ホームレス願望!?,21世紀を住む Vol. 19, ハウジングガイド・ネットワーク, 20030710
ハウジングガイド 21世紀を住む
ホームレス願望?
布野修司
一応「住宅建築」の専門家である。卒業したのが、日本の戦後住宅の雛型「2DK」住宅を設計した研究室で、なんとなく住宅を専門に考えることになった。これまで書いてきたのはほとんど住宅に関する本だ。しかし、「住まい」の専門家かというと、いささか恥ずかしい。家のことなど相棒にまかせっきりだからである。それにあんまり住宅に執着がない。
『住宅戦争』という本を10年以上も前に書いたけれど、「人生のために住宅があるのではなく、住宅のために人生がある。全く転倒してしまっている。どこかおかしい。」というのがテーマだ。その本にこっそり自分の住宅遍歴を書いたのだが、「藁葺き屋根の民家」で生まれ、「公営住宅」で育ち、大学入学後は「寮」、「賄い付き下宿」、「設備共用のアパート」、結婚して、「鉄筋賃貸アパート」、「民間マンショ」ン、「公団分譲住宅」と住み替えてきた。俗に「方荘号字(ほうそうごうじ)」といって、「○○様方」→「○○荘」→「○○号」→「字○○」というのが「住み替え双六」で、どこかに庭付きの一戸建てを建てれば、一応「あがり」の筈であった。ところが、京都に移って「宿舎」住まいということで「振り出し」に戻ってしまった。今は借家だけれど、共用庭を囲む「テラスハウス」に住んで、専用庭で人参やオクラをつくるまで戻った。しかし、この先どうするのかあんまり展望はない。
若い頃、発展途上国の住宅事情に触れたのが大きいのかもしれない。カンポンと呼ばれるインドネシアの住宅地に通いだしてもう四半世紀になる。貧しいけれど活気がある。コミュニティ組織がしっかりしていて、相互扶助の仕組みがちゃんとある。仕事も分け合う、今風に言うと、ワークシェアリングが行われている。感心したのは、コアハウスと呼ばれる水回りと一室だけの、しかもスケルトン(骨組み)だけの住宅をまず建てて、徐々に住宅を完成させていくやり方である。住宅を所有することのみに固執するのは間違いではと思った。柳田国男に「人間必ずしも住家を持たざること」(「山の人生」)という文章もある。
『カンポンの世界』では、カンポンの貧しいけれど豊かな世界について書いた。カンポンとはムラという意味で、カンポンガンというとイナカモン(田舎者)というニュアンスである。大都市のど真ん中の住宅地もカンポンという。このカンポン、なんとコンパウンド(囲い地)という英語の語源である。以来、世界中の様々な居住地を見て歩いている。
時々、理想の住宅とは何か、と考える。答えは「ホテル」である。全てのサーヴィスが完備していて、自由に暮らせる。世界中を泊まり歩けたらどんなに素晴らしいだろう。しかし、大金持ちならいざしらず、普通の人はそうはいかない。ホテルに住むためには、例えば、昼間は他人の家に行って、ベッド・メイキングしたり、掃除をしなくては生計が成り立たない。ホテル住まいは容易ではない。いっそ気ままに家を出て街をさまようのはどうか、などと思って、口を手で押さえる。
建築評論家。アジア各地で住宅、都市に関する調査活動を展開。一九四九年、島根県生まれ。東京大学工学部建築学科を卒業して、同助手、東洋大学助教授などを経て、現在京都大学大学院助教授。生活空間設計学専攻。主な論文・著作物に、『カンポンの世界』,パルコ出版,1991:『住まいの夢と夢の住まい・・・アジア住居論』,朝日新聞社,1997年:『裸の建築家・・・タウンアーキテクト論序説』,建築資料研究社,2000年:『布野修司建築論集Ⅰ~Ⅲ』,彰国社,1998年:『インドネシアにおける居住環境の変容とその整備手法に関する研究---ハウジング計画論に関する方法論的考察』(東京大学、学位請求論文),1987年
日本建築学会賞受賞(1991年)』など。
0 件のコメント:
コメントを投稿