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2022年12月2日金曜日

2022年11月27日日曜日

「木の文化研究センタ-」構想,雑木林の世界24,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199108

 「木の文化研究センタ-」構想,雑木林の世界24,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199108

雑木林の世界24 「木の文化研究センター」構想

                                  布野修司

 

 「地域職人学校」(雑木林の世界12 本誌 一九九〇年八月号)で紹介した地域における建設技能者養成のプログラムが徐々に動きだしている。来年四月にはとりあえず私塾としてスペシャリストの募集を始めることになった。仮称ではあるが「茨城ハウジングアカデミー」という。スタッフ、カリキュラム、施設などをめぐって組織固めが急ピッチで進められていく。

 飛騨高山木匠塾(仮称)の第一回「インターユニヴァーシティー・サマースクール」も近づいてきた。七月二三日から三〇日まで一週間の予定である。カリキュラムは、前半は学生向け、後半は実務者むけに組んだ。なにせ、初めてである。水道、ガス、トイレなど施設整備が大変だ。ハプニング続出の予感がある。乞うご期待である。

 SSF(サイト・スペシャルズ・フォーラム)は、創刊号を出した(六月一日付)。まだ、字が多い。どうも頭でっかちである。現場で回し読みされるのが夢である。SSFは、いま、一一月二七日の一周年記念事業をめぐって楽しい議論が続いている。「職人大学」の用地も検討がつきつつある。一周年記念事業のひとつとして「職人賛歌」のポスターを募集中である(一〇月末締切)。奮って応募して欲しい。問い合わせはSSF事務局(電話 〇四七二ー九六ー二七〇一)である。

 SSFでは現場をまわることが多くなった。取材で職人さんたちサイトスペシャリストの声を聞いて回っている。現場で学んだことはSSFニュースや『施工』誌上で紹介して行きたいと思うのであるが、まずは「大文」さんこと田中文雄棟梁(SSF運営委員長)を軸に一冊の本をまとめれればと思いはじめたところである。

 AF(建築フォーラム)も体制固めが進む。先々月号で予告した「深化する建築」シリーズのフォーラムの他、『建築思潮』の発行体制もできた。一一月には「出雲建築展」を開催する。自分でも信じられないぐらいの忙しさである。自分で自分を忙しくする。悪い癖である。

 

 忙しさに忙殺される中、もうひとつの構想の相談をもちかけられつつある。京都大学の西川幸治先生の「木の文化研究センター」構想である。当「日本住宅木材技術センター」あるいは「木造建築研究フォーラム」などと連携して考えたいとのこと。以下に紹介しよう。検討いただければと思う。その構想は「新・京都策」(中央公論 一九九一年五月号)の一環として提案されたものでもある。

 

 「木造建築の技術がおかれている現況を自覚し、積極的な対策を構じなければならない時に来ているようだ。

 木の文化の伝統は、大工技術にとどまらない。その体系的保存を心がけなければならない。

 木の文化の再生をめざし、その伝統技術の再評価と、継承・発展をはかるための木の文化研究センター構想を提言したい。

 この研究センターは研究部門・研修部門・伝統建材バンクの三部門からなる。研究部門では、比較住居論を通じて、風土に根ざした住居への確固とした基礎をつくり、アジア各地の技術者との交流をはかる。同時に、現代的観点から、閉鎖的になりがちな木造の伝統技術の体系化をはかり、現代の建築技術との交流、風土環境にふさわしい建築の創造をめざす。

 研修部門では、木の技術に関心をもつ人びとのために、その技術の研修をはかる。建築科の学生には、日本の伝統である木造建築をもって体験せしめ、各大学での学習と連繋させて新しい建築学の創造に寄与する。市民の研修は重大である。余暇時間の増大とともに木の文化、木の技術への関心はたかまっている。そこで「日曜大工から数寄屋大工まで」をモットーに、多様な木造技術の研修の場を用意する。また、現在活躍中の大工や建築家にも、再研修の機会を用意し、技術の深化をはかる。昨年の木造文化財保存国際研究集会に於ても、また現在日本の技術者が協力してすすめているモンゴルのラマ寺院、アマルバヤスガランの修復計画でも、日本の木造技術への関心、研修の希望がつよかった。アジアの木造建築技術者の研修と交流の場ともしたい。

