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2021年9月22日水曜日

21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(8)「大雑院から高層マンションへ  歴史的大改造 北京  消えゆく胡同  消えゆく四合院」

 21世紀のユートピア・・・都市再生という課題

都市再生とは何か。何を再生するのか。都市再生デザインの行方を探る

布野修司 日刊建設工業新聞200111302002092710回連載 

 この五年の間、「植民都市空間の起源・変容・転成・保全に関する調査研究」(文部省科学研究費助成研究)と題する研究プロジェクトに携わってきた。〈支配←→被支配〉〈ヨーロッパ文明←→土着文化〉の二つを拮抗基軸とする都市の文化変容が主題である。自ずから、世界史的なスケールにおいて、都市の未来を考える機会となった。

二一世紀の鍵を握る今日の発展途上地域の都市は、ほとんどが植民都市としての歴史をもつ。各都市は、人口問題、環境問題に悩む一方で、共通の課題を抱え始めている。植民地期に形成された都市核の再開発問題である。植民都市遺産を否定するのか、継承するのかはかなり大きなテーマである。

顧みるに、我が国は、「都市再生」の大合唱である。一体「都市再生」とは何か。再生する都市遺産とは一体何か。世界中のいくつかの事例に即して、様々な角度から考えて見たい。

21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(8)

大雑院から高層マンションへ  歴史的大改造 北京  消えゆく胡同 消えゆく四合院

北京の変貌ぶりにもびっくりする。故宮に接した王府井(わんふーちん)に巨大なショッピング・センターが出来た。また、天安門の前の長安街にそって次々に新しいビルが建ち並ぶ。二〇〇八年の北京オリンピックに向けて北京は頗る活気がある。

景気のいいところに、世界中から有能な建築家が集う。日本人で今北京にオフィスを構えるのが六角鬼丈、山本理顕両建築家である。山本理顕設計の集合住宅は、日本で言えば、億ションだ。シャワールームつきのメイド部屋があり、自動乾燥機がついている。景気のいいところに建築家が育つ。『世界建築』の編集長、精華大学の王教授から頂いた『青年建築師・中国』には、四五歳を最年長として三三人の「青年建築家」が選出されている。デザインの力は格段の進歩だ。

 ところで、他人事ながら大いに気になるのが四合院であり、胡同(ふーとん 路地)である。かつて歩いたことのある朝陽門地区に行って愕然とする。一画が全て潰れていたのである。千年近くにもなる古都が決定的に変貌しつつある。果たしていいのか。これまでの街の成り立ちと再開発の方向はあまりにも異質である。決定的な問題は、街区の規模を遙かに超えた超高層集合住宅に街区が置き換えられつつあることである。

 四合院住宅は、しばらく前から、「大雑院」と呼ばれる。流入人口の増加で、多くの家族が住み込み、そのかたちは崩れ、居住環境も悪化しつつあったのである。この間、徐々に再開発が行われてきたが、住民たちもそれを受け入れつつあるようにみえる。

 郭沫若故居など典型的四号院が残る地安門大街周辺などに歴史的街並みを復元する地区がわずかに指定されるものの、四合院住宅が消えるのは時間の問題のようだ。菊児胡同において四合院型集合住宅が新たに提案されたことがあるが、精華大学の先生方の話を聞く限りでは、その方向にリアリティはないという。圧倒的に人気があるのは超高層の「SOHO現代城」の方なのである。

 北京オリンピックの北京は、おそらく全く見違えるような北京となっているであろう。



 

[01] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(1)「バブリ-なオランダ建築」,日刊建設工業新聞,20011130

[02] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(2)「問われる歴史的都市核の再開発」,日刊建設工業新聞,20020111

[03] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(3)「元気なロンドン・テムズ川・サウス・バンクス」,日刊建設工業新聞,20020201

[04] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(4)「再開発の壮絶なる失敗ケ-プタウンのディストリクト・シックス」,日刊建設工業新聞,20020222

[05] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(5)「バ-ドウォッチングのできる都心 ジャカルタのニュ-タウン・イン・タウン」,日刊建設工業新聞,20020315

[06] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(6)「アイデンティティとしての空間形式(街区と町屋) マラッカ オ-ルドタウン」,日刊建設工業新聞,20020531

[07] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(7)「「中国共産党第一次全国代表大会会址」が「スタ-バックス」に 超高層の谷間に「里弄住宅」 上海 新天地」,日刊建設工業新聞,2002615

[08] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(8)「大雑院から高層マンションへ 歴史的大改造 北京 消えゆく胡同 消えゆく四合院」,日刊建設工業新聞,200207 12

[09] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(9)URA(都市再開発機構)の挑戦 甦るショップハウス・ラフレシア シンガポ-ル チャイナタウンの変貌」,日刊建設工業新聞,20020830

[10] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(10)「地下に眠るロ-マの都市遺構 ウォ-タ-フロント・バルセロネ-タ バルセロナ ガウディの生き続ける街」,日刊建設工業新聞,20020927

 

2021年9月21日火曜日

21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(7)「「中国共産党第一次全国代表大会会址」が「スタ-バックス」に 超高層の谷間に「里弄住宅」 上海 新天地」

 21世紀のユートピア・・・都市再生という課題

都市再生とは何か。何を再生するのか。都市再生デザインの行方を探る

布野修司 日刊建設工業新聞200111302002092710回連載 

 この五年の間、「植民都市空間の起源・変容・転成・保全に関する調査研究」(文部省科学研究費助成研究)と題する研究プロジェクトに携わってきた。〈支配←→被支配〉〈ヨーロッパ文明←→土着文化〉の二つを拮抗基軸とする都市の文化変容が主題である。自ずから、世界史的なスケールにおいて、都市の未来を考える機会となった。

二一世紀の鍵を握る今日の発展途上地域の都市は、ほとんどが植民都市としての歴史をもつ。各都市は、人口問題、環境問題に悩む一方で、共通の課題を抱え始めている。植民地期に形成された都市核の再開発問題である。植民都市遺産を否定するのか、継承するのかはかなり大きなテーマである。

顧みるに、我が国は、「都市再生」の大合唱である。一体「都市再生」とは何か。再生する都市遺産とは一体何か。世界中のいくつかの事例に即して、様々な角度から考えて見たい。

