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2023年2月18日土曜日

都市の記憶・風景の復旧,雑木林の世界78,住宅と木材,199602

 都市の記憶・風景の復旧,雑木林の世界78,住宅と木材,199602

雑木林の世界78 

都市(まち)の記憶 風景の復旧:阪神淡路大震災に学ぶ(2)

布野修司

 

 阪神淡路大震災から一年が経過した。

 大震災をめぐっては、多くの議論がなされてきた。僕自身、被災度調査以降、A市のHS地区の復興計画に巻き込まれながら、そうした議論に加わってきた。参加したシンポジウムもかなりになる。

 そうした中で印象に残るのが、「都市(まち)の記憶 風景の復旧」と題した建築フォーラム(AF)主催のシンポジウムである(一九九五年九月八日 新梅田スカイビル)。磯崎新、原広司、木村俊彦、渡辺豊和をパネラーに、コーディネーターを務めた。千人近くの聴衆を集めた大シンポジウムであった。全記録は、『建築思潮』第4号(学芸出版社)に掲載されているからそれに譲りたい。

 印象に残っている第一は、磯崎新の「まず、全てをもとに戻せ」という発言である。震災復興で何かができるのであれば、震災が来なくてもできるはずである。震災だからこの際できなかったことをという発想には大きな問題があるという指摘である。

 見るところ、大震災によって、都市計画の大きなフレームは変わったわけではない。特別な予算措置がなされるわけでもない。それにも関わらず復興計画に特別な何かを求めるのはおかしいという指摘である。それより、即復旧せよ、というのである。同感であった。

 第二に印象的だったのは、原広司の「都市の問題は住宅の問題だ」という指摘である。基幹構造に多重システムがない等の都市の構造の弱点は、個々の住宅の構造に自律性がないせいである、という。要するに、都市と住宅の構造的欠陥が大震災で露わになったのである。これまた、同感であった。

 A市のHS地区のこの間の復興計画立案の過程を見ていても、上の二つの指摘は鋭いと思う。阪神大震災によって何が変わったかといっても、そうすぐ変わるわけがない。火事場泥棒宜しくうまくやろうといってもそうはいかない。結局、何も本質的なことは動いていない、というのが実感である。

 A市は激震地から離れているけれど、かなり被害を受けた地区がある。震災復興計画として決定された地区は五地区あり、HS地区は、そのひとつである。「文化住宅」の密集地区で、   世帯ある。

 住民のグループから以来を受け、ヴォランティアとして、地区住民の主体性を尊重しながら、できることを援助しようというスタンスで関わっているであるが、この間の経緯は呆然とすることの連続である。特に、行政の傲慢とも見える対応はあきれるほどだ。そうでなくても世代や収入、地区へのこだわりを異にする人々が一致して事業に当たることは容易ではない。権利関係の調整は難しいし、時間もかかる。行政と住民との間で、また住民相互の間で様々な葛藤が生まれ、軋轢が露呈する。剥き出しのエゴがぶつかりあう。まとめるのは至難のわざである。

 ただ、HS地区はそれ以前である。それなりのプロセスにおいて復興計画を研究室でつくったのであるが、ワークショップが開けない。行政当局は邪魔者扱いで、支援グループを排除するのを都市計画決定の条件にする。とんでもない話である。予め線を引いて、要するに案をつくって、住民に認めるか認めないか、という態度である。そういう傲慢かつ頑なな態度で住民がまとまるわけがない。住民組織も疑心暗鬼で四分五裂である。

 「疲れた、もう止めた」、懸命に阪神・淡路大震災の復興計画に取り組む建築家、都市計画プランナーから苦渋の本音が漏れ出しているのはよくわかる。行政当局のやりかたにも相当問題がある。A市にはT地区のように区画整理事業をスムーズに進めている地区もあるから一概に言えないのであるが、一般に住民参加といっても、そういう仕組みもないし、トレーニングもしていないのである。

 自然の力、地区の自律性の必要、重層的な都市構造の大切さ、公園や小学校や病院など公共施設空間の重要性、ヴォランティアの役割、・・・・大震災の教訓について数多くのことがこの一年語られてきた。しかし、大震災の教訓が復興計画に如何に生かされようとしているのか、大いに疑問が湧いてくる。関東大震災後も、戦災復興の時にも、そして、今度の大震災の後も、日本の都市計画は同じようなことを繰り返すだけではないのか。要するに、何も変わらないのではないか。それ以前に何も動いていないのである。

 阪神・淡路大震災によって一体何が変わったのか。大震災がローカルな地震であったことは間違いない。国民総生産に対する被害総額を考えても、関東大震災の方がはるかにウエイトが高かった。震災後二ヶ月経つと、特にオウム真理教の事件が露になって、被災地以外では大震災は忘れ去られたように見える。大震災の最大の教訓は、もしかすると、震災の体験は必ずしも蓄積されないということではないのか、と思えるほどだ。

  しかしもちろん、その都市や建築のあり方について与えた意味は決して小さくない。というより、日本のまちづくりや建築のあり方に根源的な疑問を投げかけたという意味で衝撃的であった。日本の都市のどこにも遍在する問題を地震の一揺れが一瞬のうちに露呈させたのである。そうした意味では、大震災のつきつける基本的な問題は、被災地であろうと被災地でなかろうと関係ない。震災の教訓をどう生かしていくのかは、日本のまちづくりにとって大きなテーマであり続けている。

 今度の大震災がつきつけたのは都市の死というテーマである。そして、その再生というテーマである。被災直後の街の光景にみたのは滅亡する都市のイメージと逞しく再生しようとする都市のイメージの二つである。都市が死ぬことがあるという発見、というにはあまりにも圧倒的な事実は、より原理的に受けとめられなければならないはずである。

 現代都市の死、廃墟を見てしまったからには、これまでとは異なった都市の姿が見えたのでなければならない。復興計画は、当然、これまでにない都市のあり方へと結びついていかねばならない。そこで、都市の歴史、都市の記憶をどう考えるは大きなテーマである。何を復旧すべきか、何を復興すべきか、何を再生すべきか、必然的には都市の固有性、歴史性をどう考えるかが問われるのである。ただそれは、震災があろうとなかろうと常に問われている問題である。都市の歴史的、文化的コンテクストをどう読むか、どう表現するかは、日常的テーマといっていいのである。

 


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