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2022年1月12日水曜日

インタビュー「オランダ植民都市の変容と転成テーマに 『近代世界システムと植民都市』まとめる」,『日刊建設工業新聞』,2005年9月2日

 インタビュー「オランダ植民都市の変容と転成テーマに 『近代世界システムと植民都市』まとめる」,『日刊建設工業新聞』,200592

●日付=神子

◎建築へ/布野修司/近代世界

 

 布野修司氏(滋賀県立大学教授)が『近代世界システムと植民都市』を著した。3年前の『アジア都市建築史』では、ヨーロッパ史観によらない「アジア都市建築史」を初めてまとめた。その先にあるのが「世界都市建築史」だが、今度の研究もその流れにある。「世紀から世紀にかけてオランダが世界中で建設した植民都市は、現代の都市に至るものです。その変容と転成の過程をまとめたものです」。前著の倍近く、こちらも650㌻を超える大部なものである。そして「世界都市建築史」に向け、まもなく『世界住居誌』が上梓される。また、来年2月には『曼荼羅都市―ヒンドゥー都市の空間理念とその変容―』が上梓(じょうし)される。世界にも類例のない日本からの視点による研究書である。

 すべての都市は植民都市

 本書のテーマを簡潔にいうと、次のようになる。

 「ー世紀、広大な世界を支配したオランダが建設した数多くの植民都市とそのネットワークは、領域的な広がりとしてもシステムとしても、後の近代世界の礎をつくった。オランダ植民都市の空間構成を復元し、そのシステムを再検討しながら、世界の都市・交易拠点のつながりと、それぞれの都市が近代に至る変容と転成の過程を生き生きと想起することで、近代世界システムの形成史を視覚的に描き出すこと」

 ここで取り上げられているオランダ植民都市を見ると、世界制覇の広さと、さまざまな都市のつくられ方に驚く。なぜ、それが可能だったのか。布野氏はそれを「はじめに」と「植民都市論ー全ての都市は植民都市である」で論じている。

 出島は唯一の例外

 「近代植民都市の起源は、交易拠点として設けられた商館です。そこでの取引や貿易が、植民都市の第一の機能です」

 オランダ商館といえば、すぐに想起されるのが出島である。ここでは「オランダ植民都市の残滓」として取り上げられている。

 出島の前につくられたのが平戸で、そこに商館が1609年につくられる。その後、徳川幕府によって破壊され、その商館が人工の島、出島に移されてくる。そして1858年まで、出島はオランダ商館の所在地となる。

 布野氏は冒頭で、オランダ東インド会社、西インド会社による多くの植民都市の中で、出島は唯一の例外だった。オランダ人の生活にとって、出島は小さな空間に封じ込められた監獄のようだった。しかし、オランダが支配しつつあったのは広大な世界である、とのべている。その「広大な世界」とはなんであり、それが近代都市にどのように変容・転成されていったを解いたのが、ここでのテーマである。

 産業革命による世界の変化

 「世紀末から世紀前半にかけて、産業革命の進展で世界は大きく変わります。オランダに代わって英仏が中心となる。その結果、都市と農村の分裂が決定的になり、都市への大量の人口流入となる。これが統合化されつつあった世界システム全体に波及していく。それは国内にとどまらず、外国への大量移民となってくる。そのように世界を狭くしたのが、蒸気船と鉄道による交通革命です。その結果、生み出されたのがプライメイト・シティ(単一支配型都市)で、その核になったのが近代植民都市であり、これが近代都市づくりの手法に近く、世界遺産級の都市になっていったのです。今回はその前の時代をおさえたのです」

 「こうした類書はオランダにありますが、出島を入れたのは初めてです。日本独自の視点が不可欠だったのです。まとめるのに、年かかりました」

 『近代世界システムと植民都市』は京都大学出版会。5900円+税。

(了)

【見出し】布野修司氏(滋賀県立大学教授)、『近代世界システムと植民都市』を著す/―世紀、オランダの植民都市をとらえる/現代都市につながる変容

 


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