  21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(7)

「中国共産党第一次全国代表大会会址」が「スタ-バックス」に

  超高層の谷間に「里弄住宅」 上海 新天地 多彩な都市の貌 

布野修司 

 

上海は、おそろしく元気なまちだ。浦東新区に「東方明珠電視塔」など超高層が林立する様は壮観である。超高層の数では東京も脱帽であろう。人民広場にある上海城市規画展示館には上海全体の模型がワンフロア全体に展示されており、そのすごさを実感できる。

一方、上海の貌というと西洋建築の建ち並ぶ外灘(バンド)である。その夜景は上海の往時を偲ばせる。上海は日本租界を含めて各国の租界がつくられた町だ。異国情緒が漂ったかつての雰囲気は未だに残っている。また、未だ一九二〇年代から三〇年代に開発された里弄(りろう)住宅(石窟門ともいう)がびっしり並ぶ地区もある。超高層が林立する谷間に低層の居住区がまだまだ点々と存在しているのである。里弄住宅もまた上海の貌である。

そして、上海のニュースポットとなっているのが「新天地」である。「新天地」は、人民公園の西側を南に下がった廬湾区の一画にある。心底仰天したのは、「一大会址」に「スターバックス」が入っていたことだ。グローバリゼーションの象徴といえるのではないか。超高層建築の多くもアメリカ人建築家の設計である。「一大会址」とは中国共産党第一次全国代表大会会址のことである。一九二一年七月、当時フランス租界であったこの場所、李漢俊(後に脱党)の住宅に毛沢東ら一三名が集まった。一九世紀半ばに住宅地として開発された地区で、これまで煉瓦造の建物が建ち並んでいた。

煉瓦造の住宅に次々と手が加えられ、洒落たブティックやレストランに変貌しつつある。新旧の取り合わせのデザインがいかにも受けそうな雰囲気を醸し出していた。未だ工事中だが、既に観光名所になりつつあるらしく、バスガイドが観光客を引き連れて巡っている。まさに「新天地」として、若い世代を惹きつけているのである。

「新天地」だけではない。蒋介石夫人の宋美齢が使った書斎(宋慶齢故居)は、「カフェ・アールデコ・ガーデン」となっている。かつて英国人の屋敷であった瑞金賓館はアジア・レストランに変貌している。租界建築が次々にリニューアルされているのも上海のひとつの貌である。




[01] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(1)「バブリ-なオランダ建築」,日刊建設工業新聞,20011130

[02] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(2)「問われる歴史的都市核の再開発」,日刊建設工業新聞,20020111

[03] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(3)「元気なロンドン・テムズ川・サウス・バンクス」,日刊建設工業新聞,20020201

[04] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(4)「再開発の壮絶なる失敗ケ-プタウンのディストリクト・シックス」,日刊建設工業新聞,20020222

[05] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(5)「バ-ドウォッチングのできる都心 ジャカルタのニュ-タウン・イン・タウン」,日刊建設工業新聞,20020315

[06] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(6)「アイデンティティとしての空間形式(街区と町屋) マラッカ オ-ルドタウン」,日刊建設工業新聞,20020531

[07] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(7)「「中国共産党第一次全国代表大会会址」が「スタ-バックス」に 超高層の谷間に「里弄住宅」 上海 新天地」,日刊建設工業新聞,2002615

[08] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(8)「大雑院から高層マンションへ 歴史的大改造 北京 消えゆく胡同 消えゆく四合院」,日刊建設工業新聞,200207 12

[09] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(9)URA(都市再開発機構)の挑戦 甦るショップハウス・ラフレシア シンガポ-ル チャイナタウンの変貌」,日刊建設工業新聞,20020830

[10] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(10)「地下に眠るロ-マの都市遺構 ウォ-タ-フロント・バルセロネ-タ バルセロナ ガウディの生き続ける街」,日刊建設工業新聞,20020927

 

2021年9月20日月曜日

21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(6)「アイデンティティとしての空間形式(街区と町屋) マラッカ オ-ルドタウン」

21世紀のユートピア・・・都市再生という課題

都市再生とは何か。何を再生するのか。都市再生デザインの行方を探る

布野修司 日刊建設工業新聞200111302002092710回連載 

 この五年の間、「植民都市空間の起源・変容・転成・保全に関する調査研究」(文部省科学研究費助成研究)と題する研究プロジェクトに携わってきた。〈支配←→被支配〉〈ヨーロッパ文明←→土着文化〉の二つを拮抗基軸とする都市の文化変容が主題である。自ずから、世界史的なスケールにおいて、都市の未来を考える機会となった。

二一世紀の鍵を握る今日の発展途上地域の都市は、ほとんどが植民都市としての歴史をもつ。各都市は、人口問題、環境問題に悩む一方で、共通の課題を抱え始めている。植民地期に形成された都市核の再開発問題である。植民都市遺産を否定するのか、継承するのかはかなり大きなテーマである。

顧みるに、我が国は、「都市再生」の大合唱である。一体「都市再生」とは何か。再生する都市遺産とは一体何か。世界中のいくつかの事例に即して、様々な角度から考えて見たい。

 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(6)

アイデンティティとしての空間形式(街区と町屋) マラッカ オ-ルドタウン

まちの形の確認 ババニョニャ 

                                  布野修司

 


 




 マラッカにはこれまで三度行ったことがある。最初は一九八一年、二〇年の月日を経て一昨年、昨年と続けて通った。一昨年は何日かじっくり歩き回ったからオールドタウンについては隅々までイメージできる。こじんまりしたいい町だ。

二〇年前、マラッカはなんとなくうらびれた田舎町でしかなかった。しかし、今では歴史都市としての面影を再生しつつある。二〇年間でマラッカはすっかり変わった。最初の訪問時、フランシスコ・ザビエルが一時葬られたセント・ポール教会など荒れ放題であったし、スタダイズ(市庁舎)やその周辺の歴史的建造物も傷んだままであった。王宮が復元されたのは最近である。変わるのは当たり前であるが、調査してみると、オールドタウンについてはほとんどの町屋はそのままであるから、変わったという印象は町のかたちがむしろくっきりしたというのに近い。

