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2021年7月17日土曜日

ニュータウン・イン・タウン(都市の中の新都市) バードウオッチングのできる都心、国内空港の跡地利用 セルフ・コンテインド(自己充足)か否か? 21世紀のユートピア 都市再生という課題(5)「バードウォッチングのできる都心 ジャカルタのニュータウン・イン・タウン」

 21世紀のユートピア 都市再生という課題(5)「バードウォッチングのできる都心 ジャカルタのニュータウン・イン・タウン」日刊建設工業新聞2002315

連載 二一世紀のユートピア・・・都市再生という課題⑤

都市再生とは何か。何を再生するのか。都市再生デザインの行方を探る

 

ニュータウン・イン・タウン(都市の中の新都市)
バードウオッチングのできる都心、国内空港の跡地利用
セルフ・コンテインド(自己充足)か否か?

 




ジャカルタ

コタ・バル・バンダル・クマヨランKota Baru Bandar Kemayoran

布野修司 

  ジャカルタも東京(江戸)も一七世紀初頭にその起源をもつ。江戸幕府が開かれたのが一六〇三年、オランダがもともとスンダ・カラパと呼ばれていた寒村を襲ってバタヴィアの建設を開始したのが一六一九年である。バタヴィアは一七世紀半ばにはその骨格を完成させ、一八世紀にかけて繁栄を誇る。一八世紀末に人口約一二万人というから江戸の方が大きいが、バタヴィアは「東洋の女王」と呼ばれ、東インド会社の植民都市の中で最も美しい都市とされた。その後、ウェルトフレーデン(現在のムルデカ広場)に中心を移し、南に向かって都市は発展する。そして、一九世紀末から二〇世紀にかけて産業革命の大きなインパクトを受け、巨大都市への道を歩む。独立以後の人口増加にはすさまじいものがあり、ジャボタペックJaBoTaBek(ジャカルタ、ボゴール、タンゲラン、ブカシ)と呼ばれるジャカルタ大都市圏の人口は一〇〇〇万人を優に超える。

 ジャカルタが今日猶多くの都市問題を抱えていることは指摘するまでもない。交通、ゴミ処理、上下水などインフラストラクチャーの整備は依然として大きな課題だし、住宅問題も解決されたわけではない。ジャカルタにおいて都市再生という課題がないわけではない。具体的なテーマとしてかつてのバタヴィア、コタ地区の再生がある。かつての市庁舎(現ジャカルタ美術館)のあるファタヒラ広場に歴史的建造物を改造した洒落たカフェができるなどその萌芽はあるが、運河は依然として悪臭を放っている状況だ。一般的には発展途上国の大都市は再開発が問題になるはるか以前の状況にある。

 そうしたジャカルタにおいて、注目すべきプロジェクトが実施されようとしている。経済危機以降頓挫しているからその成否は歴史的評価を待たねばならないが、その理念は大いに興味深い。いわく、ニュータウン・イン・タウン(都市の中の新都市)・プロジェクトである。

 発想の種は都心に位置する広大なクマヨラン空港の跡地であった。二〇年前にはまだ国内線用空港として使われていた。何度か乗り降りしたことがあるが、まるで赤い屋根の海に突っ込むような空港であった。周辺はぎっしりとカンポン(都市集落)に取り囲まれ、市街ははるか遠くまで広がっている。飛行場の移転は当然であった。この跡地をひとつの都市を建設しよう、というのである。

 プルムナス(公団)や民間によって多くの郊外住宅地開発が行われる中で抜群の立地である。そしてかなりの規模がある。滑走路を幹線道路に使うのは当然として、いくつか注目すべき今日的アイディアがある。

 まず、ジャワ海に面する一画に開発を凍結された自然公園が確保されている。野生を呼び戻すのが理念である。また、数十万人に及ぶとされるバタウィと呼ばれるジャカルタ原住民の文化を維持していくことが謳われる。もともと原住民が暮らしていた土地であることから、その民族文化を学び継承する施設やワークショップを設けようというのである。さらに、周辺のカンポン居住者にカンポン型の集合住宅(ルーマー・ススン)を供給するのが前提とされる。カンポン型集合住宅とは、居間や厨房、バス・トイレを共用にする、インドネシア型のコレクティブ・ハウスである。ニュータウンのサーヴィス部門を支える層としても様々な階層が居住する(ミックス・ハウジング)のが原則である。そして、全体として自己充足すること、全ての生活が新都市内で完結することが中心理念とされる。

 経済危機とそれに続く政変が仮になくても、このプロジェクトが成功したかどうかはわからない。しかし、このプロジェクトには強力な理念がある。都市再生に必要なのもいくつかのシャープな理念ではないか。

 

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