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2022年1月25日火曜日

世界一周,室内,工作社,2000年12月

 世界一周,室内,工作社,200012

世界一周 

布野修司

 

 二〇世紀最後の夏、ついに世界一周を成し遂げた。などと自慢げに言ってみたくなるが、どうということはない。インドに寄ってからオランダに行き、柄にもなくハーグの国立公文書館(ARA)に通ってライブラリー・ワーク。途次、パラマリボ(スリナム)、ウイレムシュタッド(クラサオ)、カラカス(ヴェネズエラ)まで足を伸ばしたら、もう北米経由の方が安いという。マイアミ、シカゴを回ってアラスカの上を飛んで帰ってきた次第。五週間ほどの旅だ。

 二〇〇〇年は「日蘭友好四〇〇年記念」?の年であった。関ヶ原の戦いの年、三浦按針ことウイリアム・アダムズ、八重洲の名のもとになったヤン・ヨーステンら二四人の乗ったオランダ船リーフデ号が大分県臼杵湾に漂着して四〇〇年になるという。

 二〇年程前からオランダの植民地だったインドネシアに通っている縁だかなんだか、このところオランダのつくった町を追いかけている。出島、ゼーランディア城(台南)、マラッカ(マレーシア)、コロンボ、ゴール(スリ・ランカ)、コチン(インド)、そしてケープ・タウン(南アフリカ)まで辿り着いたが、世界は広い。というより、一七世紀から一八世紀にかけてのオランダのヘゲモニーはすごかった。ケープ・タウンまでが東インド会社(一六〇二年設立)の管轄で、西アフリカ以西を担当した西インド会社(一六二一年設立)がある。なんて恥ずかしながら知らなかった。百聞は一見に如かず、とばかりに地球の裏側の土を踏むに及んだのである。

 カリブの町は予想以上にまぶしかった。パステルカラーに彩られた世界遺産都市ウイレムシュタッドなどとてもアジアの町のセンスではない。同じオランダがつくったとはいえ、土地土地でそれぞれ固有の町が育まれるというのが、とりあえずのありきたりの感想だ。

 ところで、米国大統領選の集計騒ぎには驚いた。まるで発展途上国である。インドネシアでは、スハルトの開発独裁体制崩壊以降、東チモールに続いて、アチェ特別州、西イリアンなどで独立要求が高まりつつある。仮に、住民投票ということになっても、米国からは選挙監視団など要らない、ということになりはしないか。

 I.ウォーラーステインによれば、近代世界システムのヘゲモニーを握ったのは、オランダ、英国、アメリカ合衆国のわづか三つの国だけである。そして、ヘゲモニー国家は永続しない。必ず滅びる。これは既に合衆国衰退の兆候ではないか、などというのは妄想か。

 インドの総人口が中国のそれを既に超えたのをご存じか。IT、ITと騒ぐけれど合衆国も日本も何故インドなのか。安価な知的労働力が狙われているのである。二一世紀のヘゲモニーを握るのは中国あるいはインドではないか。世界一周などすると、世界を又に掛けるビジネスマンのような心境になるのが不思議である。桑原、桑原。





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