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2022年1月19日水曜日

大工願望,おしまいの頁で,室内,199908

20 大工願望,  おしまいの頁で,室内,199908

大工願望

布野修司

 

 美山(京都府)の木匠塾に行って来た(六月一八~二〇日)。美山は茅葺き民家が群として残る町だ。今回は塾といっても半ば押しかけで、学生たちが勝手にこんなことやりたいと提案するフォーラムである。新たに福井大学、京都建築専門学校などが参加した。「茅の里サミット」と称して加子母村(岐阜県)の粥川村長も応援に駆けつけて下さった。

 僕が司会をしたシンポジウムは実にレヴェルが高かった。村長、助役、森林組合長、茅葺き職人、林業経営者、各界を代表するパネリストはそれぞれ百戦錬磨であった。内外から多くの人が常に訪れる観光地だ。にも関わらず、一万人の人口が半減して回復しない現実がある。日常的に真剣な議論が積み重ねられているのだ。学生の青臭い提案はまさに児戯に思えたに違いない。

 美山へ行く何日か前、本欄担当の鈴木さんから「大工さんになりたいが一番ということ、職人さんたちはどう思ってるんですか」というファックスを頂いた。ピントこないまま、「天うらら(NHK番組)の影響じゃないか」などと返事した。意識調査にテレビの影響は大きいと直感したのである。主人公は結局二級建築士になってしまったと後で気がついた。

 建築界の就職戦線は厳しい。身近に見ている京都大学の学生も例外ではない。特に女子学生、高学歴(大学院卒)が嫌われている。一時期のデスクワークじゃなきゃいけない、という雰囲気はない。現場でもどこでも、と切羽詰まっている。大工願望が本当であるとすれば、とにかく手に職を!ということであろう。

 僕の研究室はいささか変わっていて、大文(田中文男)さんのところで大工(親方)修行に入った竹村君がいるし、京都の朝原さんのところで左官修業に入った森田君がいる。彼らには先見の明があるのかもしれない。

 しかし、現実は厳しい。大工さん、職人さんの世界が深刻な後継者不足に悩みながら、必ずしも、新たなライバルの新規参入を歓迎しているわけではないのである。木造建築の需要が増えない限り、大工職人が豊かに生きていく条件は生まれない。美山での議論の底にそうしたクールな見方があった。




『室内』おしまいの頁で199801199912

01百年後の京都,おしまいの頁で,室内,199801

02室内と屋外,おしまいの頁で,室内,199802

03英語帝国主義,おしまいの頁で,室内,199803

04 アンコ-ルワット,おしまいの頁で,室内,199804

05 ヤン・ファン・リ-ベック,おしまいの頁で,室内,199805

06 秦家,おしまいの頁で,室内,199806

07 木匠塾,おしまいの頁で,室内,199807

08建築家と保険,おしまいの頁で,室内,199808

09桟留,おしまいの頁で,室内,199809

10 インド・サラセン様式,おしまいの頁で,室内,199810

11 ヴィガン,おしまいの頁で,室内,199811

12カピス貝の街,おしまいの頁で,室内,199812

13ダム成金の家,おしまいの頁で,室内,199901

14 J.シラスのこと,おしまいの頁で,室内,199902

15 ジベタリアン,おしまいの頁で,室内,199903

16 西成まちづくり大学,おしまいの頁で,室内,199904

17 スラバヤ・ヤマトホテル,おしまいの頁で,室内,199905

18京都デザインリ-グ構想,おしまいの頁で,室内,199906

19 ジャングル, おしまいの頁で,室内,19990

20 大工願望,おしまいの頁で,室内,199908

21日光,おしまいの頁で,室内,199909

22ヴァ-ラ-ナシ-,おしまいの頁で,室内,199910

23北京の変貌,おしまいの頁で,室内,199911

24群居,おしまいの頁で,室内,199912

 

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