『CEL』 都市の透視図Ⅰ~Ⅳ
都市計画のいくつかの起源とその終焉--都市の透視図Ⅰ, CEL24号, 大阪ガス,199306 (布野修司建築論集Ⅱ収録)
都市の病理学-「スラム」をめぐって,都市の透視図Ⅱ,CEL25,大阪ガス,199309(布野修司建築論集Ⅱ収録)
風水論のためのノ-ト--都市の透視図Ⅲ,CEL26号,大阪ガス,199311(布野修司建築論集Ⅰ収録)
近代日本の建築家と都市計画--都市の透視図Ⅳ,『CEL』27号,199403
住いを考えるこの一冊, 『CEL』,大阪ガス、200607
布野修司
地、水、火、風
ギリシャ哲学では、地、水、火、風を世界の四大元素とした。「全ては水である、水こそ万物の始源(アルケー)である」としたタレス。「空気」だとしたアナクシメネス。「万物はひとつ」とヘラクレイトスが言うように、一者を追求する構えがギリシャ哲学の基本にある。しかし、そうした単純な一元論に対して、多元論もある。エンペドクレスの哲学がそうだ。彼は、「われは土によりて土を、水によりて水を、空気によりて輝ける空気を、また火によりて破壊的なる火を、愛によりて愛を、おぞましき憎しみによりて憎しみをみるなり」という。人間も他のものも、地水火風の四大元素と愛憎の二つの力からなる合成物なのである。エンペドクレスにしても、宇宙の始まりにおける四元素の始源の状態は混沌とし、混然一体をなしたものと考えられていた。
地、水、火、風、空というと仏教にいう五大である。識を加えて六大だ。五輪塔形式の墳墓は、わが国独特のものであるが、下から順に地、水、火、風、空の五大要素を示す。それぞれ、四角、円、三角、半円、団(如意宝珠形)で表される。五輪塔墓は、宇宙を象徴的に型どったものである。と同時に、人間の身体をなぞったものでもある。地、水、火、風、空が、順に、膝、腹、胸、面、頂の身体の部分に対応する。地上に座して瞑想する人間の姿に見立てたのが五輪塔の形なのである。
宇宙の根源を明らかにしようとする思索がこうして洋の東西において同じ要素に行き着くのはそれ自体興味深いのであるが、単純に考えれば、人間にとって、地、水、火、風が極めて本質的なものであるということである。今、我々が住む現代都市は極端に人工化しつつある。人工的に調節された環境が一般化する中で、地、水、火、風と直接触れる機会がどんどん失われつつある。道路という道路はアスファルトで舗装され、運動場には人工芝が植えられる。水は蛇口を捻れば出てくる。火は、表で使うことはできない。焚火やバーベキューは禁止である。地、水、火、風といっても、全てコントロールされたものである。
我々が今更のようにその存在の大きさに気づかされるのは、自然災害に見舞われた時である。地震、火事、水害、台風、人間の力を超えた自然の猛威の前にはなすすべがないのである。
都城の思想と風水説
地、水、火、風をどうコントロールするかは、それ故、古来、都市や集落を築く上で大きな問題であった。古来、中国や日本の都城の選地や計画にあたって大きな背景になったのが風水説である。
知られるように、平城京遷都の詔に「平城の地は、四禽が図に叶い、三山が鎮を作し、亀筮が並みに従う、宜しく都邑建つべし」という。四禽が図に叶う、というのが、いわゆる「四神相応」である。四禽、四神とは、天の四方、東西南北を司る神で、東は青龍、西は白虎、南は朱雀、北は玄武と呼ばれる。この四神相応が都市や住居の立地に最良とされてきた。即ち、東に水が流れ、西に大きな道があり、南に低地あるいは池がある、そして北に丘を負う、という立地である。
もちろん、四神相応というだけではない。都城の理念を支えたのは風水説のみではない。三山が鎮を作す、というのは道教の神仙思想の影響によるし、陰陽説や仏教などの影響もある。日本の「宮都」を専ら道教との関連で明らかにしようとするのが、例えば、高橋徹の『道教と日本の宮都』(註1)である。また、千田稔が、それ以前に、長安や慶州も含めて東アジアの都城と道教のつながりを指摘している(註2)。
