01 百年後の京都,おしまいの頁で,室内,199801
頭の中が京都でいっぱい・・・百年後の京都
布野修司
頭の中が京都でいっぱいである。ヴィジョンが次から次へと沸いてきて、うなされそうだ。こんなにも京都のことを考えたのはもちろん初めてである。
建設反対の大合唱で物議を醸したJR京都駅ビルがオープンし、再び、議論が沸き起こっているからではない。地下鉄東西線が開業し、京都が少し変わりつつあることは事実だけれど、そんなことは一二〇〇年の古都には一瞬のことに過ぎないだろう。パリの「ポン・デ・ザール」(芸術橋)を真似て、鴨川に三.五条大橋を建設するというので、またまた大騒ぎだけれど、うなされるほどではない。
この二週間、「京都グランドヴィジョン」コンペの審査に携わったのである。応募総数五五四。賞金総額二〇〇〇万円、優秀作三〇〇万円(五作品程度)佳作五〇万円(一〇作品程度)が魅力だったのであろうか。五五四もの夢につきあうことになった。
審査といっても第一次審査の専門委員で全体を三〇程度に絞ればいいから多少気は楽だ。そうでなければ、これには三〇〇万円はもったいないなどと、こちらの欲の皮がつっぱってくる。
ところで結果はどうか。実に面白い案があった。残念ながら決定まで書くわけにはいかない。以下はいくつかの感想。京都を愛する人はこんなにも多いのか。何と応募者の三分の一は外国籍であった。しかし一方、大半の京都論は、ステレオタイプを抜けきらない。人間の考えることはそう変わらない。だけど、中には臍曲がりがいる。審査員のなかにも臍曲がりが実は少なくない。だから、臍曲がり提案は得をする。だいたい、こんなコンペは意味がない、などとやられると、審査員は大体相槌を打つ。百年後は審査員も応募者も生きていないのだから、もっとかってに提案すればいいのに、皆が今という時代に縛られている。それが可笑しい。百年後の京都も変わっていないだろう。人の頭の中が変わらないのだから。もちろん、京町家は残って、JR京都駅とポン・デ・ザールは建て替えられている。
『室内』おしまいの頁で199801~199912
◎01百年後の京都,おしまいの頁で,室内,199801
◎02室内と屋外,おしまいの頁で,室内,199802
◎03英語帝国主義,おしまいの頁で,室内,199803
◎04 アンコ-ルワット,おしまいの頁で,室内,199804,
◎05 ヤン・ファン・リ-ベック,おしまいの頁で,室内,199805
◎06 秦家,おしまいの頁で,室内,199806
◎07 木匠塾,おしまいの頁で,室内,199807
◎08建築家と保険,おしまいの頁で,室内,199808
◎09桟留,おしまいの頁で,室内,199809
◎10 インド・サラセン様式,おしまいの頁で,室内,199810
◎11 ヴィガン,おしまいの頁で,室内,199811
◎12カピス貝の街,おしまいの頁で,室内,199812
◎13ダム成金の家,おしまいの頁で,室内,199901
◎14 J.シラスのこと,おしまいの頁で,室内,199902
◎15 ジベタリアン,おしまいの頁で,室内,199903
16西成まちづくり大学,おしまいの頁で,室内,199904
17 スラバヤ・ヤマトホテル,おしまいの頁で,室内,199905
◎18京都デザインリ-グ構想,おしまいの頁で,室内,199906
◎19 ジャングル,
おしまいの頁で,室内,199907
◎20 大工願望,おしまいの頁で,室内,199908
◎21日光,おしまいの頁で,室内,199909
◎22ヴァ-ラ-ナシ-,おしまいの頁で,室内,199910
◎23北京の変貌,おしまいの頁で,室内,199911
◎24群居,おしまいの頁で,室内,199912
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