 最後に、伝統建材バンクは、現在数多くの木造建造物が新しい建築に更新されている。建材は廃材として処理され、その処理法がむずかしい問題をひきおこしているが、かつて建材はくり返し再利用され、新しい建造物のなかに再生されてきた。このことは、伝統的建築の解体修理のさいの調査であきらかにされている。そこで、貴重な伝統建材(瓦・柱・梁・壁土・建具など)を登録し、保存して、適宜再活用をはかることにしたい。」(西川幸治 「木の文化を見直す」より)

 

 研究部門は、比較住居論、アジア木造技術者の交流、伝統的木造技術の体系化、伝統的技術と現代技術の交流などをその内容とする。研修部門は、建築学科学生、市民、大工・建築家など様々な層の研修をカヴァーする。飛騨高山木匠塾の構想とその研修部門の構想はオーヴァーラップしそうである。また、茨城ハウジングアカデミーで考えてきたことの応用もできそうである。

 「木の文化研究センター」は、石の文化と石造技術の研修をめざすローマ・センターにたいして、アジア地域の木の文化と木造技術の研修センターをめざすというグローバルな視点がある。ユネスコの関連施設する案、京都に拠点を置く案など、具体化へむけて模索が開始されたところである。

 

 SSFで「職人大学」構想を打ち上げた直後、すぐさま、二つの反応があった。ひとつは、陸前高田、気仙沼から、「職人大学」を誘致したいというもの、ひとつは出雲市から、「国際技能者研修センター」の構想があるというインフォーメーションである。いま、各地で様々な技能者養成のプログラムが進行中である。飛騨高山にしても、もともと「木の大学」構想があったし、秋田でも短大をつくろうという動きがあると聞く。

 各地で多様な試みがなされていいと思う。既成の枠組みのなかではそうそううまくいかないこともはっきりし始めている。また、他力本願でも駄目である。しかし、一方、ネットワークの要になるような拠点が必要とされつつあるのかもしれない。SSFの「職人大学」は、野丁場のスペシャリストの拠点を目指しているといっていい。一方、町場の拠点、「木造文化」の要もあってもいいかもしれない。「木の文化研究センター」構想は、そのスケールにおいて魅力的な構想である。

 





 


2022年11月18日金曜日

サイト・スペシャルズ・フォ-ラム,雑木林の世界18,住宅と木材,日本住宅木材技術センター,199102

サイト・スペシャルズ・フォ-ラム,雑木林の世界18,住宅と木材,日本住宅木材技術センター,199102

 サイト・スペシャルズ・フォーラムが発足した(一九九〇年一一月二七日)。サイト・スペシャルズとは耳慣れない言葉だが、もちろん、造語だ。優れた人格を備え、新しい技術を確立、駆使することが出来る、また、伝統技能の継承にふさわしい、選ばれた現場専門技能家をサイト・スペシャリストと呼び、そうした現場の専門技能家、そして現場の技術、工法、機材、労働環境まで含んだ全体をサイト・スペシャルズと定義づけたのである。

 建設現場で働く、サイト・スペシャリストの社会的地位の向上、待遇改善、またその養成訓練を目的とし、建設現場の様々な問題(サイト・スペシャルズ)を討議するとともに、具体的な方策を提案実施する機関としてサイト・スペシャルズ・フォーラムが設立された。

  設立主旨に次のようにいう。

 「国家の基幹をなす建設業の重要性と様々な問題を建設現場で働く者の立場から専門的に掘り下げて提案してみたい。

 建設技能者の不足が次第に深刻化しつつある。若年労働者の人口が減少基調にあり、また、若者の現場離れが進行しているからである。建設労働を支える現場技能者が急激に減少していくことは、建設業界にとって大きな問題である。また、建設業界のみならず、私達の生活環境のあり方に深く関わっている。

