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2022年11月23日水曜日

[イスラ-ムの都市性]研究,雑木林の世界21,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199105

 [イスラ-ムの都市性]研究,雑木林の世界21,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199105

雑木林の世界21

 「イスラムの都市性」研究

                        布野修司

 

 この三年間「イスラームの都市性」と称する共同研究に参加してきた。文化系の研究プロジェクトとしては、研究費が年間一億円、総勢百五十人にものぼる大プロジェクトである。正式には「比較の手法によるイスラームの都市性の総合的研究」という。この三月、一応の区切りを迎えた。

 正直に言って、ほとんど何もしなかった。僕の場合、インドネシアのことを少しかじっていたというだけで加えさせて頂いたのであって、中東の本家イスラームとはあまり接点がなかったせいもある。また、歴史学が全体をリードした感があり、知識不足でついていけなかったせいもある。ただ、湾岸戦争もあって、イスラーム世界に対して次第に興味がでてきた。もう少し、勉強すればよかった、と思い始めたころに終わってしまったのは自業自得とはいえ、実に残念であった。

 遅ればせなのであるが、年が明けて随分と研究会に出席した。一月一四日、一五日、下関、一八日、一九日、仙台作並温泉。二月一一日、一二日、東京、三月一五日、一六日、出雲。温泉とうに料理、ふく料理、かき料理が目当てだからえらそうにはいえないのだけれど、分野の違う研究者の話を聞くのは実に楽しい。

 例えば、下関のプログラムはこうだ。

 「ヨーロッパとアフリカにおける金と貨幣交易のネットワーク」 森本芳樹 「西欧中世前期における金と金貨」

 竹沢尚一郎「西アフリカにおける金と交易」

 深沢克巳 「一八世紀のフランス王立アフリカ会社とピアスト       ロ銀貨」

 なんだ???、建築とは関係ないではないか、という感じかもしれない。僕も最初はそうだった。しかし、次第に関心が湧いて来る。特に、ものの流れをグローバルにみる様々な見方は世界史がダイナミックに捉えられてわくわくするのである。

 作並温泉のプログラムは僕の最も興味をもったテーマの締めくくりであった。「続・都城論」という。

 羽田 正 「西アジア年(Ⅰ)」

 横山 正 「イタリア都市」

 林佳世子 「西アジア都市(Ⅱ)」

 竹沢尚一郎「アフリカ都市」

 山形孝夫 「コプト修道院のコスモロジーと都市」

 一昨年、熱海で行った「都城論」の続きである。

 王権の所在地としての「都」としての都市、そして城郭をもった「城」としての都市、二つの性格を合わせ持つ都市、すなわち「都城」について、その「都城」を支えるコスモロジーと具体的な都市形態との関係を、アジアからヨーロッパ、アフリカまでグローバルに見てみたのである。

 二回の議論でいくつかはっきりしたことがある。以下に紹介してみよう。

 第一、王権を根拠づける思想、コスモロジーが具体的な都市のプランに極めて明快に投影されるケースとそうでないケースがある。東アジア、南アジア、そして東南アジアには、王権の所在地としての都城のプランを規定する思想、書が存在する。しかし、西アジア・イスラム世界には、そうした思想や書はない。

 第二、以上のように、都市の理念型として超越的なモデルが存在し、そのメタファーとして現実の都市形態が考えられる場合と、実践的、機能的な論理が支配的な場合がある。前者の場合も理念型がそのまま実現する場合は少ない。理念型と生きられた都市の重層が興味深い。また、都市構造と理念型との関係は時代とともに変化していく。

 第三、都城の形態を規定する思想や理念は、その文明の中心より、周辺地域において、より理念的、理想的に表現される傾向がつよい。例えば、インドの都城の理念を著す『アルタシャストラ』*1を具体的に示す都市は、アンコールワットやアンコールトムのような東南アジアの都市である。

