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2023年3月20日月曜日

2023年3月10日金曜日

木の移築プロジェクト,雑木林の世界95,住宅と木材,199707

 木の移築プロジェクト,雑木林の世界95,住宅と木材,199707

雑木林の世界95

木の移築プロジェクト

布野修司

 オーストリアのウイーン工科大学、フィンランドのヘルシンキ工科大学、米国のヴァージニア工科大学からたてつづけに建築家、教授の訪問を受けた。ウイーン工科大学からは建築家ヘルムート・ヴィマー氏。ウイーンを舞台に興味深い集合住宅のプロジェクトをいくつも展開中である。中高層ハウジング研究会と京都大学のアジア都市建築研究会で話してもらったが、大いに刺激的であった。

 例えば、開口部、ファサードのシステムの提案がある。周辺の歴史的建造物の壁の色に合わせたブラインドがつけられており、時間毎にファサードの表情が変わる。また、別のプロジェクトで、居住者が思い思いの絵やメッセージをファサードに描くシステムもある。

 後の二大学は学生それぞれ二十人前後が同伴しての訪問であった。目的もよく似ている。京都の町を素材に特に木造建築について学ぼうというのである。ワークショップ方式というのであろうか、単位認定を伴う研修旅行である。日本の大学も広く海外に出かけていく必要があると思う。うらやましい限りである。

 修学院離宮、桂離宮、詩仙堂…、二つの大学のプログラムを見せられて、つくづく京都は木造建築の宝庫であると思う。実に恵まれているけれど、時としてその大切な遺産のことを僕らは忘れてしまっている。議論を通じて、日本人の方が木造文化をどうも大事にしてこなかったことをいまさらのように気づかされて恥じ入るのである。

 フィンランドは木造建築の国である。だから木の文化への興味は実によく分かる。フィンランドにはアルヴァー・アールトという大建築家の存在があって日本にもファンが多い。建築の感覚に通じるものがあるのである。建築史のニスカネン教授のアールトについての講義はいかにその作品が深くフィンランドの木造建築の伝統に根ざしているかを具体的に指摘して面白かった。建築のグローテンフェルト氏と美術史のイエッツォネン女史の講義も、フィンランドの建築家の作品の中に日本建築の影響がいかに深く及んでいるかを次々に指摘していささか驚いた。

 学生たちはただ観光して歩いているわけではない。両大学ともスケッチしたり、様々なレポートが課せられている。レイ・キャス教授率いるヴァージニア工科大学のプログラムで特に興味深いものとして具体的にものを制作する課題がある。近い将来日本の民家を解体してアメリカに移築しようというのだ。「木の移築」プロジェクトという。プロジェクトの中心は、京都で建築を学ぶピーター・ラウ講師である。民家の再生を手がける建築家、木下龍一氏がサポートする。

 まず、初年度は民家を解体しながら木造の組み立てを学ぶ。そして、次年度はアメリカで組み立てる。敷地もキャンパス内に用意されているという。米国の大工さん(フレーマー)も協力する体制にあるという。問題は日本側の協力体制である。面白そうだから協力しましょう、という話になったけれど、容易ではない。組み立て解体の場所を探すのが大変である。解体する民家を探すのも難しい。いきなり今年は実行できないけれど、とにかく何か共同製作しようという話になった。

 みんなでひとつの巨大な「連画」を描くのである。場所は、国際技能振興財団の「ピラミッド匠の広場」(滋賀県八日市市)になんとか確保した。ヘルシンキ工科大学は参加できなかったが日米学生三〇数名が参加した。

 指導は彫刻家大倉次郎氏であった。木彫で海外にも知られる。作業は簡単といえば簡単であった。墨で線を引くだけである。

 とにかく筆の赴くままに無心に引け、という。意識してパターンをつくってはいけない、という。交代して順番に引いていく。前の人の線が気になる。ルールは、前の人の線に接してはいけない、ということである。

 まず、紙の上に木や竹、石などを置く。これも構成を意識せずにばらまく。置かれたものをよけて線を引くのもルールである。

 やってみると意外に面白い。筆の太さによって線は規制されている。個々の線に個性はでるけれど、全体として統一感は自然にでてくろ。一心不乱に引いて、共同でひとつの作品ができる。貴重な体験であった。

 「木の移築」プロジェクトもなんとか成功させたいものである。

 ところで「木匠塾」も軌道にのりつつある。今年は加子母村(岐阜県)でバンガローを建てる。学生の設計で学生による自力建設である。加子母村については、学生主体の運営で来年以降も継続して二棟ずつ自力建設を行うことになった。また、これまでの成果をまとめ、全国的に展開する段階に達しつつある。

 SSF(サイト・スペシャルズ・フォーラム)の第八回スクーリングは陸前高田氏で開かれた。大変な盛り上がりで、毎年開く勢いである。

 職人大学設立も本格的に動き出した。難問山積であるが、大きな流れになっていくのは間違いないところである。

  本誌の連載は「雑木林の世界」以前の四回を加えて丁度一〇〇回となった。木匠塾、SSF、職人大学の動きは記録できたのではないかと思う。ご愛読感謝したい。

 以下、小さく縮めて入れて下さい。

●1989:01 雑木林のエコロジー02 草刈十字軍03 出桁化粧造04 智頭杉「日本の家」●1990 05 富山の住宅 06 UKーJAPAN ジョイント・セミナー 07I風水ーーーインドネシア08 伝統建築コース 09Z出雲建築フォーラム10  家づくりの会 11  ワンルームマンション研究  12○地域職人学校ーーー茨城県地域木造住宅供給基本計画 13  中高層共同住宅生産高度化推進プロジェクト14Iカンポンの世界 15  「木都」能代16 「樹医」制度・木造り校舎・「樹木ノート」●1991年

17 秋田県建設業フォーラム   1月

18サイト・スペシャルズ・フォーラム 2月

19A建築フォーラム(AF)         3月

20A地球環境時代の建築の行方      4月

21 「イスラムの都市性」研究   5月

22A住居根源論                    6月

23 飛騨高山木匠塾             7月

24 木の文化研究センター構想       8月

25 第一回インターユニヴァーシティー・サマースクール 9月

26S凅沼合宿SSF       10月

27○茨城ハウジングアカデミー 11月

28  第一回出雲建築展シンポジウム12月


●1992年

29 割箸とコンクリート型枠用合板  1月

30Iロンボク島調査                 2月

31○技能者養成の現在ー茨城木造住宅センターハウジングアカデミー 3月

32 東南アジア学フォーラム    4月

33 第二回インターユニヴァーシティー・サマースクール 5月     

34  建築と土木          6月

35  望ましい建築・まちなみ景観のあり方研究会         7月

36 エスキス・ヒアリングコンペ・公開審査方式     8月

37 日本一かがり火祭り

38 京町屋再生研究会 

39 マルチ・ディメンジョナル・ハウジング

40  朝鮮文化が日本建築に与えたもの                  12

●1993年


41    

42  群居創刊10周年                 2

43  京都・歩く・見る・聞く           3

44                                 4

45  韓国建築研修旅行                5

46 飛騨高山木匠塾93             6

47  北朝鮮都市建築紀行            7

48 SSF第一回パイロットスクール  8

49  東南アジアの樹木                9

50 空間アートアカデミー:サマー・スクール

51 飛騨高山木匠塾第三回インターユニヴァーシティー・サマースクール

52 現代建築の行方ーー出雲建築フォーラム


●1994年

53 SSF第二回パイロットスクール   

54  町家再生のための防火手法

55 木造建築のデザイン

56  これからの住まい・まちづくりと地域の住宅生産システム

57 市街地景観セミナー「城山周辺の建築物の高さを規制するべきか、否か」

58 ジャイプールのハヴェリ

59 町全体が「森と木と水の博物館」鳥取県智頭町のHOPE計画始まる

60 東南アジアのエコハウス

61  マスター・アーキテクト制

62 飛騨高山木匠塾第四回インターユニヴァーシティー・サマースクール  

63 ジャワ島横断

64 アジアの建築文化と日本の未来


●1995年

65 韓日国際建築シンポジウム

66 新木材消費論

67 阪神大震災と木造住宅

68 戦後家族とnLDK

69 北京・天津・大連紀行

70 阪神大震災に学ぶ(1)

71 かしも木匠塾フォーラム

72 中高層ハウジング研究会

73 アーバン・アーキテクト制

74  第五回インターユニヴァーシティー・サマースクール:かしも木匠塾フォーラム

75 エコハウス イン スラバヤ

76 ベトナム・カンボジア行


●1996年

77 80年代とは何であったか  第3回かしも木匠塾

78  都市(まち)の記憶 風景の復旧:阪神淡路大震災に学ぶ(2)

79 社区総体営造

80  職人大学を目指して

81 

82  台湾紀行

83 明日の都市デザインへ

84  日本のカンポン

85  東南アジアのニュータウン

86  木匠塾:第六回インターユニヴァーシティー・サマースクール

87 住宅の生と死

88 ネパール紀行


●1997年

89  漂流する日本的風景

90 京都グランドヴィジョン研究会

91 組織事務所の建築家

92 パッシブ・アンド・ロウ・エナジー

93 景観条例とは何か

94 パッシブ・ソーラー・システム・イン・インドネシア

95 スタジオコース 

96 木の移築プロジェクト

2023年3月9日木曜日

スタジオ・コ-ス,雑木林の世界94,住宅と木材,199706

 スタジオ・コ-ス,雑木林の世界94,住宅と木材,199706

雑木林の世界94

スタジオ・コース

布野修司

 京都大学の建築学科では二年前からスタジオコースと呼ぶ設計演習のプログラムを行っている。四回生の半期の設計演習で、教師がそれぞれスタジオを開設し、それぞれ独自の課題に取り組む、というものだ。アメリカなどのスクール・オブ・アーキテクチャーでは普通のシステムで取り立てて珍しいことではない。日本では共通課題が一般的であるが、四回生となると設計に対する興味や進路もはっきりしてくることから、多彩なメニューを用意しようというのが導入の動機である。竹山聖先生の設計教育改革の一環でもあった。

