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2022年1月29日土曜日

室内と屋外・・・「職人大学」構想,おしまいの頁で,室内,199802

02室内と屋外,おしまいの頁で,室内,199802

「室内」と「屋外」・・・「職人大学」構想  002

布野修司

  「職人大学」(国際工芸技術大学(仮称))の総長候補に梅原猛氏(日本ペンクラブ会長)が決まった。二〇〇一年四月の開学を目指す。

 建設業を支える建築専門工事業(サブコン)の社長さんたちが、建設職人の社会的地位の向上を目指して「サイト・スペシャルズ・フォーラム」(SSF)を結成したのは一九九〇年一一月のことであった。サイト・スペシャルズとは、サイト・スペシャリスト(現場専門技能家)に関すること全てを意味する。いずれも造語だ。何も横文字を使わなくても、と評判が悪かった。「職人」でいいけれど、工芸分野の「職人」と思われてしまうジレンマがあった。「職人」といっても、「人間国宝」や何百万円もする作品をものする「芸術家」の世界ではない。また、ターゲットは、「室内」で作業する「職人」ではなく、「屋外」(現場)で作業する「職人」である。

 SSFは、ドイツのマイスター制度に学びながら、建設職人の育成のための「社会基金」(ソーシャル・カッセ)の設立とともに、「職人大学」の設立をスローガンに掲げた。そして、試行錯誤の果てに七年の月日が流れた。

 縁があって、当初からSSFの活動のお手伝いしてきたが、よくぞここまできた、という感慨がある。紆余曲折というか、激しい政治力学というか、大学というひとつの組織体をつくりあげるにはすさまじいエネルギーがいるものだ。しかし、これからが正念場である。

 お金を集めなければならない。梅原総長候補によれば、設立以来所長を務めた「国際日本文化研究センター」の場合も大変だったという。「先生」を集めなければならない。果たして、文部省が許可するだろうか。本当の「職人」は論文など書いたことはないのである。その前に、そもそも「先生」はいるのか。大学は建設分野だけでなく、製造業分野もカヴァーしなければならない。大学施設を建てなければならない。なかよくやれるのか。どうせなら「建設職人」自ら建設したいと思うけれど、設置基準の壁がある。

 出来てみたら普通の「大学」とちっとも変わらない、ということは決してあってはならない。

  


『室内』おしまいの頁で199801199912

01百年後の京都,おしまいの頁で,室内,199801

02室内と屋外,おしまいの頁で,室内,199802

03英語帝国主義,おしまいの頁で,室内,199803

04 アンコ-ルワット,おしまいの頁で,室内,199804

05 ヤン・ファン・リ-ベック,おしまいの頁で,室内,199805

06 秦家,おしまいの頁で,室内,199806

07 木匠塾,おしまいの頁で,室内,199807

08建築家と保険,おしまいの頁で,室内,199808

09桟留,おしまいの頁で,室内,199809

10 インド・サラセン様式,おしまいの頁で,室内,199810

11 ヴィガン,おしまいの頁で,室内,199811

12カピス貝の街,おしまいの頁で,室内,199812

13ダム成金の家,おしまいの頁で,室内,199901

14 J.シラスのこと,おしまいの頁で,室内,199902

15 ジベタリアン,おしまいの頁で,室内,199903

16西成まちづくり大学,おしまいの頁で,室内,199904

17 スラバヤ・ヤマトホテル,おしまいの頁で,室内,199905

18京都デザインリ-グ構想,おしまいの頁で,室内,199906

19 ジャングル, おしまいの頁で,室内,19990

20 大工願望,おしまいの頁で,室内,199908

21日光,おしまいの頁で,室内,199909

22ヴァ-ラ-ナシ-,おしまいの頁で,室内,199910

23北京の変貌,おしまいの頁で,室内,199911

24群居,おしまいの頁で,室内,199912 

2022年1月28日金曜日

百年後の京都,おしまいの頁で,室内,199801

01 百年後の京都,おしまいの頁で,室内,199801

頭の中が京都でいっぱい・・・百年後の京都

布野修司

 

