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2022年1月28日金曜日

百年後の京都,おしまいの頁で,室内,199801

01 百年後の京都,おしまいの頁で,室内,199801

頭の中が京都でいっぱい・・・百年後の京都

布野修司

 

 頭の中が京都でいっぱいである。ヴィジョンが次から次へと沸いてきて、うなされそうだ。こんなにも京都のことを考えたのはもちろん初めてである。

 建設反対の大合唱で物議を醸したJR京都駅ビルがオープンし、再び、議論が沸き起こっているからではない。地下鉄東西線が開業し、京都が少し変わりつつあることは事実だけれど、そんなことは一二〇〇年の古都には一瞬のことに過ぎないだろう。パリの「ポン・デ・ザール」(芸術橋)を真似て、鴨川に三.五条大橋を建設するというので、またまた大騒ぎだけれど、うなされるほどではない。

 この二週間、「京都グランドヴィジョン」コンペの審査に携わったのである。応募総数五五四。賞金総額二〇〇〇万円、優秀作三〇〇万円(五作品程度)佳作五〇万円(一〇作品程度)が魅力だったのであろうか。五五四もの夢につきあうことになった。

 審査といっても第一次審査の専門委員で全体を三〇程度に絞ればいいから多少気は楽だ。そうでなければ、これには三〇〇万円はもったいないなどと、こちらの欲の皮がつっぱってくる。

 ところで結果はどうか。実に面白い案があった。残念ながら決定まで書くわけにはいかない。以下はいくつかの感想。京都を愛する人はこんなにも多いのか。何と応募者の三分の一は外国籍であった。しかし一方、大半の京都論は、ステレオタイプを抜けきらない。人間の考えることはそう変わらない。だけど、中には臍曲がりがいる。審査員のなかにも臍曲がりが実は少なくない。だから、臍曲がり提案は得をする。だいたい、こんなコンペは意味がない、などとやられると、審査員は大体相槌を打つ。百年後は審査員も応募者も生きていないのだから、もっとかってに提案すればいいのに、皆が今という時代に縛られている。それが可笑しい。百年後の京都も変わっていないだろう。人の頭の中が変わらないのだから。もちろん、京町家は残って、JR京都駅とポン・デ・ザールは建て替えられている。

『室内』おしまいの頁で199801199912

01百年後の京都,おしまいの頁で,室内,199801

02室内と屋外,おしまいの頁で,室内,199802

03英語帝国主義,おしまいの頁で,室内,199803

04 アンコ-ルワット,おしまいの頁で,室内,199804

05 ヤン・ファン・リ-ベック,おしまいの頁で,室内,199805

06 秦家,おしまいの頁で,室内,199806

07 木匠塾,おしまいの頁で,室内,199807

08建築家と保険,おしまいの頁で,室内,199808

09桟留,おしまいの頁で,室内,199809

10 インド・サラセン様式,おしまいの頁で,室内,199810

11 ヴィガン,おしまいの頁で,室内,199811

12カピス貝の街,おしまいの頁で,室内,199812

13ダム成金の家,おしまいの頁で,室内,199901

14 J.シラスのこと,おしまいの頁で,室内,199902

15 ジベタリアン,おしまいの頁で,室内,199903

16西成まちづくり大学,おしまいの頁で,室内,199904

17 スラバヤ・ヤマトホテル,おしまいの頁で,室内,199905

18京都デザインリ-グ構想,おしまいの頁で,室内,199906

19 ジャングル, おしまいの頁で,室内,19990

20 大工願望,おしまいの頁で,室内,199908

21日光,おしまいの頁で,室内,199909

22ヴァ-ラ-ナシ-,おしまいの頁で,室内,199910

23北京の変貌,おしまいの頁で,室内,199911

24群居,おしまいの頁で,室内,199912


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