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2023年3月21日火曜日

2023年2月13日月曜日

ベトナム・カンボジア行,雑木林の世界76,住宅と木材,199512

ベトナム・カンボジア行,雑木林の世界76,住宅と木材,199512

雑木林の世界76

ベトナム・カンボジア行

布野修司

 

 第3回かしも木匠塾が開かれた(一九九五年一一月二五日 岐阜県加子母村)。という位置づけなのである。アジアを飛び回っているからやりなさいということらしい。

 非西欧の建築史というと、ヨーロッパ、アメリカを除いたアジア、アフリカ、南アメリカの建築史が対象となるが、とりあえずアジアの建築史が中心になる。戦前期までは「東洋建築史」という科目があったのである。しかし、アジアといっても広いし、西欧の建築史のように教科書があるわけではない。新建築学体系の『東洋建築史』の巻は未だに刊行されておらず、新訂建築学体系(Ⅳー2)の『東洋建築史』(村田治郎 一九七二年改訂)があるだけである。それも「第一部 インド建築史」と「第二部 中国建築史」の二部からなるだけで他の地域はほとんど触れられていない。

 もう勝手にしゃべるしかない、というところであるが、幸いに『東洋建築史図集』(一九九五年六月)が刊行された。基本的な最小限の知識は『図集』に委ねることができるので、まあなんとかなるかということで出発した次第である。

 にわか勉強をしながらの四苦八苦であるがなかなか面白い。大変なのは時間が足りないことである。予定を組んでみると、中国建築史が二回か三回、インド建築史も二回か三回ということになる。二、三年試行錯誤して自分なりの見取り図を描きたいなどと不遜にも思い始めたところである。

 講義をするのに実際にものを見ていないと迫力がない。このところ、機会を捉えて、中国、インドへ意識して出かけているのは、実をいうとこの新しい科目のためであるが、今度、日本建築学会のアジア建築交流委員会の一員としてベトナム、カンボジアに行って来た(一〇月二八日~一一月七日 中川武団長)のも、「世界建築史Ⅱ」のためであった。東南アジアにはもう十数年通っているのであるが、ベトナム、カンボジア、ビルマといった社会主義圏には行く機会がなかった。不幸な出来事が続いたせいでもある。この際、見ておきたいということである。

 ハノイから入って、フエ、ダナン(ミーソンなどチャンパの遺跡群)、ホイアン、ホーチミン、プノンペン、シェムリアップ(アンコール・ワット、アンコール・トム)というコースである。行いが悪いのか、ダナンで台風にあってミーソンに行けなかったのは残念だったのであるが(水浸しのダナンを経験できたのであるが)、ベトナム、カンボジアの建築と都市の状況をおよそ把握できたように思う。チャンパ建築、クメール建築についてばっちり勉強できたことはいうまでもない。

 中国の影響の強い北部ベトナムは、木造建築の伝統が生きているのであるが、チャンパ、クメールとなると石の世界が卓越してくる。印象的な建築材料は島嶼部にはないラテライト(紅土)であった。

 今回の研修ツアーで印象に残ったものベストテンをあげてみよう。

 ①バヨン・・・三キロ四方のアンコール・トムの真ん中に建つ中心寺院である。一二世紀末、ジャヤヴァルマン七世によって建てられた。観世音菩薩の顔を四面に持つ塔が林立する世界に類のない建築だ。立体曼陀羅のように思い込んでいたのであるが(確かに大乗仏教の宇宙観を表すのは間違いないが)、増築増築が繰り返されて出来ている。迷路を歩くと実に多様に顔が現れる。不思議な建築である。

 ②アンコール・ワットの夕日あるいはプノン・バケンの夕日・・・他の寺院が東向きでほとんど唯一西向きであるアンコール・ワット(一二世紀前半)が夕日に浮かぶ様は一見の価値有りである。第一回廊にレリーフがピンク色に浮かび上がって来る様は実にすばらしい。また、塔の最上部からみる夕日は絶景であった。プノン・バケン(九世紀末)は第一次アンコールの中心にある山上寺院。

