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2022年12月7日水曜日

割箸とコンクリ-ト型枠用合板,雑木林の世界29,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199201

 割箸とコンクリ-ト型枠用合板,雑木林の世界29,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199201 

雑木林の世界29

割箸とコンクリート型枠用合板

                        布野修司

 

 ロス・ラムジィグリア(ミシガン州ブリッスフィールド)、ジェフ・アーヴィン(ワシントン州ベリンガム)のふたりのアメリカの大工さんに会った。SSFの国際シンポジウムの打ち合せのためである。ロスさんにアメリカの様子を話してもらうことになっているのである。ジェフ・アービンさんは日本は初めてであったけれど、ロスさんは大阪で育った。日本語は敬語を使い分けるほどうまい。日本人の奥様に水戸納豆を買って帰るほどの日本通である。

 ふたりとも今回は日本で仕事をするためにやってきた。ティンバー・フレームの木造住宅の需要は日本で増えつつあるらしい。ふたりは、頻繁に日本に来ることになりそうである。

 アメリカの木造住宅と言えば、すぐ思い浮かぶのは、2×4やログハウスだけれど、テインバー・フレームの伝統もある。バーン(納屋)の伝統がそうだという。ヨーロッパ各地から様々に持ち込まれた伝統である。オランダの影響の強いところ、イギリスの影響の強いところ、色々ある。実は、そうした伝統の復活の動きが現れてきたのはここ二〇年ほどのことだという。そして一九八五年、ティンバー・フレーマーズ・ギルドという団体が組織された。今、会員は七百人ぐらいだという。ジェフ・アーヴィンさんはその前会長である。

 米松(ダグラスファー)の太い部材を用いた素朴なデザインは本物志向の日本人をひきつけつつある。ログハウスとは別にブームを呼びつつあるのである。アメリカから大工さんがやってくる。2×4とは違った展開になる可能性がある。ふたりの話を聞くと職人さんの国際交流は現場で始まっているのである。輸入住宅も増えつつある。木造住宅も国際化の時代を本格的に迎えつつあるのだ。

 一方、それに対して南の方は頭がいたい。熱帯林、南洋材の問題である。建設業界では、アジア諸国からの外国人労働者の問題が大きな問題になりつつあるのだが、熱帯材、南洋材の問題も難しい。そろそろ明確な方向を見いだす時期にきたようである。

 木材資源をめぐっては、この間、ひとしきり割箸論議が起こった。僕自身、何度か発言する機会があったのだが、「木造文化の危機」と題したエッセイ(産経新聞 『周縁から』 一九八九年八月二一日)は、『ワリバシ讃歌』(湯川順浩著 都市文化社 一九九〇年)に引用されている。

 「日本の割箸文化が東南アジアの熱帯降雨林を破壊しているのだと、自分の箸をいつも携帯しているひとがいるという。割箸の使い捨ては資源の無駄だ。割箸をやめれば、木材の輸入を減らし、熱帯地域の森林資源を護ることができるというのである。いささか乱暴な議論だ。・・・」というのが書き出しで、「木造住宅を支える全体的なシステムをどう考えるかが問題なのである。」と結んだ。割箸論議はことの本質を覆い隠すのが問題だというのが主旨である。山本夏彦先生によれば、割箸は一〇年に一度繰り返し問題になるのだという。

 「木造住宅を支えるシステムが問題だ」というのは、しかし、熱帯材に関する限り、正確ではない。問題なのは、木造住宅より鉄筋コンクリート造の建物だ。この辺が難しい。

 つい先頃も「市民と商社マン 森林開発で熱論」といった記事が新聞に出たのであるが、開発と自然保護の問題は、もう少し実態に即した議論が必要である。熱帯林の問題については、『熱帯林破壊と日本の木材貿易』(黒田洋一+フランソワ・ネクトゥー共著 築地書館 一九八九年)が問題の広がりをまとめているところだ。

 世界の熱帯木材貿易において日本は大きな位置を占める。というより、その貿易量の四分の一を占める世界最大の輸入国が日本である。一九八九年の輸入総量一七四五万㎡の内訳は、原木が五六.二%、合板が二七.七%、製材が一六.〇%である。原木の八四%は合板用だから、七〇%が合板に用いられる。とすると、何が問題かは予めはっきりしているのである。