東アジアの都城の理念に大きな影響を及ぼしたのはもちろん中国である。既に様々な議論があるところだ。中国の都城の理念を極めて簡潔に示すとされるのが、『周礼』考工記の次のような記述である。
「方九里、旁三門。国中九経九緯。経途●九軌。左祖右社。面朝後市。市朝一夫」
注釈書によると次のようになる。
「一辺九里の正方形で、側面にはそれぞれ三つづつの門を開く。城内には南北と東西に九条ずつの街路を交差させ、その道幅は車のわだち(八尺)の九倍とする。中央に天子のいる宮闕の左つまり東には祖先の霊をまつる宗廟をおき、右つまり西には土地の神をまつる社稷をおく。前方つまり南には朝廷を、後方つまり北には市場をおき、その市場と朝廷はともに一夫つまり百歩平方の面積を占める」(註3)。
『周礼』考工記のこの「左祖右社」、「面朝後市」に加えて、「中央宮闕(宮殿)」、「左右民廛(民家)」の4つの原則が周末漢初から中国で意識されてきたとされるのであるが、解釈についてはまだ問題が残されているようだ。例えば、「面朝後市」の解釈として、「後」が「后」の誤りだとして、市場を立てる皇后と朝廷を立てる天子とを陰陽の関係において捉える説がある。また、朝に朝廷で政事をし、午後に市場へ出かけるといった説も可能らしい。必ずしも朝廷、市場の位置を示さないのである。長安城など実例を見ると、上の解釈は当てはまらないのである。
中国、朝鮮韓国、日本の都城をめぐる諸説についてはここではおこう。都城の理念型とコスモロジーをめぐっては、陰陽説、道教など、様々な思想の絡まりが興味深い。また、理想型と具体的形態のずれが実に面白いのである。
パマヒイン
ところで、風水説というのは中国、朝鮮韓国、日本に限定されるわけではない。東アジアのみならず、フィリピンやタイにも見られる。
一九八九年一一月にインドネシアで開かれたユネスコの会議のテーマは「発展途上国における伝統的価値と現代建築および人間居住計画の統合」であった。その冒頭、いきなり風水( )という言葉が飛び出したのが印象的であった。スピーカーはフィリピンのリリア・カサノバ女史であったのであるが、「住宅およびニュータウン開発における社会的文化的価値のインパクト」と題したその講演のなかで、女史はニュータウンの計画において、計画と入居者の生活とがずれていることををいくつかの事例を上げながら説明したのである。その原因は人々が住居に対して持つ伝統的価値、住居観、すなわち風水を理解しなかったからだというのだ。
フィリピンにおける伝統的住居観については、一九八二年に東京で行ったシンポジウムの折に、フィリピン大のマナハン教授のレクチャーを受けたことがある。カサノバ女史もそのマナハン教授のその時のレポートを引いていたのであるが、例えば次のようだ。
一.建物配置
a.タガログ地方では、十字形をした家の間取りは縁起が悪い。
b.家の中に聖者やキリストの肖像を掲げるのはカソリック信者の古くからの習慣である。
c.精霊が棲むと考えられているいくつかの樹種がある。その樹が敷地にある場合切ってはならない。切れば不幸になる。
d.地下に居間を設けることは西洋人の近代的概念である。しかし、とりわけフィリピンの迷信深いチャイニーズにとってはタブーである。
二.開口部
a.ドアは互いに向かい合ってはならない。そうすると繁栄はありえない。
b.ドアは西を向いてはいけない。西を向くと、死や不健康やいさかいを招く。等々。
三.柱の建立
a.柱の基礎にコインを埋めるといい。
b.木の柱あるいは竹の柱は台風に備えて時計周りに建てていく。
c.ひびの入った柱は使わない。不幸になる。
四.家の立地
a.袋小路はよくない。
b.T字路に直面する家は望ましくない。
以上は断片にすぎないのであるが、たわいもないと思われるだろうか。理解不可能なこともある。しかし、こうした民俗信仰、慣習に基づいた「迷信」の世界はわれわれにも親しい筈だ。家相、地相の世界である。
フィリピンではパマヒイン( )と呼ばれるのだという。そういう民俗信仰であれば、ホンスイと呼ばれる、とタイの建築技術研究所のエカチャイ氏がいう。風水である。インドネシアではどうだ。一般的にカパルチャヤアン( )という。また、ジャワにはプリンボン( )がある。
