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2023年2月10日金曜日

エコハウス イン スラバヤ,雑木林の世界75,住宅と木材,199511

 エコハウス イン スラバヤ,雑木林の世界75,住宅と木材,199511

雑木林の世界75 

エコハウス イン スラバヤ

           

布野修司

 

 このところ毎年休みになると出かけるのであるが(休みにしか時間がとれないということだ)、この九月は(九日~三〇日)いささか忙しい旅になった。インドネシアのスラバヤでのスケジュールを終えたところで、この原稿を書き始めたところである。

 最近は、ノートパソコンとファックスのおかげで、ほとんど日本にいるのと変わらない。環境が変わって緊張感があるから、規則正しい生活をすればかえって仕事ははかどる。これからシンガポールへ向かい、アジア都市計画学協会の第三回国際会議で論文発表をした後、ソウルへ向かう。韓国では、植民地化における都市変容に関する研究の一環で、蔚山を中心に調査を行う。

 スラバヤでの最大の仕事は、後になってぞっとするのであるが、スラバヤ工科大学の創立三〇周年記念の同窓会での講演であった。大学院学生への記念講義ということで気楽に出かけて、準備もそこそこで何とかなると思っていたのであるが、二〇〇人を超える人の前での記念講演ということで正直縮みあがってしまった。

 しかし、こんな経験は何度もしているではないか。いきなり学長と学部長の居並ぶ会議に出席させられたこともある。用意した論文を飛ばし飛ばし読んでもなんとかなる、と度胸を決めた。幸い、図版を豊富につけた論文のコピーが全員に配られていたから、関心のある人は読んでもらえばいいと勝手に思う。J.シラス教授がインドネシア語への抄訳を引き受けてくれたのも心強かった。

 演題は、というか論文のタイトルは、「チャクラヌガラーーーインドネシアのユニークなヒンドゥー都市・・・アジアの都市計画におけるグリッドの伝統」である。

 チャクラヌガラについては、本欄(雑木林の世界   一九九二年二月)で触れたけれど、ロンボク島にある実に綺麗な格子状の街路パターンをした都市だ。大袈裟に言うと、僕らが発見した都市である。インドネシアの友人達は、一八世紀にバリのカランガセム王国の植民都市として建設されたチャクラネガラにちてほとんど認識していなかったのである。

 講演というか、論文発表の出来はともかく、内容そのものは、手前味噌かもしれないけれど、好評であった。ワシントン大学の政治学部のレフ教授が同席していて、彼はインドネシアの政策立案に影響を及ぼすほどの高名な政治学者らしいのだが、面白いと誉めてくれた。また、ロンドン大学のジオフリー・ペーン教授は、自分が編集に関係している『ハビタット・インターナショナル』や『オープン。ハウジング』などいくつかの雑誌に掲載を紹介してあげるといってくれた。

 スラバヤ工科大学では、別に日本の建築教育についての講義を頼まれた。大学院教育が始まったばかりで、どのような教育をし、どのようなレヴェルを期待するかについて議論があり、日本の例を参考にしたいという。内情を詳しく説明するのはしんどい話であるが、研究室とそのメンバーが今やっていることを中心に説明することにした。同行していた山本直彦君にも自分のテーマと研究室の活動を話してもらったのであるが、用意していった阪神・淡路大震災の写真の方が関心を集めたようであった。

 スラバヤでは、毎年のように行うカンポン調査、昨年から続けているマドゥリーズに関する島調査、ことしつけ加えたテングル族の調査でめまぐるしかった。僕がいる間に予備的調査を完了し、あと一ヶ月半は山本君に合流した三井所君が泊まり込み調査することになる。イスラーム化されたジャワ島に孤立するようにヒンドゥー教徒が住んでいる。それがテングル族で、西ジャワのバドゥイである。ヒンドゥーとムスリムの棲み分けに関するテーマは広がりそうである。ガジャマダ大学のアルディ・パリミン先生、バンドンのストリスノ氏によれば、チレボンの近くにヒンドゥー教徒の村があることが分かったという。また、バリに一〇〇パーセントムスリムのコミュニティがあるという。

 バリ島を中心にロンボク島を押さえ、マドゥラ島もほぼ様子が分かってきた。スラバヤを拠点にスラウェシ、カリマンタンにも広げていったら、というのがJ.シラスのアドヴァイスである。また、出来たばかりの大学院レヴェルでは、共同研究をやろうということになった。

 ところで、タイトルのエコハウスである。東南アジア(湿潤熱帯)におけるエコハウスについては、小玉祐一郎氏、遠藤和義氏などと研究プロジェクトを組んできたのであるが、具体的なモデル設計をしようということになっていた(雑木林の世界   一九九四年八月)。

 今年は、日本の環境共生住宅に関する資料をもっていって議論しようとしたのであるが、アイディアは用意されていた。J.シラス邸を新築するので、それをモデルにしようというのである。

 敷地を見に行ったのであるが、間口一五メートル、奥行き三〇メートル、日本のことを思うと実にうらやましい。この設計に、色々な知恵を盛り込もうと言うのである。

 三層構成で、コンクリートのボックス(地盤が弱いため)+石・煉瓦+木造の構成にすること。風の道をとること。日照をよく考えること。スラバヤでは、八ヶ月は北から太陽が当たり、残りの四ヶ月は南から当たる。井戸を二カ所掘り、土壌浄化法を試みること。天井輻射冷房をおこない、大型の扇風機のみとすること。雨水利用を考えること(スラバヤでは年に一二パーセントしか、降雨がない)。樹木は、小さいヤシとカリマンタン産のブンキライというジャティ(チーク)より堅い木を中心に植える。その場でアイディアが出てくる。

 バーベキューの出来る庭をつくろう。日本も参加するのだからジャパニーズタッチのテラスもどうだ。最上階はライブラリーにして、学生が自由に利用できるようにしよう。ゲストルームも欲しい。こちらも段々勝手にエスカレートしていく。夢がどんどん脹らむのである。

 議論している内に、プランが一案出来てしまった。J.シラス家の事情としては雨期になるまでに基礎を打ちたいという。ということは一一月には着工である。アイディアを盛り込むためには急ぐ必要がある。予算の問題もあるから、少しづつ実験を積み重ねていくことにはなると思うけれど、いささか忙しい。

    シンガポールにて              

 

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