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2023年3月24日金曜日

植民地化という視点を日本の近代建築史に持ち込む,書評西澤泰彦著『日本植民地建築論』,『図書新聞』,20080614

 植民地化という視点を日本の近代建築史に持ち込む,書評西澤泰彦著『日本植民地建築論』,『図書新聞』,20080614

西澤泰彦 『日本植民地建築論』 名古屋大学出版会 2008

布野修司

 

もう四半世紀前、毎日のように図書館に籠もって建築関係の古い雑誌を当たっていた大学院生の頃、気になって仕方がない雑誌の合本があった。『台湾建築会誌』『満州建築雑誌』『朝鮮と建築』という三つのバックナンバーである。日本建築の戦前・戦後の連続・非連続に焦点を当てていたのであるが、とても手を出す余裕はなかった。ただ、ここには大変な「世界」があると思った。いつか手をつけなければならないという直感から全て目次だけはコピーをとった。時を経ずアジアを臨地調査のために歩き回ることになり、結局は手つかずになった。中国にしても、韓国にしても、そして台湾にしても、当時はとても臨地調査を展開する関係になかったということもある。

アジアに向かって、すぐさまインドネシアのカンポン(都市集落)に出会った(『カンポンの世界』)。そして、カンポンの世界に導かれて、植民都市研究に赴くことになった(『近代世界システムと植民都市』)。西欧列強による植民都市や植民地建築の研究に手をつけはじめて、大きな課題として蘇るのが日本の植民都市であり、日本の植民地建築である。評者にとって、本書は、以上の経緯と関心に照らして、待望の書である。

何故、日本の植民地建築か。日本人の建設した建築物を復元・記録し、日本による支配との関係(を論じた上)で、歴史上に位置付けること、そして、旧日本植民地における建築物の再利用やそれをもとにした都市再開発を側面から援助することが目的だと、著者はいう。建築物に関する過去の情報について提供することは、侵略・支配とは直接には「無縁な」世代、すなわち「戦後世代」ができる数少ない償いだという。

日本植民地(台湾、満州、朝鮮半島)における過去の日本人による建設活動、その結果建設された建築物に関する情報ついては、本書は、現在までのところ、最も体系的なものと言っていい。本書に先行して、著者自身も参加した『中国近代建築総覧』、そしてそれを含む『全調査東アジア近代の都市と建築』(藤森照信・汪坦編、筑摩書房、一九九六年)があるが、それらはインヴェントリーに過ぎず、しかも、必ずしも網羅的なものではなかったのである。

本書は、「植民地建築とは何か」と題した序章で、問題意識や既往の研究を整理した上で、台湾総督府、朝鮮総督府などの官衙(庁舎)建築(第1章)、朝鮮銀行、台湾銀行などの銀行、満鉄などの国策会社(第2章)、学校、病院、図書館、公会堂、博物館、駅舎といった公共施設、百貨店や商店街、劇場や映画館といった民間施設(第3章)を順次取り上げている。植民地の政治、経済、社会というフレームであるが、必ずしも主要な建築物を列挙するにとどまらず、その建設活動に関わった建築家(建築技師)、建築組織を詳細に明らかにしてくれている。また、建築費についても触れられている。大連、台北、ソウルといった支配の要となった都市の全体像が欲しいというのはおそらく無いものねだりである。『岩波講座 近代日本と植民地』全八巻、そして『岩波講座 「帝国」日本の学知』全八巻などを背景として読まれるべきであろう。ただ、越沢明の『植民地満州の都市計画』(アジア経済研究所、一九七八年)『満州国の首都計画』(日本経済評論社、一九八八年)『哈爾浜の都市計画』(総和社、一九八九年)といった先行研究を批判的に捉え返すためには、都市全体の構成(計画)にも触れる必要がある。また、青井哲人著『彰化 一九〇六年』(アセテート、二〇〇六年)のような様々な都市の都市史(誌)を明らかにする具体に即した作業は残されている。

個別の建設活動をつなぐ視点としてまとめられているのが「建築活動を支えたもの」(第4章)と「世界と日本のはざまの建築」(第5章)で、建築生産技術の様々な局面(蟻害対応、気候対応・・・)、建築材料、建築規則などが比較される。おそらく、本書の真骨頂は、建築技術、建築生産という建築の下部構造に関わる視点と、それを「世界建築」史に位置付けようとする視点である。もっとも、この二つの章がうまく整理されていないのが残念である。建築の様式と意匠についての記述が浮いているのも気になる。

本書が少なくとも日本の近代建築史に対して、「植民地化」という大きな視点を持ち込んだことは疑いがない。日本植民地が日本の近代建築の先駆的な実験場だ、ということはこれまで様々に指摘されてきたけれど、ここまでその実相に迫ったのは本書の大きな功績である。何故、朝鮮総督府は解体され、台湾総督府は大統領府として使われ続けるのか。旧日本植民地の現在にとっての近代とは何であったのか、本書は実に多くのことを考えさせてくれる。ただ、本書が支配とは直接「無縁な」世代の「償い」だという言い方には引っかかる。植民地建築研究そして植民都市研究は、そもそもが支配と被支配の間の文化変容に関わる研究である。植民都市は、支配する側の価値観、イデオロギーを被支配者に強いるメディアであり、植民都市はその表現である。著者が、日本の地方の建築家の建築活動と植民地の建築家の活動との同相性を指摘するように、本書のテーマはより普遍的なテーマに接続しているのである。

日本の「明治建築」も西欧から見れば植民地建築である。西欧―日本―日本植民地の相互関係をめぐって、日本植民地建築は、より複雑な様相を呈する。日本植民地という限定によって、東アジアというフレームにやはり捕らわれていると指摘せざるを得ないけれど、「世界建築」という切り口を示すところに強い共感を覚える。


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