 マラッカはマレー半島における最初の都市といっていい。マラッカ王国の交易拠点として発展してきた。そのマラッカをポルトガルが奪うのが一五一一年、そして、その要塞をオランダが占領し(一六四一~一七九五年)、英国が引き継ぐ(一七九五~一八一八、一八二四~一九五七年)。その都市形成には植民地化の歴史が重層している。英国統治時代になってマラッカの相対的地位は低下する。ペナン、そしてシンガポールにその交易拠点としての役割を譲るのである。その後、錫、ゴムの集散地としての機能はもつが、内陸開発の拠点とはならない。戦後も工業開発からはむしろ取り残されてきた。東西交渉史の上で名高いマラッカにわざわざクアラルンプールから足を運んでいささか期待はずれの感を抱いたのが二〇年前である。

マラッカが脚光を浴び出すのはツーリズムの勃興の流れにおいてである。調べてみると、マラッカ州で文化遺産保全修復法が施行されたのは一九八八年のことである。それ以前に全州で古物法が成立し(一九七六年)、保護すべきモニュメントや遺物の指定が開始されていたが、都市計画と直接結びつくわけではない。マラッカがその歴史的都市としてのアイデンティティに目覚め、世界文化遺産登録を目指すまでにいたったのは最近のことなのである。

都市再生が課題であるとして、一体どの時代の都市を再生するのかは興味深い問題である。マラッカの場合、英国統治時代に大きな改変はなく、オランダ時代の骨格が残されてきたから自らそれがベースとされている。しかし、ポルトガル時代も無視し得ないし、事実、マラッカの南にはポルトガル村が存在している。また、一九世紀以降、町を担ったのはババニョニャと呼ばれる土着化した中国人たちである。

 オールドタウンを歩くと様々な民族が居住していることが自ずとわかる。トゥカン・ベシ-トゥカン・エマス通りにはヒンドゥ寺院、モスク、そして中国廟が並んでいる。教会もいくつかある。住宅の多くは店舗住宅(ショップハウス)であるがマレーハウスもある。ババニョニャが支配的であるが、インド人が多く携わる金融街もある。こうした多民族社会において何を再生するかは大きな問題である。

 日本の歴史都市の場合も同じ問題がある。民族や宗教の差異ほどはっきりしないが、様々な階層が様々な価値観を持ちながら共住するのが都市である。従って、都市再生といってもコンセンサスを得るのはそう容易ではない。しかし、住み手がどうあれ、町のアイデンティティに関わる、その骨格となる空間の形式がある。マラッカの場合、町屋の形式がかなり広範に維持されており、その骨格や景観をくっきりと浮かび上がらせる行為として、町屋の形式の維持が選択されたのである。

マラッカももちろん多くの問題を抱えている。バイパスがないために大量の車が通り抜けるのもそうだ。また、海岸部を壁のように塞ぐ住宅開発はオールドタウンの再生の意義を半減させてしまっている。

 

 

[01] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(1)「バブリ-なオランダ建築」,日刊建設工業新聞,20011130

[02] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(2)「問われる歴史的都市核の再開発」,日刊建設工業新聞,20020111

[03] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(3)「元気なロンドン・テムズ川・サウス・バンクス」,日刊建設工業新聞,20020201

[04] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(4)「再開発の壮絶なる失敗ケ-プタウンのディストリクト・シックス」,日刊建設工業新聞,20020222

[05] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(5)「バ-ドウォッチングのできる都心 ジャカルタのニュ-タウン・イン・タウン」,日刊建設工業新聞,20020315

[06] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(6)「アイデンティティとしての空間形式(街区と町屋) マラッカ オ-ルドタウン」,日刊建設工業新聞,20020531

[07] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(7)「「中国共産党第一次全国代表大会会址」が「スタ-バックス」に 超高層の谷間に「里弄住宅」 上海 新天地」,日刊建設工業新聞,2002615

[08] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(8)「大雑院から高層マンションへ 歴史的大改造 北京 消えゆく胡同 消えゆく四合院」,日刊建設工業新聞,200207 12

[09] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(9)URA(都市再開発機構)の挑戦 甦るショップハウス・ラフレシア シンガポ-ル チャイナタウンの変貌」,日刊建設工業新聞,20020830

[10] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(10)「地下に眠るロ-マの都市遺構 ウォ-タ-フロント・バルセロネ-タ バルセロナ ガウディの生き続ける街」,日刊建設工業新聞,20020927

  

2021年9月19日日曜日

21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(5)「バ-ドウォッチングのできる都心 ジャカルタのニュ-タウン・イン・タウン」

 21世紀のユートピア・・・都市再生という課題

都市再生とは何か。何を再生するのか。都市再生デザインの行方を探る

布野修司 日刊建設工業新聞200111302002092710回連載 

 この五年の間、「植民都市空間の起源・変容・転成・保全に関する調査研究」(文部省科学研究費助成研究)と題する研究プロジェクトに携わってきた。〈支配←→被支配〉〈ヨーロッパ文明←→土着文化〉の二つを拮抗基軸とする都市の文化変容が主題である。自ずから、世界史的なスケールにおいて、都市の未来を考える機会となった。

二一世紀の鍵を握る今日の発展途上地域の都市は、ほとんどが植民都市としての歴史をもつ。各都市は、人口問題、環境問題に悩む一方で、共通の課題を抱え始めている。植民地期に形成された都市核の再開発問題である。植民都市遺産を否定するのか、継承するのかはかなり大きなテーマである。

顧みるに、我が国は、「都市再生」の大合唱である。一体「都市再生」とは何か。再生する都市遺産とは一体何か。世界中のいくつかの事例に即して、様々な角度から考えて見たい。

 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(5)

バ-ドウォッチングのできる都心  ジャカルタのニュ-タウン・イン・タウン

ニュータウン・イン・タウン(都市の中の新都市)、国内空港の跡地利用

セルフ・コンテインド(自己充足)か否か?

