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2022年1月30日日曜日

英語帝国主義,おしまいの頁で,室内,199803

  03英語帝国主義,おしまいの頁で,室内,199803

英語帝国主義

布野修司

 

 

 生まれて初めて英語で講義を行った。正直言って、英語はしゃべれない。そういう教師が、英語で、日本人を含めた学生を相手に、日本の大学で講義しないといけない。国際化とはいえ、大変な時代になったものだ。

 度々海外に出かけるといっても、僕の行くのはアジア諸国だ。宗主国の母国語が英語とは限らない。第二外国語どうしなら多少気は楽だ。一応、中学から英語を学習してきたのだから、片言ぐらいは喋れる。用は足りてきた。もちろん、冷や汗をかいた経験は数知れない。いきなり学部長会議のような場に出たこともある。単語を並べて誤魔化す。英語は度胸だ。国際会議に出る機会もあった。原稿を用意していって棒読みすれば三〇分ぐらい凌げる。講義を頼まれる。スライドがあれば、一時間ぐらい、なんとかなる。

 しかし、僕の場合、東南アジア英語である。ちゃんとしたトレーニングは受けていないから相当怪しい。だから、アジアといってもシンガポールのように、流暢な英語が飛び交う国は苦手だ。君の英語はテキサス訛だね、などという会話になると駄目。英語は自分よりうまいのが隣にいるとしゃべれなくなるのである。

 それでも英語で講義である。今年から始まった国際教育プログラムのひとつである。テーマは「二一世紀の都市」。十数回のうち二回を受け持った。一回は、発展途上国の都市問題、もう一回は京都の未来をテーマにした。立ち往生ということはなかったけれど、もちろん、冷や汗が出た。それでも、言いたいことを伝える経験にはなった。

 それにしても、国際化というと、何故英語なのか。負け惜しみのように思う。大英帝国がそれだけ偉大であったということである。米国が世界をリードしているということだ。ヨーロッパ諸国の統合によって、ますます英語帝国主義は強まるという。世界には、中国語やヒンディー語、スペイン語もあるのに、と思うけど、如何ともしがたい。日本では英語がまだしも親しいのだ。大学などにいると英語で冷や汗というのは逃れられないけれど、一般にはどうか。気がついてみれば、近頃の日本の流行り歌はほとんど英語ではないか。

 


『室内』おしまいの頁で199801199912

01百年後の京都,おしまいの頁で,室内,199801

02室内と屋外,おしまいの頁で,室内,199802

03英語帝国主義,おしまいの頁で,室内,199803

04 アンコ-ルワット,おしまいの頁で,室内,199804

05 ヤン・ファン・リ-ベック,おしまいの頁で,室内,199805

06 秦家,おしまいの頁で,室内,199806

07 木匠塾,おしまいの頁で,室内,199807

08建築家と保険,おしまいの頁で,室内,199808

09桟留,おしまいの頁で,室内,199809

10 インド・サラセン様式,おしまいの頁で,室内,199810

11 ヴィガン,おしまいの頁で,室内,199811

12カピス貝の街,おしまいの頁で,室内,199812

13ダム成金の家,おしまいの頁で,室内,199901

14 J.シラスのこと,おしまいの頁で,室内,199902

15 ジベタリアン,おしまいの頁で,室内,199903

16西成まちづくり大学,おしまいの頁で,室内,199904

17 スラバヤ・ヤマトホテル,おしまいの頁で,室内,199905

18京都デザインリ-グ構想,おしまいの頁で,室内,199906

19 ジャングル, おしまいの頁で,室内,19990

20 大工願望,おしまいの頁で,室内,199908

21日光,おしまいの頁で,室内,199909

22ヴァ-ラ-ナシ-,おしまいの頁で,室内,199910

23北京の変貌,おしまいの頁で,室内,199911

24群居,おしまいの頁で,室内,199912 

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