 合板のうち約半分が建築土木用である。そして、ある試算によれば(「サラワクの熱帯林があるうちに」 熱帯林行動ネットワーク(JATAN) 一九九一年五月)、コンクリート型枠として使われる合板は、全体の二五%から三〇%になる。熱帯林といえば、合板、そしてコンクリート型枠をまずイメージすべきなのであって、決して割箸ではない。建設土木用以外ではパルプ・チップである。ファックスやコピー機、OA機器の普及で、紙の消費量はものすごいものがある。DM(ダイレクトメール)の量を考えても、紙の莫大な消費は毎日の生活で実感するところである。割箸を言うなら紙をそれ以上に問題にすべきなのである。

 ところでどうすればいいのか。遅ればせながら様々な試みがなされつつある。単純には南洋材を使わないことである。もちろん、問題はそう単純ではないのであるが、復原に百年もかかるような伐採が許されないことは言うまでもないだろう。また、輸入先がサラワク、サバ、パプア・ニューギニアといった特定の地域に限定されていることも大きな問題である。

 コンクリート型枠を除けば、代替は比較的用意だという。南洋材が使用されるのはその性能より価格が安いからという理由だからである。コンクリート型枠の場合、安いことに加えて、軽量で施工性がいい、強度、剛性がある、表面が円滑でコンクリートへの影響がない、などといった特性から多用されてきたのであって、そう簡単ではない。

 第一に考えられていることは、コンクリートの現場一体式打ち込みをやめることである。デッキプレート型枠、プレキャスト型枠など打ち込み型枠などの普及も考えられるところだ。しかし、現場一体式打ち込みがなくせるとは思えない。とすると、転用回数を増やすことがひとつのテーマとなる。塗装合板などが開発されつつあるところだ。

 さらに南洋材を針葉樹に代替して行くことが考えられている。既に、いくつかの大手建設会社では、芯材に針葉樹材を用いた複合合板に切り替えることを決定しつつある。さらに、それこそ間伐材の利用も考えられるところだ。欧米では、熱帯材消費削減の様々な措置がとられているというのであるが、日本ではいささか反応が鈍い。いつものことながら、外圧があってからというのが日本のパターンである。

 熱帯材を使わなければいい、というのも短絡である。しかし、熱帯材について考え、きちんとした対応をすることができなければ、日本の木造文化の再生なぞ予め望むべくもないことである。

 

   


2022年9月13日火曜日

2022年6月23日木曜日

『群居』からビルドデザインを考える、布野修司・秋吉浩気、聞き手 門脇耕三、建築雑誌、2018年06月号

 『群居』からビルドデザインを考える、布野修司・秋吉浩気、聞き手 門脇耕三、建築雑誌、201806月号

 

『群居』からビルドデザインを考える

 

 

対談

布野修司

秋吉浩気

 

司会

門脇耕三

 

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設計と施工の分業体制は自明なものではなく、特に住宅分野では繰り返し異議が申し立てられてきた。現代ではデジタル技術の発達を背景に両者の柔らかな結合が模索されており、1980年代には工業化された建築生産システムの成熟を背景に、設計と施工の区分を超えた職能のあり方が議論されていた。後者の主舞台ひとつが同人雑誌『群居』であるが、当時と現在の問題意識の交点を探るため、『群居』編集長を務めた布野修司氏を招いて討議を行った。

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『群居』の時代の建築生産

 

門脇:『群居』とはどんな雑誌だったのでしょうか。

 

布野:戦後まもなく建築家の眼前には圧倒的な住宅不足がありました。建築家は、最小限住宅やプレハブ住宅の構法など様々な提案を行います。一方、住宅公団による団地の大量供給が始まります。また、プレハブメーカーが登場します。60年代には建築家は都市に向かいます。住宅に対する戦後の取り組みが途絶えてしまったという認識があって、改めて日本の住宅をどうするのかという問題意識で集まったのが『群居』のメンバーたちでした。創刊号が「商品としての住居」。2号が「セルフビルドの世界」。3号が「職人考——住宅生産社会の変貌」。4号が「住宅と建築家」。4号で1サイクルになるような編集を考えていました。【写真:『群居』の書影】

一方に篠原一男さんの「住宅は芸術である」や池辺陽さんの「No.住宅」のように一戸一戸設計していけばいいという建築家もいたわけですが、『群居』(ハウジング計画ユニオンHPU)で常に議論していたことは、日本の住宅生産システムをどう考えるかでした。そこには、大きく分けると、大野勝彦(内田祥哉スクール)のように全体をオープン・システムとして捉える考え方と、石山修武のように工業化された部品をゲリラ的に利用しようという考え方の対立がありました。大野さんもまもなく「地域住宅工房」のネットワークを考えるようになるんですけどね。

 