 何故、若者は現場を嫌うのか。私達は俗に言われる3K、6Kだけが原因ときめつけていないだろうか。大切なことは若者の目標とステータスを創り上げていくことである。

 若者をひきつけるためには、現場が何よりも魅力的でなければならない。また、専門技能家が社会的に尊敬される職業とならなければならない。人生の目標がひつようであり、学び修得する場が必要である。ハイレベルな専門技能家(スター)を世に送りだしていきたい。そのためには、何をすればいいか、本フォーラムでは考えてみたい。また、提言し、実行したい。

 どんな作品も、すぐれた現場技能者がいなければできるわけがない建設現場をないがしろにする建築に名作はない。 従って、サイト・スペシャリストの社会的な地位の向上を願い、実現し、生活環境を豊かに創造して行くことを本フォーラムの目的としたい。」

 理事長に内田祥哉明治大学教授、運営委員長に田中文雄真木建設社長、僕も、運営委員として加わることになった。もちろん、主旨に賛同して頂ける全ての人々に開かれたフォーラムである。運営委員のひとりとして、是非、積極的なご参加、ご協力、ご支援をお願いしたい*1

 内田先生から、現場の職人の問題について手伝うようにという話があったのは九月の初めであった。フォーラムの発足まであっという間であった。何か得たいのしれないエネルギーにつき動かされているような感じであった。

 中心になっているのは、今のところ、専門工事業、いわゆるサブコンの社長さんたちである。いずれも有力なサブコンであり、サイト・スペシャリストの育成、待遇改善に極めて意欲的である。そうしたサブコンの社長さんたちの熱意が一気にフォーラムの発足に結びついたと思う。

 サイト・スペシャルズ・フォーラムには三つのセンターが設けられた。SSFインフォーメーションセンター、SSFコミュニケーションセンター、SSFアカデミーセンターである。サイト・スペシャルズ・フォーラムは、何を目指すのか。全てはこれからなのであるが、ひとつの大きな軸となるのが「職人大学」の創設である。自前でどれだけ社会的に尊敬されるサイト・スペシャリストを育てることができるかどうかが、最終的な目的となるのである。

 SSFアカデミーセンター(藤沢好一担当)を中心に検討が行われることになるのであるが、どういうカリキュラムとするか、どういう資格をオーソライズしていくか、が問題である。もちろん、「大学」をつくればいいということではない。サイト・スペシャリストとして認定された人が、それにふさわしい報酬を得ることができる環境がつくられなければならない。サイト・スペシャルズ・フォーラムに参加する法人会員が主体的にそうした雇用条件をつくりあげていく努力が必要である。少しづつでも、そうした企業が増えていけば、建設業界も大きく変わっていく可能性がある。

 もうひとつねらいとするのは、情報公開である。重層的下請構造をとる日本の建設業界の大きな問題点は、工事単価などの情報がオープンになっていないことである。これをどうにかして一般公開できないか。報酬をきちんと見えるようにすることで評価する仕組みをつくりあげることが目指される。現状では、ゼネコンによってまちまちで、隔たりが大きすぎる。工事単価構成の公開による積算条件の統一が是非とも必要なのである。僕の担当するSSFインフォーメーションセンターが実態把握と情報公開を担当する。SSFニュースの発行が当面の軸となる。

 SSFコミュニケーションセンター(安藤正雄担当)では、サイト・スペシャリストのためのギャラリーなどサイト・スペシャリストの集う場を企画運営する。

 いずれも一朝一夕ではできないことである。しかし、すぐにでもできることがある。例えば、現場の労働環境についてはすぐにでも改善できることが多いのではないか。現場小屋などもうちょっとどうにかならないか。若者が3Kで現場離れをしているのだとすれば、余計、背広で現場に通うことができるぐらいの設備が必要なはずだ。現場への移動の車もサロンカー並であっていい。

 賃金体系、生涯モデルプランについては、サイト・スペシャルズ・フォーラム発足に参加した各法人メンバーは、既に様々な努力を始めている。職能給制度の実施、退職金制度の充実、互助会制度の導入、有給休暇の消化推進、寮、社宅の充実、持家制度の推進などである。しかし、個々の企業の努力だけでは限界がある。業界全体、少なくとも、サイト・スペシャルズ・フォーラム参加企業は、協調して待遇改善を行っていくことが問われるのである。そうした努力が、フォーラムのステイタスを高めていくことにもなるはずだ。