 都市や住居の象徴的意味の次元と実用的機能的側面は必ずしも切然と区別できない。両方はダイナミックに関わり会う。ある条件のもとで、どちらかの側面が強く表現され優位となる。コスモロジーが集落や住居の具体的形態にどう表れるのかというテーマはそれ故興味深いといえるのである*2

 三月二三日には、三年間の研究の総括集会が東大の東洋文化研究所で開かれた。イスラーム研究がこの二〇年の間にどれだけ広がりをみせたかという、プロジェクトの主宰者であった板垣雄三氏のまとめの後、事務局長の原洋之助氏の経済学から見た研究総括があった。ひとつの焦点は後藤明氏の「イスラーム自由都市論」であった。

 メッカは、自由な個人の自由な結び付きを基礎とする都市であったという「自由都市論」は、三年間の話題であった。つい最近出た『メッカ』(後藤明著 中公新書)に詳しい。

 「イスラームの都市性」に関する研究プロジェクトについては、冒頭に述べたようにさぼりにさぼった。終わりの方で後悔したけれど後の祭りである。しかし、さぼりっぱなし、というわけにはいかない。昨年の一二月一日、二日の総括集会では、建築、都市計画の分野を代表して総括をしなさい、ということになった。ただただ、さぼったことをあやまるしかない。僕は「スラムの都市性」については多少しゃべれるんですけど、「イ」がついて「イスラームの都市性」というとどうも、などといって笑われたのが精一杯であった。その時述べたのは以下のようなことだ。

 第一、イスラーム圏の都市、建築について余りにも僕らは認識を欠いてきた。「東洋建築史図集」をつくるといったレヴェルの作業も行われていないのは遺憾である。

 第二、特に歴史研究者のあまりに禁欲な慎重さにはイライラした。「イスラームの都市性」研究の成果は、ディテールのペーパーの量で計られるより、それぞれのジャンルの枠組みがどれだけ揺らいだかによって計られるべきだ。もちろん、こんなにストレートに言ったわけではない。「わたしは○○世紀の□□が専門ですから他はわかりません」という言い方に随分と嫉妬させられたものである。

 第三、東京論が上滑りして収束する中で、この間の都市論の隆盛に深みと広がりを与えた。イスラーム法によって規定される「イスラーム都市」のあり方は、都市計画のあり方に様々な示唆を与える。

 第四、「イスラム都市」については、最近邦訳の出た、ベシーム・S・ハキームの『イスラム都市 アラブのまちづくりの原理』(佐藤次高監約 第三書館)が興味深い。彼が調査対象としたのはチュニスであるが、イスラム世界の都市の構成原理を解きあかす多くのヒントがそこにはある。イスラーム圏の都市についてこうした原理をさぐる研究がなされるべきである。

 少し、次の研究テーマが見えてきた。

 

*1 カウティリア(Kautilya)『アルタシャーストラ』 『実利論』 上村勝彦訳 岩波文庫 一九八四年 王宮、城砦、城砦都市などについて、その建設方法が記述されている。

*2 拙稿 「コスモスとしての家(2) 都市とコスモロジー」    『群居』26号 1991年5月

 







2022年11月20日日曜日

地球環境時代の建築の行方,雑木林の世界20,住宅と木材,日本住宅木材技術センター,199104

 地球環境時代の建築の行方,雑木林の世界20,住宅と木材,日本住宅木材技術センター,199104

雑木林の世界20 「地球環境時代の建築の行方」

                                   布野修司

 

 建築フォーラム(AF)の最初の仕事として、国際シンポジウム「地球環境時代の建築の行方ーーーポストモダン以後 徹底討論」(二月二六日~二八日 東京銀座ヤマハホール)を無事終えた。実に興味深いシンポジウムであった。プログラムは先号に示した通りである*1