門脇:最初の4号には、設計と施工が明確に分離された近代的な枠組みに対する疑義が通底していますね。

 

布野:「アーキテクトビルダー」という新しい職能像についてかなり議論したんですが、その発端にあったのは、住宅規模の建築では、設計施工分離の設計料のみでは仕事にならない、要するに儲からないという現実です。歴史を振り返れば、マスタービルダーは設計だけではなく施工も統括していたわけです。

 

門脇:住まいの設計は机上だけではできないという思いもあったのではないでしょうか。

 

布野:ぼくらが木匠塾をはじめたのは、住宅スケールであれば身体で実感した方が早いという思いがありました。造って揺すってみれば構造が分かる。学生を連れて山の中に入って、木造でバス停や茶室、農機具小屋や神社の拝殿や橋など様々なものを設計し、実際につくってみるということを毎年やりました。

 

デジタルファブリケーションの時代の建築生産

 

門脇:秋吉さんはデジタルファブリケーションを使いながら設計と施工をつなげて、さらにユーザー自身が建築家たりうるような世界をつくろうとしています。

 

秋吉:今ではショップボットという木材加工機が400万円程度で購入できます。素材生産者にこうしたハイテク機材を導入し、彼らをビルダーに変えていく事をやっています。目的としては、工場生産の家を運ぶプレファブリケーションを超えて、家のデータだけを送って現地生産するオンサイトファブリケーションを実現することです。ここでいう現地とは、資材調達から加工・アセンブルが完結する半径5km圏内のネットワークのことです。

【写真:ネットワーク図】

現在までに22地域に機械を導入してきましたが、これらを更にネットワーキングすることを考えています。これは、インターネットのような自律分散協調型のオープンな建築生産の体系を構築する試みでもあります。とはいえ、受信できる基盤がないと回線は通らないので、全国にルーターを拡散するために20182月に1億円の資金調達を実施しました。実際の導入地域では、本当につくりたい住環境や公共空間の質について、規格品ベースではなくゼロベースで、共に考え実施することを行っています。

 

布野:僕の場合、構法システムを考えて、セルフビルドを組み込むか、あるいは形態のバリエーションを組み込んだ構法システムを考えるか、あるいは部品を生産しその組み合わせに向かうのかといった事を考えていましたが、デジタル技術で標準化をしない場合どういう展開があるか、全体の設計システムはどうなるのか聞きたい。

 

秋吉:ひとつずつオリジナルな設計施工データをつくるのは時間もコストもかかるので、規矩術のようなシステムを構築できないかと考えています。この木材とこの納まりならこの寸法といったような大工の経験を数値化し、簡単な入力から加工コードまでをリアルタイムに出力できるツールを開発しています。こういった仕組みを地方に分配し、ローカルな建築家がそれを翻訳していくという「ツール+翻訳者」というモデルを考えています。

 

布野:それはすごく大事なことで、地方のアトリエこそがそういう武器を使うべきだと思う。UAoの伊藤麻理さんは大きなコンペを獲っていますが、CADでディテールまで自分で設計するといいます。それがBIMになればいいんでしょう。若い建築家は、新しい道具を駆使した方が良い。その伝道師が必要なんだと思います。

 

ヴァナキュラーかシステムか

 

門脇:生産がローカルに閉じているとそれが制約になり、その地域独特のヴァナキュラーな建築が生まれやすい。一方で近世に普及した規矩術はシステマティックな体系で、むしろ大工技術の均質化・画一化をもたらしました。両者はかなり違った方向性をもっていますが、秋吉さんはヴァナキュラーとシステムのどちらを目指しているのでしょうか。

 

秋吉:ヴァナキュラーなシステムが無数に生成されるプラットフォームを目指しています。CLTのような中央集約的な規格材から非規格な部材を生成する手法や、根曲がり材のような非規格材から建築を生成する手法を構築しています。

 

布野: 僕は、スケルトンとインフィル、さらにクラディング(外装)を分けるオーソドックスなフレームで考えてきました。インフィルは使い手側の勝手に任せる。ただし、躯体システムは建築家が提案する必要がある。問題はそのシステムです。躯体システムをサステナブルに考えること。更新する場合も、それがサステナブルである必要がある。

 

秋吉:今大阪で進めているプロジェクトがまさにスケルトンインフィル的です。大阪には裸貸という文化があり、建具や畳ごと引っ越していた。クライアントからは、5年単位で裸貸しできる躯体を考えて欲しいと頼まれました。すべて90mmCLTパネルで構成されており、1mピッチの板柱の間に910mmの規格品を埋め込めるだろうと考えています。たとえば、家族四人で住み始めたときには2階をリビングに1階を居室として利用し、子ども成長して家を出たら下を店舗として貸し、上に寝室を移動するようなことを提案しています。さらに二戸一のスケルトンが群を成しマイクログリッド化することで、電気効率を向上させています。【図:アクソメ】

