21世紀のユートピア 都市再生という課題(1)「バブリーなオランダ建築」,日刊建設工業新聞,20011130
都市再生とは何か。何を再生するのか。都市再生デザインの行方を探る
二一世紀の鍵を握る今日の発展途上地域の都市は、ほとんどが植民都市としての歴史をもつ。各都市は、人口問題、環境問題に悩む一方で、共通の課題を抱え始めている。植民地期に形成された都市核の再開発問題である。植民都市遺産を否定するのか、継承するのかはかなり大きなテーマである。
顧みるに、我が国は、「都市再生」の大合唱である。一体「都市再生」とは何か。再生する都市遺産とは一体何か。世界中のいくつかの事例に即して、様々な角度から考えて見たい。
バブリーなオランダ建築
ポストモダン建築の最後の競演、饗宴、共演!?
マイケル・グレイブス、シーザ・ペリ、レム・コールハウス、リチャード・マイヤー、アルド・ロッシ他
①ハーグ駅前再開発 オランダ
長年つき合ってきたインドネシアのことを調べるには宗主国であったオランダに赴くことになる。ケープタウン、コロンボ、マラッカ、インドネシア以外でも、ポルトガルの拠点を襲ってオランダが基礎を築いたアジアの都市は少なくない。資料漁りのために最も通ったのはハーグ中央駅に接している王立図書館、国立公文書館である。
そのハーグ中央駅の駅前がなんとも賑やかである。
趣のある歴史的建物の背後に異形の高層建築が二つ見える。オランダはハーグの王宮手前から中央駅を望んだ光景である。左の砲弾形のビルがシーザ・ペリ、右の急勾配の切り妻屋根が二つ連なるビルがマイケル・グレイブスの設計だ。
国際司法裁判所があり、歴史ある落ち着いた町として知られるハーグの駅前に、よくもまあ次々に話題作がそろうものである。コールハウスの出世作といっていいドラマ・シアター(OMA 一九八〇~八七)、リチャード・マイヤーのハーグ新市庁舎(一九八六~九五)も隣接して建っている。国際的建築家の時ならぬ饗宴の感がある。マスタープラン(一九八八~)は、ロブ・クリエである。
オランダ建築には昔から興味があった。アムステルダム派の建築が好きで随分見て歩いた。アムステルダム派の住宅作品が建ち並ぶベルヘンのパーク・メールウクなど三度も行った。J. J. P.アウトやブリンクマンの力量にも惹かれるけれど、ロッテルダム派よりアムステルダム派の方が僕の肌には合う。ハーグは両都市の中間で、両派の師匠と言っていいH. P. ベルラーエの市立美術館(一九二七~三五)やキリスト第一教会(一九二五/二六)、ネーデルランド事務所ビル(一九二一~二七)が残っている。そして、P. L.クラマーの百貨店(一九二四~二六)もあればG.THリートフェルトの住宅作品もある。
それにしても、ハーグに限らず、アムステルダムにしろ、ロッテルダムにしろ、近年のオランダ建築の元気の良さにはびっくりするやら、うらやましいやらである。
しかし一方で、ポストモダンの建築などもう流行らないのではないのか、という気がしないでもない。負け惜しみのようだが、歴史ある都市をここまで改造して大丈夫かな、という気がしてくる。まるでバブル期の日本建築を見るようなのだ。マスタープランが立てられたのは1980年代の終わりである。ポストモダン理論が色濃く投影されているとしても当然かも知れない。
しかし、ポストモダンの都市計画理論とは何か。ポストモダン歴史主義のデザインというのは歴史的文脈を取り戻そうという動きであった。しかし、個々の建築が建つ具体的な場所の歴史についてはどのような方法を採ろうとしたかは不明である。地となる街並みが近代建築のデザインで支配されるそういう場所での自己主張の表現は得意でも、地となる街並みが歴史的な文脈を色濃く持つ場合はどういう解答になるのか、それが問題である。
個々の建築家は、それぞれがそれなりにハーグの町を読んで、それぞれに解答を出しているように見える。しかし、その解答の方向はばらばらである。むしろ、建築家の我が儘の表現が無秩序に並んでいるように見える。ハーグの町の未来がここに示されているとはとても思えない。
無味乾燥な近代建築の立ち並ぶ景観にポストモダンの歴史主義は確かに一撃を加えたかも知れないけれど、しっかりした歴史的街並みの前ではどうしても薄っぺらに見えてしまう。競演が饗宴に終始し、共演になり得ていないのが致命的ではないか。
0 件のコメント:
コメントを投稿