布野修司 「見聞録」01-21 共同通信 2000.07―2002.04
出島の復元 日蘭交渉400年 まちづくりの世界史
写真 出島の中の出島 布野修司
オランダ船リーフデ(慈愛)号が大分県臼杵湾の佐志生に漂着したのは関ヶ原の合戦の年だ。以降、鎖国体制にも関わらず、日本とオランダの交渉は続く。今年は日蘭友好四〇〇周年である。縁の深かった平戸や長崎などでは様々な催しが開かれている。
ケープ・タウン、コロンボ、ゴール(スリ・ランカ)、ジャカルタ(バタヴィア)、ゼ-ランジャー城(台湾)、いずれもオランダが造った町である。リーフデ号のウイリアム・アダムズ(三浦按針)やヤン・ヨーステンはよく知られるが、ヤン・ファン・リーベックのような興味深い人物もいる。外科医の卵であった彼は若干二十歳で東インド会社の船に乗り、バタヴィアに赴く。一六四二年には出島を訪れている。単独で絹貿易に従事するが失敗、紆余曲折があって、一六五一年、ケープ・タウンの建設を命じられる。その後、マラッカ総督となり、オランダに帰ることなくバタヴィアで没した。オランダと日本をめぐる様々な糸を手繰りながら世界史に思いをめぐらすのは楽しい。
その大きな手がかりとなるのが出島の復元である。出島は既に島ではなく、ビルの谷間の小公園といった趣だ。かつてカピタンたちがビリヤードに興じた庭園に大きな模型が置かれていて全貌がわかる。ハウス・テンボスのようなテーマ・パークは所詮キッチュ(まがいもの)である。出島はこの場所に存在したという事実がある。そして復元によって、空間のスケールを感じることができる。
他のオランダ植民都市と違って、出島は長崎の商人たちによって建設された。オランダ人には監獄であった。このほど世界文化遺産に指定されたゴールの町はオランダ人の手になるがオランダの町の面影はない。バタヴィアの建設にはシモン・ステヴィンの理想都市のモデルが用いられたらしい。出島の復元を通じて古今東西の街づくりを比較するのも一興である。
布野修司 「見聞録」01-21 共同通信 2000.07―2002.04
➊仮設住宅の創意工夫 台湾のまちづくり最前線 伝統文化の継承 見聞録01,共同通信,200007
❽木匠塾の目指すもの ざらざら,ぼこぼこの素材感 見聞録08,共同通信,200102
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