カミの宿る建築とゴミの宿る建築ー建築の死と再生,『C&D』,19920910
カミの宿る建築とゴミの宿る建築
建築の死と再生
布野修司
ピラミッド=テトラポット
高津道昭氏の『ピラミッドはなぜつくられたか』(新潮社 一九九二年六月刊)を読んだ。余程「ピラミッドの謎」は人々を惹きつけるのであろう、「ピラミッドの謎」に挑む書物はそれこそ枚挙に暇がない。建築家、渡辺豊和氏も前々著『発光するアトランティス』(人文書院 一九九一年)で、独特の説を打ち出したところだ。高津道昭氏も「ピラミッドの謎」に魅せられた一人なのであるが、ひと味違う。かなり興味深い新説である。
実は高津氏には秘かな期待があった。その『レオナルド=ダ=ヴィンチ 鏡面文字の謎』を読んでその推理の見事さに感心した記憶があったからである。何故、レオナルド=ダ=ヴィンチの手稿は左右逆さまの鏡面文字なのか、どうやって描いたのか、実は、印刷を前提とした版型のためだったというのである。鮮やかに「レオナルド=ダ=ヴィンチの謎」を解いた同じ著者が「ピラミッドの謎」に挑む。思わず期待した由縁である。そして、期待は裏切られなかった。
ピラミッドは何の為につくられたのか。ヘロドトスの昔から、王墓説、日時計説、葬祭神殿説、天文台説、タイム・カプセル説と色々ある。しかし、万人を納得させる決定的な説は未だない。そうした中で、高津説は、これまでのどの説とも違う。それだけで、まずは興味深々だ。
その説とは何か。一言でいうと、ピラミッド=テトラポット説である。どういうことか。詳しくは読んでのお楽しみなのであるが、「ピラミッドはなぜ、エジプトだけにあるのか」、「ピラミッドはなぜ、古王国にはじまり、中王国の時代で終わっているのか」、「ピラミッドはなぜ、あれほどの大きさを必要とするのか」、「ピラミッドはなぜ、四角錐の形を選んだのか」、「ピラミッドはなぜ、ナイルの西岸に集中しているのか」、「ピラミッドはなぜ、北部デルタの手前に集中しているのか」、「ピラミッドはなぜ、王墓と思われやすいのか」、といった疑問を突きつけていくと、ピラミッドとナイル川の深い結びつきが浮かび上がってくる。ピラミッドは、ナイルの水をコントロールし、利用するためにつくられた構築物(テトラポット)であった、というのである。
「永遠の建築」?
地球上で最も寿命の長い建築物といえば、誰もが真っ先に思い浮かべるのがピラミッドである。ピラミッドは四千年の長きにわたって存在し続けることによって、「永遠の建築」のシンボルである。
しかし、ただ寿命が長いということであれば、ピラミッドでなくてもいいであろう。一千年、二千年の寿命を誇る建築は他にもある。法隆寺だって、この先きちんと維持されれば五千年だって持つ筈だ。
ピラミッドはなぜつくられたのか。もしかすると、「世界の七不思議」などと、余りに神秘的に考えてきはしなかったか。ピラミッドの謎を神秘化しておきたい人にとっては、それをテトラポットと言われると興醒めかも知れない。しかし、如何に巨大な権力をもった王がいたからといって、莫大な労力と長大な時間を人々に強いることが果たして可能か、それに見合うごく当たり前の理由がいるのではないか、という高橋説も一理ある。ピラミッドの建設に必要な労働力はどうやって確保されたのか。それを支える生産力はあったし、人々が生活して行くためにこそ、ナイル川のコントロールはエジプト人にとって最大の関心事だったのである。
あまりにも唯物論的な解釈かも知れない。しかし、アスワン・ダムが今世紀初頭(一九〇二年)に完成するまでは、ピラミッド時代から変わらないナイルと人々の戦いは続いてきた。もしピラミッドが建設されなければどうであったか、高津説は数千年を越える歴史を問題とするのである。ピラミッドが何故建てられたかはやがて忘れ去られたと高津氏はいう。もし数千年のスケールで構想された建築が今あれば果たしてその未来はどうなのか。
廃虚と式年造替
永遠の建築をつくりたいという夢は、永遠の命が欲しいという夢と同様、強大な権力をもった、あるいはもとうとする支配者のものだ。古今東西、そうした夢を実現しようとした権力者の試みは数しれない。建築家もそうだ。そうだからこそ、建築家というのはもともと権力的で、ファシストの素質をもっていると言われるのであるが、そのことはここでは触れずにおこう。
問題は、にも関わらず、建築というのは永遠ではありえない、ということである。物理的な存在としては明らかにそうだ。ピラミッドも例外ではない。地球環境の温暖化や砂漠化によって考えられない変化が起こるということもあるし、古代遺跡を容赦なく近代兵器で破壊してしまった湾岸戦争のような事態を考えてみてもいい。
しかし、それにも関わらず、永遠の建築を望むとするとどうすればいいか。ひとつは、最初から、廃虚として建築をつくることだ。A.ヒトラーの夢を実現しようとして、A.シュペーアの「廃虚価値の理論」がそうだ。もちろん、A.シュペーアに限らない。自らの建築が廃虚になった様を予め描いた建築家は数多い。古代遺跡や廃虚へのロマンティシズムは昔から建築家を捉えてきたのである。