コタ・バル・バンダル・クマヨランKota Baru Bandar Kemayoran

布野修司 




 ジャカルタも東京(江戸)も一七世紀初頭にその起源をもつ。江戸幕府が開かれたのが一六〇三年、オランダがもともとスンダ・カラパと呼ばれていた寒村を襲ってバタヴィアの建設を開始したのが一六一九年である。バタヴィアは一七世紀半ばにはその骨格を完成させ、一八世紀にかけて繁栄を誇る。一八世紀末に人口約一二万人というから江戸の方が大きいが、バタヴィアは「東洋の女王」と呼ばれ、東インド会社の植民都市の中で最も美しい都市とされた。その後、ウェルトフレーデン(現在のムルデカ広場)に中心を移し、南に向かって都市は発展する。そして、一九世紀末から二〇世紀にかけて産業革命の大きなインパクトを受け、巨大都市への道を歩む。独立以後の人口増加にはすさまじいものがあり、ジャボタペックJaBoTaBek(ジャカルタ、ボゴール、タンゲラン、ブカシ)と呼ばれるジャカルタ大都市圏の人口は一〇〇〇万人を優に超える。

 ジャカルタが今日猶多くの都市問題を抱えていることは指摘するまでもない。交通、ゴミ処理、上下水などインフラストラクチャーの整備は依然として大きな課題だし、住宅問題も解決されたわけではない。ジャカルタにおいて都市再生という課題がないわけではない。具体的なテーマとしてかつてのバタヴィア、コタ地区の再生がある。かつての市庁舎(現ジャカルタ美術館)のあるファタヒラ広場に歴史的建造物を改造した洒落たカフェができるなどその萌芽はあるが、運河は依然として悪臭を放っている状況だ。一般的には発展途上国の大都市は再開発が問題になるはるか以前の状況にある。

 そうしたジャカルタにおいて、注目すべきプロジェクトが実施されようとしている。経済危機以降頓挫しているからその成否は歴史的評価を待たねばならないが、その理念は大いに興味深い。いわく、ニュータウン・イン・タウン(都市の中の新都市)・プロジェクトである。

 発想の種は都心に位置する広大なクマヨラン空港の跡地であった。二〇年前にはまだ国内線用空港として使われていた。何度か乗り降りしたことがあるが、まるで赤い屋根の海に突っ込むような空港であった。周辺はぎっしりとカンポン(都市集落)に取り囲まれ、市街ははるか遠くまで広がっている。飛行場の移転は当然であった。この跡地をひとつの都市を建設しよう、というのである。

 プルムナス(公団)や民間によって多くの郊外住宅地開発が行われる中で抜群の立地である。そしてかなりの規模がある。滑走路を幹線道路に使うのは当然として、いくつか注目すべき今日的アイディアがある。

 まず、ジャワ海に面する一画に開発を凍結された自然公園が確保されている。野生を呼び戻すのが理念である。また、数十万人に及ぶとされるバタウィと呼ばれるジャカルタ原住民の文化を維持していくことが謳われる。もともと原住民が暮らしていた土地であることから、その民族文化を学び継承する施設やワークショップを設けようというのである。さらに、周辺のカンポン居住者にカンポン型の集合住宅(ルーマー・ススン)を供給するのが前提とされる。カンポン型集合住宅とは、居間や厨房、バス・トイレを共用にする、インドネシア型のコレクティブ・ハウスである。ニュータウンのサーヴィス部門を支える層としても様々な階層が居住する(ミックス・ハウジング)のが原則である。そして、全体として自己充足すること、全ての生活が新都市内で完結することが中心理念とされる。

 経済危機とそれに続く政変が仮になくても、このプロジェクトが成功したかどうかはわからない。しかし、このプロジェクトには強力な理念がある。都市再生に必要なのもいくつかのシャープな理念ではないか。

 

 

[01] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(1)「バブリ-なオランダ建築」,日刊建設工業新聞,20011130

[02] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(2)「問われる歴史的都市核の再開発」,日刊建設工業新聞,20020111

[03] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(3)「元気なロンドン・テムズ川・サウス・バンクス」,日刊建設工業新聞,20020201

[04] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(4)「再開発の壮絶なる失敗ケ-プタウンのディストリクト・シックス」,日刊建設工業新聞,20020222

[05] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(5)「バ-ドウォッチングのできる都心 ジャカルタのニュ-タウン・イン・タウン」,日刊建設工業新聞,20020315

[06] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(6)「アイデンティティとしての空間形式(街区と町屋) マラッカ オ-ルドタウン」,日刊建設工業新聞,20020531

[07] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(7)「「中国共産党第一次全国代表大会会址」が「スタ-バックス」に 超高層の谷間に「里弄住宅」 上海 新天地」,日刊建設工業新聞,2002615

[08] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(8)「大雑院から高層マンションへ 歴史的大改造 北京 消えゆく胡同 消えゆく四合院」,日刊建設工業新聞,200207 12

[09] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(9)URA(都市再開発機構)の挑戦 甦るショップハウス・ラフレシア シンガポ-ル チャイナタウンの変貌」,日刊建設工業新聞,20020830

[10] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(10)「地下に眠るロ-マの都市遺構 ウォ-タ-フロント・バルセロネ-タ バルセロナ ガウディの生き続ける街」,日刊建設工業新聞,20020927

 

2021年9月18日土曜日

21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(4)「再開発の壮絶なる失敗ケ-プタウンのディストリクト・シックス」

 21世紀のユートピア・・・都市再生という課題

都市再生とは何か。何を再生するのか。都市再生デザインの行方を探る

布野修司 日刊建設工業新聞200111302002092710回連載

  この五年の間、「植民都市空間の起源・変容・転成・保全に関する調査研究」(文部省科学研究費助成研究)と題する研究プロジェクトに携わってきた。〈支配←→被支配〉〈ヨーロッパ文明←→土着文化〉の二つを拮抗基軸とする都市の文化変容が主題である。自ずから、世界史的なスケールにおいて、都市の未来を考える機会となった。

二一世紀の鍵を握る今日の発展途上地域の都市は、ほとんどが植民都市としての歴史をもつ。各都市は、人口問題、環境問題に悩む一方で、共通の課題を抱え始めている。植民地期に形成された都市核の再開発問題である。植民都市遺産を否定するのか、継承するのかはかなり大きなテーマである。

顧みるに、我が国は、「都市再生」の大合唱である。一体「都市再生」とは何か。再生する都市遺産とは一体何か。世界中のいくつかの事例に即して、様々な角度から考えて見たい。

21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(4)