 サイトスペシャルズフォーラムは当面月一回の定例会のを中心に運営される。一九九一年の当初の予定は以下のようである。

 二月 六日 藤沢好一 「日本の建築生産と建設労働」

 三月一二日  谷 卓郎  「サイトスペシャリストの養成」

 今年の末には、大きなイヴェントが組めたらと思う。国際シンポジュームとか運動会とか、いろんな企画案が出始めている。とにかく、楽しくやらなくちゃ、と思う。

 

*1 サイト・スペシャルズ・フォーラムについての問い合わせは、事務局 千葉市中瀬1ー3 B12 ヒューマンインスティチュート内 電話 0472962700





2022年11月16日水曜日

2022年4月23日土曜日

”建築学科”の崩壊と職人大学, 建築年報1999, 日本建築学会, 199907

 ”建築学科の崩壊と職人大学, 建築年報1999, 日本建築学会, 199907 

”建築学科”の崩壊と職人大学

布野修司


 「”建築学科”の崩壊」とは、また、随分刺激的な題を頂いたものである。””とあるから、”建築学科”にも色々あって崩壊するものもあれば、そうでないのもある、ということか、などとと考えてしまう。確かに、この間理工学系部の再編成に伴って、日本中の大学から”建築学科”という学科名が消えていくという事態が続いている。大学院重点化ということで、新しい専攻の名が求められたということもある。やたらに増えているのが、「環境」(「文化」「国際」)という名のつく学科である。因みに、筆者の属する専攻も「生活空間学専攻」と変わった。

 ”建築学科”という名前が消えていくのは寂しいことではあるが、日本における”建築”を取り巻く環境が大きく変わり、建築界が構造改革せざるを得ないこと、また、それに伴い”建築学科”も変貌せざるを得ないことは否定できないことである。

 右肩上がりの成長主義の時代は終わったのであり、建設活動はスローダウンせざるを得ない。フローからストックへ、は趨勢である。農業国家から土建国家へ、戦後日本の産業社会は転換を遂げてきた。建設投資は国民総生産の2割を超えるまでに至る。”建築学科”は1960年代初頭から定員増を続け、各大学に第二の建設系学科がつくられた。しかし、今や、”建築学科”はさらには必要ないだろう。建設ストックが安定しているヨーロッパの場合、建設投資は一割ぐらいだから、極端に言うと、半減してもおかしくない。”建築学科”の崩壊(定員割れ)と呼びうる現象の背景には、日本の産業構造の大転換がある。

 しかし、”建築学科”の崩壊は、より深いところで進行しているのではないか。単に量(建設量、建設労働者数、学生数)の問題であるとすれば、淘汰の過程に委ねるしかないだろう。時代に対応できる人材とそれを育てうる”建築学科”のみが生き残る。ストック重視となれば、維持管理の分野がウエイトを増すであろう。需要に従って建設業界が再編成されるのは必然である。”建築学科”のカリキュラムも見直しが必要となる。しかし、問題はそれ以前にある。

 端的に言って、”建築家”(建築士)の現場離れの問題が本質的である。現場の空洞化、”職人”世界の崩壊の問題である。さらに、建設技術における専門分化の徹底的な進行の問題がある。建築という総合的な行為があらゆる局面で見失われつつあるのである。

 ”建築学科”における教育研究の問題が以上のような日本の建築界が抱える問題と密接に結びついていることはいうまでもない。日本の”建築学””建築学科”は「工学」という枠組みの中で育ってきた。学術、技術、芸術の三位一体をうたう日本建築学会は工学分野ではかなり特異である。しかし、建築の設計という行為が学術、技術、芸術の何れにも関わる総合的な行為であることは洋の東西を問わない。大きな問題は”建築学科”の特質がなかなか一般に理解されないことである。例えば、”建築学科”のカリキュラムにおいて、総合的トレーニングの場であるべき”設計教育”は各大学において必ずしも中心に位置づけられているわけではない。教員の資格については専ら学術的業績(論文の数)が問題にされる。建築教育は専ら座学で、実習や研修は位置づけが低い。

