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2022年6月19日日曜日

亀甲墓,at,デルファイ研究所,199401

 亀甲墓,at,デルファイ研究所,199401

亀甲墓                 アンペナン ロンボク島 インドネシア

                布野修司

 

 ロンボク島アンペナン、今は少し南に位置するルンブールにその役割を譲ったのであるが、西ロンボクの昔からの港町である。バリからの入植者たちやオランダが上陸したのもこのアンペナンである。その近郊にかなりの規模の中国人墓地があった。ロンボク島はヒンドゥー、イスラームが重層する珍しい島なのであるが、さらに古くから中国人が居住してきた事実をその墓地は物語っていた。

 東南アジアに限らず世界中どこでもそうなのであるが、どんな辺鄙な場所でもチャイニーズの店がある。僕の場合、何でも食べるから食事は苦にならないのであるが、普通の日本人だとタイ料理にしても、インドネシア料理にしてもーーパダン料理など各地の料理はあるけれどインドネシア料理と呼べるのは別にないのであるがーー合わない人が多い。激辛のエスニック料理が流行るなど通も増えつつあるけれど、やはり辛いのである。チリーが効きすぎていてすぐに下痢をしたりする。そうした時助かるのがチャイニーズ料理の店である。どんなところにもあるからほんとにびっくりする。チャイニーズ世界の広がりはすごいといつも思う。

 チャイニーズのそうした広がりと居住の歴史を示すのが各都市の中華街、チャイナタウンである。かって華僑と呼ばれたチャイニーズたちは、インドネシアの場合、中国人カンポンを形成してきたのである。例えば、バタヴィアの建設当初からチャイニーズは居住している。植民された多くの民族のなかで最大多数を占めている。一七四〇年には、商業活動に従事し、次第に増加してきたチャイニーズに脅威を感じたオランダ人はチャイニーズを市外に追放するという事態も起こっている。しかし、そうした都市だけではない。カンポンを形成しなくても各地に散らばって住む。それを示すのが各地に残されている亀甲墓である。こんな辺鄙な島にもと実に至るところで眼にするのである。

 中国人の場合、墓の建設は大きな意味を持っている。墓地の位置などを決定する基本となるのが風水思想である。東南アジア一体に風水思想が広がっているのはチャイニーズの移住と密接なつながりがあることはいうまでもない。

 中国の風水思想というと必ず引かれるデ・ホロートの『中国の風水思想』(註1)によれば、古来、中国人は、どんなところでも死者を収める自由をもってきたのだが、一方で準公共的な共同墓地の伝統をもってきた。その場所の選定に関わるのが風水である。そこの風水が最適であると見なされたためにびっしりと墓が並んでいるような土地は、概して人口の密集したところに近接している。そして、次第にその土地は一般の人も使用する自由な埋葬場所になっていく。最初は一族、一門の所有権ははっきりしているのであるが、次第にその所有権は曖昧になり、最後には「万人堆」と呼ばれるような自由共同墓地になるのである。アンペナン近郊の墓地はまさにそのような墓地であった。

 

 

註1 牧尾良海訳 第一書房 一九八六年、(大正大学出版部、一九七七年)。デ・ホロートはオランダの中国学者で大著『中国宗教制度』を著した。その一部「死者の処置」などを翻訳したものである。

 




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