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2022年6月23日木曜日

『群居』からビルドデザインを考える、布野修司・秋吉浩気、聞き手 門脇耕三、建築雑誌、2018年06月号

 『群居』からビルドデザインを考える、布野修司・秋吉浩気、聞き手 門脇耕三、建築雑誌、201806月号

 

『群居』からビルドデザインを考える

 

 

対談

布野修司

秋吉浩気

 

司会

門脇耕三

 

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設計と施工の分業体制は自明なものではなく、特に住宅分野では繰り返し異議が申し立てられてきた。現代ではデジタル技術の発達を背景に両者の柔らかな結合が模索されており、1980年代には工業化された建築生産システムの成熟を背景に、設計と施工の区分を超えた職能のあり方が議論されていた。後者の主舞台ひとつが同人雑誌『群居』であるが、当時と現在の問題意識の交点を探るため、『群居』編集長を務めた布野修司氏を招いて討議を行った。

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『群居』の時代の建築生産

 

門脇:『群居』とはどんな雑誌だったのでしょうか。

 

布野:戦後まもなく建築家の眼前には圧倒的な住宅不足がありました。建築家は、最小限住宅やプレハブ住宅の構法など様々な提案を行います。一方、住宅公団による団地の大量供給が始まります。また、プレハブメーカーが登場します。60年代には建築家は都市に向かいます。住宅に対する戦後の取り組みが途絶えてしまったという認識があって、改めて日本の住宅をどうするのかという問題意識で集まったのが『群居』のメンバーたちでした。創刊号が「商品としての住居」。2号が「セルフビルドの世界」。3号が「職人考——住宅生産社会の変貌」。4号が「住宅と建築家」。4号で1サイクルになるような編集を考えていました。【写真:『群居』の書影】

一方に篠原一男さんの「住宅は芸術である」や池辺陽さんの「No.住宅」のように一戸一戸設計していけばいいという建築家もいたわけですが、『群居』(ハウジング計画ユニオンHPU)で常に議論していたことは、日本の住宅生産システムをどう考えるかでした。そこには、大きく分けると、大野勝彦(内田祥哉スクール)のように全体をオープン・システムとして捉える考え方と、石山修武のように工業化された部品をゲリラ的に利用しようという考え方の対立がありました。大野さんもまもなく「地域住宅工房」のネットワークを考えるようになるんですけどね。

 

門脇:最初の4号には、設計と施工が明確に分離された近代的な枠組みに対する疑義が通底していますね。

 

布野:「アーキテクトビルダー」という新しい職能像についてかなり議論したんですが、その発端にあったのは、住宅規模の建築では、設計施工分離の設計料のみでは仕事にならない、要するに儲からないという現実です。歴史を振り返れば、マスタービルダーは設計だけではなく施工も統括していたわけです。

 

門脇:住まいの設計は机上だけではできないという思いもあったのではないでしょうか。

 

布野:ぼくらが木匠塾をはじめたのは、住宅スケールであれば身体で実感した方が早いという思いがありました。造って揺すってみれば構造が分かる。学生を連れて山の中に入って、木造でバス停や茶室、農機具小屋や神社の拝殿や橋など様々なものを設計し、実際につくってみるということを毎年やりました。

 

デジタルファブリケーションの時代の建築生産

 

門脇:秋吉さんはデジタルファブリケーションを使いながら設計と施工をつなげて、さらにユーザー自身が建築家たりうるような世界をつくろうとしています。

 

秋吉:今ではショップボットという木材加工機が400万円程度で購入できます。素材生産者にこうしたハイテク機材を導入し、彼らをビルダーに変えていく事をやっています。目的としては、工場生産の家を運ぶプレファブリケーションを超えて、家のデータだけを送って現地生産するオンサイトファブリケーションを実現することです。ここでいう現地とは、資材調達から加工・アセンブルが完結する半径5km圏内のネットワークのことです。

【写真:ネットワーク図】

現在までに22地域に機械を導入してきましたが、これらを更にネットワーキングすることを考えています。これは、インターネットのような自律分散協調型のオープンな建築生産の体系を構築する試みでもあります。とはいえ、受信できる基盤がないと回線は通らないので、全国にルーターを拡散するために20182月に1億円の資金調達を実施しました。実際の導入地域では、本当につくりたい住環境や公共空間の質について、規格品ベースではなくゼロベースで、共に考え実施することを行っています。

 