 頭の中が京都でいっぱいである。ヴィジョンが次から次へと沸いてきて、うなされそうだ。こんなにも京都のことを考えたのはもちろん初めてである。

 建設反対の大合唱で物議を醸したJR京都駅ビルがオープンし、再び、議論が沸き起こっているからではない。地下鉄東西線が開業し、京都が少し変わりつつあることは事実だけれど、そんなことは一二〇〇年の古都には一瞬のことに過ぎないだろう。パリの「ポン・デ・ザール」(芸術橋)を真似て、鴨川に三.五条大橋を建設するというので、またまた大騒ぎだけれど、うなされるほどではない。

 この二週間、「京都グランドヴィジョン」コンペの審査に携わったのである。応募総数五五四。賞金総額二〇〇〇万円、優秀作三〇〇万円(五作品程度)佳作五〇万円(一〇作品程度)が魅力だったのであろうか。五五四もの夢につきあうことになった。

 審査といっても第一次審査の専門委員で全体を三〇程度に絞ればいいから多少気は楽だ。そうでなければ、これには三〇〇万円はもったいないなどと、こちらの欲の皮がつっぱってくる。

 ところで結果はどうか。実に面白い案があった。残念ながら決定まで書くわけにはいかない。以下はいくつかの感想。京都を愛する人はこんなにも多いのか。何と応募者の三分の一は外国籍であった。しかし一方、大半の京都論は、ステレオタイプを抜けきらない。人間の考えることはそう変わらない。だけど、中には臍曲がりがいる。審査員のなかにも臍曲がりが実は少なくない。だから、臍曲がり提案は得をする。だいたい、こんなコンペは意味がない、などとやられると、審査員は大体相槌を打つ。百年後は審査員も応募者も生きていないのだから、もっとかってに提案すればいいのに、皆が今という時代に縛られている。それが可笑しい。百年後の京都も変わっていないだろう。人の頭の中が変わらないのだから。もちろん、京町家は残って、JR京都駅とポン・デ・ザールは建て替えられている。

『室内』おしまいの頁で199801199912

01百年後の京都,おしまいの頁で,室内,199801

02室内と屋外,おしまいの頁で,室内,199802

03英語帝国主義,おしまいの頁で,室内,199803

04 アンコ-ルワット,おしまいの頁で,室内,199804

05 ヤン・ファン・リ-ベック,おしまいの頁で,室内,199805

06 秦家,おしまいの頁で,室内,199806

07 木匠塾,おしまいの頁で,室内,199807

08建築家と保険,おしまいの頁で,室内,199808

09桟留,おしまいの頁で,室内,199809

10 インド・サラセン様式,おしまいの頁で,室内,199810

11 ヴィガン,おしまいの頁で,室内,199811

12カピス貝の街,おしまいの頁で,室内,199812

13ダム成金の家,おしまいの頁で,室内,199901

14 J.シラスのこと,おしまいの頁で,室内,199902

15 ジベタリアン,おしまいの頁で,室内,199903

16西成まちづくり大学,おしまいの頁で,室内,199904

17 スラバヤ・ヤマトホテル,おしまいの頁で,室内,199905

18京都デザインリ-グ構想,おしまいの頁で,室内,199906

19 ジャングル, おしまいの頁で,室内,19990

20 大工願望,おしまいの頁で,室内,199908

21日光,おしまいの頁で,室内,199909

22ヴァ-ラ-ナシ-,おしまいの頁で,室内,199910

23北京の変貌,おしまいの頁で,室内,199911

24群居,おしまいの頁で,室内,199912


2022年1月27日木曜日

スラバヤ・エコハウス 布野修司+J.シラス+布野研究室:エコハウス実験棟 1998

布野修司+J.シラス+布野研究室:エコハウス実験棟,スラバヤ工科大学,鉄筋コンクリート造+木構造,建築面積196㎡,延べ床面積300㎡,1998720日竣工(掲載紙,『室内』,19996月)




