進撃の建築家 開拓者たち 第27回 竹口健太郎(開拓者34)山本麻子(開拓者35) アルファヴィル フォルマリズムの探求ー異化・同化・転化「庭路地の家」2018年11月(『進撃の建築家たち』所収)
開拓者たち第27回 開拓者34 竹口健太郎 開拓者35 山本麻子 建J 201811
アルファヴィル
フォルマリズムの探求-異化・同化・転化
「庭路地の家」
布野修司
アルファヴィルの2人、竹口健太郎[1]、山本麻子[2]もまた僕が京都大学建築学科で最初に出会った学生たちである。このシリーズでは、渡辺菊真(開拓者01)、森田一弥(開拓者14)、平田晃久(開拓者17)、丹羽哲矢(開拓者26)、水谷俊博(開拓者29)をとりあげてきた。いずれも1970年代初頭生まれで、僕の学生時代に生まれ、育った世代である。もうすぐ50歳に手が届く。早いものである。同世代の建築家として、藤本壮介(1971年生)、小堀哲夫(1971年生)、吉村靖孝(1972年生)などが思い浮かぶ。
竹口くんは加藤邦男研究室で、設計演習のエスキス・チェックの際、今もそうだけど、矢鱈に理屈っぽかった記憶がある。麻子さんは布野研究室配属であるが、修士論文のために大連南山地区の満鉄社宅を孫躍新(天津在住)、王勝さん(北京在住)と一緒に調査したことがなつかしい[3]。北京滞在中に、先頃その実行犯が相次いで死刑執行された「地下鉄サリン事件」(1995年3月21日)が起こった。当時の中国は、北京や天津の車道を多数の自転車が埋め尽くしており、かつての満鉄幹部の住宅には数世帯が雑居する、そんな時代だった。南山地区は、再開発が課題になっており、当時大連市長をしていた、2012年に失脚した元重慶市長、薄熙来と偶然会って握手したことを思い出す。2014年に20年ぶりに訪れて、「南山風情旅游街」への変身にただただ驚いた。
麻子さんは修士を一年休学、文部省給費留学生としてパリ建築学校ラ・ヴィレット校へ留学、同時期に竹口くんはAAスクールへ。当時から2人は仲がいい、という噂があった。1996年9月に帰国して大連調査をもとに修士論文[4]を書いたけれど、時間が足りず不本意だったと思う。博士課程に入って学位論文に書くことを進めたような気もするが、本人は設計まっしぐらである。山本理顕さんが埼玉県立大学のコンペで勝って人が欲しいというので推薦、スタッフとなったが、1年足らずで京都に戻り、1998年4月アルファヴィル設立に至る。京都を拠点に設計活動を開始して、今年、20周年となる。
アルファヴィル
アルファヴィルと言えば、J.L.ゴダールの映画、1965年のベルリン映画祭金熊賞を受賞した『アルファヴィル、レミー・コーションの不思議な冒険』である。日本公開は1970年で、公開時に新宿アートシアター[5]で観た。1960年代末から70年代にかけて、ヌーヴェルヴァーグの映画、特にJ.L.ゴダールの映画を見るのは学生たちの必修科目?だった。『気違いピエロ』『中国女』も続いてみた。しかし、どんな映画だったかというと心許ない。魅力的主演女優アンナ・カレーニナは覚えているけど、難解だったことだけが記憶に残る。ゴダール・リヴァイバル?があったのだろう[6]、わが娘の部屋にアンナ・カレーニナのポスターが貼ってあったことを思い出す。
J.L.ゴダールの映画では「感情や思想の自由など個人主義的な思想が排除された都市」がアルファヴィルである[7]。アンチ「アルファヴィル」の思いが込められているのか?事務所名の由来について改めて尋ねてみると、フランス語の造語で、英語では〈アルファ・シティー〉、日本語では〈ある(A)都市〉という意味で、やはり、ゴダールの映画にヒントを得た、という[8]。「〈ALPHAVILLE〉はSFで、近未来のどこかの都市を舞台にしていますがセットは使わず、パリのようでパリでないような、なにか違和感のある場所選びが絶妙です。見慣れた都市を改めて見直す視線、異化する視線を常にもって建築設計に取り組んでいこうという所信表明です」という。
事務所設立20周年を迎えるに先だって、2人は、英文の作品集“Alphaville Architects”, EQUAL BOOKS(2015)を上梓している。既に数々の作品[9]があり、受賞歴[10]がある。