布野:僕の場合、構法システムを考えて、セルフビルドを組み込むか、あるいは形態のバリエーションを組み込んだ構法システムを考えるか、あるいは部品を生産しその組み合わせに向かうのかといった事を考えていましたが、デジタル技術で標準化をしない場合どういう展開があるか、全体の設計システムはどうなるのか聞きたい。

 

秋吉:ひとつずつオリジナルな設計施工データをつくるのは時間もコストもかかるので、規矩術のようなシステムを構築できないかと考えています。この木材とこの納まりならこの寸法といったような大工の経験を数値化し、簡単な入力から加工コードまでをリアルタイムに出力できるツールを開発しています。こういった仕組みを地方に分配し、ローカルな建築家がそれを翻訳していくという「ツール+翻訳者」というモデルを考えています。

 

布野:それはすごく大事なことで、地方のアトリエこそがそういう武器を使うべきだと思う。UAoの伊藤麻理さんは大きなコンペを獲っていますが、CADでディテールまで自分で設計するといいます。それがBIMになればいいんでしょう。若い建築家は、新しい道具を駆使した方が良い。その伝道師が必要なんだと思います。

 

ヴァナキュラーかシステムか

 

門脇:生産がローカルに閉じているとそれが制約になり、その地域独特のヴァナキュラーな建築が生まれやすい。一方で近世に普及した規矩術はシステマティックな体系で、むしろ大工技術の均質化・画一化をもたらしました。両者はかなり違った方向性をもっていますが、秋吉さんはヴァナキュラーとシステムのどちらを目指しているのでしょうか。

 

秋吉:ヴァナキュラーなシステムが無数に生成されるプラットフォームを目指しています。CLTのような中央集約的な規格材から非規格な部材を生成する手法や、根曲がり材のような非規格材から建築を生成する手法を構築しています。

 

布野: 僕は、スケルトンとインフィル、さらにクラディング(外装)を分けるオーソドックスなフレームで考えてきました。インフィルは使い手側の勝手に任せる。ただし、躯体システムは建築家が提案する必要がある。問題はそのシステムです。躯体システムをサステナブルに考えること。更新する場合も、それがサステナブルである必要がある。

 

秋吉:今大阪で進めているプロジェクトがまさにスケルトンインフィル的です。大阪には裸貸という文化があり、建具や畳ごと引っ越していた。クライアントからは、5年単位で裸貸しできる躯体を考えて欲しいと頼まれました。すべて90mmCLTパネルで構成されており、1mピッチの板柱の間に910mmの規格品を埋め込めるだろうと考えています。たとえば、家族四人で住み始めたときには2階をリビングに1階を居室として利用し、子ども成長して家を出たら下を店舗として貸し、上に寝室を移動するようなことを提案しています。さらに二戸一のスケルトンが群を成しマイクログリッド化することで、電気効率を向上させています。【図:アクソメ】

 

布野:まさにそういうことです。住まい方の型が重要です。その型にたいして用意された材料が循環系になっているかどうか。この規模のモデルからしか流通していかないはずなので、それはぜひ実現させてください。システムを、物語をつくって使いながら見せていくことは大事です。

 

現代の「群居」はいかに可能か

 

門脇:市井の人びとの思いから出発して、それが街並(すなわち「群居」)になるような住環境はこれから本当に構想可能でしょうか。

 

布野:おそらく構法やデジタルファブリケーションのような技術と同時に、住み方自体を考え直すことが必要でしょう。少子高齢化の時代に老人が一人で4人家族の家に住んでいたら熱効率的にも問題だから、シェアハウスやコレクティブハウスがモデルなるべきなのですが、日本の住宅産業はこれまでずっと戸建モデルとマンションモデルで来てしまいました。だからぜひ新しいモデルを開発してほしいですね。

 

門脇:街並の根拠となるようなベースビルディングをしっかりデザインしていかないといけないということですね。

 

秋吉:住まい方に関する感性を取り戻していく事を目的として、生活家具をゼロベースで発想し作るワークショップを実施しています。自分の事を突き詰めていくと、自分の家族や地域といった全体の事を考えていかざるを得なくなります。裏を返すと、街並みに対する能動性を生むためには、生活に関する主体性を取り戻さねばならない。この草の根的な活動の先に、ベースビルディングそのものを町場が定義していく未来がある。私人による小さなビルドの積み重ねから、群居はデザインされていく。そう信じています。






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