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2023年3月1日水曜日

インド・ネパ-ル紀行,雑木林の世界87,住宅と木材,199611

 インド・ネパ-ル紀行,雑木林の世界87,住宅と木材,199611

雑木林の世界87

ネパールーインド紀行

布野修司


 天沼俊一の『印度仏塔巡礼記 下巻』(一九四九年)とモハン・M・パントさんの『バハ・マンダラ』(上海同済大学修士論文 一九九〇年)を携えてネパールにやってきた。アジアにおける都市型住宅の比較研究のための調査が目的でネパールの後インドへ向かう。ネパールではハディガオンという町の調査とトリブバン大学での特別講義が任務である。

 パントさんの論文は英文でサブタイトルに「カトマンズ盆地パタンの伝統的居住パターンの研究」とつけられている。バハとは仏教の僧院ヴィハーラからきたネパール語で、中庭を囲んだ形の住居の形式のことである。ネパールに来て読んだのであるが、バハの形式が都市の構成原理となっていることを実証する実に水準の高い論文である。カトマンズ、バクタプル、パタンといったカトマンズ盆地の都市の魅力をパントさんの論文に導かれてじっくり堪能することができた。

 九月一八日 バンコクからカトマンズ入り。ホテルは同行の学生諸君(黒川健一 横井健)の定宿で一泊八ドル。市の北側のタメル地区にある。今回は、台湾の中央研究院の黄先生と一緒なのだけれどテレビも電話も部屋になく、おまけに水洗が壊れていていささかめんくらった様子。いきなり、インドラ・チョークを抜けて王宮前広場(ダルバル・スクエア)へ。バザールの活気と旧王宮の建築のレヴェルの高さに圧倒される。さすがに世界遺産に登録されているだけある。他に文化遺産としては、パタンのダルバル・スクエア、バクタプルの王宮、スワヤンブナートが指定されているという。

 この空間の質は分析して調べるに値すると言うとノルウエーのチームがやってますと分厚い報告書を見せられた。カナダのチームもやってきて、学生のワークショップをやった時の図面もあるという。多くの建築家を惹きつけるものがあるのだろう。夜は、黒川、横井の両君が準備してくれた資料に眼を通しながらの議論である。

 九月一九日 トリブバン大学ティワリ教授とのアポイントメントが一二時ということで午前中はパタンを歩く。パタン市のつくった歴史的建造物をめぐるコースとパントさんの論文がガイドである。何故か、このコースには日本工業大学チームが修復したイ・バハ・バヒは入っていない。バヒはもともと独身の僧の施設で、バハは妻帯を行うようになってからの施設。バヒの空間は中庭に開かれているけれど、バハは閉鎖的である。バハ・バヒというのはその過度期の形式というのが日工大チームの説である。ユネスコのチームが補修した王宮のスンダリ・チョークは工事中のため見られなかったのが残念。詳細な報告書ができるという。夜、田中昌子・定松栄一夫妻と会食。田中さんはACHR(居住権のためのアジア連合)のメンバーでカトマンズ市内のスクオッター地区を調査中。カーストについて説明を受ける。定松さんは市民による海外協力の会=シャプラニールのメンバーで、ネパールのNGO(非政府組織)とともに西部の農村開発の支援に取り組んでいる。飛行機事故で無くなったラメシュの話題が出る。彼とは僕も会議で何度か会ったことがあるけれど、貧困者のために一生を賭けた人生であった。

 九月二〇日  午前中 ハディガオン調査。カトマンズで最も古い王宮が置かれたと考えられている。先年イタリア隊が発掘して報告書を出したという情報を夕刻偶然会った九州大学の小林茂先生(京大人文地理学出身)から聞く。僕らはいわゆる住み方調査とデザイン・サーヴェイである。 午後トリブバン大学で講義。「アジアの木造建築をめぐる諸問題」と題してネパールの民家と日本の民家の比較を試みる。学生は意外に熱心で様々な質問を受ける。その後ティワリ教授と若干議論。彼はデリーで学位をとった人で、ネパールの多層建築の木割りについて一冊本を書いている。ジャイプール組(山本、沼田、長村)からファックスが届く。順調に調査を開始したようだ。

九月二一日  朝起きて、ホテルのすぐ近くにあったチュシャ・バハを見る。今回は『東洋建築史図集』を携えてきていて、それに載っている建築をつぶす(見る)つもりもある。バクタプルへ行くついでに、近い将来パントさんが調査する予定のティミを歩く。ティミはカトマンズ、パタン、バクタプルの真ん中にあって、陶器の町として知られる。結局、チャン・ナラヤン寺院、パシュパティナート、チャバヒ・バハ、ボードナートをつぶす。天沼俊一の『印度仏塔巡礼記』を見ると多くの写真が載っていて丁度三〇年前との比較が興味深い。一九三四年に地震があって多くの寺院が破壊された様子が生々しいのである。