もうひとつは、式年造替だ。伊勢神宮のように二〇年毎に同じ形式の建築をつくり続けるのである。原理的には、建築の形式は永遠に保存されていく。日本建築の特性として、仮設性がよく指摘される。式年造替がその原理だという。しかし、「所詮、この世は仮の住まい」という意識(無常観)とは明らかに違う。式年造替は、永遠性をこそ目指すのである。
スクラップ・アンド・ビルド
建築は生まれては死ぬ、そうした存在である。問題は、どのように生まれるかであり、また、どのように死ぬかである。結果として、どのように生きるかがそこで問われる、われわれの人生と同じである。
しかし、わが現代建築の、とりわけ日本の現代建築の生死のありさまはどうか。スクラップ・アンド・ビルドを繰り返すのみで、あまりにも短命ではないか。大方の実感である。
建築が耐久消費財となったこと、すなわち、建築は、そこで何がしかの行為が行われ、何物かが生産される場であるより、そのものの生産が剰余価値を生む手段になったこと、さらに言い換えて、建築が単なる容器と化し、消費の対象となったことは、建築のあり方にとって決定的なことである。そして、そうした建築の商品化の趨勢が、深いところで近代建築の理念や方法と結びついていることは、われわれにとって、もはや明かなことであろう。建築生産の工業化、建築の工業生産化は、建築の商品化と同じことである。建築をどこでも同じようにつくるためには、建築を場所の固有性から切り離す必要があった。建築が場所の固有性と切り離される瞬間、建築は単なる容器に還元されたのである。もちろん、「建築」が「建築」であるためには、具体的な場所に建つという意味で、場所との関係を百パーセント断ち切るわけにはいかない。そこに建築の再生のひとつの手がかりがある。
カミの宿る建築
おそらく、建築の再生のためにはふたつの道筋がある。ひとつは、建築を、仮にであれ、現実の過程から切り離すことである。いうまでもなく、この道筋は、あくまで仮構の道筋であり、フィクションとしてしか成立しない。現実の建築の生産過程を支配している論理をどんな建築家も逃れることはできないからである。
しかし、建築を現実の生産流通消費の過程から解き放つためには、建築を全く別の広大な時空において捉えることがどうしても必要である。具体的に何がイメージされるか。宗教建築である。
宗教の世界において建築はとてつもない時間性を帯びたものとして存在してきた。神々のための建築というのは、世俗の建築とはきっぱりと区別される。そこにひとつの可能性がある。実際、例えば、様々な新興宗教がばっこする中で、とてつもない建築が建てられつつあるではないか。五百年はもつコンクリートのモニュメントが計画されつつあるし、顔をしかめようが、しかめまいが、びっくりするようなデザインの巨大な宗教施設が陸続と建てられつつあるのである。少なくとも、桁外れのお金をかけた建築を今日実現するとしたら、そのパワーをもつのはまず宗教法人なのである。
もちろん、建築はお金の問題ではない。方法的には、建築をコスモロジカルな秩序にもう一度たち返らせようとする試みはこの道筋に位置づけることができるだろう。
ゴミの宿る建築
もうひとつの道筋は、現実の過程にあくまで拘ることである。現代社会においては、物はひたすら消費されるために生産される。そして、そのスピードは、ますます加速されつつある。その物のあり方に即して建築の再生を夢見ることである。
物は、ここでは建材や建築部品や家具をイメージしているのであるが、つくられ、やがて廃棄される。問題は、その物のライフ・サイクルが物理的な耐用年限とは全く関係ないということである。ある場合には、全く新品であろうと捨てられる場合もある。要するに、物のライフ・サイクルは社会的に規定されているのである。
一般の場合、物は誕生して一定期間社会的な役割を果たし、そして、その使命を終えるのであるが、物そのものが死ぬわけではない。死を宣告するのは専ら社会の側であって、物は、社会の価値体系に沿って裁断されるだけである。廃棄物とはそういうものだ。
社会に一旦死亡宣告を受けた物、すなわち、廃棄物を再生するにはどうすればいいか。二番目の道筋はそうした戦術を建築において展開することである。
使い古された枕木とか電柱、地下埋設用のコルゲート管など、廃棄物や別の目的のために大量生産された工業材料を用いた一連の建築がすぐさま想い浮かぶかも知れない。しかし、僕の頭にまずあるのは、第三世界の大都市を埋め尽くすバラックの群れである。
東南アジアの大都市を歩いていて、まず圧倒されるのは「スコッター・スラム」のバラックの風景である。バラックは、廃棄物で建てられている。一度捨てられた物が集められて、再び建築となる。建築の死と再生の全くプリミティブなレヴェルでの物語をそこに見るのである。
問題は決して奇をてらって廃棄物を用いるファッションとしてのデザインの問題ではない。一個の建築に廃材を用いることでもない。リサイクルやエコロジーを含めた建築の全生産システムがそこでは視野に入ってくる筈である。
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