 第一日、司会を務めたのであるが、いきなり度肝を抜かれた。C.アレグザンダーがいささかむつかしい性格であることは承知していたのであるが、いきなり、「私の今日のレクチャーのタイトルは『日本の民主主義の危機』である」ときた。僕の場合、前夜の歓迎パーティーの雰囲気から、多少の予感があったからまだいい方かもしれない。聴衆はびっくりしたに違いない。シーンと静まりかえったままである。振り返ってみるとなかなかのパーフォーパンスであった。C.アレグザンダーは役者である。

 時折しも湾岸戦争に決着がつけられようとしていた。東欧の民主化の問題にしても、世界の枠組みが大きく変わろうとしている。そんな時代に建築はどうあるべきなのか考えようというのがシンポジウムの主旨であり、グローバルな大所高所からの基調講演を期待したのであった。しかし、C.アレグザンダーが、結果としてまず指摘したのは、大所高所の議論より問題の根は足元にこそあるということである。

 アレグザンダーが具体的な例として挙げたのは、名古屋市の白鳥地区の計画である。デザイン博の跡地利用について名古屋市からコンサルティングを委託された彼は、ヘクタール当り二〇〇戸の、しかも全戸に駐車場を確保した低層高密度の住宅地の計画を提案した。しかし、その計画が暗黙の内に葬られようとしている。その理由は何か。そこにこそこれからの環境を巡る問題があるのではないか。深く掘り下げて考えてみる必要があるいうのが講演の骨子なのである。C.アレグザンダーは、マシーンという言葉を使った。得体のしれないマシーンが作動し、多くの支持する計画案が否定されていく。「日本の民主主義の危機」というのは、そうした脈絡におけるタイトルであった。

 単に「低層か高層か」というのではない。また、単なる「コーダン(公団)」批判ではない。C.アレグザンダーのいうマシーンというのは、「コーダン」という官僚組織でもあり、法制度でもあり、高層住宅を理念化する思想でもあり、経済原理でもあり、現実に進行していくものを支える全てである。それに彼が繰り返し強調したのは、白鳥地区だけの問題でも、日本だけの問題でもないということである。

 C.アレグザンダーは、「いささか子供地味ているかもしれない」という。確かに、そんなところがある。難しいことを言っているのではない。普通の人のこころの琴線に触れる環境を創りあげることこそが大切なのだ。もう少し、素直になろう。平たく言えば、C.アレグサンダーの基調講演にはそんな響きがあった。

 では、普通の人の心に触れる環境とは何か、それをつかまえる方法とは何か、議論は自然とそういう方向に向かう。その理論については多くの訳書もあるのだが、C.アレグザンダーの熱っぽい主張の背後には、ある普遍的な価値が置かれているように思える。少なくとも、普遍性へ向かう意志が感じられる。それに対して、多様性を許容する原理とはなにか、地域によって異なる環境のあり方を保証する方法論とは何か、原広司、市川浩の両パネラーを加えた議論はそうした方向へと広がりをみせた。

 二日目、基調講演のM.ハッチンソンは、もしかすると日本ではあまり知られていないかもしれない。若い。僕とほぼ同じ年だ。しかし、英国王立建築家協会(RIBA)の会長である。史上最年少の会長ということであるが、老人支配の日本とはえらい違いである。彼我の違いを感じさせられる。そして、M.ハッチンソンは、かのチャールズ皇太子との論争で知られる。チャールズの近代建築批判に対する反批判の一書をものしてもいる。ちなみに、C.アレグザンダーは、このほどチャールズ皇太子から美術館の仕事を受けた。興味深い対比だ。

 M.ハッチンソンの主張は、誤解を恐れず単純化して言うと、過去の歴史や様式を美化しても始まらない、現在の都市にどう住むかが問題であり、未来へ眼を向けることが重要である、ということだ。彼は、観光バスに乗って撮ったロンドンの観光写真を写しながら、ロンドンはツーリストのための都市か、と問いかける。しかし、過去、現在、未来は果して、そう直線的に捉えられるのか、都市は住む場所なのか、メディアなのか、様式や装飾が問題なのか、生活のシステムが問題なのか、等々をめぐって議論は広がりをみせた。