再開発の壮絶なる失敗 ケ-プタウンのディストリクト・シックス


ケープタウンはシドニーと二〇〇〇年のオリンピック開催を競って破れた。マンデラ政権の登場(一九九四年)で、アパルトヘイト体制が崩壊し、国際社会に新体制が認められつつあり、アフリカでの開催が初めてということもあって大いに期待されたが残念な結果となった。ケープタウンは、オランダが基礎を築きイギリスが後を引き継いで建設した美しい町だ。しかし、ケープタウンには、その都心に近接してディストリクト・シックスという負の遺産となる地区がある。

 ディストリクト・シックスは、現在、茫漠たる野原である。所々に教会など宗教施設が建っており、住宅もぽつんぽつんとあるが寒々しい風景だ。ディストリクト・シックスはかつて黒人、インド人の他、東欧、北欧など多人種の混住する地区であり、活気ある下町であった。ところが、一九五〇年に制定された集団地域法に基づいて突然「白人地区」に指定される(一九六六年)。全ての地主は政府以外に土地を売ることを禁止され、多くの反対運動にも関わらず、一九六八年、地区の解体が強行されたのであった。ディストリクト・シックスは南アフリカで最も悲惨なスラム・クリアランスの事例となった。発展途上国の大都市でも数多くのスラム・クリアランスが行われてきたが、アパルトヘイト体制下で強制力をもって行われた事例として他に類例を見ない。

一八六七年にケープタウンの行政区は六つの地区に分割された。ディストリクト・シックスの名称はその時の区分に由来する。ケープタウンの都市建設は、一六五二年にヤン・ファン・リーベックによって開始される。この人物、最初はバタヴィアに赴任し、出島を訪れたことのある興味深い人物だ。当初は要塞のみであるが、やがて居住地建設が本格化し、一六六六年に現在の位置に新たにファイブ・スター形の要塞が建設された。ディストリクト・シックスはこの要塞から南東に形成されることになるが、一八世紀末までは未利用地のままである。市域の東への拡張が始まるのは、一九世紀初頭で一八三四年の奴隷解放が大きな転換点となる。人口は急増し始める。二〇世紀初頭、地区はほぼ建て詰まった。衛生問題は年々深刻化し、一九〇一年にはペストが発生する。そうした中で原住民(都市地域)法が制定された(一九二三年)。各自治体にアフリカ人を分離したロケーションに住まわせ、都市への流入を制御することを求めるものだ。これが集団地域法(一九五〇年)の前身である。

以降、高密度居住による衛生問題、住宅問題が一貫する都市計画の課題となる。公衆衛生法(一九一九年)、住居法(一九二〇年)がつくられ、パインランズという田園都市建設がこころみられるが、基本方針は黒人の分離、強制移住であり、原住民(都市地域)法の制定が居住地編成を大きく規定する。

一九六二年、市議会はディストリクト・シックスの地所を買収し、再開発することを提案する。そして、一九六四年地域開発大臣は再計画のための調査委員会を立ち上げる。その結果、貧困地区回復委員会CORDAが設立される。しかし、一九六五年、政府は全ての計画を凍結する。一九六六年、ディストリクト・シックスは突然「白人地区」に指定されるのである。一九六八年にCORDAが簡単な再開発計画(五一.ha、一五,〇〇〇人)を立て、一九七一年に政府が承認した計画案(五一.ha、一三,五〇〇人)は、オープン・スペースを広大にとった巨大なフラッツの集合体であった。計画対象地域はかつてのディストリクト・シックスの半分程度に縮小している。四半世紀たって再開発計画は遅々として進まない。

かつてバブル華やかなりし頃、東京で下町が次々に消滅していったことを思い出す。学ぶべきは地区の歴史を無視する再開発は巨大なロスであることだ。ディストリクト・シックスには様々な民族の文化が歴史的に根付いていたにもかかわらず、その再開発計画は一瞬のうちにそれを抹殺してしまったのである。

 


 

 

[01] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(1)「バブリ-なオランダ建築」,日刊建設工業新聞,20011130

[02] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(2)「問われる歴史的都市核の再開発」,日刊建設工業新聞,20020111

[03] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(3)「元気なロンドン・テムズ川・サウス・バンクス」,日刊建設工業新聞,20020201

[04] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(4)「再開発の壮絶なる失敗ケ-プタウンのディストリクト・シックス」,日刊建設工業新聞,20020222

[05] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(5)「バ-ドウォッチングのできる都心 ジャカルタのニュ-タウン・イン・タウン」,日刊建設工業新聞,20020315

[06] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(6)「アイデンティティとしての空間形式(街区と町屋) マラッカ オ-ルドタウン」,日刊建設工業新聞,20020531

[07] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(7)「「中国共産党第一次全国代表大会会址」が「スタ-バックス」に 超高層の谷間に「里弄住宅」 上海 新天地」,日刊建設工業新聞,2002615

[08] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(8)「大雑院から高層マンションへ 歴史的大改造 北京 消えゆく胡同 消えゆく四合院」,日刊建設工業新聞,200207 12

[09] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(9)URA(都市再開発機構)の挑戦 甦るショップハウス・ラフレシア シンガポ-ル チャイナタウンの変貌」,日刊建設工業新聞,20020830

[10] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(10)「地下に眠るロ-マの都市遺構 ウォ-タ-フロント・バルセロネ-タ バルセロナ ガウディの生き続ける街」,日刊建設工業新聞,20020927

 

2021年9月17日金曜日

21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(3) 元気なロンドン・テムズ川・サウス・バンクス

 21世紀のユートピア・・・都市再生という課題

都市再生とは何か。何を再生するのか。都市再生デザインの行方を探る

布野修司 日刊建設工業新聞200111302002092710回 連載

  この五年の間、「植民都市空間の起源・変容・転成・保全に関する調査研究」(文部省科学研究費助成研究)と題する研究プロジェクトに携わってきた。〈支配←→被支配〉〈ヨーロッパ文明←→土着文化〉の二つを拮抗基軸とする都市の文化変容が主題である。自ずから、世界史的なスケールにおいて、都市の未来を考える機会となった。

二一世紀の鍵を握る今日の発展途上地域の都市は、ほとんどが植民都市としての歴史をもつ。各都市は、人口問題、環境問題に悩む一方で、共通の課題を抱え始めている。植民地期に形成された都市核の再開発問題である。植民都市遺産を否定するのか、継承するのかはかなり大きなテーマである。