2021年12月16日木曜日

インド・サラセン様式

10 インド・サラセン様式,おしまいの頁で,室内,199810


インド・サラセン様式

布野修司

 

 

 再びチェンナイ(マドラス)に戻ってきた。五週間の旅となるといささか長い。毎日が日曜日だが、異国の事物に刺激されて欲張ってつい見に行ったり、食べに行ったりするから休息日がない。疲れが身体の芯に蓄積される感じだ。ぜいたくというべきか。見知らぬ土地を見てその土地のことを学ぶのは無上の歓びである。問題は刺激が多すぎて脳味噌の許容量を情報が溢れてしまうことだ。

 チェンナイではジョージタウンの調査に手をつけた。英国がインドで最初にその拠点を置いたところだ。ヨーロッパ人たちは城壁内に住み、インド人たちは要塞の北に住んだ。それぞれホワイトタウン、ブラックタウンと呼ばれる。そのブラックタウンが今日のジョージタウンだ。

 実に賑やかな町である。日中から人通りが絶えない。眼鏡、自転車、工具、電器、鉄管、チューブ、ハードウエア・・・それぞれの通りに固まってある。インドのジャーティ制(職業分離)のせいか。

 ジョージタウンを歩き回っていて日本語の堪能な老人に会った。船乗りで日本に何度も行ったのだという。チェンナイは国際都市だ。彼によると、テルグ語、タミール語、ヒンディ語、ウルドゥ語、中国語が飛び交っているのだという。

 歩いていると植民地時代に建てられた独特の様式に気づく。インド・サラセン様式と呼ばれる英国人建築家によるコロニアル建築だ。西欧建築を基礎にしながら、イスラーム建築とヒンドゥー建築の要素が巧みに取り入れられている。ハイコート(最高裁判所)がその代表である。また、マドラス大学評議員会館もなかなかの迫力だ。列柱を並べたヴェランダを周囲に回すバンガロー形式が特徴であるが、細部に様々な要素が折衷されている。

 思えば、わが国の近代建築も英国の影響下に出発した。弱冠二五、六歳のJ.コンドルが先生である。彼はマドラス経由で日本に来たに違いない。彼の設計した鹿鳴館を思い出す。彼が当初日本建築に相応しいとイメージしたのはインド・サラセン様式なのである。伊東忠太の築地本願寺にもインドが濃厚に入り込んでいる。しかし何故か、コンドル・忠太以降、日本建築はインドもサラセンも無縁のものとしてきた。

 

『室内』布野修司原稿

 

 売建住宅に御用心,室内,工作社,198604

◎じゃぱゆきくん、百家争鳴、室内、198802

 

室内室外

01公開してはどうかコンペの審査記録,面白いのは決定までのプロセス,室内,工作社,198901

02語りのこされた場所「皇居」,昭和が終って浮かんできたもの,室内,工作社,198903

03国際買いだしゼミナ-ル,建築見学どこへやら,室内,工作社,198905

04博覧会というよりいっそ縁日,建築が主役だったのは今は昔,室内,工作社,198907

05山を見あげて木をおもう,どうして割箸なんか持ちだすの?,室内,工作社,198909

06住みにくいのはやむを得ない,そもそも異邦人のための家ではない,室内,工作社,198911

07建築の伝統論議はなぜおきない,日本の建築界にもチャ-ルズがほしい,室内,工作社,199001

08職人不足はだれのせい,室内,工作社,199003

09こんなコンペなら無い方がまし,室内,工作社,199005

10宅地は高いほうがいい,室内,工作社,199007

11秋田杉の町能代を見る,室内,工作社,199009

12再び能代の町に行ってみて,室内,工作社,199011

 

◎僕はインドで牛になりたい百家争鳴室内工作社199406

 