 講評は全スタジオが集まって行う。だから、スタジオ毎に勝手にやればいいということではない。スタジオということは指導教官が競争する形になるのが刺激的である。

 少し考えた末に、わがスタジオはアーバン・デザインを課題にすることにした。講座の名前は「地域生活空間計画」であり、地域計画、都市計画を担当しているからある意味では当然の選択である。そして、もうひとひねりして、課題はアジアのフィールドに求めることにした。オーソドックスな建築設計の課題は、竹山聖など他の先生がいるから特徴を出そうということであるが、敷地や町のコンテクストを読む方法に少しウエイトをおいてみたいと思ったのである。

 一年目は中国・大連の南山地区を対象として選んだ。南山地区は戦前期に日本によって計画建設された。満鉄社宅共栄住宅など現在も当時の住宅群が残っている。そして、南山地区全体の保存開発が問題となっていた。日本人建築家としてかっての植民地に何が提案できるか、がテーマである。

 研究室で大連理工学院の陸偉先生と共同で調査した資料があり(ヴィデオ、図面、・・・)、その整理をとっかかりに地区の分析を行う。調査を実際に行った山本麻子君がティーチング・アシスタントとして指導に当たった。彼女は結局修士論文(一九九六年度)を南山地区についてまとめることになるが、研究と一石二鳥をねらった課題設定と言えるであろうか。

 二年目は、台北の萬華地区をとりあげた。萬華地区は台北発祥の地であり、また「日拠時代」(日本植民地時代)には西門町など日本人が多く居住した。台北萬華地区はチェ君、田中禎彦君と調査したことがあり(雑木林の世界82 台湾紀行)、ヴィデオなどの資料は豊富にあった。まず、手元の資料から地区のイメージを分析するのが課題となるのは同じである。

 三年目は、インドネシアのジョクジャカルタのマリオボロ地区を選ぶことにした。この三月訪れて(雑木林の世界94)ガジャマダ大学で講義をした際、大学院の学生達がマリオボロ地区を対象としてスタディを行っており、アドヴァイスを求められた。帰国して、スタジオ・コースのテーマを決めるに当たって同じテーマでやってみたらと思い立ったのである。ティーチング・アシスタントには、一緒に調査に行った藪崎達也君と北岡伸一君が当たる。二人は最初の年にスタジオコースを経験しており、要領がわかっているのが心強い。

 ガジャマダ大学のプログラムは立命館大学とのジョイントプログラムである。立命館大学の佐々波秀彦先生にはまず最初に講義をお願いした。さらに続いて、ジョクジャカルタの歴史的環境の保存的開発について学位論文を書いたシータ先生(ガジャマダ大学)にも指導していただくことにした。豪華な布陣である。

 プログラムは現在進行中で結果はわからない。最終プレゼンテーションをガジャマダ大学へ送るのが楽しみである。学生達は現地を知らない分、思い切った提案ができる。とんでもない誤解もあるかもしれないけれど、それは現地を知った教師陣の責任である。両方の学生のアイディアをつき合わせて議論できれば面白いに違いない。外人の発想も役に立つかもしれない。

 ジョクジャカルタは、ボルブドゥールやプランバナンのヒンドゥー・仏教遺跡で知られる。また、イスラームの侵入以降もマタラム王国の首都が置かれた古都である。

 マリオボロ地区はその古都の中心に位置する。ジョクジャカルタの中央にはクラトン(王宮)が位置し、現在もスルタン一族が居住している。クラトンの南北にアルンアルンと呼ばれる大きな広場がある。そして、北のアルンアルンの西に大モスクが配される。ジャワの都市の基本的なパターンがジョクジャカルタであるとされる。

 その北のアルンアルンからさらに北へ伸びる大通りがマリオボロ通りであり、その周辺一帯がマリオボロ地区である。この大通りの軸線上に聖なる山ムラピ山が聳える。富士山より高い活火山で数年前に噴火して数人の死者を出した。

 こうして記述しても紙数が足りないけれど、計画的課題としては同じ課題としては京都をイメージすればいい。同じ古都として同じ様な課題を抱えているのである。

 マリオボロ地区の北端にトゥグ駅がある。鉄道線路が町を南北に分断している。南北の交通問題はかなり深刻である。駅周辺の再開発問題はJR京都駅周辺の問題と同じである。

 地区の内部、都心地区には人口減少という大きな課題がある。これも京都の都心と同じである。

 マリオボロ地区には古都として多くの歴史的建造物が残されている。この歴史的建造物をどう継承していくのかも共通の課題である。御所を中心とする大通り、烏丸通りや河原町通りをイメージすればいい。八坂神社へ向かう四条通りが似ているかもしれない。

 カンポン(都市内集落)の再開発問題もまた同様である。京都で町屋型集合住宅がもとめられているように、インドネシアでも町屋型集合住宅が求められている。

 観光客をどうするのかもジョクジャカルタにとって死活問題である。大学町であることもよく似ている。

 レクチャーをもとにした資料の分析から、いくつかの問題群が指摘される。現地を見なくてもある程度共通のテーマを理解できるのは以上のような類推も力になっている。ジョクジャカルタのことを考えながら京都のことを考えるのが課題ともなる。これまでの課題も同じで、各地区とも共通の課題がある。それぞれに固有の解答を求めるのがねらいである。






2023年3月8日水曜日

パッシブ・ソ-ラ-・システム・イン・インドネシア,雑木林の世界93,住宅と木材,199705

パッシブ・ソ-ラ-・システム・イン・インドネシア,雑木林の世界93,住宅と木材,199705

雑木林の世界93

パッシブ・ソーラー・システム・イン・インドネシア

布野修司

 「エコ・ハウス・イン・スラバヤ」(雑木林の世界75)を構想し、「パッシブ・アンド・ロウ・エナジー」(雑木林の世界92)で予告したインドネシア版エコハウス(環境共生住宅)のモデル住宅を実際に建設することになった。正直に言って、意外に早い展開である。(財)国際建設技術協会(IDI)の途上国技術協力プログラムの一環として取りあげられることになったのである。

 京都大学の東南アジア研究センターの派遣でインドネシアを訪れる機会があり(三月一二日~三〇日)、スラバヤにも足を伸ばし、具体的なデザインについて検討することになった。今回は、事前アナウンスメントということであったが、スラバヤ工科大学(ITS)の学長とプロジェクトの実効についてまず基本的に合意することになった。

 様々な経緯があり、様々な形態が模索されたけれど、結局、IDIとITSとの協力関係として実行することになった。そう大きくないお金であり、用地もITSキャンパス内に容易に確保できることから、また、建築確認等手続きもよく知ったネットワークにおいてスムースにできることから、スラバヤをプロジェクトの実施場所に推薦したのは僕である。J.シラス教授をリーダーとするスラバヤのチームとは、もう一五年近くのつき合いである。長年のつき合いに基づく、J.シラス教授への絶対的信頼が背景にある。

 初年度で建設を行い、二年度では測定を行う。

 さて、どういうモデルを考え、建設するのか。一応、事前に、案をつくったのであるが、とても予算が合わないことがわかった。僕らとしては、戸建て住宅ではなく、集合住宅(ルーマー・ススン)のモデルを実験すべきだという判断があり、どうしてもある程度の規模が必要となるのである。

 丁度、J.シラス教授が自宅を建設中であり、工事単価が参考になる。いくら物価の違いがあるとはいえ、可能なのは戸建て住宅程度の規模である。そこで、スケルトンだけつくって、次第に仕上げるという案が浮上しつつある。

 建設後、一年かけて測定を行うこともあり、完全に内装を仕上げないものも含めていくつかのタイプをつくってみよう、というのがひとつのアイディアである。

 技術的に検討しているのは、ダブル・ルーフ、ソーラーチムニー(ダブル・ウオール)、クール・チューブ、ロング・イーブズ(シャドウイング)、デイライティング、ソーラー・バッテリー、クロス・ベンチレーション、イグゾウスト・ヴェンチレーション・・・等である。

 カタカナで書くと、何やら新技術のようであるが、基本的な概念はパッシブであり、人工的な機械力に頼らず、自然の力、エネルギーを有効利用しようということである。

 ダブル・ルーフ、ダブル・ルーフは、空気層を挟んで廃熱と断熱効果をねらう。また、ソーラー・チムニーは、各戸の廃熱をねらう。

 共用空間はできるだけポーラスな(他孔質)にし、クロス・ヴェンチレーション、さらに垂直方向を加えたトリプル・クロス・ヴェンチレーションを考える。ソーラー・チムニーも構造システムと合わせて採用したい。また、吹き抜けも、昼光利用と合わせて考えたい。

 夜間冷気を蓄える工夫も是非考えたい。地盤が悪いことから、ボックス・ファンデーションを考えており、半地下をクール・ボックスに使う。

 天井輻射冷房、壁体輻射冷房を考えたい。太陽は豊富なところだから大いに利用する。給湯に利用する技術はそう難しくないし、既に普及しつつある。また、給湯については一般の庶民レヴェルではあまり必要とされていない。

 問題は冷房である。ソーラー・バッテリーによるポンプで水を循環させることを考える。最も実験的なところであるが、ポーラスな全体構造と矛盾がある。輻射の効果を上げるためには、空間を密閉する必要があるのである。しかし、床が冷えるだけで、気持ちがいい。とにかくやってみたらどうかというのが素人考えである。

 構造はスケルトンとインフィルを分離する。また、基盤構造と上部構造を分離する。基盤構造は、ボックス・ファンデーションと鉄筋コンクリートのフレーム、ソーラー・チムニーと水循環パイプを組み込んだ床からなる。上部構造は木構造で考える。

 断熱材にはイジュク(砂糖椰子の繊維)を用いたい。できるだけ地域産材を使うのが方針である。しかし、イジュクについては手に入らないし、高いという。ココナツの繊維も集めるのはなかなか大変らしい。代替の材料を考える必要がある。また、材木については白蟻の害があるという。実施設計になると色々問題が出てくるものである。