京都から世界へ
作品集の冒頭の「アルファヴィル」論(解説)(英文)で倉方俊輔が触れているので思い出したのであるが、設立以前、修士在学中に手掛けた作品に山本(有造)[11]家の別荘がある。図面を見せられた記憶がある。倉方によれば、既に、斜め線による空間分割、内と外とのシームレスな連結というアルファヴィル建築の特性をみることができる。2人ともどこかで建築修業をすることなく独立したから、学生時代のまま設計活動を続けてきた印象がある。しかし、いきなり独立といっても仕事がなければ始まらない。最初の仕事N-Convent Extensionについては、健太郎くんの父竹口和男さんのサポートがあったのだと思う。京都大学建築学科出身の構造設計家であり、京都の建築家ネットワークで活躍されていて、僕も何度かあったことがある。それでも、事務所を立ち上げたばかりの頃、僕の当時の自宅近く、高野で設計したカフェを見せてもらったことがあるが、苦労している様子であった。作品集に掲載されている作品の中では、白川通りの、いかにもローコストの美学を追究したかのようなCafe House(図②)が初期の佳品である。
1990年代半ば、ソ連邦解体後のヨーロッパが若き建築学徒にとって実に刺激的な場所であったことをこのシリーズ(大島芳彦(開拓者27)、伊藤麻里(開拓者28)など)で再確認したのであるが、短いとはいえ、2人は胎動する何かを受け止めたのだと思う。そして同時に、生まれ育った世界の古都・京都を拠点とすることも決意した。以降、京都から世界へ向けた発信が常に意識されている。Web Siteによるグローバルな情報発信は、建築ジャーナリズムの世界を大きく変えてきたが、いまや世界中からアルファヴィルを訪れる学生、インターン生、建築家がいる。
「アルファヴィル」のウエブ・サイトは次のようにうたう。
「京都を中心に、常に空間の新しい可能性を考えながら活動しています。・・・・・スケールの違いによらず3次元的に自由な発想、そして光に留意したシンプルでありながら陰影と奥行きのある空間を心がけ、国内外へ提案してきました。」
作品集の冒頭には、「建築=窓=構造」「幾何学的手法」「3D建築を目指して」とある。
斜線・斜面・斜壁
作品集に採りあげられた作品群をみると、全体を貫いているのは明らかにフォルマリスティックな手法である。かたちの自律性が追求されているように思える。そして、やたらに斜め線が目立つ。House Folded(図③)、House Twisted(図④)など、まるでXYZの直交座標軸を憎むかのようである(3次元的に自由な発想!)。New Kyoto Town House(図⑤)やSlice of the Sky(図⑥)にしても、ファサードは近隣に合わせながら、内部には斜め線が挿入される。確かに、倉方のいうように、デコンストラクションの時代に建築の遺伝子が組み込まれて、その面白さに没入してきたように思える。
1960年代末から1970年代にかけて、近代建築批判を標榜する多彩な表現が生み出された。その批判の方向は大きくはコンテクストかコンセプトかということになるが、歴史的様式(プレモダン)へ、装飾へ、地域へ、ヴァナキュラー建築へ、バラックへ、概念建築へ・・・と様々であった。しかし、それらはモストモダン・ヒストリシズム(あるいはリージョナリズム)、○△□の建築などと仕分けされはじめ、「ポストモダンの建築」と総称されることになる。
近代建築批判という課題は、デザインの問題にとどまるものではない。建築の産業主義的生産消費のシステムが問題である。形態操作の水準にとどまるとすれば、限界は予めはっきりしている。 通常、形態のみの操作には建築家自らが飽きる。そして、ディテールの洗練、材料や構法の探求へと建築を深化させていく。新奇な形態を追い求め続ける伊東豊雄について「かたちの永久革命」(『現代建築水滸伝 建築少年たちの夢』(2011))と評したことがあるが、当の本人が「新たなかたちを生み出し続けるのは疲れるよ」と呟くのを直接聞いたことがある。「みんなの家」に一旦行き着いたのもわからないわけではない。「常に空間の新しい可能性を考えながら」という意気やよし!である。しかし、その行き着く先は見えているのであろうか?
