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2023年2月28日火曜日

住宅の生と死・・・住宅は何年の寿命を持たねばならないのか,雑木林の世界86,199609

  住宅の生と死・・・住宅は何年の寿命を持たねばならないのか,雑木林の世界86,199609

雑木林の世界86

住宅の生と死・・・住宅は何年の寿命を持たねばならないのか


布野修司


 京都グランドヴィジョン研究会という、京都の二一世紀を考える研究会が発足して(六月)、かなりのペースで議論を始め出している(いずれまとめて報告したい思う)。八月の初旬、その研究会で報告を求められ、「京町家再生不可能論」を述べた。趣旨は、法規の壁が大きいということである(雑木林の世界54 町家再生のための防火手法 九四年二月号参照)。いくら京都の伝統的な町家の景観を維持しようとしても京町家再生は事実上不可能であるということを問題提起としたかったのである。

 その時、いささか虚をつかれる質問を受けた。「しかし、なんで再生しないといけないのか」という論の前提に関わる素朴な疑問が出されたのである。木造の町家に住みたくない、建てようと思っても建てれない、時代と共に変わっていくのは仕方がないのではないかという住み手としての素朴な意見が一般的なように思えた。また、スクラップ・アンド・ビルドは、日本の住文化の伝統だ、という耳になじんだ意見も当然のように出された。メンバーは、関西で京都に縁のある文化人、学識経験者である。循環型都市システム、社会資本の充実といった議論を鋭く展開する先生方である。しかし、こと住宅になると別の感覚が働くらしい。

 住宅供給のシステムに関して、バブル崩壊以後、また地球環境問題の顕在化以後、僕らは、なんとなくフロー型からストック型への構造転換を必然的だと考え始めているのであるが、その構造転換を身近な住宅のあり方に即して考えることは一般的にはなじみがないらしいのである(僕らももっと広く議論をすべき、ということだ)。

 しかし、その時の質問にも正直に答えざるを得なかったのであるが、ストック型になるべきかどうか、というのは日本の経済、産業界の編成の問題である。住宅建設戸数が減っていけば、住宅産業界は飯の食い上げなのである。

 確かに建設投資がGNPの二割を占めるような国は先進諸国にはない。住宅を三〇年でスクラップ・アンド・ビルドしている国はない。しかし、住宅が一〇〇年の耐用年限を持つようになると、住宅生産に関わる人員は三分の一でいい。あるいは、住宅の価格を三倍にする必要がある。単純な算数だけれど、そういう構造が果たして変わるのか。その全体構造の帰趨を議論しなければ、日本の住宅生産がストック型に転換しうるかどうかは不明なのである。

 一方、「中高層ハウジング研究会」でも、ストック型住宅供給システムを前提として議論を続けている。具体的なプロジェクトも少しづつ動き出しているのだが、共通にテーマになっているのが、スケルトンーインフィルークラディングの三系統供給システム、あるいはオープン・ハウジング・システムである。

 スケルトンの寿命が長くなるとすれば、維持管理に関わる産業あるいはインフィル産業へ住宅産業界がシフトしていくのは必然である。インフィル産業界が新たに育ってこなければならない。しかし、一体、スケルトンは何年持てばいいのか、インフィルは何年でリサイクルするのか。そもそも、模様替えして住み続ける住み方が日本に定着するのか。オープン。ハウジングというのは、果たして、ほんとに目指すべき方向なのか。

 というようなことを少しじっくり考えてみようと思い始めているのだが、タイミング良く、野城智成先生(武蔵工業大学)から「既存建物再生事情・イギリス編」(『Re』N0.103 財団法人 建築保全センター)を送って頂いた。ストック型社会のモデルとしてイギリスの事情が紹介されているのである。イギリスの研究者の論文の他、岩下繁昭、菊地成朋、黒野弘靖氏ら、イギリスへの留学経験のある研究者の論文も収められている。

 興味深いのが、「住宅は何年の寿命を持たねばならないか? イングランドにおける住宅の年齢および推定寿命に関する考察」と題されたジェイムズ・ミークル、ジョン・コンノートンという世界最大の建築積算事務所の両取締役による論文である。イギリスの人口は日本の約半分で比較しやすいのであるが、年平均の住宅供給(ストック増加)数は、一九八五年から九〇年の五年で一九万一〇〇〇である。三〇年前の一九六一年から六五年平均で二八万四一〇〇〇である。日本は一九六〇年で新設着工戸数は約六〇万戸であったから、人口規模を比較するとほぼ同じ建設数だったとみていい。その後、イギリスの着工戸数は減少して年間二〇万戸程度になったということは、日本に置き換えると年間四〇万戸体制である。果たして、三〇年後、日本はイギリスの道を辿っているのであろうか。

 面白いのは、この論文のトーンが、もっとストックを更新すべきだ、という主張にあることである。新築建設戸数が現状である(二〇万戸)とすれば、全住宅ストック数を更新するには百年かかる。実際には人口増があり、一〇〇〇年の間住宅は持たないといけない、という推計も示されている。それはオーバーとして、実質年間五万戸~一〇万戸のストックを更新していくとすれば二〇〇年~四〇〇年住宅は耐えねばならない。それではストックが良好に保てない、というニュアンスが強いのである。

 果たして、日本はどうすればいいか。先の『Re』の冒頭には、LCC(ライフ・サイクル・コスト)が日本に導入されて四半世紀になるけれど一向に普及しないという記事がある。LCCといっても、一〇〇年後になると予測不可能なことが多すぎる。住宅を建てる人にとっては自分が生きていない後のことまで考慮することはなかなか難しい。その方が安いといっても、長期的な視点は個人的には持ちにくいのである。住宅産業は林業に近くなると言えるであろうか。次世代を考えたサイクルが必要とされるのである。

 人の一生(ライフ)のスケールで考えた方が分かりやすい、という主張にも根拠がある、と思う。問題は、誰にとってメリットがあるのか、ローコストであるのかである。

 大きな枠組みとして共有できそうなのが、「地球環境問題」という枠組みなのであるが、果たして、住宅産業界でどのような供給システムがベストと言えるのか。LCCは、どのような前提で計算しうるのか。社会的合理性、日常的合理性のレヴェルで、住宅は何年の寿命を持てばいいのか。大きな理論が必要とされていると思う。


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