 三日目、二日間の議論は、どちらかというと抽象的であった、というL.クロールは、具体的な映像を多数のスライドを用いて提示した。L.クロールは、ルーバン大学の学生寮で知られる。その後の展開と最近の仕事の多くに直接触れ得たのは貴重であった。もともとファンであったのであるが、三日の間一緒してその真面目な人柄と建築の魅力にますますひかれたのである。

 L.クロールは、徹底して多様性を許容しようとする。単調さ、繰り返し、標準化、一元化を最も嫌う。個々が自由に表現する、あらゆる場所が表情を異にする、そういう空間やランドスケープを創り出すためにはどうすればいいのか。彼は、コンピューターを積極的に使う。単なる手作り派でも住民参加派でもないのである。

 L.クロールの基調講演に対して、一方でグランド・デザインがいるのではないか、コンポーネントが用意されている必要があるのではないか、といった議論の広がりをみせた。ヨーロッパの場合も必ずしもコンポーネントについて安定した市場が成立しているわけではないということである。印象的だったのは、グランドデザインが必要であるという問いかけに対して、それでは東京にグランドデザインは存在するのかときりかえした場面である。L.クロールは近代都市計画を下水道都市計画と呼ぶ。

 とても三日の議論を要約することはできない*2。また、限られた時間で残された議論も多い。建築フォーラム(AF)としては、さらに様々な形で深めていくことになろう。

 議論だけしてても始まらない。「みんな僕の話に拍手はしてくれる。しかし、現実は動かない。何故か。」とC.アレグザンダーはいう。確かにそうだ。しかし、議論をやめるわけにはいかない。問題は、議論によって真実の問題を覆いかくしてしまうことだ。忙しすぎて余りにも議論がなくなった。少しでも議論の場所を確保しよう。先号で触れたように、それが建築フォーラム(AF)出発の初心である。

 

*1

 第一日 「環境のグランドデザイン」

     基調講演 C.アレグザンダー

     パネラー 原広司 市川浩   司会 布野修司

 第二日 「都市のグランドデザイン」       

     基調講演 M.ハッチンソン

     パネラー 木島安史 伊藤俊治 司会 山本理顕

 第三日 「住居のグランドデザイン」

     基調講演 L.クロール

     パネラー 大野勝彦 小松和彦 司会 安藤正雄

 *2 シンポジウムは、『建築文化』誌(6月、7月、8月)に掲載予定である。また、年刊『建築思潮』で取り上げることになろう。





2022年11月19日土曜日

建築フォ-ラム,雑木林の世界19,住宅と木材,日本住宅木材技術センター,199103

 建築フォ-ラム,雑木林の世界19,住宅と木材,日本住宅木材技術センター,199103

 フォーラムづいている。SSF(サイト・スペシャルズ・フォーラム)に続いて、建築フォーラム(AF)を発足(一九九一年一月一日)させることになった。ことさら忙しくしているような気がしないでもない。

 趣意はえらそうである。以下のように渡辺豊和さんによって格調高い文章が起草された。

 

 建築はグローバルに多様化の時代を迎え、種々様々の傾向がまさに百花繚乱の活況を呈しているようにみえる。ことに、私達の日本では、数年来の好況もあって、この状況は極限に達しているかのようだ。

 だがしかし、子細に観察すれば、この百花も実は極めて相似様相の花々が妍しさを競っているに過ぎない。単調すぎるほどの一様である。世界を覆う一様の倦怠、これは多様の幻想の中に埋没した一様である。建築家たちの多様性の自由の矮小化はいささか眼に余る。イデオロギーの喪失のせいだとは言うまい。ただ、建築の創造を衝き動かしてきた何かを私達が確実に捨て去りつつあることは見つめる必要があろう。

 時間は確実に過ぎ去り、否応なしに歴史は形成されていく。その過ぎ去る時間を、「建築の現在」は、ただ無為に見送っているように思える。あまりにも議論がなくなってしまったのはどういうことなのか。

