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2021年9月18日土曜日

21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(4)「再開発の壮絶なる失敗ケ-プタウンのディストリクト・シックス」

 21世紀のユートピア・・・都市再生という課題

都市再生とは何か。何を再生するのか。都市再生デザインの行方を探る

布野修司 日刊建設工業新聞200111302002092710回連載

  この五年の間、「植民都市空間の起源・変容・転成・保全に関する調査研究」(文部省科学研究費助成研究)と題する研究プロジェクトに携わってきた。〈支配←→被支配〉〈ヨーロッパ文明←→土着文化〉の二つを拮抗基軸とする都市の文化変容が主題である。自ずから、世界史的なスケールにおいて、都市の未来を考える機会となった。

二一世紀の鍵を握る今日の発展途上地域の都市は、ほとんどが植民都市としての歴史をもつ。各都市は、人口問題、環境問題に悩む一方で、共通の課題を抱え始めている。植民地期に形成された都市核の再開発問題である。植民都市遺産を否定するのか、継承するのかはかなり大きなテーマである。

顧みるに、我が国は、「都市再生」の大合唱である。一体「都市再生」とは何か。再生する都市遺産とは一体何か。世界中のいくつかの事例に即して、様々な角度から考えて見たい。

21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(4)

再開発の壮絶なる失敗 ケ-プタウンのディストリクト・シックス


ケープタウンはシドニーと二〇〇〇年のオリンピック開催を競って破れた。マンデラ政権の登場(一九九四年)で、アパルトヘイト体制が崩壊し、国際社会に新体制が認められつつあり、アフリカでの開催が初めてということもあって大いに期待されたが残念な結果となった。ケープタウンは、オランダが基礎を築きイギリスが後を引き継いで建設した美しい町だ。しかし、ケープタウンには、その都心に近接してディストリクト・シックスという負の遺産となる地区がある。

 ディストリクト・シックスは、現在、茫漠たる野原である。所々に教会など宗教施設が建っており、住宅もぽつんぽつんとあるが寒々しい風景だ。ディストリクト・シックスはかつて黒人、インド人の他、東欧、北欧など多人種の混住する地区であり、活気ある下町であった。ところが、一九五〇年に制定された集団地域法に基づいて突然「白人地区」に指定される(一九六六年)。全ての地主は政府以外に土地を売ることを禁止され、多くの反対運動にも関わらず、一九六八年、地区の解体が強行されたのであった。ディストリクト・シックスは南アフリカで最も悲惨なスラム・クリアランスの事例となった。発展途上国の大都市でも数多くのスラム・クリアランスが行われてきたが、アパルトヘイト体制下で強制力をもって行われた事例として他に類例を見ない。

一八六七年にケープタウンの行政区は六つの地区に分割された。ディストリクト・シックスの名称はその時の区分に由来する。ケープタウンの都市建設は、一六五二年にヤン・ファン・リーベックによって開始される。この人物、最初はバタヴィアに赴任し、出島を訪れたことのある興味深い人物だ。当初は要塞のみであるが、やがて居住地建設が本格化し、一六六六年に現在の位置に新たにファイブ・スター形の要塞が建設された。ディストリクト・シックスはこの要塞から南東に形成されることになるが、一八世紀末までは未利用地のままである。市域の東への拡張が始まるのは、一九世紀初頭で一八三四年の奴隷解放が大きな転換点となる。人口は急増し始める。二〇世紀初頭、地区はほぼ建て詰まった。衛生問題は年々深刻化し、一九〇一年にはペストが発生する。そうした中で原住民(都市地域)法が制定された(一九二三年)。各自治体にアフリカ人を分離したロケーションに住まわせ、都市への流入を制御することを求めるものだ。これが集団地域法(一九五〇年)の前身である。

以降、高密度居住による衛生問題、住宅問題が一貫する都市計画の課題となる。公衆衛生法(一九一九年)、住居法(一九二〇年)がつくられ、パインランズという田園都市建設がこころみられるが、基本方針は黒人の分離、強制移住であり、原住民(都市地域)法の制定が居住地編成を大きく規定する。

一九六二年、市議会はディストリクト・シックスの地所を買収し、再開発することを提案する。そして、一九六四年地域開発大臣は再計画のための調査委員会を立ち上げる。その結果、貧困地区回復委員会CORDAが設立される。しかし、一九六五年、政府は全ての計画を凍結する。一九六六年、ディストリクト・シックスは突然「白人地区」に指定されるのである。一九六八年にCORDAが簡単な再開発計画(五一.ha、一五,〇〇〇人)を立て、一九七一年に政府が承認した計画案(五一.ha、一三,五〇〇人)は、オープン・スペースを広大にとった巨大なフラッツの集合体であった。計画対象地域はかつてのディストリクト・シックスの半分程度に縮小している。四半世紀たって再開発計画は遅々として進まない。

かつてバブル華やかなりし頃、東京で下町が次々に消滅していったことを思い出す。学ぶべきは地区の歴史を無視する再開発は巨大なロスであることだ。ディストリクト・シックスには様々な民族の文化が歴史的に根付いていたにもかかわらず、その再開発計画は一瞬のうちにそれを抹殺してしまったのである。

 


 

 

[01] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(1)「バブリ-なオランダ建築」,日刊建設工業新聞,20011130

[02] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(2)「問われる歴史的都市核の再開発」,日刊建設工業新聞,20020111

[03] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(3)「元気なロンドン・テムズ川・サウス・バンクス」,日刊建設工業新聞,20020201

[04] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(4)「再開発の壮絶なる失敗ケ-プタウンのディストリクト・シックス」,日刊建設工業新聞,20020222

[05] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(5)「バ-ドウォッチングのできる都心 ジャカルタのニュ-タウン・イン・タウン」,日刊建設工業新聞,20020315

[06] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(6)「アイデンティティとしての空間形式(街区と町屋) マラッカ オ-ルドタウン」,日刊建設工業新聞,20020531

[07] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(7)「「中国共産党第一次全国代表大会会址」が「スタ-バックス」に 超高層の谷間に「里弄住宅」 上海 新天地」,日刊建設工業新聞,2002615

[08] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(8)「大雑院から高層マンションへ 歴史的大改造 北京 消えゆく胡同 消えゆく四合院」,日刊建設工業新聞,200207 12

[09] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(9)URA(都市再開発機構)の挑戦 甦るショップハウス・ラフレシア シンガポ-ル チャイナタウンの変貌」,日刊建設工業新聞,20020830

[10] 21世紀のユ-トピア 都市再生という課題(10)「地下に眠るロ-マの都市遺構 ウォ-タ-フロント・バルセロネ-タ バルセロナ ガウディの生き続ける街」,日刊建設工業新聞,20020927

 

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