20 大工願望, おしまいの頁で,室内,199908
大工願望
布野修司
美山(京都府)の木匠塾に行って来た(六月一八~二〇日)。美山は茅葺き民家が群として残る町だ。今回は塾といっても半ば押しかけで、学生たちが勝手にこんなことやりたいと提案するフォーラムである。新たに福井大学、京都建築専門学校などが参加した。「茅の里サミット」と称して加子母村(岐阜県)の粥川村長も応援に駆けつけて下さった。
僕が司会をしたシンポジウムは実にレヴェルが高かった。村長、助役、森林組合長、茅葺き職人、林業経営者、各界を代表するパネリストはそれぞれ百戦錬磨であった。内外から多くの人が常に訪れる観光地だ。にも関わらず、一万人の人口が半減して回復しない現実がある。日常的に真剣な議論が積み重ねられているのだ。学生の青臭い提案はまさに児戯に思えたに違いない。
美山へ行く何日か前、本欄担当の鈴木さんから「大工さんになりたいが一番ということ、職人さんたちはどう思ってるんですか」というファックスを頂いた。ピントこないまま、「天うらら(NHK番組)の影響じゃないか」などと返事した。意識調査にテレビの影響は大きいと直感したのである。主人公は結局二級建築士になってしまったと後で気がついた。
建築界の就職戦線は厳しい。身近に見ている京都大学の学生も例外ではない。特に女子学生、高学歴(大学院卒)が嫌われている。一時期のデスクワークじゃなきゃいけない、という雰囲気はない。現場でもどこでも、と切羽詰まっている。大工願望が本当であるとすれば、とにかく手に職を!ということであろう。
僕の研究室はいささか変わっていて、大文(田中文男)さんのところで大工(親方)修行に入った竹村君がいるし、京都の朝原さんのところで左官修業に入った森田君がいる。彼らには先見の明があるのかもしれない。
しかし、現実は厳しい。大工さん、職人さんの世界が深刻な後継者不足に悩みながら、必ずしも、新たなライバルの新規参入を歓迎しているわけではないのである。木造建築の需要が増えない限り、大工職人が豊かに生きていく条件は生まれない。美山での議論の底にそうしたクールな見方があった。
『室内』おしまいの頁で199801~199912
◎01百年後の京都,おしまいの頁で,室内,199801
◎02室内と屋外,おしまいの頁で,室内,199802
◎03英語帝国主義,おしまいの頁で,室内,199803
◎04 アンコ-ルワット,おしまいの頁で,室内,199804,
◎05 ヤン・ファン・リ-ベック,おしまいの頁で,室内,199805
◎06 秦家,おしまいの頁で,室内,199806
◎07 木匠塾,おしまいの頁で,室内,199807
◎08建築家と保険,おしまいの頁で,室内,199808
◎09桟留,おしまいの頁で,室内,199809
◎10 インド・サラセン様式,おしまいの頁で,室内,199810
◎11 ヴィガン,おしまいの頁で,室内,199811
◎12カピス貝の街,おしまいの頁で,室内,199812
◎13ダム成金の家,おしまいの頁で,室内,199901
◎14 J.シラスのこと,おしまいの頁で,室内,199902
◎15 ジベタリアン,おしまいの頁で,室内,199903
16 西成まちづくり大学,おしまいの頁で,室内,199904
17 スラバヤ・ヤマトホテル,おしまいの頁で,室内,199905
◎18京都デザインリ-グ構想,おしまいの頁で,室内,199906
◎19 ジャングル,
おしまいの頁で,室内,199907
◎20 大工願望,おしまいの頁で,室内,199908
◎21日光,おしまいの頁で,室内,199909
◎22ヴァ-ラ-ナシ-,おしまいの頁で,室内,199910
◎23北京の変貌,おしまいの頁で,室内,199911
◎24群居,おしまいの頁で,室内,199912
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