プリンボン(
)
プリンボンの存在を僕が初めて知ったのは、一九八二年、インドネシアのジャワ、ムラピ山の山麓で調査をしていた時であった。村の長老に建築儀礼について聞いていて、ほとんどバラバラになりそうな分厚い一冊の本を見せられたのである。もう三〇年も使い古されたものであった。KITAB PRIMBON
と表紙に書かれていた、そのメモがある。
プリンボンとは何か。誤解を恐れずに言えば、ジャワにおける家相、地相、風水の説、思想をまとめたものだ。もちろん、その全体はとても理解するところではない。ムラピ山麓で長老の説明を聞いても、ジャワ暦の数の数え方を理解するので精一杯であった。住居を建設するに当たって、節目、節目に日を選ぶ。その吉凶の判断をするデータが書かれているのがプリンボンである。建設の時機、入居の時機等について細かな規定がなされているのだ。もちろん建設に関わることだけではない。人生、生活全般についてプリンボンは説いている。もとになるのは、週五日のジャワ暦、パサラン( )である。適正な日時を計算することをビンシラン( )あるいはプトゥンガン( )という。デサ(村)の慣習法を司どる長がその役割を負う。
中に門の位置や井戸の位置を決める図がある。敷地の各辺が五分割ないし、九分割されている。九分割による門・エントランスの位置については、例えば次のようである。北側の場合、西から二番目、三番目はよく、それぞれ多くの客を招く、子沢山となるとされる。九番目、北東の角は貧乏になる。南の場合、中央は、多くの死を招くとされるが、四分割目、六分割目は、それぞれ知識や強い意志が得られるとする。東から七番目は裕福になるという。
井戸の場合も、同様である。入口の位置によって区別され、東西南北および、北東、北西、南東、南西の八つのポイントについて判断が示される。住居への入口に向かって、左手前から反時計回りに一~八の番号がふられるが、一、八、そして五が井戸の位置として適しているとされている。南向きの住居の場合、南西、西、北東がいいのである。
鬼門、裏鬼門などというのによく似ているというのが、最初の素朴な感想であった。
その後、このプリンボンが一般の本屋で沢山売られているのに気がついた。村の長老に見せられたものに比べれば随分薄っぺらなのであるが、各種のプリンボンが小さな本屋にも置かれている。ほとんどの本の表紙に占い師の顔写真がある。いくつかの流派があるのである。いずれにせよプリンボンは現在もなお庶民の間に生きている。
カウル・カラン
ジャワにはスラット・センティニ( )という古文書がある。一九世紀前半の文書である。そのスラット・センティニは、ジャワの建築についての二つの章からなっており、一方がフィジカルな側面を扱い、他方がノンフィジカルな側面を扱っている。そして、そのノンフィジカルな側面を扱うのが実は今日のプリンボンである。フィジカルな側面を扱うのは、カウル・カラン( )という。
このカウル・カランというのは、大工や職人むけに書かれたものであり、プリンボンは一般向けである。
プリンボンのうち、建物に言及する章は、プトゥンガン( )と呼ばれる。上述したように、プゥトゥンガンとは、「数えること」である。
プトゥンガンとは、一般には次のように書いてある。
「建物を計測する場合。建物の幅と長さの尺度として、ペチャッ( 足幅 身体寸法)を用いて、五つずつ数える。カルタ( )、カヤサ( )、チャンディ( )、レトグ( )、スンポヨン( )と数えて最初に戻る。最もいいのは、カルタである。もし、カヤサだとしばしば引っ越す羽目になる。もし、チャンディだとしばしば病気なる。もし、レトグだと厳しい貧困に陥る。もし、スンポヨンだとしばしば死んでしまう。」
五をモードとする吉凶判断であるが、この使われ方をプリンボン全部について調べたのがJ.プリヨトモである(註4)。
J.プリヨトモによれば、プリンボンの中のプトゥンガンは、八つのグループに分けられるという。いくつか見てみよう。
A.集落の選定
方法:ヌプトゥ(数字)の加算。モード七。