『室内』おしまいの頁で199801199912

01百年後の京都,おしまいの頁で,室内,199801

02室内と屋外,おしまいの頁で,室内,199802

03英語帝国主義,おしまいの頁で,室内,199803

04 アンコ-ルワット,おしまいの頁で,室内,199804

05 ヤン・ファン・リ-ベック,おしまいの頁で,室内,199805

06 秦家,おしまいの頁で,室内,199806

07 木匠塾,おしまいの頁で,室内,199807

08建築家と保険,おしまいの頁で,室内,199808

09桟留,おしまいの頁で,室内,199809

10 インド・サラセン様式,おしまいの頁で,室内,199810

11 ヴィガン,おしまいの頁で,室内,199811

12カピス貝の街,おしまいの頁で,室内,199812

13ダム成金の家,おしまいの頁で,室内,199901

14 J.シラスのこと,おしまいの頁で,室内,199902

15 ジベタリアン,おしまいの頁で,室内,199903

16西成まちづくり大学,おしまいの頁で,室内,199904

17 スラバヤ・ヤマトホテル,おしまいの頁で,室内,199905

18京都デザインリ-グ構想,おしまいの頁で,室内,199906

19 ジャングル, おしまいの頁で,室内,19990

20 大工願望,おしまいの頁で,室内,199908

21日光,おしまいの頁で,室内,199909

22ヴァ-ラ-ナシ-,おしまいの頁で,室内,199910

23北京の変貌,おしまいの頁で,室内,199911

24群居,おしまいの頁で,室内,199912

 

◎旧朝鮮総督府の解体と日帝断脈説,室内,199602

◎序説の人生,室内,200001

◎世界一周,室内,工作社,200012

◎『室内』から「世界」を斬る,(『『室内』の52年 山本夏彦が残したもの』,INAX出版所収),室内、200609

 

室内室外

公開してはどうかコンペの審査記録,面白いのは決定までのプロセス,室内,工作社,198901

 

語りのこされた場所「皇居」,昭和が終って浮かんできたもの,室内,工作社,198903

国際買いだしゼミナ-ル,建築見学どこへやら,室内,工作社,198905博覧会というよりいっそ縁日,建築が主役だったのは今は昔,室内,工作社,198907

山を見あげて木をおもう,どうして割箸なんか持ちだすの?,室内,工作社,198909

住みにくいのはやむを得ない,そもそも異邦人のための家ではない,室内,工作社,198911

建築の伝統論議はなぜおきない,日本の建築界にもチャ-ルズがほしい,室内,工作社,199001

2021年11月29日月曜日

オ-ストラリアの都市と建築3 サルマンのガ-デンサバ-ブ

オ-ストラリアの都市と建築1 グリフィンのキャンベラ,日刊建設工業新聞,19980220

オ-ストラリアの都市と建築2 グリ-ンウエイのシドニ-,日刊建設工業新聞,19980306

オ-ストラリアの都市と建築3 サルマンのガ-デンサバ-ブ,日刊建設工業新聞,19980327 


オ-ストラリアの都市と建築3 サルマンのガ-デンサバ-ブ



2021年11月28日日曜日

オ-ストラリアの都市と建築2 グリ-ンウエイのシドニ-

 オ-ストラリアの都市と建築1 グリフィンのキャンベラ,日刊建設工業新聞,19980220

オ-ストラリアの都市と建築2 グリ-ンウエイのシドニ-,日刊建設工業新聞,19980306

オ-ストラリアの都市と建築3 サルマンのガ-デンサバ-ブ,日刊建設工業新聞,19980327


オ-ストラリアの都市と建築2 グリ-ンウエイのシドニ-


2021年11月27日土曜日

オ-ストラリアの都市と建築1 グリフィンのキャンベラ

 オ-ストラリアの都市と建築1 グリフィンのキャンベラ,日刊建設工業新聞,19980220

オ-ストラリアの都市と建築2 グリ-ンウエイのシドニ-,日刊建設工業新聞,19980306

オ-ストラリアの都市と建築3 サルマンのガ-デンサバ-ブ,日刊建設工業新聞,19980327


 オ-ストラリアの都市と建築1 グリフィンのキャンベラ