 大きく視野を広げれば日本の教育体制の全体が関わっている。いわゆる偏差値社会の編成である。高校、大学への進学率が高まり、ペイパー・テストによって進学と就職が決定される、そんな一元的な社会が出来上がった。建設産業の編成としては、”職人”世界から”建築家(建築士、建築技術者)”世界への流れが決定的になった。学歴社会は、大工棟梁になるより一級建築士になる方がいい、という価値体系に支えられている。結果としてわれわれが直面するのが建設産業の空洞化である。

 1990年11月27日、サイト・スペシャルズ・フォーラム(SSF)という小さな集まりが呱々の声を上げた。サイト・スペシャルズとは耳慣れない造語だが、優れた人格を備え、新しい技術を確立、駆使することが出来る、また、伝統技能の継承にふさわしい、選ばれた現場専門技能家をサイト・スペシャリストと呼び、そうした現場の専門技能家、そして現場の技術、工法、機材、労働環境まで含んだ全体をサイト・スペシャルズと定義づけたのである。建設現場で働く、サイト・スペシャリストの社会的地位の向上、待遇改善、またその養成訓練を目的とし、建設現場の様々な問題を討議するとともに、具体的な方策を提案実施する機関としてSSFは設立された。スローガンは当初から’職人大学の設立’であった。主唱者は日綜産業社長小野辰雄氏。中心になったのは、専門工事業、いわゆるサブコンの社長さんたちである。いずれも有力なサブコンであり、”職人”の育成、待遇改善に極めて意欲的であった。

 顧問格で当初から運動を全面的に支援してきたのは内田祥哉元建築学会会長。内田先生の命で、田中文男大棟梁とともに当初から筆者はSSFの運動に参加してきた。それからかなりの月日が流れ、その運動はいま最初の到達点を迎えつつある。具体的に「国際技能工芸大学」が開学(2001年4月予定)されようとしているのである。筆者は、その母胎となる国際技能振興財団の評議員を勤めさせて頂いている。バブルが弾け「職人大学」の行方は必ずしも順風満帆とは言えないが、SSFの運動がとにもかくにも大学設立の流れになった。ある感慨がある。

 SSFの主唱者小野辰雄氏はもともと重量鳶の出身である。その経験から足場メーカーを設立、その「3Mシステム」と呼ばれる支保杭と足場を兼ねる仮設システムを梃子として企業家となった。その活動はドイツ、アメリカ、アジア各地とグローバルである。その小野氏がどうしても我慢がならないことが現場で働く職人が大事にされないことである。当時はバブル経済華やかで職人不足が大きな話題であった。3K(きたない、きつい、給料が安い)職場ということで若者の新規参入がない。後継者不足は深刻であった。そうした中で、職人が尊敬される社会をつくりたい、そのために”職人大学”をつくりたい、というのが小野氏以下SSF参加企業の悲願であった。

 最初話を聞いて大変な何事かが必要だというのが直感であった。そこで藤沢好一(芝浦工業大学)、安藤正雄(千葉大学)の両先生に加わって頂いた。また、土木の分野から三浦裕二(日本大学)、宮村忠(関東学院大学)の両先生にも加わって頂いた。当初はフォーラム、シンポジアムを軸とする活動であった。海外から職人を招いたり、マイスター制度を学びにドイツに出かけた。この間のSSFの活動はSSFニュースなどにまとめられている。

 議論は密度をあげ、職人大学の構想も次第に形をとりだしたが、実現への手掛かりはなかなか得られない。そこで兎に角何かはじめようと、SSFパイロットスクールが開始された。第一回は佐渡(真野町)での一九九三年五月三〇日(日)から六月五日まで一週間のスクーリングであった。その後、宮崎県の綾町、新潟県柏崎、神奈川県藤野町、群馬県月夜野町、茨城県水戸とパイロットスクールは回を重ねていく。現場の職長さんクラスに集まってもらって、体験交流を行う。そうした参加者の中から将来のプロフェッサー(マイスター)を見出したい。そうしたねらいで、各地域の理解ある人々の熱意によって運営されてきた。現場校、地域校、拠点校と職人大学のイメージだけは膨らんでいった。カリキュラムを考える上では、並行して毎夏、岐阜の高根村、加子母村を拠点として展開してきた「木匠塾」(一九九一年設立 太田邦夫塾長)も大きな力になった。