 常に次代への兆しは、現在の内に見えているものだ。この兆しを察知しうるかどうか、それがいま生存する建築家たちの歴史参与の可否を握っているのだ。次代は次の世紀のはじまりなのか、それとも更にその次の世紀にまで及ぶのか判然とはしないが、その萌芽の兆しは、私達自身に宿っている筈である。私達自身に宿っているであろう兆しをこのフォーラムでは自己解剖したい。そして歴史に確実に参与して行く方法を発見したい。

 激しい議論の中から、根源的と言っていい、歴史創造の一歩を踏み出すことを願う。

 

 要するに議論の場をつくろうということなのだが、きっかけは、ひとつのシンポジウムの企画であった。この文章が読者の眼に触れる時には、無事(?)終わっている筈なのであるが、以下のような三日にわたる国際シンポジウム(二月二六日~二八日 東京・銀座 ヤマハホール 主催松下電器産業)をある経緯で行うことになり、その実行委員会をベースに建築フォーラムの発想がでてきたのである。

 

 「地球環境時代の建築の行方」ーポストモダン以後:徹底討論

 第1日 「環境のグランドデザイン」 

 基調講演 C.アレグザンダー パネラー 原広司 市川浩  コーディネーター 布野修司 渡辺豊和

 第2日 「都市のグランドデザイン」

 基調講演 M.ハッチンソン パネラー 木島安史 伊藤俊治

 コーディネーター 山本理顕 高松伸

 第3日 「住居のグランドデザイン」

 基調講演 L.クロール   パネラー 大野勝彦 小松和彦

 コーディネーター 安藤正雄 石山修武

 

 イヴェントだけでは安易すぎる。活動を記録に残すメディアが必要ではないかという話に自然になった。そこで思いついたのが建築年鑑もしくは建築年報のような年刊誌である。思いついたら早い方がいい、と建築ジャーナリズムの神様、平良敬一さんに相談に行った。面白そうだからやりなさい、協力するよ、『建築思潮』という名前を使ってもいい、とおっしゃる。植田実さんにも加わってもらって第一回の編集会議ももった。できるかどうかもわからないのにこうして書いているのは悪い癖だけれど、超ベテラン編集者の支援があれば大船に乗った気分である。五年間で五冊は出したいと考えている。『群居』だってまず四冊を(三刊本の汚名を逃れるために)、そして『デザイン批評』の一三冊を超えることを目標にしてきたけれど、もう二五号である。『建築思潮』もなんとかなるだろう、といたって楽天的である。

 建築フォーラムは、もちろん、全てのひとに開かれた場である。会員といっても、特別の資格がいるわけではない。会費も当面面倒くさいからとらない、とするとなんとなく参加意識がうまれてこないような気がする。そこで考えたのが建築フォーラム(AF)賞(仮)である。ノミネートされたいくつかの仕事を会員の投票のみで顕彰しようというのだ。それなら会員になろうという人もでてくるかもしれない。会員のみに投票権があることにするのである。まだ内容については、何も議論していないのであるが、作品賞でなくていいと思う。評論でも展覧会でも、運動でも意義ある仕事であればなんでもいい。五ないし一〇ぐらい、事務局で挙げて、あとは得票数が多いものが無条件に授賞するそんな仕掛である。日本建築学会賞をめぐって陰湿なポリティックスが毎年密室で展開されるのであるが、明るく楽しく一年を振り返り記そうという主旨である。

 もうひとつ、建築フォーラムでやりたいことがある。建築塾である。幸い、飛騨高山にある施設が確保できそうである。まずは、毎年恒例のインター・ユニヴァーシティーのサマースクールを拡大する形で開始できればと思っている。今夏スタートはほぼ決定である。サイト・スペシャルズ・フォーラム(SSF)とも協力していければと思う。

