日本のカンポン、雑木林の世界83,199607
雑木林の世界83
日本のカンポン
布野修司
不思議なつながりから、大阪の西成地区のまちづくりのお手伝いをすることになった。西成地区と言えば、全国でも有数の「寄せ場」釜ケ崎がある。まちづくりの対象地区は、その西、西浜地区を中心とする日本でも有数の被差別部落(全国最大の都市部落)だった地区である。「大阪市総合計画21」にもとづいて西成地区のまちづくりが本格的に開始されることになったのである。
同和地区のまちづくりについては、東洋大学の内田雄造先生とそのグループが多くの実績を挙げている。東洋大学時代に、その側にいて、色々教えを乞うたのであるが、同和地区のまちづくりについては、お手伝いする機会はなかった。今回も真っ先に相談するところなのであるが、関西のことでもあり、まずははじめてみようというところである。いささか心許ないけれど、後ろに内田先生がいると思うと心強い。いろいろと教えて頂くことになるであろう。
まずは二日にわたって地区内を歩いた。とにかく地区を知らなければ話にならないであろう。まちづくりの方針もフィールドの中からいろいろと得ることができるのである。
歩き出すとすぐにわくわくしてきた。まちの雰囲気がインドネシアのカンポン(都市内集落)に似ているのである。僕が親しいスラバヤのカンポンは平屋が主体で、もちろん、佇まいは異なるのであるが、ぎっしりと建て詰まり、路地の細さや曲がり方が似ているのである。
いろいろな店が町中に点在しているのも似ているし、人が多くて活気のあるのもいい。そして、コミュニティがしっかりしているのがわかる。解放同盟の組織、町会や民生委員の区割り図が方々に掲げられている。そして、街区の中には地蔵堂が点々とある。
調査は、いわゆるデザイン・サーヴェイである。まず歩いて、建築形式(階数、構造、建築類型など)、施設分布、井戸や地蔵堂などの分布、植木や看板・消火栓・自販機など外部空間を地図上にプロットしていくのである。インドネシアでもインドでも台湾でも同じように調査をするのであるが、まちを身体で理解するには歩き回るにしくはない。今回は述べ四〇人ほどが参加したであろうか。調査をもとにいろいろと気づいたことを議論するのが調査の醍醐味である。
地区の歴史は、『焼土の街からー西成の部落解放運動史』(部落解放同盟西成支部編 一九九三年)にまとめられている。また、その歴史については、『大正/大阪/スラム』(杉原薫・玉井金五編 新評論 一九八六年)の「第三章 都市部落住民の労働=生活過程ー西浜地区を中心にー」が詳しい分析を行っている。後者の本は、以前書評したことがあったのであるが、再読することになった。もちろん、読むべき文献は「都市部落の生成と展開ー摂津渡辺村の史的構造ー」(中西義雄 『部落問題研究』4号 一九五九年)など数多い。地区を知るには文献研究も不可欠である。
しかし一方で、早急にまちづくりの方針を定めなければならない。いくつかの具体的なプロジェクトは動きだそうとしているのである。まず、大きなテーマとなるのは住環境整備である。反射的に思ったのは、地区のコミュニティの構造を大きく崩さずに再開発することができないか、ということである。
地区を歩いていると、改良住宅に建て替えられた地区が何故か寂しく活気がない。一階など有刺鉄線で囲われたりして、閉鎖的である。既存の活気ある街区がそうなるのは大問題である。
既にカンポンで考えたことだ。共用空間を最大限に取り、店などを組み込んだ都市型住居をここでも実現すべきだ。単身の老人も多いことからケア付きのコレクティブ・ハウジングも考えられてよい。
また、道路が拡幅されて街が分断されるという問題がある。そこには街の核となる施設が必要ではないか。芸人が育った街であり、若い芸人の登竜門となるような演芸場をつくったらどうだという話が出だしている。また、職人が多いのだから、職人大学もいいんじゃないか。皮革産業を基盤としてきたことから「靴の博物館」の構想もある。
もちろん、施設計画だけではない。ソフトな仕組みを含めて日本で最先端のまちづくりをしようという意気込みが解放同盟に満ちている。同和地区のまちづくりが先進的なのはまちづくりの主体がしっかりしているからである。
解放同盟は、大阪市に対する一〇〇項目の具体的要求をまとめつつある。街づくり政策、住宅政策、道路・交通・環境政策、教育・保育政策、福祉・健康政策、産業・労働政策、人権・啓発政策に分けられているが、その全体構想は壮大である。というより、まちづくりは総合的なアプローチが不可欠であり、個々の要求項目をどう相互関連のもとに総合的に実現するかが問われるのである。
西成地区まちづくり委員会の育成と法人化、街づくり会館の建設、ボランティア活動支援センターの設置等々、まちづくり運動の拠点となることが目指されている。
また、地区内はすべてバリアフリーとする、そうした障害者にやさしいまちづくりをめざすことが目指されている。
さらに、マルティメディア利用など、最先端の技術をビルトインしたまちづくりが目指されている。
要するに、日本一のまちづくりが目標なのである。日本一遅れていたが故に、それは可能なのだ
0 件のコメント:
コメントを投稿