 そして、SSFの運動に転機が訪れた。KSD(全国中小企業団体連合会)との出会いである。SSFは、建設関連の専門技能家を主体とする、それも現場作業を主とする現場専門技能家を主とする集まりであるけれど、KSDは全産業分野をカヴァーする。”職人大学”の構想は必然的に拡大することになった。全産業分野をカヴァーするなどとてもSSFには手に余る。しかし、KSDは全国中小企業一〇〇万社を組織する大変なパワーを誇っている。

 KSDの古関忠雄会長の強力なリーダーシップによって事態は急速に進んでいく。「住専問題」で波乱が予想された通常国会の冒頭であった(一九九六年一月)。村上正邦議員の総括質問に、当時の橋本首相が「職人大学については興味をもって勉強させて頂きます」と答弁したのである。

 「産業空洞化がますます進行する中で、日本はどうなるのか。日本の産業を担ってきた中小企業、そしてその中小企業を支えてきた極めてすぐれた技能者をどう考えるのか。その育成がなければ、日本の産業そのものが駄目になるではないか。そのために職人大学の設立など是非必要ではないか。」

 ”職人大学”設立はやがて自民党の選挙公約になる。

 その後、めまぐるしい動きを経て、(財団)国際技能振興財団(KGS)の設立が認可され、その設立大会が行われた(一九九六年四月六日)。以後、財団を中心に事態は進む。国際技能工芸大学というのが仮称となり、その設立準備財団(豊田章一郎会長)が業界、財界の理解と支援によってつくられた。梅原猛総長候補、野村東太(元横浜国大学長)学長候補を得て、建設系の中心には太田邦夫先生(東洋大学)が当たられることが決まっている。一九九七年にはキャンパス計画のコンペも行われ、用地(埼玉県行田市)もあっという間に決まった。今は、文部省への認可申請への教員構成が練られているところである。

 国際技能工芸大学(仮称)は、製造技能工芸学科(機械プロセスコース、機械システムコース、設備メンテナンスコース)と建設技能工芸学科(ストラクチャーコース、フィニッシュコース、ティンバーワークコース)の二学科からなる4年生大学として構想されつつある。その基本理念は以下のようである。

①ものづくりに直結する実技教育の重視

②技能と科学・技術・経済・芸術・環境とを連結する教育・研究の重視

③時代と社会からの要請に適合する教育・研究の重視

④自発性・独創性・協調性をもった人間性豊かな教育の重視

⑤ものづくり現場での統率力や起業力を養うマネジメント教育の重視

⑥技能・科学技術・社会経済のグローバル化に対応できる国際性の重視

 具体的な教育システムとしては、産業現場での実習(インターンシップ)、在職者の修学、現場のものづくりを重視した教員構成をうたう。

  教員の構成、カリキュラムの構成などまだ未確定の部分は多いがSSFの目指した”職人大学”の理念は中核に据えられているといっていい。

 もちろん、設立される”職人大学”がその理念を具体化していけるかどうかはこれからの問題である。巣立っていく卒業生が社会的に高い評価を受けて活躍するかどうかが鍵である。

  何故、文部省認可の大学なのか。”職人”の技能””工芸”を日本の教育システムのなかできちんと評価してほしい、という思いがある。人間の能力は多様であり、偏差値によって輪切りにされる教育体制、社会体制はおかしいのではないか、という問題提起がある。だから、ひとつの大学を設立すれば目標達成というわけにはいかない。実際、続いて各地に”職人大学”を建設する構想も議論されている。

 ただ、数が増えればいいということでもない。問題は”職人大学”がある特権を獲得できるかである。具体的に言えば、”技能””工芸”に関わる資格の特権的確保である。”職人大学”の構想もそうした社会システムと連動しない限り、しっかり根づかないことは容易に予想される。例えば、日本型のマイスター制度が同時に構想される必要があるのではないか。