 あと活動プログラムとしては、以下のようなものが企画されつつある。

 ●フォーラム「深化する建築 住居未来論」 91開催

  ●出雲建築展’91支援

 ●日本建築セミナー支援

 ●木造建築研究フォラム支援

  ●茨城ハウジングネットワーク

 活動スタイルは、年刊『建築思潮』の発行を軸とし、適宜、集まりをもつ。また、その都度、出版、ニュース等 記録を残す。さらに、必要に応じて社会的アクションを行なう、という気楽なスタイルである。

 興味のあるかたは、是非、会員になってください。申し込みは以下の通りです。また、面白い企画があれば一報下さい。

 

●運営委員(コア・スタッフ)

 安藤正雄・石山修武・大野勝彦・高松 伸・布野修司・山本理顕 ・渡辺豊和

●アドヴァイザー(顧問)

 安藤忠雄・上田 篤・植田 実・内田祥哉・太田邦夫・大谷幸夫・平良敬一・高橋靗一・田中文雄・林 泰義・原 広司

● 建築フォーラム事務局

  (株)ADD

    大阪市西区南堀江1-11-1 栗本建設ビル8,9F

        TEL 06-534-4145           FAX 06-534-4198

    申し込みは、FAXでお願いします。住所、氏名、所属等を  お知らせください。





 

2022年11月18日金曜日

サイト・スペシャルズ・フォ-ラム,雑木林の世界18,住宅と木材,日本住宅木材技術センター,199102

サイト・スペシャルズ・フォ-ラム,雑木林の世界18,住宅と木材,日本住宅木材技術センター,199102

 サイト・スペシャルズ・フォーラムが発足した(一九九〇年一一月二七日)。サイト・スペシャルズとは耳慣れない言葉だが、もちろん、造語だ。優れた人格を備え、新しい技術を確立、駆使することが出来る、また、伝統技能の継承にふさわしい、選ばれた現場専門技能家をサイト・スペシャリストと呼び、そうした現場の専門技能家、そして現場の技術、工法、機材、労働環境まで含んだ全体をサイト・スペシャルズと定義づけたのである。

 建設現場で働く、サイト・スペシャリストの社会的地位の向上、待遇改善、またその養成訓練を目的とし、建設現場の様々な問題(サイト・スペシャルズ)を討議するとともに、具体的な方策を提案実施する機関としてサイト・スペシャルズ・フォーラムが設立された。

  設立主旨に次のようにいう。

 「国家の基幹をなす建設業の重要性と様々な問題を建設現場で働く者の立場から専門的に掘り下げて提案してみたい。

 建設技能者の不足が次第に深刻化しつつある。若年労働者の人口が減少基調にあり、また、若者の現場離れが進行しているからである。建設労働を支える現場技能者が急激に減少していくことは、建設業界にとって大きな問題である。また、建設業界のみならず、私達の生活環境のあり方に深く関わっている。

 何故、若者は現場を嫌うのか。私達は俗に言われる3K、6Kだけが原因ときめつけていないだろうか。大切なことは若者の目標とステータスを創り上げていくことである。

 若者をひきつけるためには、現場が何よりも魅力的でなければならない。また、専門技能家が社会的に尊敬される職業とならなければならない。人生の目標がひつようであり、学び修得する場が必要である。ハイレベルな専門技能家(スター)を世に送りだしていきたい。そのためには、何をすればいいか、本フォーラムでは考えてみたい。また、提言し、実行したい。

 どんな作品も、すぐれた現場技能者がいなければできるわけがない建設現場をないがしろにする建築に名作はない。 従って、サイト・スペシャリストの社会的な地位の向上を願い、実現し、生活環境を豊かに創造して行くことを本フォーラムの目的としたい。」

 理事長に内田祥哉明治大学教授、運営委員長に田中文雄真木建設社長、僕も、運営委員として加わることになった。もちろん、主旨に賛同して頂ける全ての人々に開かれたフォーラムである。運営委員のひとりとして、是非、積極的なご参加、ご協力、ご支援をお願いしたい*1