 スラバヤは南緯七度の南半球にあるから、太陽は北にあるのが普通である。日本の感覚と違うから戸惑う。南から陽が当たるのは一年のうち、三分の一程度である。建物の方向をどう設定するか、が問題となる。実際の敷地条件にも左右される。

 想定される敷地に行ってみると、意外に風が強い。海に近いせいである。通風を考えるのはいいけれど、強風を制御する装置が必要である。また、風力発電が考えられるかも知れない。クール・チューブについては、近くに適当な樹林がないことから難しいかもしれない。

 と、以上のようなアイディアと技術を盛り込んだ設計案をJ.シラス教授と議論し始めたところである。建設が楽しみであるが、施工に当たっては大問題もある。

 地元の建設業者によれば、安くできるのは明かである。しかし、日本側としては、品質の保証を考えると、日本の標準仕様を考えると、どうしても地元業者によるより高くなる。日本政府の援助として、品質が気になるのは当然である。しかし、現地で普通に建てられている仕様によれば、はるかに大きなものの建設が可能である。矛盾である。また、現地で一般的に建てられるものでなければ普及しないはずである。矛盾である。なんとかうまくやりたいと思う。

 実験施設は、生態環境研究センターとして継続利用が考えられているけれど、その将来計画との兼ね合いもポイントである。増築システムが必要とされるのである。 

2023年3月7日火曜日

パッシブ・アンド・ロ-・エナジ-・ア-キテクチャ-,雑木林の世界91,住宅と木材,199703

 パッシブ・アンド・ロ-・エナジ-・ア-キテクチャ-,雑木林の世界91,住宅と木材,199703

雑木林の世界91

パッシブ・アンド・ロウ・エナジー・アーキテクチャー

布野修司

 PLEA(パッシブ・アンド・ロウ・エナジー・アーキテクチャー)釧路国際会議「持続可能な社会に向けてー北の風土と建築」(主催:日本建築学会 PLEA1997日本実行委員会 実行委員長・小玉祐一郎 於:釧路市観光国際交流センター 一月八日~一〇日)に出席する機会があった。最終日の最後のシンポジウム「エコロジカルな建築」(司会小玉祐一郎 問題提起者:ビヨン・ベルグ ヴァリス・ヴォカルダー 討論者:J.クック(アメリカ)、A.de ヘルデ(ベルギー)、A.トンバジス(ギリシャ)、岩村和夫、大野勝彦、野沢正光、布野修司)にコメンテーターとして出席しただけだから、全貌はとても把握するところではない。しかし、登録者数が一二〇〇名にもおよぶ大変な国際会議であり、今更ながらであるが、環境問題への関心の高さを思い知った。

 OMソーラー協会の全面的バックアップもあり、工務店、地域ビルダーの参加も多かったし、釧路市民の関心も高かったように見える。何よりも、東京からフェリーでワークショップを行いながら参加した若い学生諸君の参加が賑やかであった。幸い天候には恵まれたのであるが、極寒の釧路を吹き飛ばす熱気が会場に溢れていた。また、数多くの論文発表に大きな刺激を受けた。

 PLEAについては、ほとんど知るところがなかったのであるが、第一回(一九八二年)のセントジョージ島(バミューダ)から回を重ねてもう一四回になるという。日本では第八回の奈良(一九八九年)に続いて二回目である。

 ベルグ氏はノルウエイの建築家で、生物学者も参加するガイア・グループを組織し、エコ・サイクル・ハウスの実現を目指す。生態原理に基づき、自然のサイクルと相互交渉する建築がその理念である。

 まず、興味深かったのは、モノマテリアル(単一素材)という概念である。モノマテリアルも一次、二次が区別される。一次モノマテリアルは、木、藁、土など、要するに生物材料、自然材料である。二次モノマテリアルは、工業材料であるが単一素材からなる、鉄、ガラス、コンクリートなどである。その厳密な定義をめぐっては議論が必要なように思えたけれど、要はリサイクルが容易かどうかで材料を区分するのである。

 自然の生の材料であること、製造にエネルギーがかからないこと、公害を発生しないこと、フェイス・トゥー・フェイスの関係を基礎としてつくられること、という基本原理を踏まえて提案された完全木造住宅のモデルが面白い。簡単なジョイントのみでなりたち、手工具だけで組み立てられるのである。塗料の問題が残るが、極単純かつラディカルな発想である。もちろん、木造一系統でいいのか、という疑問も沸いてくる。いわゆるスケルトン、クラディング、インフィルとシステム系統を考えて、リサイクル・システムを考える必要はないか。いずれにしても、日本ではどうも徹底しない。木造住宅といっても、木材の使用率は二五パーセント以下ではないか。

 ヴォカルダー氏は、スウェーデンの建築家、研究者で、エコロジー学校の運動に取り組んでいる。学校施設をエコロジカルに設計計画することにおいて、環境教育をまさに実践しようというのである。身近な環境をまず変えていこうという姿勢には感心させられた。日本でもエコロジー学校はつくられてもいいのである。マニュアルはつくられるけれど、一個一個の積み重ねが日本の場合弱い。二人の問題提起によって彼我の差異を様々感じさせられたのであった。

 釧路が会場に選ばれたことが示すように、今回は、寒い地域の「エコロジカルな建築」について考えようということであった。そうした意味では、長年、東南アジアの居住問題を考えている僕にはシンポジウムの席は、座り心地が悪かった。しかし、環境問題には、国際的な連帯が不可欠であり、南北問題を避けては通れない、というベルグ氏の発言もあって、「湿潤熱帯」では「エコロジカルな建築」の考え方も違うのではないか、といった発言をさせていただいた。

 高緯度では、ミニマルな建築がいい(ベルグ氏)、というけれど、湿潤熱帯では、気積を大きくして断熱効果を上げるのが一般的である。実際、湿潤熱帯には伝統的民家には巨大な住宅が少なくないのである。小さい建築が少資源につながるというけれど、大きくつくって長く使う手もある。地域によって、エコ・サイクル・ハウスのモデルが違うのはその理念に照らして当然なのである。

 建材の地域循環はどのような規模において成立するのかも大テーマである。国際的建材流通をどう考えるか。戦後植林した樹木が育ち、木材資源は日本でも豊富といっていいが、山を手入れする労働力がない。輸入材の方が安い、という現実をどう考えるか。建材をめぐる南北問題をどう考えるか。熱帯降雨林の破壊はどうすればいいのか。シンポジウムの席でいろいろ刺激を受けたのであるが、つい考えるのは東南アジアのことであった。

 実をいうと、小玉祐一郎氏の指導で、J.シラス先生(スラバヤ工科大学)をはじめとするインドネシアの仲間たちと湿潤熱帯用のエコ・サイクル・ハウスのモデルを考えようとしているせいでもある(雑木林の世界75「エコハウス イン スラバヤ」 一九九五年)。小玉祐一郎氏が釧路会議に出席をもとめたのは、「もう少し勉強しろ」という意味だったと、壇上で気がついた次第である。おかげでエコ・サイクル・ハウス・イン・スラバヤは実現に向かって動き出しそうである。

 二一世紀をむかえて、爆発的な人口問題を抱え、食糧問題、エネルギー問題、資源問題に直面するのは、熱帯を中心とする発展途上地域である。経済発展とともに急速にクーラーが普及しつつある。一体地球はどうなるのか、というわけであるが、クーラーを目一杯使う日本人の僕らがエコ・サイクル・ハウスを東南アジ諸国に押しつけるなど身勝手の極みである。まず、隗よりはじめよ、とJ.シラス先生に怒られながら、暑い国のエコ原理について設計しはじめたところだ。

 心強い身方がいる。釧路会議でも一緒だったのであるが、太陽エネルギー研究所の井山武司氏である。彼自身自宅をオートノマス・ハウスとして設計しており、今回はそれを発表したのであるが、熱帯についてはそれ以前に実績がある。バリ島にエコ・ハウスのモデルをすでに建設しているのである。


2023年3月4日土曜日

組織事務所の建築家,雑木林の世界90,住宅と木材,199702

 組織事務所の建築家,雑木林の世界90,住宅と木材,199702

雑木林の世界90

組織事務所の建築家

布野修司


 ある県の公共建築の公開コンペ(設計競技)の審査委員を引き受けて、奇妙な経験をした。参加資格に一級建築士が三人以上、五〇〇〇平方メートル以上の実績があることという条件があったから、公開コンペといっても三〇社ほどの参加しかなかったのであるが、いわゆる組織事務所の参加がほとんどなかったのである。要項に地域との関係を重視することを唱っていたからであろうか。応募したのは、いわゆるアトリエ派事務所と地元事務所とのJV(ジョイント・ヴェンチャー)の形が目立った。

 審査員の構成も影響するであろうか。しかし、実績十分の大手組織事務所が公開コンペに応募しないとはおかしな話である。忙しすぎて人員を割けないというのであろうか。この理由についてはいずれじっくり分析してみようと思う。日本の設計界の棲み分けの構造が浮き上がるかもしれない。

 ところで、以上の経験が直接のきっかけになったというわけではないが、少し以前から「組織事務所の建築家」という単行本のシリーズ企画を進めている。日本の建築界において、組織事務所の役割は極めて大きいのであるが、その大きな力の割には建築ジャーナリズムで取り上げられることは少ない。一般的には、個性の表現よりも、システムの表現を役割とするからである。あるいは、町の繰り返し建てられる建築を主として設計するからである。しかし、システムの表現といっても、全ての組織事務所が同じというわけではない。同じ組織事務所でも、担当チームによって自ずと特徴が出てくる。組織の表現と個の表現がどう絡み合うのかがシリーズを通じてのテーマである。

 最初に取りかかったのは、東畑謙三建築事務所である。続いて一〇事務所ぐらいがリストされつつある。東畑謙三先生は、一九〇二年生まれだから今年九五歳の京大建築学科卒業(四期生)の大先達である。事務所の開設は一九三二年、戦前に遡る数少ない事務所である。日本の近代建築をリードした前川国男の事務所開設は一九三五年だからそれより早いのである。そのころの大阪の主な事務所としては、安井、渡辺節、横河、松井喜太郎、置塩などがあった。