 しかしそれ以前に、現場を大事にする、机上の勉強ではなく、身体を動かしながら勉強するそんな教育が何故できないのか、”建築学科”の再生がそれぞれの現場で問われていることは言うまでもないことである。





2022年1月29日土曜日

室内と屋外・・・「職人大学」構想,おしまいの頁で,室内,199802

02室内と屋外,おしまいの頁で,室内,199802

「室内」と「屋外」・・・「職人大学」構想  002

布野修司

  「職人大学」(国際工芸技術大学(仮称))の総長候補に梅原猛氏(日本ペンクラブ会長)が決まった。二〇〇一年四月の開学を目指す。

 建設業を支える建築専門工事業(サブコン)の社長さんたちが、建設職人の社会的地位の向上を目指して「サイト・スペシャルズ・フォーラム」(SSF)を結成したのは一九九〇年一一月のことであった。サイト・スペシャルズとは、サイト・スペシャリスト(現場専門技能家)に関すること全てを意味する。いずれも造語だ。何も横文字を使わなくても、と評判が悪かった。「職人」でいいけれど、工芸分野の「職人」と思われてしまうジレンマがあった。「職人」といっても、「人間国宝」や何百万円もする作品をものする「芸術家」の世界ではない。また、ターゲットは、「室内」で作業する「職人」ではなく、「屋外」(現場)で作業する「職人」である。

 SSFは、ドイツのマイスター制度に学びながら、建設職人の育成のための「社会基金」(ソーシャル・カッセ)の設立とともに、「職人大学」の設立をスローガンに掲げた。そして、試行錯誤の果てに七年の月日が流れた。

 縁があって、当初からSSFの活動のお手伝いしてきたが、よくぞここまできた、という感慨がある。紆余曲折というか、激しい政治力学というか、大学というひとつの組織体をつくりあげるにはすさまじいエネルギーがいるものだ。しかし、これからが正念場である。

 お金を集めなければならない。梅原総長候補によれば、設立以来所長を務めた「国際日本文化研究センター」の場合も大変だったという。「先生」を集めなければならない。果たして、文部省が許可するだろうか。本当の「職人」は論文など書いたことはないのである。その前に、そもそも「先生」はいるのか。大学は建設分野だけでなく、製造業分野もカヴァーしなければならない。大学施設を建てなければならない。なかよくやれるのか。どうせなら「建設職人」自ら建設したいと思うけれど、設置基準の壁がある。

 出来てみたら普通の「大学」とちっとも変わらない、ということは決してあってはならない。

  


『室内』おしまいの頁で199801199912

01百年後の京都,おしまいの頁で,室内,199801

02室内と屋外,おしまいの頁で,室内,199802

03英語帝国主義,おしまいの頁で,室内,199803

04 アンコ-ルワット,おしまいの頁で,室内,199804

05 ヤン・ファン・リ-ベック,おしまいの頁で,室内,199805

06 秦家,おしまいの頁で,室内,199806

07 木匠塾,おしまいの頁で,室内,199807

08建築家と保険,おしまいの頁で,室内,199808

09桟留,おしまいの頁で,室内,199809

10 インド・サラセン様式,おしまいの頁で,室内,199810

11 ヴィガン,おしまいの頁で,室内,199811

12カピス貝の街,おしまいの頁で,室内,199812

13ダム成金の家,おしまいの頁で,室内,199901

14 J.シラスのこと,おしまいの頁で,室内,199902

15 ジベタリアン,おしまいの頁で,室内,199903

16西成まちづくり大学,おしまいの頁で,室内,199904

17 スラバヤ・ヤマトホテル,おしまいの頁で,室内,199905

18京都デザインリ-グ構想,おしまいの頁で,室内,199906

19 ジャングル, おしまいの頁で,室内,19990

20 大工願望,おしまいの頁で,室内,199908

21日光,おしまいの頁で,室内,199909

22ヴァ-ラ-ナシ-,おしまいの頁で,室内,199910

23北京の変貌,おしまいの頁で,室内,199911

24群居,おしまいの頁で,室内,199912