『建築・まちなみ景観の創造』(韓国版)への序文
布野修司
本書が趙容準博士を中心とするグループによって韓国語に翻訳されることを大変うれしく思います。本書が韓国の美しいまちなみ景観の創造のために寄与することを心から願います。
論文でも述べましたけれど、景観は、本来それぞれの地域で固有な特性をもっています。それぞれ固有の土地(生態環境)に住む人々の生活が景観をつくりあげます。景観はそれぞれの地域の文化の表現だと思います。
しかし一方、近代化の波が世界を襲い、地域に固有な景観は次第に失われつつあるように思います。寂しいことです。そうした中で、私たちはどのように対処すればいいのか、考えようとしたのが本書です。きっと、韓国でも同じような問題があるのだと思います。
韓国のいろいろのまちや村を歩いたことがあります。それぞれ独特の景観を感じることができます。一方、日本と比較すると韓国の景観の共通の特徴も感じます。また、日本と似ていると思うような景観もあります。もしかすると、アジアに共通するような特性も議論できるかもしれません。地域毎に固有な景観なのですが、それを受け取る景観感覚(センス・オブ・ランドスケープ)には共通なものがあるのかもしれません。また、風水説は東アジアの景観についての共通の基礎を与えているのかもしれません。さらに、アジアに視野を広げて見る必要もあるでしょう。カオスのような、サラダボールのようなと形容される都市景観は、ヨーロッパとは異なったアジアに共通な特性であるように思います。
本書は日本のコンテクストについてのみ書かれているのですが、本書の韓国誤訳を機会にもう少し広い視野で景観の問題を考えて見ようと思っています。
もちろん、大事なのはそれぞれの地域で創造性を豊かな町並みを創り上げていく仕組みです。日本でも様々な試みを展開しようと思っているのですが、韓国でもユニークな取り組みを期待したいと思います。
1996年10月1日
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