 色々取材し、資料を集めてみると、なかなかに魅力的な建築家の像が浮かび上がってくる。ユーモアに溢れた、それでいてカリスマ性をもった建築家だったらしい。また、実にはっきりした建築家像を持ち続けていたことで知られる。自らを「建築技師」あるいは「建築技術者」と呼び決して「建築家」とは言わなかったのである。「市井の一介の技術者に過ぎません」というのが口癖だったという。

 いわゆる建築家とは違うという、その自己規定は、特にその初期において専ら工場建築を設計してきたことと無縁ではないだろう。若くして洋行し、アルバート・カーンの工場建築に深く感動して工場建築を始めたというのが有名なエピソードである。考えてみれば、近代建築の理念を具現する上で最も相応しい対象である。P.ベーレンスのAEGの工場など近代建築の傑作も多い。しかし、いわゆる建築家は、工場建築を主たる対象とはして来なかった。東畑が工場建築を数多く手がけたことは昭和初期の日本の建築家としては珍しいのである。

 「工場建築ははっきり答えが出る」

 「工場建築は、それぞれの産業に合った固有のスケールがある」

 書かれた文章は少ない中で、工場建築についての原稿がいくつか残されている。

 「構成技師」という言葉も使われるが、「建築技術者」という言葉には、エンジニアに徹するというより、産業社会の要求する建築をつくり続けてきたという自負が込められていると言うべきではないか。

 戦前から戦中にかけて、軍関係や工場の仕事で忙しい日々を東畑建築事務所はおくっている。書かれた近代建築の歴史においては、ほとんどの建築家が仕事がなかったということになっている。というより、軍関係の仕事をするのはタブーということで、ほとんど触れられていない。しかし、多くの「建築技師」が戦時体制を支えたのは言うまでもないことであった。

 戦後間もなくの混乱はともかく戦後もビルブームが起こる頃から順調に仕事があったように思える。仕事があって組織がありうる、これは組織事務所の基本原理と言うべきであろう。

 東畑建築事務所の歴史を見ていると、もうひとつ面白いことは、平行していくつかの組織がつくられていることである。戦後間もなく不二建設が設立され、パネル式の組立住宅の供給が試みられたりしている。また、時代は下るが清林社という不動産部門がつくられている。

 設計施工の分離を前提とする建築家の理念に照らすとき、施工会社の設立は普通発想し得ないことである。しかし、実業界において設計施工の連携ということは自然の発想である。清林社は、古今東西の貴重な建築書のコレクションで知られ、東畑謙三の人となりの一側面を物語るのであるが、実質的な機能としては事務所の財産の担保が目的である。主宰者の責任は事務所の経営を安定させることにまずあるのである。

 こうして、日本の建築士事務所のふたつの類型が見えてくる。いわゆるアトリエ派と呼ばれる個人事務所の場合、表現が先であって組織はそのためにある。組織事務所の場合、組織を支える社会システムがあって仕事がある。もちろん、二つの類型の間に截然と線が引かれるわけではない。個人事務所から出発して、一定のクライアントを獲得することによって組織事務所に成っていくというのがむしろ一般的である。個人名を冠した組織事務所の大半がそうであった。

 しかし、東畑の場合、最初から時代と社会に身を委ねる基本方針ははっきりしていたようにみえる。といっても、専ら、利潤を追求するということではない。彼に営業という概念はないのである。建築事務所は、技術を持った人を集め、その技術の知恵を提供して報酬を得る。それが経営の基本理念である。

 こうして見ると、今日の組織事務所は随分とその姿を変えてきたのかもしれない。組織事務所の原点を多くの先達にお話をうかがいながら追求してみようと思っている。

2023年3月3日金曜日

京都グランドヴィジョン研究会,雑木林の世界89,住宅と木材,199701

京都グランドヴィジョン研究会,雑木林の世界89,住宅と木材,199701

 雑木林の世界89

京都市グランドビジョン研究会

布野修司


 幸運なことに「京都市グランドビジョン研究会」に加えて頂いて、この半年京都のグランドヴィジョンについて考えている。「新京都市基本計画」が策定されたのが一九九三年三月のことで、まだ日が浅いのであるが、その目標年次は二〇〇〇年であり、二一世紀のビジョンが欲しいということである。その基本計画にも「二一世紀京都のグランドビジョンづくり」が唱ってあり、長期的な構想を立てようと言うのである。

 ジャンルを異にする諸先生方の報告とそれをめぐる議論はそれ自体知的刺激に富む。まして、具体的政策提言に関わるとなると議論はしばしば白熱化する。もったいないことに何回かは欠席を余儀なくされた。とても全貌を把握できているわけではないが、印象に残ったことをいくつか報告してみよう。研究会は、まだ続行中で、中間報告をまとめようとしている段階である。

 研究会のテーマ、政策課題の抽出に当たっては、「ひと」「まち」「なりわい」という三つの視点が設定された。「ひと」ー基本的な市民生活の姿や、市民意識などに関わる視点、「まち」ー都市施設や土地利用、交通システム、環境などに関わる視点、「なりわい」ー都市の産業、生業、企業のあり方に関わる視点の三つである。そして、具体的には、「暮らしの充実」「新しい都市活力の創造」「都市ストックの活用・再生」「国際社会における京都の位置の確立」「循環型・環境共生型社会の実現」の五つのテーマが設定された。研究会メンバーは、この五つのテーマのいずれかを選択し報告することが求められ、議論を重ねてきたのである。

 この五つのテーマは、もちろん、京都市に固有なものではないだろう。問題は中身であるにしても、スローガンとしてのテーマ設定だけなら他の自治体においても共通のフレームになるはずである。また、あれもこれもと字づらだけ総花的に並べてもはじまらないだろう。メリハリを効かせる必要もある。

 さらに、そもそもグランドビジョンとは何か、という議論もある。単に、言葉の上での提案では何の意味もない、という問題意識はメンバーにおいて当初から共有されていたように思う。

 単なる提言では意味がない。その実現性をどう担保するかが問題である。というのは僕の当初からの主張でもある。全国で自治体の数だけ「基本構想」が立案されるけれど、立案された瞬間に歴史的資料になるといった質のものが余りに多すぎるのである。報告書ができてもそれでお仕舞い。しかも、どの自治体の報告書も似たり寄ったり、というのではグランドビジョンとは呼べない筈である。

 長期的なビジョンをもつことはそれぞれの自治体において極めて重要なことである。百年後の姿を想定した上で、ここ一〇年の施策の方向を定める、そうしたパースペクティブが今必要とされている。「百年計画のすすめ」も、かねてからの僕の主張である。しかし、任期で縛られる首長の施策は、往々にして近視眼的なものとなりがちである。それに百年の計となると、予測不可能なことも多い。グランドビジョンをめぐる議論が継続される場(京都賢人会議、グランドヴィジョン委員会・・・)が恒常的に設定される必要があるというのが、僕の意見である。

 今回の提案は議会の承認を得て正式のものとなるということなので、一定の方向づけについては担保されることになる。しかし、グランドビジョンの策定過程、システムが既に問題である。研究会はインフォーマルなものであるが、策定過程の透明性が確保することが方針とされ、策定段階からさまざまな方法で市民参加の手だてを講じることになっている。具体的には、種々の提案募集(コンペティション)、シンポジウム、TV討論などが連続的に企画されつつあるのである。

  さて中身であるが、それ以前に、それぞれの京都論というか、京都とのスタンスの取り方が興味深い。研究会メンバーでもある戸所隆(高崎経済大学)先生は、京都論を四つのパターンに分類する(「新しい京風空間の創造ー歴史都市の未来」『京が甦る』二場邦彦+地域研究グループ編、一九九六年七月)。

 ①「内からみる内なる京都」論

 ②「内からみる外なる京都」論

 ③「外からみる外なる京都」論

 ④「外からみる内なる京都」論

 見るところ、研究会メンバーは、ほとんど①②ないし④の範疇であろうか。戸所先生は日本全体から見れば、ほとんどが④の範疇ではないかという。①自体は研究会ではあまり声にはならない。従って、京都に住み、京都を自分のまちと強く思いながら、京都と完全に一体になれず、批判的に見る②のパターンが研究会の基調である。

 研究会でまず大きな問題になったのは、京都をどう位置づけるかということである。様々な指標が提示され、他の政令指定都市との比較が試みられた。真っ先に提起されたのは、豊かさの指標とは何か、豊かさは何によって計れるのかということである。

 数次で比べると、全国で何番目といった事実が分かる。「京都の着だおれ」というけれど、京都の人はあんまり被服費にお金を使っていないといった意外な事実も出てきた。しかし、そうした数字を並べても、必ずしも、京都の特性を捉えたことにならないのではないか。そのレヴェルでは、京都は只の地方都市だということになる。

 そこで、京都にしかないものは何か、という議論が出てくる。また、京都において変わるものと変わらないものとは何か、百年後にも残っているものは何か、ということになった。この発想こそ、京都に限らず、各自治体で試みられるべき思考実験である。

 京都の場合、日本においては明らかに特権的な都市だ。千年にもわたって首都が置かれた歴史都市なのである。また、歴史都市(古都)としての環境(景観)資源を有しているのである。「新京都市基本計画」が「文化首都」を唱うように、その特権性はセンター機能にある。基本理念は「世界の中心としての京都」あるいは「世界都市としての京都」である。

 と、言い切ると、京都の現状のいささか力不足な面も見えてくる。それをどう強化するのか。グランドビジョンの道筋も見えてくることになる。

2023年1月12日木曜日

東南アジア(湿潤熱帯)における環境共生住宅に関する研究:住友財団,1997年

東南アジア(湿潤熱帯)における環境共生住宅に関する研究:住友財団,1997年


東南アジア(湿潤熱帯)における環境共生住宅に関する研究

Study on Eco-cycle House in South East Asia(Humid Tropical Regiouns)

 

 

