書評
コミュニティー・アーキテクチャー 塩崎賢明訳
布野修司
英王室をめぐるスキャンダルがマスコミを騒がせている。そんな中であるいは忘れられつつあるかもしれないもうひとつのスキャンダルがある。チャールズ皇太子の「近代建築」批判以降の一連の出来事だ。つい先頃も、皇太子自らが理想的な建築家を養成する「建築学校」を開設したことが報じられたばかりである。その確固たる信念はいささかも揺らいではいないようにみえる。
その主張をもとにしたテレビ番組(BBC制作)は日本でも放映されたし(チャールズ皇太子に対する建築家の反論を基調とするテレビ番組第二弾は、何故か日本では放映されなかった)、それを出版したものが邦訳( 『英国の未来像』 東京書籍 一九九一年)されたからそれなりに知られていよう。チャールズ皇太子は、一方でこの間、英国の、また世界の建築をめぐる大きな論戦の渦の中心にあるのである。
ところで、チャールズ皇太子が依拠する建築観とは何か、理想とする建築家像とは何か。その主張を具体的に支える活動と背景、その理論、この間の経緯を克明にレポートするのが本書である。
コミュニティー・アーキテクチャーとは何か。その核心原理は「そこに住み、働き、遊ぶ人々が、その創造や管理に積極的に参加することによって、環境はよりよいものになる」という主張にある。本書には、わかりやすく、「在来の建築」との違いを示す対象表も掲げられているのだが、「住民参加」、「小規模建設」、「ボトムアップ方式」、「プロセス重視」、「相互扶助」、「地域資源利用」、・・・などが基本理念である。
コミュニティー・アーキテクチャーという言葉は、一九七六年に生まれた。英国王立建築家協会内に、以後この運動をリードし、後にその会長にもなるロッド・ハックニーが、コミュニティー・アーキテクチャー・グループを結成したのが最初なのだという。
しかし、もちろん、それに遡る前史がある。一九六〇年代のコミュニティー運動に遡って、また、アメリカのソーシャル・アーキテクチャー運動も視野に収めてその運動を位置づけるのであるが、本書には都市計画運動史の趣もある。
また、主として焦点が当てられているのは英国における都心の居住環境整備あるいは再開発の問題であるが、発展途上国の問題も含みその広がりは大きい。一九七六年といえば、バンクーバーで第一回の国際連合ハビタット国際会議が開かれた(本書では「静かな革命」として言及される)年であるが、その決議に示された理念がコミュニティー・アーキテクチャー運動の支えにもなっているのである。
本書が上梓された一九八七年、議論はまさに沸騰しつつあった。本書は、その渦中に投げ入れられたものだ。コミュニティー・アーキテクチャーの発展を先導し、新しいルネッサンスを実現することを願う立場から書かれた、ある意味ではプロパガンダの書である。
時折しもバブルの最中であった。そしていまバブルは弾けた。そうした意味では読む方に緊張感が湧いてこない。その主張はともかく、日本にもひとりのチャールズ皇太子が欲しかったとも思う。しかし、コミュニティー・アーキテクチャーのあり方をじっくり追求するそうした時代はこれからである。その理念と方法をつきつめて考える上で、翻訳はむしろタイムリーなのかもしれない。(京都大学助教授 地域生活空間計画専攻)
0 件のコメント:
コメントを投稿