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2022年1月17日月曜日

ヴァ-ラ-ナシ-,おしまいの頁で,室内,199910

 22 ヴァ-ラ-ナシ-,おしまいの頁で,室内,199910

ヴァーラナシ

布野修司

 

 今夏は、インド、イランをめぐった。ムンバイ、カルカッタの喧噪がまだ耳に残る。強烈だったのは炎のバンダール・アッバースだ。世界史の帰趨を度々握ったホルムズ海峡に昔日のポルトガル要塞を実測しにいったのだが、熱いのなんの摂氏四〇度である。そして、最後がヴァーラナシ(ベナレス)の迷路であった。

 近郊には、釈迦が最初に説教をしたという「初転法輪」の地、サールナート(鹿野苑)がある。仏教伽藍の初期の様子がわかる。しかし、遺跡は遺跡である。法輪寺他、タイ寺院、中国寺院、チベット寺院などが立地して、修行僧の姿は見られたが、一三世紀にはインドから消えた仏教の影は薄い。収穫はアショカ柱の獅子の柱頭を眼の当たりにしたことか。

 もちろん、主目的は街だ。いくつかヒンドゥー都市を歩いてきたが、いよいよその聖地にねらいをつけたのである。

 ヴァーラナシは五重の巡礼路で取り囲まれている。しかし、その秩序は地図を見る限り明快ではない。イスラーム支配が長かったせいだろう、実に入り組んでいる。中心寺院ヴィシュヴァナートの背中合わせにアウラングゼーブ(ムガール帝国第六代皇帝)のモスクがある。イスラーム教徒とヒンドゥー教徒の鬩(せめ)ぎ合いはここでもすさまじい。

 街は魅力的だ。しかし、汚い。そこら中に牛糞が落ちている。牛がいなければヴェニスだ、と思う。でも、ヴァーラナシはヴァーラナシだ。

 この汚い、という感覚が曲者である。死生観、不浄観が全く異なっている。ガート(火葬場、沐浴場)には死体が置かれている。蠅がたかっているものもある。毎日いくつかの死体が生木で焼かれ、煙がたつ。灰はガンガに流され墓はつくられない。人々はガンガの水で口を濯ぎ身を清める。牛の糞は乾かして燃料にする。

 そうした聖なる秩序を破っているのが迷路を引き裂く車道である。そして、何万とある寺院、聖祠を埋め尽くしてしまった高層住居である。

 半日手漕ぎボートでガンガに遊んだ。滔々たるガンガの流れに悠久の時間を感じたけれど、ガンガからの街の眺めは聖地の名に値しない、と秘かに思った。




『室内』おしまいの頁で199801199912

01百年後の京都,おしまいの頁で,室内,199801

02室内と屋外,おしまいの頁で,室内,199802

03英語帝国主義,おしまいの頁で,室内,199803

04 アンコ-ルワット,おしまいの頁で,室内,199804

05 ヤン・ファン・リ-ベック,おしまいの頁で,室内,199805

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09桟留,おしまいの頁で,室内,199809

10 インド・サラセン様式,おしまいの頁で,室内,199810

11 ヴィガン,おしまいの頁で,室内,199811

12カピス貝の街,おしまいの頁で,室内,199812

13ダム成金の家,おしまいの頁で,室内,199901

14 J.シラスのこと,おしまいの頁で,室内,199902

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22ヴァ-ラ-ナシ-,おしまいの頁で,室内,199910

23北京の変貌,おしまいの頁で,室内,199911

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