 湿潤熱帯に相応しい環境共生住宅のモデル開発を目指した本研究は、これまでの蓄積をもとにまず基本設計を行った(19973月)。基本的な手法として盛り込んだのは、①二重屋根とし排熱効果を促進(ダブルルーフ)、②屋根に通風と採光を考慮したガラスルーバーを設置、③軒の出を大きく取り、直射日光による外壁の受熱量を軽減、④輻射冷房として居室の壁面に水循環パイプを設置(床冷水房)、⑤共用空間の水平、垂直方向の通風を確保(クロスベンチレーション)、⑥半地下部分で蓄冷効果を促進、⑦2階外壁を木造とし、排熱効果を促進、⑧1階はRCラーメン構造にレンガブロック壁で遮熱・蓄冷効果、⑨太陽電池利用、⑩地域産材利用(断熱材としてのココナッツ椰子の繊維利用)である。

 幸運にも(財)国際建設協会(IDI)の事業として取りあげられ、具体的な実験住宅の建設をインドネシアのスラバヤ(スラバヤ工科大学キャンパス)において行うことになった。現地調査を行い(19979月)現実的な条件に合わせて設計変更を行い、実施設計(199710月~12月)を経て、1998年1月着工、6月に竣工をみた。現在その温熱等の環境についてのモニタリングを開始し、予備的な解析に着手したところであるが、短期間に予想以上の成果を上げることができたと考えている。解析結果をもとに、様々な実験をさらに重ね、社会化できるモデルとして鍛えていきたいと考えている。

 

 

東南アジア(湿潤熱帯)における環境共生住宅に関する研究

Study on Eco-cycle House in South East Asia(Humid Tropical Regiouns)

 

 This research project which aim at developing the model of Eco-cycle House in the Humid Tropical Regions firstly launch the basic plan based on our previous studies. The basic techniques and methods are dabble roof high side glass leuber long eaves floor cooling system which cycle the well water cross-ventilation using the local materials(palm fibres for heat insurance)

 Our proposal was luckily accepted as a project by IDI(International Foundation Development of Infrastructure),  and the model house was built at  Surabaya( ITS campus ,Indonesia) in June 1998. We have already started to monitor the environmental conditions of Eco-cycle House. We are thinking to try the experiment based on the analysis and to push out  our model to be  socialised in the near future.


 

東南アジア(湿潤熱帯)における環境共生住宅に関する研究

Study on Eco-cycle House in South East Asia(Humid Tropical Regiouns)

 

 This research project which aim at developing the model of Eco-cycle House in the Humid Tropical Regions firstly launch the basic plan based on our previous studies. The basic techniques and methods are dabble roof high side glass leuber long eaves floor cooling system which cycle the well water cross-ventilation using the local materials(palm fibres for heat insurance)

 Our proposal was luckily accepted as a project by IDI(International Foundation Development of Infrastructure),  and the model house was built at  Surabaya( ITS campus ,Indonesia) in June 1998. We have already started to monitor the environmental conditions of Eco-cycle House. We are thinking to try the experiment based on the analysis and to push out  our model to be  socialised in the near future.

 

 

 () 平成9年度

① 事前調査および設計

インドネシアの既存建築技術の中からパッシブソーラーの範疇に属する技術を抽出すると共に、我が国のパッシブソーラーシステムがインドネシアにおいてどのように適用可能かを検討し、実験施設の設計をする。

② 実験施設の建設

パッシブソーラーシステムを導入した実験施設を建設する。

 

(3)平成10年度

① モニタリングおよび評価

実験施設のモニタリングを行い、インドネシアにおけるパッシブソーラシステムの有効性を評価し、発展途上国における有効性を分析する。

② パンフレットの作成、配布

途上国におけるパッシブソーラーシステムの普及促進のため、結果と有効性を紹介するパンフレットを作成し、セミナーの開催などを通じてパンフレットを配布する。

 

3-3 今年度の活動概要

 

① 現地調査(平成9年9月1723日)

試験施工予定地の確認および実験施設の設計内容協議を行った。

 

② 第1回パッシブソーラーシステム専門部会(平成9年10月3日)

布野委員のITSとの打合せ内容の報告に基づき、実験施設の設計に関する検討を行った。

 

③ 専門部会での検討を基に設計変更作業を実施(平成9年10月6日~)

半地下+2階を3階建てに変更、床冷房システム、ダブルルーフ等の詳細設計を行った。

 

④ ITSと合意文書(MEMORANDUM)締結(平成9年1110日)

平成93月時点では試験施工の規模等が明確でないため保留していたMEMORANDUMを正式に取り交わした。

 

⑤ PT.PP-TAISEI INDONESIA CONSTRUCTIONと工事請負契約締結

(平成9年1112日)

 

⑥ 京都大学にてSilas教授と打合せ(平成9年1219日)

別件にて来日された教授と実験施設の詳細設計打合せ並びに、モニタリング機器の説明及び受け渡しを行った。

 

⑦ Ground Breaking Ceremonyの開催(平成10年1月13日)

日本側代表として斉藤憲晃氏が出席した。

 

⑧ 現地調査(平成10年3月1522日)

試験施工完了確認を行うと共に、モニタリングの実施体制の検討をITSと行った。

 

1-2 今年度の事業

 

今年度の事業は建設技術の選定、パッシブソーラーシステム技術の試験施工、選定された建設技術の平成10年度試験施工へ向けた実施体制検討の3項目である。本報告書では、建設技術の選定とパッシブソーラーシステム技術に関する2項目を取りまとめるものとする。各項目の業務内容は以下の通り。

 

() 建設技術の選定

途上国に適すると思われる建設技術を分野、実施国、協力体制等を評価し選定するために、途上国建設技術開発促進事業委員会の設置・運営を行う。

 

() パッシブソーラーシステム技術

平成8年度から平成10年度の3ヶ年で実施する予定で、2年度目にあたる本年度はインドネシアをモデル国として、以下の項目を実施する。

インドネシアの気候風土を考慮した試験施工用パッシブソーラーシステム設計を行う。

インドネシアの1110日工科大学(ITS)構内にて試験施工を行う。

モニタリング方法の検討

試験施工に係る技術的指導のために、専門部会の設置運営を行う。

 

第3章 パッシブソーラーシステム技術

 

3-1 プロジェクトの目的

このプロジェクトは、経済成長の著しい途上国のエネルギー消費量の増大に対して、途上国の風土にあったパッシブソーラーシステムを導入することで、途上国国民の生活環境改善、しいては地球規模の環境対策の観点からの省エネルギー推進に貢献することを目的とし、インドネシアをモデル国としてパッシブソーラーシステムを導入した建物の試験施工を行い、その有効性について検証するものである。

 

3-2 プロジェクトの内容

 

() 平成8年度

① 資料収集、整理

・国内のソーラーシステムに関する資料を収集、整理する。

② 試験施工技術内容の選定

・ソーラーシステムの適用可能な対象建築物を検討する。

・国内のソーラーシステムの中から対象建築物に導入可能な技術を想定し、試験施工建物の概念設計を行う。

③ 事業実施体制の検討

・相手国政府の関係機関に対し事業内容を説明し協力を依頼する。

・相手国の学識経験者に試験施工設計に対し協力を依頼する。

・事業実施体制案を作成する。

 

() 平成9年度

① 事前調査および設計

インドネシアの既存建築技術の中からパッシブソーラーの範疇に属する技術を抽出すると共に、我が国のパッシブソーラーシステムがインドネシアにおいてどのように適用可能かを検討し、実験施設の設計をする。

② 実験施設の建設

パッシブソーラーシステムを導入した実験施設を建設する。

 

(3)平成10年度

① モニタリングおよび評価

実験施設のモニタリングを行い、インドネシアにおけるパッシブソーラシステムの有効性を評価し、発展途上国における有効性を分析する。

② パンフレットの作成、配布

途上国におけるパッシブソーラーシステムの普及促進のため、結果と有効性を紹介するパンフレットを作成し、セミナーの開催などを通じてパンフレットを配布する。

 

3-3 今年度の活動概要

 

① 現地調査(平成9年9月1723日)

試験施工予定地の確認および実験施設の設計内容協議を行った。

 

② 第1回パッシブソーラーシステム専門部会(平成9年10月3日)

布野委員のITSとの打合せ内容の報告に基づき、実験施設の設計に関する検討を行った。

 

③ 専門部会での検討を基に設計変更作業を実施(平成9年10月6日~)

半地下+2階を3階建てに変更、床冷房システム、ダブルルーフ等の詳細設計を行った。

 

④ ITSと合意文書(MEMORANDUM)締結(平成9年1110日)

平成93月時点では試験施工の規模等が明確でないため保留していたMEMORANDUMを正式に取り交わした。

 

⑤ PT.PP-TAISEI INDONESIA CONSTRUCTIONと工事請負契約締結

(平成9年1112日)

 

⑥ 京都大学にてSilas教授と打合せ(平成9年1219日)

別件にて来日された教授と実験施設の詳細設計打合せ並びに、モニタリング機器の説明及び受け渡しを行った。

 

⑦ Ground Breaking Ceremonyの開催(平成10年1月13日)

日本側代表として斉藤憲晃氏が出席した。

 

⑧ 現地調査(平成10年3月1522日)

試験施工完了確認を行うと共に、モニタリングの実施体制の検討をITSと行った。

 

3-4 試験施工の設計

 

() 当初案

ここでいう当初案とは、昨年度の検討から規模縮小を行い、半地下+2階建ての延べ床面積約230㎡の設計に改良した案である。(主要図面:図-1~5)

この案のパッシブソーラーシステムの概要は以下の通り。

      屋根をダブルルーフとし排熱効果を促進。

      屋根に通風と採光を考慮したガラスルーバーを設置。

      軒の出を大きく取り、直射日光による外壁の受熱量を軽減。

      輻射冷房として居室の壁面に水循環パイプを設置。

      共用空間の水平、垂直方向の通風を確保。

      半地下部分で蓄冷効果を促進。

      2階外壁を木造とし、排熱効果を促進。

      1階はRCラーメン構造にレンガブロック壁で遮熱・蓄冷効果を促進。

 


 