要素:入居者の最初から最後までのアルファベットの数および村の最初から最後までのアルファベットの数(ジャワ語)。
判断:七で割った余りの数。① 吉。飢えからは開放されるが富裕というほどではない。② まもなくいい仕事にありつける。③ 吉。すぐに金持ちになれる。④ 吉。願い事成就。⑤ 凶。⑥ 凶。 ⑦ 凶。
B.敷地特性
方法:敷地の物理的性状を調査する。
要素:敷地の物理的性状
判断:①敷地が東向きに傾斜している場合。病気にはならないが、結婚生活に問題。②敷地が山に囲まれている場合。その敷地をカウラ・カンビン・バラ( )といい、金持ちになり、親戚からも愛される。③敷地の西に山があり、東に水がある場合。その敷地をアングラック といい、人はしばしば狂う。等々
C.敷地の測定
方法:デパ( 尋(ひろ 両手を広げた長さ))による測定。
要素:敷地境界線。モード四。ブミ( )、カルタ( )、カラ( )、カリ( )。
判断:①北西の角から南に向かい、南西の角で終わるのはカルタ。②南西の角から東へ向かい、南東の角で終わるのはブミ。③南東の角から北へ向かい、北東の角で終わるのはカルタ。④北東の角から西へ向かい、北西で終わる場合ブミ。
以下、D.正門の位置、E.理想の間取り、F.建設時期(主としてオマ)、G.長さ、巾、高さの測定、H.建設時期と続く。
プリンボンは、基本的にはジャワのものである。しかし、地相、家相の類はどこにでもある。例えば、バリには、アスタ・コサラ・コサリ、アスタ・ブミ、シワ・カルマ(註5)といったロンタル文書(椰子の葉に古バリ語で書かれた文書)がある。文書という形にまとめられるかどうかは地域による。
こうした、各地の地相、家相の類は、どのようなつながりをもつのか。あるいは、地域毎に全く固有の体系もつものなのか。その地域による差異は何に因るのか。地域毎に異なる建築のあり方を考える上で興味深いと僕は思う。
プリンボンとバリのアスタ・コサラ・コサリなどは明らかにつながりがある。敷地分割のやり方が同じなのである。基層文化としてのヒンドゥー文化がふたつを媒介していることは明らかである。遡れば、インドの『アルタシャストラ』(註6)に行き当たる筈だ。ところで、プリンボンと日本の家相とは果してつながりをもつのであろうか。
チャイニーズ・ジオマンシー
ロンドンに行った折、会議の合間をぬって寄ったRIBA(英国王立建築家協会)の本屋でまたまた風水に出会った。出版されたばかりのデレク・ウオルターズの『チャイニーズ・ジオマンシー』(註7)というペイパーバックが山のように積まれていたのである。ヨーロッパでも、風水について、随分、関心が高いのだ。
そのデレク・ウオルターズの本というのは、実は、デ・フロートの『中国の宗教制度(システム)』(註8)の第三巻第一書「死者の処置」一二章「風水」に注釈をつけたものである。デ・フロートの全六巻にも及ぶ大著は、デュルケムとモース(『分類の未開形態』)にも引用される古典であり、度々復刻されているのだが、興味深いことに、日本でも「風水」の章のみ翻訳がある。『中国の風水思想ーー古代地相術のバラードーー』(註9)である。一九七七年に出版されて、一九八六年に改訂版が出ている。どうやら、風水についての関心は高まりつつあるのかもしれない。村山智順の『朝鮮の風水』(註10)も復刻されているし、韓国でも最近韓国訳が出た。しかし、いささか驚くことに、渡邊欣雄の『風水思想とアジア』(註11)によれば、家相、墓相の専門家はいても、風水についての「研究」はいまのところそう多くはないのだという。
しかし、その後、風水への関心はますます高まりつつあるようにみえる。風水をテーマとする論考が増えているのである。エコロジー・ブームの中で、風水思想が再評価されつつあるのである。韓国の場合、日本よりさらに関心が高い。風水に関する専門書が陸続と出版され、その評価をめぐって大きな議論が起こっているのである。