 ③タ・プロム・・・遺跡を熱帯の巨樹が喰っている。ここだけは手を入れず、自然のなすがままに放置されている。考えようによっては最も遺跡らしい遺跡(一二世紀末)。ベスト・スリーにいずれもアンコールの遺跡が入るのはそれだけ印象が強烈だったということか。

 ④金蓮寺・・・ホータイ湖に面して絶景の地に建つ木造の仏教寺院。ベトナムの建築についてはほとんど予備知識がなかったのであるが、独特の木組みである。南宋の影響と言うがベトナム風の木組みがありそうである。下屋は登り梁の上に直接母屋を載せ、垂木が横使いである。

 ⑤フエの王宮・・・北京の故宮を模した阮王朝(         )の王宮。スケールは及ぶべくもないけれど、こじんまりと佇まいがいい。そして、都市計画の原理が面白い。南北軸が四五度ずれて北西ー南東軸になっている。天壇は真南にあるのであるが、ソン・ホン川とヌイ・ング・ビン山に引きずられている。風水の原理がミックスされているのである。

 ⑥ミマン廟・・・阮王朝の歴代皇帝の廟の内、ソン・ホン川の中之島にあって堂々たる軸線の上に展開する第二代の廟がいい。他には、トゥ・ドック廟がいい。

 ⑦ハノイ  通り・・・町を歩く時間がなかったのは残念。ショップ・ハウスが密集するハノイの通称ハノイ  通りは圧巻。建築として面白いのは、プノンペンの中央市場。

 ⑧ホイアンの日本人町・・・日本の昭和女子大を中心とするチームが調査。保存的開発を展開中。かなりの観光地になりつつある。

 ⑨ダナンの洪水・・・膝上まで浸水するのは都市の下水が整備されていないから。しかし、巨木が倒れるのにはびっくり。熱帯の樹木は育つのは早いけれど根を張っていないらしい。しかし、ハノイにしても、フエにしても、シェムリアップにしても、東南アジアの都市は水の中の都市である。

 ⑩プノンペンの戦争犯罪博物館(トゥオル・ソン・監獄博物館)・・・サイゴン陥落から二〇周年。プノンペン陥落は一週間早かったという。しかし、一九七五年からの四年間は、ポルポトの地獄であった。博物館には正視に耐えない展示がなされている。

 



2023年2月10日金曜日

エコハウス イン スラバヤ,雑木林の世界75,住宅と木材,199511

 エコハウス イン スラバヤ,雑木林の世界75,住宅と木材,199511

雑木林の世界75 

エコハウス イン スラバヤ

           

布野修司

 

 このところ毎年休みになると出かけるのであるが(休みにしか時間がとれないということだ)、この九月は(九日~三〇日)いささか忙しい旅になった。インドネシアのスラバヤでのスケジュールを終えたところで、この原稿を書き始めたところである。

 最近は、ノートパソコンとファックスのおかげで、ほとんど日本にいるのと変わらない。環境が変わって緊張感があるから、規則正しい生活をすればかえって仕事ははかどる。これからシンガポールへ向かい、アジア都市計画学協会の第三回国際会議で論文発表をした後、ソウルへ向かう。韓国では、植民地化における都市変容に関する研究の一環で、蔚山を中心に調査を行う。

 スラバヤでの最大の仕事は、後になってぞっとするのであるが、スラバヤ工科大学の創立三〇周年記念の同窓会での講演であった。大学院学生への記念講義ということで気楽に出かけて、準備もそこそこで何とかなると思っていたのであるが、二〇〇人を超える人の前での記念講演ということで正直縮みあがってしまった。