異化するコンテクスト
10年ほど住んだ彦根に「アルファヴィル」の作品が3つある。Skyhole(2014)という戸建住宅(図⑦abc)、Hikone Studio Apartment(2015)という集合住宅(図⑧abc)、そして教会である。戸建住宅はオープニングの時に見せてもらった。作品集の最後に掲載されている「アルファヴィル」らしい作品である。ただ、住宅スケールの建築にしては「幾何学的手法」を優先しすぎている印象をもった。彦根では、キャッスルロード(戸所岩雄)あるいは四番町スクエア(内井昭蔵)のような歴史的町並みを復元するかのようなファサード・コントロールの手法が展開されてきた。彦根の2つの作品は、その立地において、そうした規制を逃れているかにみえるが、京都では至る所でその規制と闘うことが課題となる。
ファサードはコンテクストに合わせながら、内部空間は3D-CADで自在につくり出すというのはひとつの手法である。New Kyoto Town Houseはそうした例である。しかし、ファサードに縛られすぎるとファサードと建築(空間)構造が分離されることになる。商業建築には一般的に見られるファサーディズム、虚偽構造(シャム・コンストラクション)、看板建築の系譜である。峻拒すべきは、勾配屋根を一律規制するといったファッショ的な景観規制である。「アルファヴィル」のフォルマリズムの探求は、もとより、皮相なファサーディズムとは無縁である。しかし、形態の自律性のみを追求するわけでもない。一般に、フォルムが生成されるコンテクストをどう捉えるか、異化するコンテクストとは何かが問題となる。
京都で新しい作品ができたというので、一日足を運んだ(7月8日)。見せてもらったのは「絆屋ビルヂング」(図⑨)「庭路地の家」(図⑩)「粋伝庵ゲストハウス」(図⑪)の3作品である。いずれも、作品集にまとめられたこれまでの作品の印象と異なり、外に向かってその存在を強調する構えがない。木造であり、木造で斜線、斜壁の妙味を追求しようとする「絆屋ビルヂング」の他は「アルファヴィル」にしては温和しい。一皮むけたような気がしないでもない。
図と地
「絆屋ビルヂング」の場合、ビルジングといいながら、街区のいわゆる「あんこ」に立地しており、景観に関わる規制はそう厳しいわけではない。容積率は、クライアントの要求に対して余裕がある。ジュエリーアーティストの地石浩明さんの話を聞いて、故人を偲ぶ形見としてつくられるモーニング・ジュエリーという世界があることを初めて知った。全国から依頼者が尋ねてくる、そして故人の一生に向き合う、そういう仕事の工房、ギャラリー、そして住居が一体となった空間が日本の古都京都のど真ん中にあることはなんとなく相応しいように思えた。ここかしこに宿泊施設が増えつつある京都であるが、街区のあんこ部分にこうした工房が組み込まれた建築類型が新たに成立する可能性はあるのではないか。
アルファヴィルのこれまでの作品は、専ら、既存のコンテクストを異化することに重点を置いて、コンテクストにおけるひとつの型(プロトタイプ)をつくる姿勢は希薄であった。魚谷繁礼・みわ子(開拓者06・07)あるいは森田一弥(開拓者14)の仕事とはいささか目指す方向を異にしてきたように思える。
しかし、「庭路地の家」「粋伝庵ゲストハウス」の2つはこれまでと少し異なる。京町家の建築類型(プロトタイプ)として地の一部となっていく可能性がある。図と地を区別して方法展開するのもひとつの選択である。