風水の歴史ははるかに遡ることができるのであるが、デ・フロートによれば、その基礎を築いたのは、三世紀の占星家・予言者・占卜家、管● 、郭● である。以後、形勢学派(形と輪郭の影響または力、山岡の形によって指示されている五行や五星の影響と力にウエイトを置く)、福建学派(卦・十二支・十干・星宿にウエイトを置く)という二大学派に分かれながら、今日に至る。
その今日的読解の作業は、ホットなテーマである。
現代の風水師
ところで、風水とプリンボンは果してつながりがあるのか。
プリンボンの起源ももちろん古い。ところが、その歴史となると中国のようにはいかない。その起源に触れるのが、ファン・オッセンブリュッヘンの「ジャワにおけるモンチョ・パット概念の起源ーー未開の分類体系とのかかわりで」(註12)である。モンチョ・パットとは、あるデサ(村)とそこからみてほぼ四方位の方向に位置する四つのデサとの連合体を意味するのであるが、その概念はジャワの分類体系に基礎を置いており、プリンボンを支えるもの、その体系をうかがえるのである。モンチョというのはサンスクリットのパンチャ(ジャワ語のポンチョ=五)から来ており、「輪番で市場となる五つの隣接村落」に由来するという。また、パットは、ウンパット( 四)である。モンチョ・リマ( 五)、モンチョ・ウナム( 六)、・・モンチョ・ウォル(八)、モンチョ・スプルー( 十)という使われ方もする。一説には、モンチョ・リマは、モンチョ・パットの外側の四つの村落さすという。次々に四村づつ村落連合に加わるというのである。
また、T.G.T.ピジョーの「ジャワの占いと分類体系」(註12)がモンチョパットとプリンボンに触れている。一四世紀(一三六五年)のジャワの文書『ナガラクルタガマ』(註13)にもそうした分類体系を跡づけることができるというから、イスラーム以前には、少なくともプリンボンは遡るわけである。
さて、分類の未開形態ということでは、ジャワと中国はよく似ている。五行、八卦という四・五分割あるいは八分割とモンチョパット(モンチョリマ)の四・五分割である。
しかし、このレヴェルで似ていると言っても面白くないだろう。皮相な構造主義人類学は、分類体系にのみ関心を集中する。
さて、われわれは、普遍的な空間分類の原理を問題にしようというのではない。仮に、風水とプリンボンの直接的な関係が跡づけられるとしても、興味は、その具体的表現としての都市や集落や住居である。
風を読み、水を読む方法、その内容こそが問題である。こうなると、もう少し、突っ込んでプリンボンを、さらに風水を研究してみる必要がある。いま、建築の世界で忘れ去られているのは、土地土地を見極めて行く眼であり、土地に固有な建築手法である。かって、風水師は至るところに存在していた。その存在を駆逐してきたのが近代建築家である。風水師のような建築家の存在を夢想するのはもはやアナクロなのだろうか。
註1 高橋徹の『道教と日本の宮都』(人文書院 一九九一年)
註2 千田稔 「都城選地の景観を視る」(岸俊男編 『都城の生態』 日本の古代9 中央公論社 一九八七年)
註3 砺波護 「中国都城の思想」(岸俊男編 『都城の生態』 日本の古代9 中央公論社 一九八七年)
註4 以下の記述は、J.プリヨトモによる。J.プリヨトモがテキストとしたのは、” ” である。
註5
バリのウンダギ(古老大工)によれば、シワ・カルマは、人間の態度、立居振舞いを規定し、アスタ・ブミは、土地や自然に対するルールを既定する。また、アスタ・コサラ・コサリは、建物についてのルールを規定する。
註6 カウティリア 、『アルタシャーストラ』『実利論』(上村勝彦訳 岩波文庫) 王宮、城塞、都市について、その配置方法、建設方法が書かれている。
註7
註8
註9 牧尾良海訳 第一書房 一九八六年
註 村山智順 『朝鮮の風水』(朝鮮総督府 一九三一年 復刻 国書刊行会 一九七二年)
註 渡邊欣雄の『風水思想とアジア』 人文書院 一九九〇年
註 P.E.デ=ヨセリン=デ=ヨング他著 『オランダ構造人類学』 宮崎恒二他編訳 せりか書房所収 一九八七年
註 ナガラクルタガマ については、以下の文献が参照される。
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