 しかし、こんな経験は何度もしているではないか。いきなり学長と学部長の居並ぶ会議に出席させられたこともある。用意した論文を飛ばし飛ばし読んでもなんとかなる、と度胸を決めた。幸い、図版を豊富につけた論文のコピーが全員に配られていたから、関心のある人は読んでもらえばいいと勝手に思う。J.シラス教授がインドネシア語への抄訳を引き受けてくれたのも心強かった。

 演題は、というか論文のタイトルは、「チャクラヌガラーーーインドネシアのユニークなヒンドゥー都市・・・アジアの都市計画におけるグリッドの伝統」である。

 チャクラヌガラについては、本欄(雑木林の世界   一九九二年二月)で触れたけれど、ロンボク島にある実に綺麗な格子状の街路パターンをした都市だ。大袈裟に言うと、僕らが発見した都市である。インドネシアの友人達は、一八世紀にバリのカランガセム王国の植民都市として建設されたチャクラネガラにちてほとんど認識していなかったのである。

 講演というか、論文発表の出来はともかく、内容そのものは、手前味噌かもしれないけれど、好評であった。ワシントン大学の政治学部のレフ教授が同席していて、彼はインドネシアの政策立案に影響を及ぼすほどの高名な政治学者らしいのだが、面白いと誉めてくれた。また、ロンドン大学のジオフリー・ペーン教授は、自分が編集に関係している『ハビタット・インターナショナル』や『オープン。ハウジング』などいくつかの雑誌に掲載を紹介してあげるといってくれた。

 スラバヤ工科大学では、別に日本の建築教育についての講義を頼まれた。大学院教育が始まったばかりで、どのような教育をし、どのようなレヴェルを期待するかについて議論があり、日本の例を参考にしたいという。内情を詳しく説明するのはしんどい話であるが、研究室とそのメンバーが今やっていることを中心に説明することにした。同行していた山本直彦君にも自分のテーマと研究室の活動を話してもらったのであるが、用意していった阪神・淡路大震災の写真の方が関心を集めたようであった。

 スラバヤでは、毎年のように行うカンポン調査、昨年から続けているマドゥリーズに関する島調査、ことしつけ加えたテングル族の調査でめまぐるしかった。僕がいる間に予備的調査を完了し、あと一ヶ月半は山本君に合流した三井所君が泊まり込み調査することになる。イスラーム化されたジャワ島に孤立するようにヒンドゥー教徒が住んでいる。それがテングル族で、西ジャワのバドゥイである。ヒンドゥーとムスリムの棲み分けに関するテーマは広がりそうである。ガジャマダ大学のアルディ・パリミン先生、バンドンのストリスノ氏によれば、チレボンの近くにヒンドゥー教徒の村があることが分かったという。また、バリに一〇〇パーセントムスリムのコミュニティがあるという。

 バリ島を中心にロンボク島を押さえ、マドゥラ島もほぼ様子が分かってきた。スラバヤを拠点にスラウェシ、カリマンタンにも広げていったら、というのがJ.シラスのアドヴァイスである。また、出来たばかりの大学院レヴェルでは、共同研究をやろうということになった。

 ところで、タイトルのエコハウスである。東南アジア(湿潤熱帯)におけるエコハウスについては、小玉祐一郎氏、遠藤和義氏などと研究プロジェクトを組んできたのであるが、具体的なモデル設計をしようということになっていた(雑木林の世界   一九九四年八月)。

 今年は、日本の環境共生住宅に関する資料をもっていって議論しようとしたのであるが、アイディアは用意されていた。J.シラス邸を新築するので、それをモデルにしようというのである。

 敷地を見に行ったのであるが、間口一五メートル、奥行き三〇メートル、日本のことを思うと実にうらやましい。この設計に、色々な知恵を盛り込もうと言うのである。

 三層構成で、コンクリートのボックス(地盤が弱いため)+石・煉瓦+木造の構成にすること。風の道をとること。日照をよく考えること。スラバヤでは、八ヶ月は北から太陽が当たり、残りの四ヶ月は南から当たる。井戸を二カ所掘り、土壌浄化法を試みること。天井輻射冷房をおこない、大型の扇風機のみとすること。雨水利用を考えること(スラバヤでは年に一二パーセントしか、降雨がない)。樹木は、小さいヤシとカリマンタン産のブンキライというジャティ(チーク)より堅い木を中心に植える。その場でアイディアが出てくる。

