった。現在もいくつか残っているというが確認はできなかった。しかし、人口増加に伴い、敷地は二分割され、さらに二分割された。それぞれ半分住宅(カサ・デ・メディオ)、四分の一住宅(クアルト・デ・カサ)と呼ばれた。一八三八年に高さ制限が取り払われ、五階建てまで可能となる。かくして建詰まった地区は極く最近まで通風や日照など居住環境の悪化に悩んできたのであった。
二世紀以上の歴史を持つこのバルセロネータは大きくその姿を変えつつあった。かつては漁業や手工業が中心の地区であったというけれど、マリーン・スポーツやレクレーションのための施設が増えつつある。また、今のところパセイグ・ホアン・デ・ボルボとパセイグ・マリティンの二つのプロムナードが中心であるが、シーフード・レストランが数多く建並び多くのツーリストを引きつけている。尤も、変貌は海岸線沿いの一皮のみで、地区の居住環境改善の課題は残されている。しかし、海との関係をツーリズムとリンクさせて確実に回復展開させるプログラムがバルセロネータにはあった。
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