このブログを検索

2022年1月18日火曜日

日光,おしまいの頁で,室内,199909

 21 日光,おしまいの頁で,室内,199909

日光

布野修司

 

 松山巌さんと初めて対談した。『GA(グラス・アーキテクチャー)』誌(旭硝子)の企画で「百年前の一年」という特集を組むことになり、それなら松山さん(巖ちゃん)だ、対談がしたいと申し入れたのである。松山さんには『世紀末の一年』(朝日新聞社、一九八七年、朝日選書として復刻予定)がある。一緒にこの百年を振り返って見たかった。

 というのは半ば口実だ。松山さんとは学生のころからのつき合い。『TAU』という雑誌で知り合った。七〇年代初頭、「コンペイトー」(松山・井出建)と「雛芥子」(三宅理一、杉本俊多、千葉政継ら)で勉強会を重ね、「同時代建築研究会」(一九七六年~)でも一緒だった。京都に移ってなかなか会う機会がなく、久々会って話したかったのだ。

 この間松山さんは批評家として大きく飛躍した。江戸川乱歩賞、サントリー学芸賞、伊藤聖賞、読売文学賞という受賞歴がその輝かしい軌跡を示している。小説も今度の『日光』で二作目だ。いささか眩しい。ばたばたと走り回るだけで深く蓄積することのない身を恥じるばかりだ。しかし、それだからそのじっくりした思索の積み重ねはいつも心強い。頼もしい兄貴分だ。

 『日光』は実に傑作だ。様々な物語、事件、イメージが縦横に入れ子状に重ねられるその方法は松山さんに一貫する。『日光』では「人生不可解」と華厳の滝に身を投げた藤村操がハムレットとともにもつれあって登場するが、『世紀末の一年』にも藤村以降自殺者が相継いだ話が書かれている。藤村の生まれ変わりと思しき青年(フランケンシュタイン)に「百年たっても何も変わらない」といった科白を吐かせている。

 対談の枕はその科白であった。「外国人」「女」「公害」「鉄道」「東京」「教育」「マスメディア」「アール・ヌーボー」「アジア」「都市と農村」「戦争」「天皇」と話は一九〇〇年の一年の事件を一月から一二月までを追った。対談というよりインタビューだ。確かに金太郎飴の百年だ。しかし決定的な違いも明らかとなる。主として科学技術の進歩(?)に関わる。対談を終えて痛飲。翌日は心地よい宿酔いであった。(ムンバイにて)。

 






『室内』おしまいの頁で199801199912

01百年後の京都,おしまいの頁で,室内,199801

02室内と屋外,おしまいの頁で,室内,199802

03英語帝国主義,おしまいの頁で,室内,199803

04 アンコ-ルワット,おしまいの頁で,室内,199804

05 ヤン・ファン・リ-ベック,おしまいの頁で,室内,199805

06 秦家,おしまいの頁で,室内,199806

07 木匠塾,おしまいの頁で,室内,199807

08建築家と保険,おしまいの頁で,室内,199808

09桟留,おしまいの頁で,室内,199809

10 インド・サラセン様式,おしまいの頁で,室内,199810

11 ヴィガン,おしまいの頁で,室内,199811

12カピス貝の街,おしまいの頁で,室内,199812

13ダム成金の家,おしまいの頁で,室内,199901

14 J.シラスのこと,おしまいの頁で,室内,199902

15 ジベタリアン,おしまいの頁で,室内,199903

16西成まちづくり大学,おしまいの頁で,室内,199904

17 スラバヤ・ヤマトホテル,おしまいの頁で,室内,199905

18京都デザインリ-グ構想,おしまいの頁で,室内,199906

19 ジャングル, おしまいの頁で,室内,19990

20 大工願望,おしまいの頁で,室内,199908

21日光,おしまいの頁で,室内,199909

22ヴァ-ラ-ナシ-,おしまいの頁で,室内,199910

23北京の変貌,おしまいの頁で,室内,199911

24群居,おしまいの頁で,室内,199912


0 件のコメント:

コメントを投稿