 バーベキューの出来る庭をつくろう。日本も参加するのだからジャパニーズタッチのテラスもどうだ。最上階はライブラリーにして、学生が自由に利用できるようにしよう。ゲストルームも欲しい。こちらも段々勝手にエスカレートしていく。夢がどんどん脹らむのである。

 議論している内に、プランが一案出来てしまった。J.シラス家の事情としては雨期になるまでに基礎を打ちたいという。ということは一一月には着工である。アイディアを盛り込むためには急ぐ必要がある。予算の問題もあるから、少しづつ実験を積み重ねていくことにはなると思うけれど、いささか忙しい。

    シンガポールにて              

 

2023年2月9日木曜日

第五回インターユニヴァーシティー・サマースクール:かしも木匠塾開塾,雑木林の世界73,住宅と木材,199509

 第五回インターユニヴァーシティー・サマースクール:かしも木匠塾開塾,雑木林の世界73,住宅と木材,199509

雑木林の世界73 

第五回インターユニヴァーシティー・サマースクール:かしも木匠塾開塾

           

布野修司

 

 木匠塾の第五回インターユニヴァーシティー・サマースクールは、七月三一日~八月九日の間、岐阜県の高根村および加子母村の二ケ所で行われた。参加団体は、千葉大学、芝浦工業大学、東洋大学、そして茨城ハウジングアカデミーの関東勢に、京都造形大学、成安造形大学、大阪芸術大学、大阪工業技術専門学校、京都大学、奈良女子大学の関西勢を加えて一〇にのぼる。参加者数は、最大集結時で一三六名、延べ人数は優に一五〇名を超え、二〇〇に届かんとした。今年も大盛況、大成功であった。

 しかし、問題が無くもない。こうまで大勢になると施設の限界がはっきりしてくる。また、運営が難しくなる。食事の準備だけでも大事業である。会計だって大変である。かなりの金額を扱うことになる。

 人数が多いとグループ単位で行動することになる。今回から、朝食については、地元の商店の協力を得て、各グループ毎に食材を調達し、作ることにした。昼食は弁当とし、夕食は当番制である。見ていると、なかなか面白い。実に統率のとれたグループもあれば、てんでばらばらのグループもある。幹事役は大変である。各グループから幹事を出して幹事会を構成し、全体を運営する。木匠塾の目的は、自然に恵まれた環境の中で生活をしながら、木について学ぶことにあるのであるが、第一の意義は、集団で生活し、集団で交流するところにある。集団生活のルールを学ぶことも大切である。

 施設については、宿泊スペースが足りない。余裕をもって宿泊するにはせいぜい数十人がいいところであろう。寝袋や車の中や、実習でつくった仮設小屋の中で寝ることになる。それはそれで楽しいらしいのであるが、明け方は相当冷えるから風邪をひいたりする。最も問題なのは風呂である。車で二〇分のところにある旅館、あるいは露天風呂を使わせて頂いているのであるが、大勢で迷惑かけ放しである。時間を決めてグループ毎に利用するのであるが、ルール破りが出てくる。続いて報告するように千葉大学が昨年からシャワールームをつくったのであるが、水が冷たすぎて利用者が少ない。何日か風呂を我慢することも必要になるのであるが、最近の若い学生たちは綺麗好きで、毎日シャワー浴びないとたまらないらしい。