2023年1月7日土曜日

木の文化をどうするの,日刊建設工業新聞,19970710

木の文化をどうするの,日刊建設工業新聞,19970710

   木の文化をどうするの
 オーストリアのウイーン工科大学、フィンランドのヘルシンキ工科大学、米国のヴァージニア工科大学からたてつづけに建築家、教授の訪問を受けた。オーストラリアからはハウジングに体系的に取り組む建築家H。ヴィマー氏。後の二大学は、学生それぞれ二十人前後が同伴しての訪問である。京都にいるとこうした交流が頻繁である。僕は専らアジアのことを研究しているのだけれど、欧米の建築家たちもアジアへの関心は高い。ヴィマー氏の作品にはヨーロッパの伝統より中国や日本の建築への明らかな興味が読みとれた。居ながらにして情報が得られ、議論できるのは有り難いことである。
 ところが頭の痛い指摘も当然受ける。
 二つの大学の学生たちのプログラムはよく似ている。京都の町を素材に特に木造建築について学ぼうというのである。ワークショップ方式というのであろうか、単位認定を伴う研修旅行である。日本の大学も広く海外に出かけていく必要があると思う。うらやましい限りである。
 修学院離宮、桂離宮、詩仙堂…、二つの大学のプログラムを見せられて、つくづく京都は木造建築の宝庫であると思う。実に恵まれているけれど、時としてその大切な遺産のことを僕らは忘れてしまっていることに気づかされる。講義を聴いていると、日本人の方が木造文化をどうも大事にしてこなかった、大事にしていないことを指摘されているようで恥じ入るのである。
 フィンランドは木造建築の国だ。だから木の文化への興味はよく分かる。しかしそれにしても、ヘルシンキ工科大学の先生方の三つの講義が、フィンランドの建築家の作品の中に日本建築の影響がいかに深く及んでいるかを次々に指摘するのにはいささか驚いた。
 しかし、日本はどうか。阪神淡路大震災以降の復興過程で木造住宅はほとんど建たない。それ以前に、日本の在来の木造住宅は大きくその姿を変えてきた。木造住宅といっても木材の使用率はわずか四分の一ぐらいである。京都では数多くの町家が風前の灯火である。建て替えると木造では許可が下りないのである。全てが木造建築を抹殺していく仕組みができあがっている。
 学生たちはただ観光して歩いているわけではない。両大学ともスケッチしたり、様々なレポートが課せられている。レイ・キャス教授率いるヴァージニア工科大学のプログラムは特に興味深いものだ。近い将来日本の民家を解体してアメリカに移築しようというのである。「木の移築」プロジェクトという。プロジェクトの中心は、京都で建築を学ぶピーター・ラウ講師である。
 まず、初年度は民家を解体しながら木造の組立を学ぶ。そして、次年度はアメリカで組み立てる。敷地もキャンパス内に用意されているという。米国の大工さん(フレーマー)も協力する体制にあるという。外国人の方が木造文化の維持に熱心なのである。複雑な心境にならざるを得ないではないか。
 問題は日本側の協力体制である。協力しましょう、という話になったけれど、容易ではない。組立解体の場所を探すのが大変である。解体する民家を探すのも難しい。なんとかうまく行くことを願う。こうした小さなプロジェクトでもひとつの希望につながるかもしれないからである。


 

2022年10月5日水曜日

シンポジウム:京都ーその都市景観の再生, 京都の未来と都市景観,広原,古山,橋爪,樋口,松政,日本建築学会,19970623

 パネルディスカッション2

京都の未来と都市景観

                                                           文責 布野修司

 広原・・・縮小と均衡の時代:一極集中の都市構造

・グランドヴィジョンの資料には、京都の問題点は15項目ほど挙げられているが、都市計画あるいは基本計画、基本構想を作っていく際に人口フレームで将来にこれだけの人口減をはっきり言ったのは最初の例じゃないかと思う。1番目が人口の減少、2番目が高齢化、3番目が地域社会の弱体化、4番目が暮らしの変貌ということでこれは女性と高齢者の就業問題、6番目が都心の空洞化ということで、いってみれば京都の地域構造、人口構造に歴史的な変化が起こっていることを率直に認めていることに強い印象をもった。

・右肩上がりの成長と拡大の都市計画を目指してきたのが20世紀の大変際立った傾向だけれど、20世紀末になって非常にはっきりとした拡大と成長に対して縮小と均衡というものがキーワードになる時代がやっと来たということを痛感する。

・都心4区、いわゆる上京、下京、中京、東山の人口減少がすさまじい。日本全体の減り方に比べても京都の人口減は非常に速度が速いという特徴をもつ。京都で激しい人口減が予測されるのかということは2つの理由がある。1つは京都は歴史的な政治首都で全国でもたぐいまれな一極集中型の都市であったということ。2つ目は高度成長期にさらにこの一極集中型を目指したそういう政策がとられたこと。現在でも、他の指定都市に比べても、京都市は非常に際立った一極集中の都市構造をもっている。

20世紀にわたって巻続けてきた成長と拡大のバネが今やっと限界点に達して緩やかに歴史の巻きもどしが始まったと。そしてこの21世紀というのはそれは止まらないであろう。地方分権ということもあるし、都市と農村の格差是正ということもある。この極度に集中した京都の都市集積というものは拡散せざるを得ない

 

古山・・・京都という呪縛

・都市の構想力、景観という観点から、都市の自己表現という問題を問いたい。になるの・京都の場合、京都の表現主題はすでに運命的に与えられている、すなわち京都らしさというものをもって表現が行われる。・西陣の織物にしても、帯を織るということが宿命づけられていて、デザインも京都らしさから離れられない。

・京都らしさというテイストが近代にできあがっていて、それから抜けられない。それが後々風致だとか景観だとか、という風なもののある精神的な中身みたいなものを作っていく。

・京都の場合いくつか盆地がある。山科盆地とか岩倉盆地とか地域が拡大展開していくときに、洛中というものを基本としてそれのコピーコピーを展開する。京都らしさというのは、時代時代で再生産されてきた。京都らしさというのは、どっかに正解の姿があるではなく、いろんな歴史事象を通じて、常に製造されてすり込まれていく。

・近代を考えた時、京都らしさというものが京都人の心の中にあるある種の抑圧として作動する。原先生が京都駅のコンペの後、京都らしさという問題をとらえて、どうしても京都らしさの話をすると、日本らしさとかナショナリティーとかナショナリズムということと結びつきがちなので、そういう話はさけたいと、言われたけれど、卓見というか賢いやり方ではあるが、しかし京都人にはそこに触れていただかないと、琴線に触れた感じがしない。物を食った感じがしない。

・今日の建築計画なり、都市計画なり計画のもっている問題に議論をもっていく前の段階として、精神的バリアーとしての京都らしさという風なものが146万人の心の中にそれぞれあるので、それを乗り越えないと明快な議論の場の土俵に上がっていけない。

 

布野:京都論には内からか外からか、愛憎合わせて四つの類型がある。

 

橋爪・・・京都の実像と虚像

・京都は大都市として、日本の大都市固有の問題を抱えている。ところがしばしば語られるのは、京都の町の特殊性である。大都市固有の問題と、京都固有の問題、お互いに相互に影響しあいながら、お互いを見えにくくしているという状況がある。

・京都というのは一大工業都市であることが、全く認識されていない。京都は物づくりの町である。全国第9位の工業都市である。日本最大の内陸型の工業都市である。西陣織とか清水焼のような伝統的な産業だけではなくて、京セラ、オムロン、任天堂、ワコールがある。重工業では、島津製作所、三菱自工などがあり、重たい物から軽い物、最先端から伝統工業までありとあらゆる工業、物づくりでこの町は成り立ってきた。

・実際、京都市明治以降の政策を見ると、ひたすら近代化、工業都市化を果たそうとしてきた。いわゆる三代事業と呼ばれる事業の類に代表されるが、明治維新以降衰えた京都の町を再生させる。京都策というのは、京都固有の町づくりの方針であるが、その根幹にあるのが工業化であった。

・ところが一方でこの本質を覆い隠すように、例えば歴史の町であるとか古都であるとか、あるいは大学の町であるとか、観光で町は成り立っているとかいう風な言説で、この都市が対外的なイメージを醸造してきた。実質と外から見たときの京都像は全くちがう。

・京都市の色々な資料を見ると、至る所に京都は日本人の心のふるさとであるというような文言がある。日本人の誰もが京都を心のふるさとと思っているというような現像を植え付けようとするような文言が行政のと姿勢策の資料のなかに踊っている。一方で、実体としては工業都市として発展してきた。

・一極集中で工業都市として活性化してきた町というのが、今まさに大転換期を迎えようとしている。従来型の発想ではやっていけなくなるのではないか。

・いま工場がどんどん滋賀県に移転し、大学も滋賀県に転出している。京都市だけでは、そのような転出をなかなかくい止められない。

・大都市として京都はかなり先を行っている。高齢化も非常に速い。人口が減る速度も非常に速い。表面だけのイメージ、京都らしさだけの部分だけで京都を語っているのではまるで京都の実質を語り得ていない。

 

 Ⅱ

 

樋口・・・日本の景観=?京都の景観

・関東の方から参って、東夷が京都の話をするというのは非常に恥ずかしい。地元に住んでいる人は、それなりに地元の問題をそれなりに考えておられて、また幾分かなり鬱屈したところがあるという印象を受けた。私は新潟にいてこのシンポジウムやると、同じような発言をしたのではないかなと思う。

・私自身は外側から京都を見ていて、京都を外側から美化している、そういう人間にはいるのかもしれない。景観の構造とか日本の景観とかも、よそから見たから書けたのかなあと思っている。

・京都で私が一番気に入っているのは、すばらしいなと思うのは、自然というか立地場所だと思う。日本の都市が立地している地形とか調べているが、やはり京都は抜群ではないかと思う。いろんな盆地があるが、その中でかなり一級品ではないか。隣の奈良と比べても、質の高さは違う。特に、山にかなり近いことがある。

・精神的バリアーということでは、天皇が住まわれていた都であったという意味が大きい。これが明治以降なくなったというか、その虚脱感というものから立ち直っていないんじゃないか。お公家さんの文化が基本にあった。それが非常に重要な意味を持っているのではないか。それが作り出した文化と、歴史的な環境が大きい。