九月二二日 ストライキで空港への移動が心配だったけれどほとんど影響無し。午前、キルティプルの町を見て、デリーへ飛ぶ。二年前と同じコンノートの北のホテルにチェックイン。早速、ジャンタル・マンタル(天文台)の周辺を歩く。スクオッターが公園を占拠していて、貧富の差は拡大した印象をもった。コンノートのサークルの裏側には貧困者の居住区がある。夜、ラフォール調査のリーダー滋賀県立大学の山根周先生合流。今回の調査隊八名全員が活動を開始したことになる。

九月二三日 ラール・キラー、ジャーマー・マスジッドを見た後、チャンドニーチョークをリキシャーで抜ける。カトマンズのインドラ・チョークとは比較にならない密度と熱気。午後は、スクール・オブ・プランイング・アンド・アーキテクチャー(建築学校)に行って文献を漁る。図書館は相当のものである。但し、全て英語である。さすが英語帝国主義の国である。夕刻バーであったオランダ人フリージャーナリストH.ポールゼン氏にインド社会について話が弾む。彼はラダックについての二冊目の本を出筆中だという。

九月二四日  早朝アーメダバード・バードに移動。スクール・オブ・アーキテクチャー(建築学校)の近くに宿をとる。何故、アーメダバードか。テーマとしてはイスラーム的な迷路状の都市をジャイプールとの比較のために調べたいということがあったのだが、実は新居照和さんとの出会いが大きい。徳島の建築家新居さんはここで学び、ドーシのもとで仕事をしたことがあり、インドに行くなら是非アーメダバードに行くべしというのに心を動かされたのである。アーメダバードにはコルビュジェのいくつかの建築があり、ルイ・カーンのIIT(インド経営学院)がある。チャンディガールとともにインド近代建築のメッカなのである。ジャーマ・マスジッドを中心に旧市街を歩き回った後、建築学校へ向かうと、偶然、オートバイに乗った有明高専の山口英一先生に声をかけられた。文部省の在外研究員としてインド哲学(ジャイナ教)の勉強に来ているという。石田さん(名城大出身)が建築を勉強に来ているというのですぐ合流。建築学校へ行ってみると予め手紙を書いておいたインドで有名な画家ピラジ・サガラさんが待っており、主任のヴァーキー教授に紹介してくれた。というか、既に全てがセットされており、僕らの関心に適う論文を数多く用意してくれていた。

九月二五日 早速旧市街予備調査。町屋の密集形態に圧倒される。ジャイプールとは違う魅力がある。合間にコルビュジェの綿業会館、美術館を見る。建築学校で紹介された資料を見ていると、北一二〇キロの所にアーメダバードとそっくりな形をしたパタンという町がある。ネパールのパタンと同じ名前だ。ロンリー・プラネットを見るとジャイナ教の寺院が多いとある。山口先生によると、古い文書があるという。

九月二六日 パターンに行く前にコルのショーダン邸を見る。これだけは見たかったという傑作であるが、素晴らしい状態でメンテナンスされていた。やはりコルビュジェはただ者ではない。パタンへの途中新居さんにこれだけは見ろと言われたアダラジの階段井戸とモデラの太陽神殿を見る。グジャラート一帯には多くの迫力ある階段井戸が残されている。コーラートの太陽神殿の方が有名だがモデラもなかなかのものである。パタンを歩くのは暑かった。それに人々がぞろぞろついて回るのには閉口した。街区の前には門がありコミュニティーの関係は濃密のようだ。ただ、アーメダバードより密度は小さいし、二階建ての町屋が中心である。数十センチ、場合によると一メートルほど高床なのが面白い。横井君はカトマンズで一人頑張っている旨ファックス入る。

九月二七日 アーメダバードからジャイプールへ移動。代理店のミスで出発時間間違え、空港に四時間待たされる。インド流(ジス・イズ・インディア)は毎日のことである。一六人乗りのプロペラ機に六人。途中ウダイプルの町がくっきり見える。ジャイプール入りすると早速調査地区へ直行。プラニバスティーというチョウクリ(街区)で山本直彦君を捕まえる。全体の調査計画を簡単にディスカッション。沼田、長村の両君は腹を壊してダウン。一週間過ぎると疲れの出るころである。

九月二八日 トプカナ・ハズリ地区調査。ジャイプール開発局へ行ってラジバンシー教授に会う。彼とはマラビヤ大学にいた二年前にも会っており、いろいろと教えを乞うた。今回も色々お世話になったが、最大の収穫は一九二五年~二七年作成の詳細な地図を手に入れることができたことである。午後、調査続行。夕食を共にしながらラジバンシー夫妻と歓談。

九月二九日 本格的調査。ベースマップを手に路地から路地を歩き回る。七〇年前の地図が驚くほど正確なのにびっくり。モスクのあったところにモスクがヒンドゥー寺院の場所にはヒンドゥー寺院が、小さな祠の位置まで正確に書かれている。ラジバンシー教授によればインドでジャイプールだけだということだけれどインド調査局もすごい調査をするものである。アーメダバード、カトマンズからファックス。それぞれ順調のようである。アーメダバードもベースマップが手に入りそうだと言う。九月三〇日 終日調査。欲張って新しい地区に手をつける。

一〇月一日 終日調査。夜行にてアグラに向かう。上中下三段の寝台車。なつかしい。ジャイプールにて 


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