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2021年7月14日水曜日

ソカロからラテン・アメリカ・タワーへ  メキシコ・シティの苦悩!?  21世紀のユートピア 都市再生という課題(2)「問われる歴史的都市核の再開発」

 21世紀のユートピア 都市再生という課題(2)「問われる歴史的都市核の再開発」日刊建設工業新聞20020111

 ソカロからラテン・アメリカ・タワーへ
 メキシコ・シティの苦悩!?

 問われる歴史的都市核の再開発

 超高層の海に沈むかコルテスの街

                                           布野修司







  ソカロの再開発 メキシコ・シティ

京都のような格子状の町に住んでいるせいだろうか。世界中の格子状(グリッド・パターン)の都市が気になる。といってもきりがない。古今東西、グリッド・パターンの都市はそこら中にあるからである。

植民都市ということでは、中南米はスペインがつくった格子状都市の宝庫である。フェリペ二世が一五七三年に発したインディアス法が大きな影響力を持ったとされるが、もちろんそれ以前から格子状都市はつくられている。フェリペ二世の勅令はそれを集大成したものだ。今年、オランダ西インド会社(WIC)の建設した植民都市をブラジルそしてカリブ海まで追いかけて、その帰途、初めてスペイン植民地(ヌエバ・エスパーニャ)の総括拠点であったメキシコの地を訪れる機会を得た。メキシコ・シティは見事なグリッド・パターンの街である。

メキシコ・シティの地をコルテスが征服した時(一五二一年)、テスカカ湖の上にはアステカ帝国の都テノチティトランの壮麗な姿があった。コルテスはその都を破壊し、その石材を使って自分たちの都シウダード・デ・メヒコを建設する。アステカ帝国の都市遺産を完全に破壊し、全く新たな都市を同じ場所に建てたのである。

現在、ソカロと呼ばれる中央広場の周辺には、スペインの当時の都市に決して負けないカテドラル、宮殿が建つ。コルテスは、現地人にヨーロッパ都市文明の威光を示すこと、スペイン本国に負けない都市を建設することを目指したのである宮殿の隣地からアステカの中央神殿跡が発見されたのは一九一三年のことだ。ひどいことをしたものだ、とつくづく思う。コルテスの頭脳の中には、先住民の都市文化遺産への尊敬の念など微塵もなかった。

とは言え、ソカロは既に五〇〇年にも及ぶ歴史を誇る。周辺は世界文化遺産にも指定されている。ところで、ソカロの外れ、アラメダ公園の角に、エンパイア・ステート・ビルを小型にしたようなラテン・アメリカ・タワーというビルが建っている。地上四四階、さらテレビ塔が載って一八二メートルにもなる。そのビルの展望台から見事なグリッドと主要な建物を俯瞰することが出来る。

このラテン・アメリカ・タワー、驚いたことに一九四八年に着工して五六年に竣工している。日本に霞ヶ関ビルが出来る(六八年)遙かに前である。設計者はオルティス・モナステリオ。日本において、六〇年頃国立自治大学図書館の民族的表現などが話題になったことがあるが、この建物は知られていない。アメリカ建築の華々しさの前に無視されたのだろう。耐震性にすぐれ、度重なる地震にも問題ないという。

このタワーをめぐって今一騒動が起こりつつある。なんと、大統領とメキシコ市長は、都心活性化のために、ゾカロからラテン・アメリカ・タワーの町へ化粧直しをはかることで一致、そのためのプロジェクトを発表したのである。八月半ば、僕のメキシコ滞在中のことである。

世界文化遺産にも指定された歴史的中心ソカロも古くさい、と言うことであろうか。また、未だ近代建築の理念と美学は根強いということであろうか。ソカロが経済的に地盤沈下しつつあることはよくわかる。ちょっとしたレストランなど夕方7時を過ぎれば店じまいである。何らかの再開発は必至のようだ。

テノチティトランを完全に破壊して出来た栄光のコルテスの町が、超高の林立する街の底に沈んでしまうとしたら皮肉なことである。都市も500年存続すればもって瞑すべしということであろうか。もっとも、顔見知りになったラテンアメリカ・タワーの足下の古本屋の主人は、メキシコには金無いし、何も変わらない、と平然としているのである。


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