・もう一つは、現代都市というか、大都市の問題がある。三つの問題かせめぎあってる。

・盆地からから生まれてきた自然観、季節感というのはかなり特異である。中国の影響を相当受けているけれど、相当洗練してる。人間と自然が一体化する自然観、美意識、倫理感を育ててきた。これをどういう風な形で今後へいかしていくのか。

布野:日本の景観=京都の景観と考えていいのか。飛鳥は扶余を見立てたといわれる。

樋口:私も色々批判されていて、日本という形で一言でいうのは間違いだと思う。いろんな日本があって、そこに地域の名前をいれていかなければならないのではないかと思っている。ただ京都かなり重要な意味をもっている。我々の精神的な構造を支配してきている。

布野:例えば洛中のコピーとは、宮中のコピーということか。ことの旧都が不在になってしまった意味は精神的バリアーに関係があるか。

古山:非常に危ない話なので、避けたい。自然との共生みたいな観点は御所的ではないか。御所の庭園風景を紋様にして自分の着物のデザインにするということはある。名所旧跡みたいなものが、文学になり、デザインになり、生活の中になって浸み込んでいく。和菓子なんかでもそうだ。ある種の風景を映すようなデザインというのは多い。

橋爪:京都はコピーと、準拠する基準というのをどんどんどんどん自己を拡張してきた。

景観の問題の中にも、それが反映してきているというのが実は大事な論点だと思う

 

陣内・・・京都で実験を

・拡大を前提としない、発展の仕方を徹底的にシミュレーションしてはどうか。中心部のダウンゾーニングという手もある。もしやれれば、京都はまた先端をラディカルに行くということになるのではないか。

・ヨーロッパの場合は、人間があまり環境の良くないところには住みたくないという、わがままがメンタリティーにある。大都市が一般的に嫌われて、イタリアでいえばミラノがもう住むところではないという感じがある。人口一万以下に住んでいる人が半分ぐらい。

・京都らしさのこだわりというかそこから逃れられないという指摘は、ベネチア人も似ているところがある。ベネチアらしさ。ユニークな都市ということで、自分のとこにしかないということをすごくポジティブに誇りにアピールする。それを文化的にもそのプレステージを強調することによって、神話化する。

・京都は底上げ文化であると聞いたことがある。何でも底をうまくあげて、ほんとは中身は何にもなくても、うまくデザインを添付して付加価値をつけて高く売る。いろんなレベルで京都らしさというのがある。

・大勢の人が、京都らしさということにこだわり続けて来ているにも拘わらず、それと違う次元というか、現実には非常に場所と関係ない日本全国あるいはグローバルな経済システムで、京都と関係ない経済構造とかあるいは消費の仕組みの中で、京都が変貌してきた。

・結果的にはあれよあれよと言う間に京都は変わって、顔の見えない町になっている言うことがあって、これはまさに東京や日本の全国の都心に起こっていることと全くそっくりである。

・京都には手がかりが無尽蔵にあるのだから京都というのでやっぱり一つ実験をしていただきたい。グランドビジョンの報告書と深く関係してくるが、ひとつのポイントは情報の文化発信が意外と弱いと書いてあることで大問題だと思う。

布野:ベネチアらしさをめぐって、京都をめぐるような屈折した議論はないか。

陣内:ありますよ。アイデンティティーを強調するという裏には、田舎者で他の世界を知らないという面もある。一方、プライドだけはやたらにもっている。

 

松政・・・町割街区の提案を

・ジャック・デリダのデコンストラクションは建築のデザインで随分話題になったが、自分は常にパリと日本とを比較して日本にどのようにしてその思想が援用できるかと言うことを考えていた。デリダの根本の思想は意味の組成とその脱構築と私はとらえたい。歴史的な色々な意味が実は忘却され隠蔽されている。いろんなイデオロギーや我々の能力の限界も含めて。都市や建築も本来そういう形で文章と同じようにそうなっているはずである。・歴史的に新しいことをやっている人というのは、忘却され沈殿された意味あいをまず組成させて、それを自分なりに変形する。時代や個人の責任で変形し、脱構築する。それが本来の哲学や建築、芸術の役割であるというとらえかたを、デリダと共に私はしたい。

・町屋も何回も組成させるべき意味としてあると思う。そう考えると、5年間住んだパリと京都が非常によくにている。実際その中には色々な集団記憶が蓄積されている。実は京都もパリも共通するのではないかと考える。

・京都は町中の町割りと、街区を基本体とするそういう新しい類型を提案していくことが非常に大事だと思う。建築と都市計画を日本はどうも分離してしまう。都市と建築を分離させないやり方で京都を考えていくべきではないか。地割り、短冊上の場合はどういう風にやるか、そうでなしに共同化する場合はどうやるのかということをはっきり分けてそれに対処していかないといけない。

陣内:藤井修さんという大変優秀な若い研究者がいて、京都の街区の中の敷地と建物の関係についてデータをたくさん集めて、それがどういう風に歴史的にできてきて、近現代に変容しているかという研究をされた。残念ながら、若くして亡くなっちゃった。そういう研究とかが、非常に重要だと思う。

 

 Ⅲ

 

広原・・・テーマパークでなく定住環境の再生へ

・京都の将来を考える上でいつも比較になってくるのが大阪、神戸との関係である。大阪市が大阪府の中で突出した地位がもうないということで、どういう形で都市再生の戦略をたてるかという場合、集客都市を目指す。オリンピックやユニバーサルスタジオとかディズニーランドのテーマパークとか。京都の観光産業はどういう絵を描くのか。

・いかにそこに人を定住させ、回復させ、地域を復活し都市を復活させるかということに、戦略がおかれるべきだ。今までの容積性なりゾーニングなり、あるいは大規模施設主義というものをむしろ抑制する。抑制することで定住環境を再生させる。

布野:どうすればいいのか?

広原:都心に住むというのは、ごく普通のことで、そこで子育てが出来て、お年寄りがそこでいつまでも住み着いていけるという条件を作ることだ。

 

古山・・・南部開発 北部保存???

・基本的には北側と南側の問題というのを徹底して京都市民の頭の中に植え付けて欲しい。要するに構図が必要。一般的には南部というのは新幹線なり京都駅で切られる。

布野:南北の構図をはっきり植え付けろというのは、北部保存的開発、南開発ということですね。それから南は五条から向こうですか京都駅から向こうか。

古山:一応京都駅から向こう。八条から南。

布野:市庁舎建て換えはどうお考えですか。

古山:いやーそれは分からない。

橋爪:京都の実質とイメージとは非常に乖離している。南は開発というのを示すといってきたけれども、もはや南は開発できない。だから南も工業化のシナリオでは開発は不能で、全く別のシナリオをもってして違う形に再編成しなければいけない。だから北部保存、南部開発なんてことはありえない。だからあるとしたら北部保存で南部再編成という壮大な実験が行われるんだろう。その時にその北部の保存のなかで対外的な京都の神話というのを上手く利用しつつ南部の再編成をどうにかしていくかが問題。南の方で新しい京都らしい景観として考えていかねばならない。たとえば伏見であるとか山科であるとかもともと京都ではなかった、京都が拡大するなかで合併吸収していった周辺の市町村の固有の文化とか固有性をもう一度再認識していくということが非常に大事。

 

樋口・・・どこでも同じ報告書

・京都らしいというけれど、報告書見ると新潟でもこういうの考えているようでだいたいどこでも同じだなという印象だ。で、それは日本の都市が全部抱えているというか、まあ京都はだめだなと思ったんじゃなくて、あの日本の都市全体がだいたい抱えている問題、ある意味で共通している。

 

 Ⅳ

樋口・・・都市景観の再生のロジック

・自然景観については今の施策を続けていけばいい。

・京都はなかなか熱心に農産物をつくるところで実は、すばらしい野菜の産地でもある。自律的な都市が考えられる。ある程度、小麦とかは別だけど野菜等については、だいたい生活していけるくらいのもの、それくらいは生産できるような庭というか畑というか、そんなものがある都市というのをこれから目指してもいいんではないか。

・文化と歴史環境は有り余るほどのテキストがある。

・いわゆる技術社会としての現代都市という中から出てくるものは何か。我々の生活が支えられている現代の社会と歴史伝統文化と自然をどういうふうに調整づけていくかが最大の問題ではないか。

・建築家のレオンクリエは、人が歩いて生活できる、歩いて10分というか、そういう町の中に、出来るだけ働く場所とかすむ場所とか、出来るだけそこに集めていってそういう単位をたくさん作っていこうと、いう話をしている。10分というのは400500Mで、昔の町という単位が京都にありましたがあれが、60間かける60間だが、大体120Mぐらい、あれが4つ集まったくらい。4つ集まると条坊制の単位になる。そういうスケールでもう一度京都全体を見直していくというのも大事だ。車の問題とか非常に暴力的な形で入ってきている。

・エコエチカ、倫理性、生活のロジックを打ち立てていく必要があるのではないか。人間の住んでいるところは人間の身体の延長線で、そこに住んでいる人たちの体そのものという捉え方でもいいのではないかと思う。

 

陣内・・・縫い合わせる

・京都の新景観整備制度は外側の自然風致地区が非常にうまくしかも権限を持ってやられてて、むしろ中心が難しい。イタリアの場合、逆でヒストリックセンター、チェントロストリコは、一応問題が片づいちゃった。むしろ京都の風致の制度は逆に外国に輸出したらいい。

・日本では、中心がもうがたがたに開発されちゃってるわけだし、町家も瀕死状態のところも多いが、大きな長期的なビジョンで京都市を魅力的にしていこうということをするときには大きな構想力が必要だと思う。

・建造物修景地区という、べたーっと塗られているだけでは全然見えてこない。町家の調査とかが進んでいった場合に、道筋一本一本尾イメージ、方向付け、そういうものが構図の上でも記されてしかるべきではないか。