 

布野:まさにそういうことです。住まい方の型が重要です。その型にたいして用意された材料が循環系になっているかどうか。この規模のモデルからしか流通していかないはずなので、それはぜひ実現させてください。システムを、物語をつくって使いながら見せていくことは大事です。

 

現代の「群居」はいかに可能か

 

門脇:市井の人びとの思いから出発して、それが街並(すなわち「群居」)になるような住環境はこれから本当に構想可能でしょうか。

 

布野:おそらく構法やデジタルファブリケーションのような技術と同時に、住み方自体を考え直すことが必要でしょう。少子高齢化の時代に老人が一人で4人家族の家に住んでいたら熱効率的にも問題だから、シェアハウスやコレクティブハウスがモデルなるべきなのですが、日本の住宅産業はこれまでずっと戸建モデルとマンションモデルで来てしまいました。だからぜひ新しいモデルを開発してほしいですね。

 

門脇:街並の根拠となるようなベースビルディングをしっかりデザインしていかないといけないということですね。

 

秋吉:住まい方に関する感性を取り戻していく事を目的として、生活家具をゼロベースで発想し作るワークショップを実施しています。自分の事を突き詰めていくと、自分の家族や地域といった全体の事を考えていかざるを得なくなります。裏を返すと、街並みに対する能動性を生むためには、生活に関する主体性を取り戻さねばならない。この草の根的な活動の先に、ベースビルディングそのものを町場が定義していく未来がある。私人による小さなビルドの積み重ねから、群居はデザインされていく。そう信じています。






2022年5月13日金曜日

設計入札,現代のことば,京都新聞,19960910

  設計入札,現代のことば,京都新聞,19960910


設計入札            009

布野修司

 

  「東京都の水道局が、指名競争入札にした職員住宅の基本設計委託を、ある設計事務所が1円で落札しました。設計料のダンピングと設計報酬の自由についてご意見をお願いします」と、建築専門誌から求められた。

 絶句である。

 1円入札が、アイロニーとして行われたとしたら、あるいは建築界の談合体質へのプロテストとして試みられたとしたら、かろうじて意味があるのかも知れない。しかし、昔からこの手の話は耐えないのだからしゃれにもならない。恥ずかしい限りである。

 しかし、それにしても設計入札はどうしてなくならないのであろうか。公共施設の内容は、設計料の多寡によって決められるべきではない。入札が設計という業務に馴染まないことは明かではないか。にもかかわらず、それが無くならない建築設計業界の体質は絶望的と言わざるを得ないのかもしれない。京都の実態は果たしてどうなのであろう。

 どのように設計者を決めればいいのか。ある特定の公共施設に最も相応しい建築家が特命で随意契約によって選ばれる場合もあろうが、一般的にはコンペ(設計競技)によるのがいい。京都でもこれまでいくつか行われてきている。

 コンペといっても色々あるけれど、最近試みて面白いと思っているのが、公開ヒヤリング方式の指名コンペである。何も難しいことはない。従来審査委員会のみで行われているヒヤリングを公開で行おう、というだけである。一種のシンポジウムと考えればいい。半日の時間で、しかるべき場所さえあればいいのである。

 指名を受けた設計者たちは自らの提案を審査員のみならず市民に対してもわかりやすく説明しなければならない。仲間内でのみ通用する難解な建築的コンセプトを振り回してもはじまらない。競争者も同席しており、専門的な裏づけについてもしっかり答えなければならない。テーマの定まらないまちづくりシンポジウムなどより、はるかに真剣でスリリングである。

 血税を使って公共施設をつくるのであるから、その内容は市民に公開されるべきである。また、どのような施設が相応しいか議論されるべきである。公開ヒヤリングの場は既にまちづくりの第一段階ともなりうる。

 今のところ、島根県のいくつかの自治体で試みられ、島根方式と呼ばれ始めているのであるが、少しの努力でどんな自治体でもすぐにできることである。公共施設であるからには、それなりの時間と智恵を使って、少しでもいいものができるように努力がなされるべきである。建設費をもとに施工者を決めるのとは違う。まずは、どのような施設をつくるかが問題である。設計料が安いからというだけで設計者を決めるのはあまりにも乱暴である。設計入札など論外である。そして、設計入札に応じる建築家など論外である。