顧みるに、我が国は、「都市再生」の大合唱である。一体「都市再生」とは何か。再生する都市遺産とは一体何か。世界中のいくつかの事例に即して、様々な角度から考えて見たい。

 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(3)

元気なロンドン・テムズ川・サウス・バンクス

 新旧絶妙のバランス 復元・再生・挑戦

ザ・ドラマティック・マイル ロンドン・テムズ川・サウス・バンクス

                                   布野修司





 

 ロンドン・テムズ川・サウス・バンクスが元気である。「ザ・ドラマティック・マイル」「ロンドンズ・ドラマチック・リバーサイド」というキャッチフレーズの下、いくつかのプロジェクトが進行中である。ウエストミンスター・ブリッジからロンドン・ブリッジまで、その一マイルを歩いた。

 ビッグベンを振り返りながらウエストミンスター・ブリッジを渡ると、まず、大観覧車が人気を集めている。プリンス・チャールズであれば眉を顰めそうであるがロンドン子の間に議論はなかったのであろうか。人を集めるには大観覧車ということか。しかし、建築のディテールはしっかりしており迫力がある。橋の元にはサッチャーの行革で売り飛ばされたカウンティ・ホールがある。前にオープン・カフェのテーブルが並び週末のせいかものすごい人の流れであった。

少し行くと右手に円形の立体映画館IMAX、そして、国立劇場など公共建築が続く。戦後、打ち放しコンクリートの近代建築が並んだ一画である。プリンス・チャールズがかつて槍玉に挙げた地区だ。こうして新たな建築が建ち並びだすとあらためて一時代が過ぎたという気がしてくる。

新たな建築といっても、新たに建築されるだけではない。続く目玉のテート・モダンがそうだ。この現在人気を集める美術館は巨大な発電所を改造したものものなのである。こんなところに発電所があったのかとまず思う。堂々たる建築はベーレンスなど近代建築の迫力を感じさせる。ところがこの発電所、第二次世界大戦後の建設であった。建築家はギルバート・スコット卿で、一九五三年に西半分がオープンし、完成したのは一九五九年である。丁度打ち放しコンクリートの国立劇場が建ち並びだした時期だ。煉瓦造の工業建築を当時の建築ジャーナリズムが無視したとしても不思議はない。第一スケールアウトである。発電所としても石油時代を読みそこなったのか、また、都心に近すぎたせいか、一九八一年に閉鎖されたのであった。その建築がいま甦っている。コンペに勝ったのは、ジャック・ヘルツォークとピエール・デ・ムーロンである。プリツカー賞を受賞した。巨大な空間を思う存分再生している。ストック時代の建築再生の、ひとつの方向を示している。

テート・モダンの前には、真直ぐセント・ポール寺院へ向けて、ノーマン・フォスターのミレニアム・ブリッジが建設中だ。無骨な橋が並ぶ中でひときわスマートである。テムズに浮かぶオブジェになる。土木スケールの構築物のデザインは建築家の大きなテーマになるであろう。少し離れてロンドン・ブリッジのたもとには同じくノーマン・フォスターによる楕円球形をしたロンドン市のオフィスがある。ミレニアム・ドーム(閉鎖中である)のリチャード・ロジャースも合わせて健在で、挑戦的である。

テート・モダンの東には、シェイクスピアの「グローブ座」がミレニアム・プロジェクトに先駆けて復元されている。F.イエーツの『世界劇場』以降、考古学的資料も得た考証を重ねた上での復元である。こうした復元も大いに試みられるべきだ。ただ重要なのは復元のための復元ではないことだ。実際、シェイクスピア劇団によってシェイクスピア劇が毎日上演され、大いに人を集めているのである。

川向こうを望みながら歩けば、ロンドンの歴史的街並みをパノラマとして楽しむことができる。ところどころに簡単な説明もある。中にハーバート・ベイカーの建築を発見して思わずにんまりした。彼は南アフリカで活躍した建築家である。ロンドンの歴史の厚みに思いを馳せることもできるのである。

わずか一マイルの間に新旧取り混ぜた再生手法が見られる。絶妙のバランスと言えるのではないか。


[01] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(1)「バブリ-なオランダ建築」,日刊建設工業新聞,20011130

[02] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(2)「問われる歴史的都市核の再開発」,日刊建設工業新聞,20020111

[03] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(3)「元気なロンドン・テムズ川・サウス・バンクス」,日刊建設工業新聞,20020201

[04] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(4)「再開発の壮絶なる失敗ケ-プタウンのディストリクト・シックス」,日刊建設工業新聞,20020222

[05] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(5)「バ-ドウォッチングのできる都心 ジャカルタのニュ-タウン・イン・タウン」,日刊建設工業新聞,20020315

[06] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(6)「アイデンティティとしての空間形式(街区と町屋) マラッカ オ-ルドタウン」,日刊建設工業新聞,20020531

[07] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(7)「「中国共産党第一次全国代表大会会址」が「スタ-バックス」に 超高層の谷間に「里弄住宅」 上海 新天地」,日刊建設工業新聞,2002615

[08] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(8)「大雑院から高層マンションへ 歴史的大改造 北京 消えゆく胡同 消えゆく四合院」,日刊建設工業新聞,200207 12

[09] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(9)URA(都市再開発機構)の挑戦 甦るショップハウス・ラフレシア シンガポ-ル チャイナタウンの変貌」,日刊建設工業新聞,20020830

[10] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(10)「地下に眠るロ-マの都市遺構 ウォ-タ-フロント・バルセロネ-タ バルセロナ ガウディの生き続ける街」,日刊建設工業新聞,20020927

 

2021年9月16日木曜日

21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(2)「問われる歴史的都市核の再開発」ソカロからラテン・アメリカ・タワーへ

 21世紀のユートピア・・・都市再生という課題

都市再生とは何か。何を再生するのか。都市再生デザインの行方を探る

布野修司 日刊建設工業新聞200111302002092710連載 

 この五年の間、「植民都市空間の起源・変容・転成・保全に関する調査研究」(文部省科学研究費助成研究)と題する研究プロジェクトに携わってきた。〈支配←→被支配〉〈ヨーロッパ文明←→土着文化〉の二つを拮抗基軸とする都市の文化変容が主題である。自ずから、世界史的なスケールにおいて、都市の未来を考える機会となった。