・町家を残すためには、バーに変えたり、レストランに変えたり、今の段階ではある種、ジェントリフィケーションというか、町家もちがううんだよというふうにまた価値が現代のフォームを帰ることによって蘇るということを使っていくのも一つの解決として、今の日本の状況で大いにあるのではないかと思う。

・都市型居住の形式が全然提示されない。パリにしてもミラノにしても19世紀に非常にすばらしい都市型居住ができて、その整備とともに町並みがしっかりできているので現代にも通用する。これだけずたずたになると今度は縫い合わせる、あるいは回復するというかあるいはその場所をもう一度コンテクストをつくるという形が、そういう発想の面白い、あるいはプランニングというのがこれから京都のような場所で一番重要な面白い課題になるのでないかと思う。

布野:縫い合わせるというのは。

陣内:敷地と敷地の間、あるいは個々の敷地の中に立ってる建物が重要だと思う。

布野:ゼロロットにするとか。

陣内:それもあり得る。

 

松政・・・六つの提案

1 町家は保全活用の材料としてあるが、それ以外の新しいマンションとかそういうものの壁面線それから軒高、最高高さ、中庭、それから外部と一体となった形態、とりわけ壁面線が大事だということを意識する必要がある。

2 優遇容積率、差別化。それによって一極集中を避けて都心居住をばらまいてどこでも住めるような形のものをとりあえず用意する。

3 景観保護紡錘帯、フゾー、を取り入れてみてはどうか

4 フランスの場合、全国で200人の専門の建築家がいて、ABFというフランス建造物建築家がパリの場合は500メートルの景観は最後に支配権を持ってい。そういう主観的なガイドラインの可能性というはあるのではないか。そのためにはそういう人を育てる機関とかそういう制度も必要かと思う。

5 街区単位の建築基準法の特別措置というのもある。

6 パリにはアピュールと呼ばれている都市建築アトリエがある。市と国と県が一体となって専門家集団を作っていてそこでグランプロジェのコンペの要項から、今見ました法制度の試乗から全部研究して作る。そういう制度をつくったらどうか。

 

質疑応答

船越:一番の問題は20世紀の建築を作っていくシステムみたいなものではないか。

橋爪:20世紀的なる都市のあり様の限界というのはあきらかになっている。これからの時代に合わないものはいっぺん全部消去してもう一度構築しなければいけない。僕は従来型のどっかにモデルがあってどうのこうのしなさいとかということに関してはいつも懐疑的である。逆に一般の学生のぽっとした思いつきの中に従来なかったような価値観の転換を含むような意見があれば耳を貸すべきだなと、そういうふうに思っている。

布野:紋切り型の提案、ステレオタイプ化された提案は思考を停止させる。今日もたくさん提案いただいてるわけだけど、なぜ動かないのか。具体的に動かない構造は何か。

そういう仕組みがあってこれはたぶん京都だけではなくて日本の町どこにもある。

船越:東京では19世紀までの建築システムっていうのはあんまり見えてない。東京でそんなこと言い出しても何も動かないだろう、やっぱり京都が大事ではないか。

門内:京都の人達というのは、いろんなことをものすごく深く考えているけれど、なぜかそれが集まってしまうとなにやらよく分からなくなる。そういう京都というトポスの大きな問題と、建築なり都市のシステムの問題がある。システムを作る時に、コントロールという概念でいったらもう駄目なんじゃないか。

・今日この場を設けただけでも大変な努力がいるわけで、こういったことを密度高く繰り返し実現して議論をしていく中で新しいものを作っていく、つまり人間の側のネットワーク主体の問題が重要ではないか。

曽田:京都市は基本構想と都市マスタープランの関係はどう考えているのか。

籾井(京都市):グランドビジョンとの整合ということになると、おそらく同時進行的に調査研究を進めていって、グランドビジョンのかなり重要な部分というか都市景観であるとか、あるいは土地利用の部分はかなり重なってくる。

曽田:ビジョンという場合、じゃあ何だということですよね。その時に空間みたいなものまで含めて、ビジョンになるのか、そっちはマスタープランだよ、というふうに逃げちゃうのか。

籾井:都市レベルっていうか、全体の土地利用方針は、基本構想に入ってくる。もう少しきめ細かな話は、都市計画のマスタープランの中でなされると思う。

布野:グランドビジョンをもとにマスタープランを作っていく。既に基本計画とか新京都市基本計画があって継承しながらということだと思う。

古山:いつもトラブルの原因はどうも基準法にあるのではないか。つまり総論賛成、各論反対で基本的にはくるわけですね。基準法の方が強いというか、基準法と風致の規制とのプライオリティーの問題が非常に難しい。

布野:風致は都計法で根拠ある。建築基準法は融通性がきかない。建設省にねじ込むんだけど、京都だけ例外にしろといっても、絶対に認めない。一国二制度を。条例をやれという。条例の法的根拠がない。

古山:町屋も連帯して建ててですね、基本的には基準法違反なわけでしょ。たんぽぽハウスでもニラハウスでも建てたらいい。

ビジョンという大きな投げかけも必要なんだけれども何かこう個別の小さなコンペというのを50万円コースでいっぱい打っていただくのもあっていい。

谷口(芝浦工大):京都駅を見るときの視点がやはり間違っているのではないか。高架の上から見てみたり、京都タワーの上から見てみるというのは20世紀の都市特有の見方だ。例えば、京都駅より近鉄百貨店の方が大きく見えて目立ってしまう場所もある。視点の問題というのはどういうふうに考えたらいいか。

布野:フゾーを適用するにも視点場の問題が共有されている必要がある。

両角:人口減をどう評価するか。

野口:地区計画の展開はできないか。

布野  :京都市は景観街づくりセンターでもう少し地区単位でやっていこうということだと思う。

 

橋爪・・・一国二制度を

・京都の景観街づくりセンターの活動っていうのに非常に期待している。

ところがある。大事なことは一国二制度とかいう話があったが、京都だけ特別扱いをするという視点自体が僕は非常に大事な点で、それをどのようにこれか展開していくのかが重要。中から言い出すのは非常に難しい。中からやろうとしたら独立国にですね、京都は自治都市として独立するしかない。日本国から縁を切るしかないわけだけれども、中からの提案よりも全国的な問題として京都っていうのは特別扱いをすべきなんだよという意見が盛り上がる。これからの日本の都市のパラダイムシフトのある部分の先端を行く都市であるとすると、だからこそいろんな面で特例として実験的な試みが認められていく。そういう声は外からこそ、東京から、京都を救ったれと世界中から何とかしてあげようという声を出していただければ中の人間はこんなにも悶々とですね、アイデアとか意見とかは山ほどあるけれども結局形になっていかない。この何10年間の動きをですね、外圧によって救って下さいという、何でこうお願いせなならんのかと思う。

 

古山:街づくりマップというのがあるが、白抜きの所は作らないでとりあえず何かのインデックスで覆ってしまうといいと思う。

 

広原: 従来の集中一極型の都市構造は明確に否定されているんですね。京都市自身が。そしてあの21世紀はコンパクトなネットワーク型の都市を作っていこうということで郊外の所それから京都都市圏にあるその衛星都市的な所、そして都心というものをネットワークでつないで、そして全体としてバランスのある構造をやっていこうという、そういう考えを提案しておられるんで、この考え方については非常に積極的なんじゃないかと思ってるわけです。

 

松政:短いスパンと長いスパン、59100年先のことと、これから今すぐやらなくてはならないことをはっきり分けて町家の保全とか再生、あるいはその修正に関わることはすぐにやっていかないといけないだろうと思う。

陣内:人口が減っていくっていうパワーがなくなっていくのはいいチャンスではないか。

とにかく実験場として欲しい。

樋口:京都に特別立法作るとかね。そういう形であるべきビジョンというか望ましい京都というのはやっぱり日本全員が考えていかなきゃいけないのではないか。イギリスではチャールズ皇太子がかなりそういう景観問題に積極的な発言をしているわけだが。やはり京都というのは東夷にとってはあこがれの都であるので是非すばらしい都に再生してくれというふうに思う。

 

布野:どうもありがとうございます。最後の微妙な問題を含めて全部の問題を提起したというわけにはいかないけれど、京都の、ひいては日本の抱えている問題の中心的課題は明らかになったのではないか。

2022年9月25日日曜日

建築行政,これだけは改めたい,情報公開という唯一の指針、日経アーキテクチャー,19970127

 建築行政,これだけは改めたい,情報公開という唯一の指針、日経アーキテクチャー,19970127

情報公開という唯一の指針 

 布野修司

 

 「これだけは改めたい」というためには、建築行政全般が頭に入っていないと話にならない。断片的に指摘しても、青臭い議論だ、と一蹴されるのが常だ。それに特に今求められているのは、全ての行政分野における、ひいては日本社会全体の「構造改革」であって、小手先の修正ではないのである。

 例えば、建設業の構造改革(建設省経済局)ということで、職人(技能者)教育を改めて(考えて)欲しい、と言ったとする。しかし、それは労働行政の問題であり、文部行政の問題であり、さらに偏差値社会全体の問題につながって、容易ではない。建築指導行政(建設省住宅局)について、取締行政(規制)から誘導行政へ、といっても、具体的な現場では縦割りの施策と補助金の配分システムが問題であり、錯綜する権利関係を解くのは難しい。

 縦割り行政を廃せよ、地方分権を、規制緩和を、談合廃止、等々、現在の日本の官僚制度と官僚組織をめぐる議論の中におよそ問題は指摘されている。

 しかし、構造改革が一気に行われるなんてことはありえない。議論を持続するためにどうしても必要なことは、情報公開である。唯一の指針といってもいい。開かれた議論の中でユニークな試みも許容する新たな仕組みをつくりあげるしかないと思う。

 以上を前提として、敢えてひとつだけ「これだけは改めたい」というとしたら、設計入札である。さらにその廃止に伴う、公開ヒヤリング等を含む公共建築の設計者選定(設計競技)の仕組みの構築である。審査委員会の任期、責任の明確化から、検査士制度あるいはタウン・アーキテクト構想まで、あらゆる個別の問題から構造改革につながる提案が可能なのである。