 内田先生から、現場の職人の問題について手伝うようにという話があったのは九月の初めであった。フォーラムの発足まであっという間であった。何か得たいのしれないエネルギーにつき動かされているような感じであった。

 中心になっているのは、今のところ、専門工事業、いわゆるサブコンの社長さんたちである。いずれも有力なサブコンであり、サイト・スペシャリストの育成、待遇改善に極めて意欲的である。そうしたサブコンの社長さんたちの熱意が一気にフォーラムの発足に結びついたと思う。

 サイト・スペシャルズ・フォーラムには三つのセンターが設けられた。SSFインフォーメーションセンター、SSFコミュニケーションセンター、SSFアカデミーセンターである。サイト・スペシャルズ・フォーラムは、何を目指すのか。全てはこれからなのであるが、ひとつの大きな軸となるのが「職人大学」の創設である。自前でどれだけ社会的に尊敬されるサイト・スペシャリストを育てることができるかどうかが、最終的な目的となるのである。

 SSFアカデミーセンター(藤沢好一担当)を中心に検討が行われることになるのであるが、どういうカリキュラムとするか、どういう資格をオーソライズしていくか、が問題である。もちろん、「大学」をつくればいいということではない。サイト・スペシャリストとして認定された人が、それにふさわしい報酬を得ることができる環境がつくられなければならない。サイト・スペシャルズ・フォーラムに参加する法人会員が主体的にそうした雇用条件をつくりあげていく努力が必要である。少しづつでも、そうした企業が増えていけば、建設業界も大きく変わっていく可能性がある。

 もうひとつねらいとするのは、情報公開である。重層的下請構造をとる日本の建設業界の大きな問題点は、工事単価などの情報がオープンになっていないことである。これをどうにかして一般公開できないか。報酬をきちんと見えるようにすることで評価する仕組みをつくりあげることが目指される。現状では、ゼネコンによってまちまちで、隔たりが大きすぎる。工事単価構成の公開による積算条件の統一が是非とも必要なのである。僕の担当するSSFインフォーメーションセンターが実態把握と情報公開を担当する。SSFニュースの発行が当面の軸となる。

 SSFコミュニケーションセンター(安藤正雄担当)では、サイト・スペシャリストのためのギャラリーなどサイト・スペシャリストの集う場を企画運営する。

 いずれも一朝一夕ではできないことである。しかし、すぐにでもできることがある。例えば、現場の労働環境についてはすぐにでも改善できることが多いのではないか。現場小屋などもうちょっとどうにかならないか。若者が3Kで現場離れをしているのだとすれば、余計、背広で現場に通うことができるぐらいの設備が必要なはずだ。現場への移動の車もサロンカー並であっていい。

 賃金体系、生涯モデルプランについては、サイト・スペシャルズ・フォーラム発足に参加した各法人メンバーは、既に様々な努力を始めている。職能給制度の実施、退職金制度の充実、互助会制度の導入、有給休暇の消化推進、寮、社宅の充実、持家制度の推進などである。しかし、個々の企業の努力だけでは限界がある。業界全体、少なくとも、サイト・スペシャルズ・フォーラム参加企業は、協調して待遇改善を行っていくことが問われるのである。そうした努力が、フォーラムのステイタスを高めていくことにもなるはずだ。

 サイトスペシャルズフォーラムは当面月一回の定例会のを中心に運営される。一九九一年の当初の予定は以下のようである。

 二月 六日 藤沢好一 「日本の建築生産と建設労働」

 三月一二日  谷 卓郎  「サイトスペシャリストの養成」

 今年の末には、大きなイヴェントが組めたらと思う。国際シンポジュームとか運動会とか、いろんな企画案が出始めている。とにかく、楽しくやらなくちゃ、と思う。

 

*1 サイト・スペシャルズ・フォーラムについての問い合わせは、事務局 千葉市中瀬1ー3 B12 ヒューマンインスティチュート内 電話 0472962700





2022年11月16日水曜日