二一世紀の鍵を握る今日の発展途上地域の都市は、ほとんどが植民都市としての歴史をもつ。各都市は、人口問題、環境問題に悩む一方で、共通の課題を抱え始めている。植民地期に形成された都市核の再開発問題である。植民都市遺産を否定するのか、継承するのかはかなり大きなテーマである。

顧みるに、我が国は、「都市再生」の大合唱である。一体「都市再生」とは何か。再生する都市遺産とは一体何か。世界中のいくつかの事例に即して、様々な角度から考えて見たい。

 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(2

問われる歴史的都市核の再開発  ソカロからラテン・アメリカ・タワーへ

 メキシコ・シティの苦悩!? 問われる歴史的都市核の再開発 

   超高層の海に沈むかコルテスの街

 

京都のような格子状の町に住んでいるせいだろうか。世界中の格子状(グリッド・パターン)の都市が気になる。といってもきりがない。古今東西、グリッド・パターンの都市はそこら中にあるからである。

植民都市ということでは、中南米はスペインがつくった格子状都市の宝庫である。フェリペ二世が一五七三年に発したインディアス法が大きな影響力を持ったとされるが、もちろんそれ以前から格子状都市はつくられている。フェリペ二世の勅令はそれを集大成したものだ。今年、オランダ西インド会社(WIC)の建設した植民都市をブラジルそしてカリブ海まで追いかけて、その帰途、初めてスペイン植民地(ヌエバ・エスパーニャ)の総括拠点であったメキシコの地を訪れる機会を得た。メキシコ・シティは見事なグリッド・パターンの街である。

メキシコ・シティの地をコルテスが征服した時(一五二一年)、テスカカ湖の上にはアステカ帝国の都テノチティトランの壮麗な姿があった。コルテスはその都を破壊し、その石材を使って自分たちの都シウダード・デ・メヒコを建設する。アステカ帝国の都市遺産を完全に破壊し、全く新たな都市を同じ場所に建てたのである。

現在、ソカロと呼ばれる中央広場の周辺には、スペインの当時の都市に決して負けないカテドラル、宮殿が建つ。コルテスは、現地人にヨーロッパ都市文明の威光を示すこと、スペイン本国に負けない都市を建設することを目指したのである宮殿の隣地からアステカの中央神殿跡が発見されたのは一九一三年のことだ。ひどいことをしたものだ、とつくづく思う。コルテスの頭脳の中には、先住民の都市文化遺産への尊敬の念など微塵もなかった。

とは言え、ソカロは既に五〇〇年にも及ぶ歴史を誇る。周辺は世界文化遺産にも指定されている。ところで、ソカロの外れ、アラメダ公園の角に、エンパイア・ステート・ビルを小型にしたようなラテン・アメリカ・タワーというビルが建っている。地上四四階、さらテレビ塔が載って一八二メートルにもなる。そのビルの展望台から見事なグリッドと主要な建物を俯瞰することが出来る。

このラテン・アメリカ・タワー、驚いたことに一九四八年に着工して五六年に竣工している。日本に霞ヶ関ビルが出来る(六八年)遙かに前である。設計者はオルティス・モナステリオ。日本において、六〇年頃国立自治大学図書館の民族的表現などが話題になったことがあるが、この建物は知られていない。アメリカ建築の華々しさの前に無視されたのだろう。耐震性にすぐれ、度重なる地震にも問題ないという。

このタワーをめぐって今一騒動が起こりつつある。なんと、大統領とメキシコ市長は、都心活性化のために、ゾカロからラテン・アメリカ・タワーの町へ化粧直しをはかることで一致、そのためのプロジェクトを発表したのである。八月半ば、僕のメキシコ滞在中のことである。

世界文化遺産にも指定された歴史的中心ソカロも古くさい、と言うことであろうか。また、未だ近代建築の理念と美学は根強いということであろうか。ソカロが経済的に地盤沈下しつつあることはよくわかる。ちょっとしたレストランなど夕方7時を過ぎれば店じまいである。何らかの再開発は必至のようだ。

テノチティトランを完全に破壊して出来た栄光のコルテスの町が、超高の林立する街の底に沈んでしまうとしたら皮肉なことである。都市も500年存続すればもって瞑すべしということであろうか。もっとも、顔見知りになったラテンアメリカ・タワーの足下の古本屋の主人は、メキシコには金無いし、何も変わらない、と平然としているのである。






 

[01] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(1)「バブリ-なオランダ建築」,日刊建設工業新聞,20011130

[02] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(2)「問われる歴史的都市核の再開発」,日刊建設工業新聞,20020111

[03] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(3)「元気なロンドン・テムズ川・サウス・バンクス」,日刊建設工業新聞,20020201

[04] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(4)「再開発の壮絶なる失敗ケ-プタウンのディストリクト・シックス」,日刊建設工業新聞,20020222

[05] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(5)「バ-ドウォッチングのできる都心 ジャカルタのニュ-タウン・イン・タウン」,日刊建設工業新聞,20020315

[06] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(6)「アイデンティティとしての空間形式(街区と町屋) マラッカ オ-ルドタウン」,日刊建設工業新聞,20020531

[07] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(7)「「中国共産党第一次全国代表大会会址」が「スタ-バックス」に 超高層の谷間に「里弄住宅」 上海 新天地」,日刊建設工業新聞,2002615

[08] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(8)「大雑院から高層マンションへ 歴史的大改造 北京 消えゆく胡同 消えゆく四合院」,日刊建設工業新聞,200207 12

[09] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(9)URA(都市再開発機構)の挑戦 甦るショップハウス・ラフレシア シンガポ-ル チャイナタウンの変貌」,日刊建設工業新聞,20020830

[10] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(10)「地下に眠るロ-マの都市遺構 ウォ-タ-フロント・バルセロネ-タ バルセロナ ガウディの生き続ける街」,日刊建設工業新聞,20020927

 