 お酒を飲み、開放的にもなると、いろいろトラブルもおこる・・・等々、山の一〇日間の生活はなかなか大変である。

 ところで、今年のプログラムを見てみよう。

 まず、特筆すべきは東洋大学のゲル(包・パオ)のプロジェクトである。正確にゲルの構造をしているわけではないのであるが、ゲルの形態を模した仮設の移動シェルターを建設するのが今年の東洋大学の実習内容である。高根村から加子母村に移動するのがヒントになったらしい。

 建設資材がユニークだ。垂木と壁材の主要構造部材は直径三センチほどの丸竹であるが、天蓋に使うのはタイヤ部分を除いた自転車の車輪である。また、天蓋部分には、スチール製の灰皿やビニール製の傘を使う。屋根と壁を覆うのはビニールシートである。組立にかかる時間はわずか三〇分足らず。文句無く傑作であった。十人近くが寝れる。おかげで宿泊スペースも少しカヴァーできた。

 同じく、シェルター建設をテーマにしたのが、京都造形大学と成安造形大学である。京都造形大学は、昨年の丸太による原始入母屋造りを発展させた。また、今年初参加の成安造形大学は樹上住居の建設に挑戦である。なかなか楽しい出来映えであった。

 大阪芸術大学は子どもたちのための木製の屋外遊具の制作をテーマとした。六〇センチ立方のキューブを各自がつくって組み合わせようというプログラムである。

 大阪工業技術専門学校は、音の出る階段とか、雛の声を聞く巣箱とか、サウンドスケープに関わる作品群がテーマであった。

 千葉大、芝浦工業大学は、日常施設の整備と修理にかかった。千葉大学は、昨年に続いて、浄化槽つきのシャワールームを組立てた。芝浦工業大学は、床の抜けた部屋の修理や保冷庫の整備を行った。

 また、茨城ハウジングアカデミーは、昨年一昨年に続いて、日本一かがり火祭り(八月五日)の屋台の組立に腕を奮った。

 そして、京都大学・奈良女子大学のグループは、昨年に続いて登り釜と陶芸に挑戦である。昨年は、釜を作るだけであったけれど、今年はいよいよ焼く段取りである。まずは、粘土をこねて、陶芸作品を作るところから始めた。空いた時間に陶芸教室が昨年までに完成した「蜂の巣工房」で開かれ、他のグループも大勢加わった。思い思いの作品をつくるとそれを乾かす。若干乾燥の時間が足りないけれど、火を入れることになった。ほぼ一昼夜、薪を焚いた。うれしかったのは、登り釜がちゃんと機能したことだ。火は登り釜を伝わって煙突まで確実に達したのである。今年は、釉薬を塗らず、素焼きの形にしたのであるが、本格的にやれそうである。来年度以降が楽しみである。製材で余った木片を薪にした陶芸も木匠塾の売り物になるかもしれない。

 ところで、今年は、八月八日には加子母村の渡合(どあい)キャンプ場に移って、第一回のかしも木匠塾の開塾式を行った。今年の一月、五月と続けてきたかしも木匠塾フォーラムの延長で、今後加子母を拠点とした構想をさらに練るためにである。加子母村は、本欄で触れた(雑木林の世界   一九九五年七月)ように、東濃ひのきの里として知られる。神宮備林も営林署の管内にある。また、産直住宅の村として知られる。その加子母村が、木の文化を守り育てる拠点づくりの一環として、木匠塾を誘致したいという。有り難い話である。

 しかし、これまでの木匠塾であるとするといささか荷が重いかもしれない。パワーアップが必要である。それにしても、高根村にまさるとも劣らない自然環境である。しかも、施設用地も提供して下さるという。もちろん、木匠塾のみで利用するのではないにしろ、夢膨らむ話である。具体的には、バンガローを一戸づつつくる話がある。学生参加のコンペにし、優秀作品を実際に作ろうというアイディアも出始めている。また、研修施設としての製品事業所の改造、新たな建設のプログラムもある。一朝一夕には出来ないであろうが、かしも木匠塾も今後具体的な可能性を様々に追求していくことになる。





2022年12月21日水曜日