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2023年3月3日金曜日

京都グランドヴィジョン研究会,雑木林の世界89,住宅と木材,199701

京都グランドヴィジョン研究会,雑木林の世界89,住宅と木材,199701

 雑木林の世界89

京都市グランドビジョン研究会

布野修司


 幸運なことに「京都市グランドビジョン研究会」に加えて頂いて、この半年京都のグランドヴィジョンについて考えている。「新京都市基本計画」が策定されたのが一九九三年三月のことで、まだ日が浅いのであるが、その目標年次は二〇〇〇年であり、二一世紀のビジョンが欲しいということである。その基本計画にも「二一世紀京都のグランドビジョンづくり」が唱ってあり、長期的な構想を立てようと言うのである。

 ジャンルを異にする諸先生方の報告とそれをめぐる議論はそれ自体知的刺激に富む。まして、具体的政策提言に関わるとなると議論はしばしば白熱化する。もったいないことに何回かは欠席を余儀なくされた。とても全貌を把握できているわけではないが、印象に残ったことをいくつか報告してみよう。研究会は、まだ続行中で、中間報告をまとめようとしている段階である。

 研究会のテーマ、政策課題の抽出に当たっては、「ひと」「まち」「なりわい」という三つの視点が設定された。「ひと」ー基本的な市民生活の姿や、市民意識などに関わる視点、「まち」ー都市施設や土地利用、交通システム、環境などに関わる視点、「なりわい」ー都市の産業、生業、企業のあり方に関わる視点の三つである。そして、具体的には、「暮らしの充実」「新しい都市活力の創造」「都市ストックの活用・再生」「国際社会における京都の位置の確立」「循環型・環境共生型社会の実現」の五つのテーマが設定された。研究会メンバーは、この五つのテーマのいずれかを選択し報告することが求められ、議論を重ねてきたのである。

 この五つのテーマは、もちろん、京都市に固有なものではないだろう。問題は中身であるにしても、スローガンとしてのテーマ設定だけなら他の自治体においても共通のフレームになるはずである。また、あれもこれもと字づらだけ総花的に並べてもはじまらないだろう。メリハリを効かせる必要もある。

 さらに、そもそもグランドビジョンとは何か、という議論もある。単に、言葉の上での提案では何の意味もない、という問題意識はメンバーにおいて当初から共有されていたように思う。

 単なる提言では意味がない。その実現性をどう担保するかが問題である。というのは僕の当初からの主張でもある。全国で自治体の数だけ「基本構想」が立案されるけれど、立案された瞬間に歴史的資料になるといった質のものが余りに多すぎるのである。報告書ができてもそれでお仕舞い。しかも、どの自治体の報告書も似たり寄ったり、というのではグランドビジョンとは呼べない筈である。

 長期的なビジョンをもつことはそれぞれの自治体において極めて重要なことである。百年後の姿を想定した上で、ここ一〇年の施策の方向を定める、そうしたパースペクティブが今必要とされている。「百年計画のすすめ」も、かねてからの僕の主張である。しかし、任期で縛られる首長の施策は、往々にして近視眼的なものとなりがちである。それに百年の計となると、予測不可能なことも多い。グランドビジョンをめぐる議論が継続される場(京都賢人会議、グランドヴィジョン委員会・・・)が恒常的に設定される必要があるというのが、僕の意見である。

 今回の提案は議会の承認を得て正式のものとなるということなので、一定の方向づけについては担保されることになる。しかし、グランドビジョンの策定過程、システムが既に問題である。研究会はインフォーマルなものであるが、策定過程の透明性が確保することが方針とされ、策定段階からさまざまな方法で市民参加の手だてを講じることになっている。具体的には、種々の提案募集(コンペティション)、シンポジウム、TV討論などが連続的に企画されつつあるのである。

  さて中身であるが、それ以前に、それぞれの京都論というか、京都とのスタンスの取り方が興味深い。研究会メンバーでもある戸所隆(高崎経済大学)先生は、京都論を四つのパターンに分類する(「新しい京風空間の創造ー歴史都市の未来」『京が甦る』二場邦彦+地域研究グループ編、一九九六年七月)。

 ①「内からみる内なる京都」論

 ②「内からみる外なる京都」論

 ③「外からみる外なる京都」論

 ④「外からみる内なる京都」論

 見るところ、研究会メンバーは、ほとんど①②ないし④の範疇であろうか。戸所先生は日本全体から見れば、ほとんどが④の範疇ではないかという。①自体は研究会ではあまり声にはならない。従って、京都に住み、京都を自分のまちと強く思いながら、京都と完全に一体になれず、批判的に見る②のパターンが研究会の基調である。

 研究会でまず大きな問題になったのは、京都をどう位置づけるかということである。様々な指標が提示され、他の政令指定都市との比較が試みられた。真っ先に提起されたのは、豊かさの指標とは何か、豊かさは何によって計れるのかということである。

 数次で比べると、全国で何番目といった事実が分かる。「京都の着だおれ」というけれど、京都の人はあんまり被服費にお金を使っていないといった意外な事実も出てきた。しかし、そうした数字を並べても、必ずしも、京都の特性を捉えたことにならないのではないか。そのレヴェルでは、京都は只の地方都市だということになる。

 そこで、京都にしかないものは何か、という議論が出てくる。また、京都において変わるものと変わらないものとは何か、百年後にも残っているものは何か、ということになった。この発想こそ、京都に限らず、各自治体で試みられるべき思考実験である。

 京都の場合、日本においては明らかに特権的な都市だ。千年にもわたって首都が置かれた歴史都市なのである。また、歴史都市(古都)としての環境(景観)資源を有しているのである。「新京都市基本計画」が「文化首都」を唱うように、その特権性はセンター機能にある。基本理念は「世界の中心としての京都」あるいは「世界都市としての京都」である。

 と、言い切ると、京都の現状のいささか力不足な面も見えてくる。それをどう強化するのか。グランドビジョンの道筋も見えてくることになる。

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