2021年9月15日水曜日

21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(1)「バブリ-なオランダ建築」

 21世紀のユートピア・・・都市再生という課題

都市再生とは何か。何を再生するのか。都市再生デザインの行方を探る

布野修司 日刊建設工業新聞200111302002092710

 この五年の間、「植民都市空間の起源・変容・転成・保全に関する調査研究」(文部省科学研究費助成研究)と題する研究プロジェクトに携わってきた。〈支配←→被支配〉〈ヨーロッパ文明←→土着文化〉の二つを拮抗基軸とする都市の文化変容が主題である。自ずから、世界史的なスケールにおいて、都市の未来を考える機会となった。

二一世紀の鍵を握る今日の発展途上地域の都市は、ほとんどが植民都市としての歴史をもつ。各都市は、人口問題、環境問題に悩む一方で、共通の課題を抱え始めている。植民地期に形成された都市核の再開発問題である。植民都市遺産を否定するのか、継承するのかはかなり大きなテーマである。

顧みるに、我が国は、「都市再生」の大合唱である。一体「都市再生」とは何か。再生する都市遺産とは一体何か。世界中のいくつかの事例に即して、様々な角度から考えて見たい。


21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(1

バブリ-なオランダ建築 ハーグ駅前再開発 

 ポストモダン建築の最後の競演、饗宴、共演!?

 マイケル・グレイブス、シーザ・ペリ、レム・コールハウス、リチャード・マイヤー、アルド・ロッシ他

長年つき合ってきたインドネシアのことを調べるには宗主国であったオランダに赴くことになる。ケープタウン、コロンボ、マラッカ、インドネシア以外でも、ポルトガルの拠点を襲ってオランダが基礎を築いたアジアの都市は少なくない。資料漁りのために最も通ったのはハーグ中央駅に接している王立図書館、国立公文書館である。

そのハーグ中央駅の駅前がなんとも賑やかである。

趣のある歴史的建物の背後に異形の高層建築が二つ見える。オランダはハーグの王宮手前から中央駅を望んだ光景である。左の砲弾形のビルがシーザ・ペリ、右の急勾配の切り妻屋根が二つ連なるビルがマイケル・グレイブスの設計だ。

国際司法裁判所があり、歴史ある落ち着いた町として知られるハーグの駅前に、よくもまあ次々に話題作がそろうものである。コールハウスの出世作といっていいドラマ・シアター(OMA 一九八〇~八七)、リチャード・マイヤーのハーグ新市庁舎(一九八六~九五)も隣接して建っている。国際的建築家の時ならぬ饗宴の感がある。マスタープラン(一九八八~)は、ロブ・クリエである。

オランダ建築には昔から興味があった。アムステルダム派の建築が好きで随分見て歩いた。アムステルダム派の住宅作品が建ち並ぶベルヘンのパーク・メールウクなど三度も行った。J. J. P.アウトやブリンクマンの力量にも惹かれるけれど、ロッテルダム派よりアムステルダム派の方が僕の肌には合う。ハーグは両都市の中間で、両派の師匠と言っていいH. P. ベルラーエの市立美術館(一九二七~三五)やキリスト第一教会(一九二五/二六)、ネーデルランド事務所ビル(一九二一~二七)が残っている。そして、P. L.クラマーの百貨店(一九二四~二六)もあればG.THリートフェルトの住宅作品もある。

それにしても、ハーグに限らず、アムステルダムにしろ、ロッテルダムにしろ、近年のオランダ建築の元気の良さにはびっくりするやら、うらやましいやらである。

しかし一方で、ポストモダンの建築などもう流行らないのではないのか、という気がしないでもない。負け惜しみのようだが、歴史ある都市をここまで改造して大丈夫かな、という気がしてくる。まるでバブル期の日本建築を見るようなのだ。マスタープランが立てられたのは1980年代の終わりである。ポストモダン理論が色濃く投影されているとしても当然かも知れない。

しかし、ポストモダンの都市計画理論とは何か。ポストモダン歴史主義のデザインというのは歴史的文脈を取り戻そうという動きであった。しかし、個々の建築が建つ具体的な場所の歴史についてはどのような方法を採ろうとしたかは不明である。地となる街並みが近代建築のデザインで支配されるそういう場所での自己主張の表現は得意でも、地となる街並みが歴史的な文脈を色濃く持つ場合はどういう解答になるのか、それが問題である。

個々の建築家は、それぞれがそれなりにハーグの町を読んで、それぞれに解答を出しているように見える。しかし、その解答の方向はばらばらである。むしろ、建築家の我が儘の表現が無秩序に並んでいるように見える。ハーグの町の未来がここに示されているとはとても思えない。

無味乾燥な近代建築の立ち並ぶ景観にポストモダンの歴史主義は確かに一撃を加えたかも知れないけれど、しっかりした歴史的街並みの前ではどうしても薄っぺらに見えてしまう。競演が饗宴に終始し、共演になり得ていないのが致命的ではないか。



[01] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(1)「バブリ-なオランダ建築」,日刊建設工業新聞,20011130

[02] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(2)「問われる歴史的都市核の再開発」,日刊建設工業新聞,20020111

[03] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(3)「元気なロンドン・テムズ川・サウス・バンクス」,日刊建設工業新聞,20020201

[04] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(4)「再開発の壮絶なる失敗ケ-プタウンのディストリクト・シックス」,日刊建設工業新聞,20020222

[05] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(5)「バ-ドウォッチングのできる都心 ジャカルタのニュ-タウン・イン・タウン」,日刊建設工業新聞,20020315

[06] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(6)「アイデンティティとしての空間形式(街区と町屋) マラッカ オ-ルドタウン」,日刊建設工業新聞,20020531

[07] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(7)「「中国共産党第一次全国代表大会会址」が「スタ-バックス」に 超高層の谷間に「里弄住宅」 上海 新天地」,日刊建設工業新聞,2002615

[08] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(8)「大雑院から高層マンションへ 歴史的大改造 北京 消えゆく胡同 消えゆく四合院」,日刊建設工業新聞,200207 12

[09] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(9)URA(都市再開発機構)の挑戦 甦るショップハウス・ラフレシア シンガポ-ル チャイナタウンの変貌」,日刊建設工業新聞,20020830

[10] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(10)「地下に眠るロ-マの都市遺構 ウォ-タ-フロント・バルセロネ-タ バルセロナ ガウディの生き続ける街」,日刊建設工業新聞,20020927