21世紀のユートピア・・・都市再生という課題
都市再生とは何か。何を再生するのか。都市再生デザインの行方を探る
布野修司 日刊建設工業新聞20011130~20020927全10回連載
この五年の間、「植民都市空間の起源・変容・転成・保全に関する調査研究」(文部省科学研究費助成研究)と題する研究プロジェクトに携わってきた。〈支配←→被支配〉〈ヨーロッパ文明←→土着文化〉の二つを拮抗基軸とする都市の文化変容が主題である。自ずから、世界史的なスケールにおいて、都市の未来を考える機会となった。
二一世紀の鍵を握る今日の発展途上地域の都市は、ほとんどが植民都市としての歴史をもつ。各都市は、人口問題、環境問題に悩む一方で、共通の課題を抱え始めている。植民地期に形成された都市核の再開発問題である。植民都市遺産を否定するのか、継承するのかはかなり大きなテーマである。
顧みるに、我が国は、「都市再生」の大合唱である。一体「都市再生」とは何か。再生する都市遺産とは一体何か。世界中のいくつかの事例に即して、様々な角度から考えて見たい。
バ-ドウォッチングのできる都心 ジャカルタのニュ-タウン・イン・タウン
ニュータウン・イン・タウン(都市の中の新都市)、国内空港の跡地利用
セルフ・コンテインド(自己充足)か否か?
コタ・バル・バンダル・クマヨランKota Baru Bandar
Kemayoran
布野修司
ジャカルタも東京(江戸)も一七世紀初頭にその起源をもつ。江戸幕府が開かれたのが一六〇三年、オランダがもともとスンダ・カラパと呼ばれていた寒村を襲ってバタヴィアの建設を開始したのが一六一九年である。バタヴィアは一七世紀半ばにはその骨格を完成させ、一八世紀にかけて繁栄を誇る。一八世紀末に人口約一二万人というから江戸の方が大きいが、バタヴィアは「東洋の女王」と呼ばれ、東インド会社の植民都市の中で最も美しい都市とされた。その後、ウェルトフレーデン(現在のムルデカ広場)に中心を移し、南に向かって都市は発展する。そして、一九世紀末から二〇世紀にかけて産業革命の大きなインパクトを受け、巨大都市への道を歩む。独立以後の人口増加にはすさまじいものがあり、ジャボタペックJaBoTaBek(ジャカルタ、ボゴール、タンゲラン、ブカシ)と呼ばれるジャカルタ大都市圏の人口は一〇〇〇万人を優に超える。
ジャカルタが今日猶多くの都市問題を抱えていることは指摘するまでもない。交通、ゴミ処理、上下水などインフラストラクチャーの整備は依然として大きな課題だし、住宅問題も解決されたわけではない。ジャカルタにおいて都市再生という課題がないわけではない。具体的なテーマとしてかつてのバタヴィア、コタ地区の再生がある。かつての市庁舎(現ジャカルタ美術館)のあるファタヒラ広場に歴史的建造物を改造した洒落たカフェができるなどその萌芽はあるが、運河は依然として悪臭を放っている状況だ。一般的には発展途上国の大都市は再開発が問題になるはるか以前の状況にある。
そうしたジャカルタにおいて、注目すべきプロジェクトが実施されようとしている。経済危機以降頓挫しているからその成否は歴史的評価を待たねばならないが、その理念は大いに興味深い。いわく、ニュータウン・イン・タウン(都市の中の新都市)・プロジェクトである。
発想の種は都心に位置する広大なクマヨラン空港の跡地であった。二〇年前にはまだ国内線用空港として使われていた。何度か乗り降りしたことがあるが、まるで赤い屋根の海に突っ込むような空港であった。周辺はぎっしりとカンポン(都市集落)に取り囲まれ、市街ははるか遠くまで広がっている。飛行場の移転は当然であった。この跡地をひとつの都市を建設しよう、というのである。
プルムナス(公団)や民間によって多くの郊外住宅地開発が行われる中で抜群の立地である。そしてかなりの規模がある。滑走路を幹線道路に使うのは当然として、いくつか注目すべき今日的アイディアがある。
まず、ジャワ海に面する一画に開発を凍結された自然公園が確保されている。野生を呼び戻すのが理念である。また、数十万人に及ぶとされるバタウィと呼ばれるジャカルタ原住民の文化を維持していくことが謳われる。もともと原住民が暮らしていた土地であることから、その民族文化を学び継承する施設やワークショップを設けようというのである。さらに、周辺のカンポン居住者にカンポン型の集合住宅(ルーマー・ススン)を供給するのが前提とされる。カンポン型集合住宅とは、居間や厨房、バス・トイレを共用にする、インドネシア型のコレクティブ・ハウスである。ニュータウンのサーヴィス部門を支える層としても様々な階層が居住する(ミックス・ハウジング)のが原則である。そして、全体として自己充足すること、全ての生活が新都市内で完結することが中心理念とされる。
経済危機とそれに続く政変が仮になくても、このプロジェクトが成功したかどうかはわからない。しかし、このプロジェクトには強力な理念がある。都市再生に必要なのもいくつかのシャープな理念ではないか。
[01] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(1)「バブリ-なオランダ建築」,日刊建設工業新聞,20011130
[02] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(2)「問われる歴史的都市核の再開発」,日刊建設工業新聞,20020111
[03] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(3)「元気なロンドン・テムズ川・サウス・バンクス」,日刊建設工業新聞,20020201
[04] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(4)「再開発の壮絶なる失敗ケ-プタウンのディストリクト・シックス」,日刊建設工業新聞,20020222
[05] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(5)「バ-ドウォッチングのできる都心 ジャカルタのニュ-タウン・イン・タウン」,日刊建設工業新聞,20020315
[06] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(6)「アイデンティティとしての空間形式(街区と町屋) マラッカ オ-ルドタウン」,日刊建設工業新聞,20020531
[07] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(7)「「中国共産党第一次全国代表大会会址」が「スタ-バックス」に 超高層の谷間に「里弄住宅」 上海 新天地」,日刊建設工業新聞,2002年6月15日
[08] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(8)「大雑院から高層マンションへ 歴史的大改造 北京 消えゆく胡同 消えゆく四合院」,日刊建設工業新聞,200207
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[09] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(9)「URA(都市再開発機構)の挑戦 甦るショップハウス・ラフレシア シンガポ-ル チャイナタウンの変貌」,日刊建設工業新聞,20020830
[10] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(10)「地下に眠るロ-マの都市遺構 ウォ-タ-フロント・バルセロネ-タ バルセロナ ガウディの生き続ける街」,日刊建設工業新聞,20020927
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