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2022年1月15日土曜日

群居,おしまいの頁で,室内,199912

 群居,おしまいの頁で,室内,199912


群居

布野修司


 群居

布野修司


 一九八二年、ハウジング計画ユニオン(HPU)という小さな集まりが呱々の声をあげた。当初のメンバーは、石山修武、大野勝彦、渡辺豊和、そして布野修司の四人。その前々年あたりから会合を重ね活動を開始していたのだが、一九八二年の暮れも押し詰まった一二月に至って、『群居』という同人誌の創刊準備号を出すに至った。編集には当初から野辺公一があたり、準備号は当時はまだ珍しいワープロによる手作りの雑誌であった。活字は一六ドットで、ガリ版刷りの趣であった。これからに小さなメディアを予見すると、流行の雑誌の取材を受けたりした。隔世の感がある。

 その『群居』の創刊のことばは次のように言う。「家、すまい、住、住むことと建てること、住宅=町づくりをめぐる多様なテーマを中心に、身体、建築、都市、国家をめぐる広範な問題を様々な角度から明らかにする新たなメディア「群居」を創刊します。既存のメディアではどうしても掬いとれない問題に出来る限り光を当てること、可能な限りインター・ジャンルの問題提起をめざすこと、様々なハウジング・ネットワークのメディアたるべきこと、グローバルな、特にアジアの各地域との経験交流を積極的に取り挙げること、等々、目標は大きいのですが、今後の展開を期待して頂ければと思います。」「住宅=町づくり」というのがキーワードであろうか。

 書店に置いてもらったこともあるけれど、諸般の事情で会員制の形におちついた。季刊をうたうけれど年に四号を出すのはきつい。それでも、不定期に号を重ね、四八号をこの九月に出した。来年、二〇〇〇年には五〇号に達する。いささか感慨深い。

 しかし、いつまで出し続けるんだろう、とふと思う。「老いさらばえるまで」と石山は言う。しかし、会員もあり、経費もかかることだからそう簡単ではない。切りがいいから、止めようという意見もある。今後どうするか徹底議論しようと、四九号の企画を兼ねて箱根の山に一晩集まった。湯につかって、久々議論が弾んだ。存続をめぐって激論にもなった。結論は出た、ように思う。後は例によって宿酔いの世界であった。



『室内』おしまいの頁で199801199912

01百年後の京都,おしまいの頁で,室内,199801

02室内と屋外,おしまいの頁で,室内,199802

03英語帝国主義,おしまいの頁で,室内,199803

04 アンコ-ルワット,おしまいの頁で,室内,199804

05 ヤン・ファン・リ-ベック,おしまいの頁で,室内,199805

06 秦家,おしまいの頁で,室内,199806

07 木匠塾,おしまいの頁で,室内,199807

08建築家と保険,おしまいの頁で,室内,199808

09桟留,おしまいの頁で,室内,199809

10 インド・サラセン様式,おしまいの頁で,室内,199810

11 ヴィガン,おしまいの頁で,室内,199811

12カピス貝の街,おしまいの頁で,室内,199812

13ダム成金の家,おしまいの頁で,室内,199901

14 J.シラスのこと,おしまいの頁で,室内,199902

15 ジベタリアン,おしまいの頁で,室内,199903

16西成まちづくり大学,おしまいの頁で,室内,199904

17 スラバヤ・ヤマトホテル,おしまいの頁で,室内,199905

18京都デザインリ-グ構想,おしまいの頁で,室内,199906

19 ジャングル, おしまいの頁で,室内,19990

20 大工願望,おしまいの頁で,室内,199908

21日光,おしまいの頁で,室内,199909

22ヴァ-ラ-ナシ-,おしまいの頁で,室内,199910

23北京の変貌,おしまいの頁で,室内,199911

24群居,おしまいの頁で,室内,199912

 

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