「庭路地の家」は、大家さんと学生中心のコレクティブハウス、「粋伝庵ゲストハウス」は民泊施設である。狭い敷地、狭小な空間に新たな関係を育む集合空間を作り出そうと格闘していることがよくわかる。「庭路地の家」は、山本理顕さんに褒められたという。一貫して「一住宅一家族」批判を展開してきた山本理顕からみれば、「庭路地の家」はひとつのオールタナティブの提案である。1階の細長い住宅は、東孝光の「塔の家」に拮抗しうる最小限住居であり、二階に個室群を搭載することにおいて集合化の契機を内蔵している。「粋伝庵ゲストハウス」は、ベッド空間を立体的に組み合わせるおしゃれな「ドヤ」である。
こうしてアルファヴィルのこれまでの作品について考えながら、作品集の冒頭の「建築=窓=構造」というのが気になってきた。それを解説するらしい断面図が示されるが、「ビルディング・エレメント論」をもとにした「有孔体理論」(原広司)のような理論ではなさそうである。形態言語はそれ自体強いメッセージ力をもっている。インターナショナルな関心を引きつけるのはその力である。しかし、断片的な言葉、概念によって形態を説明するだけではものたりない。リーディング・アーキテクトとしてステップ・アップしていくことを目指すとすれば、形態生成の理論をより丁寧に展開する必要があるのではないか。そして、そろそろ本格的な「図」としての建築をみたいと思う。
[1] 1983.4-1989.3 洛星中高等学校。1990.4-1994.3 京都大学工学部建築学科。1994.4-1998.3 京都大学大学院工学研究科建築学専攻。1995.9-1996.7
AAスクール留学; Diploma Unit(=FOA) (イギリス、ロンドン、ロータリー財団奨学生)。1998.4 アルファヴィル設立。神戸大学、立命館大学非常勤講師 一級建築士
日本建築設計学会理事
[2] 1987.4-1990.3 京都教育大学附属高等学校。1990.4-1994.3
京都大学工学部建築学科。1994.4-1997.3 京都大学大学院工学研究科建築学教室。1995.9-1996.7 パリ建築学校ラ・ヴィレット校留学 (文部省給費留学生)。1997.4-1997.12 山本理顕設計工場勤務。1998.4 アルファヴィル設立。現在:京都大学、大阪工業大学非常勤講師 一級建築士
[3] 19950319-0401:中国 北京 天津 大連:中国建築学会訪問:大連調査:布野修司・孫躍進・山本麻子 ・王勝 。
[4] 山本麻子、『中国・大連の南山地区に残る日本近代住宅に関する研究』修士論文(京都大学)、1997年3月(図①)。
[5] 当時、名画座(渋谷)、文芸座(池袋)など各地にあった小規模な映画館のひとつで毎週のように通った。日本のヌーヴェルヴァーグと呼ばれた大島渚、篠田正浩、吉田喜重らの映画もここで見た。
[6] 『現代思想』(青土社)の臨時増刊号に「総特集 ゴダールの神話」(1995年10月)があり、2002年に4刷されている。ドイツのバンドに「アルファヴィル」(1982年結成)というのがあるらしいとか、村上春樹が『アフターダーク』(2004)という小説の中で映画『アルファヴィル』に触れている。
[7] コードナンバー003を持つシークレット・エージェント、レミー・コーションがアルファヴィルを建設したフォン・ブラウン教授を逮捕抹殺し、アルファヴィルを管理する人工知能アルファ60を破壊する物語である。
[8]「京大時代からパリ留学時を通じて古いのから新しいのまでゴダールの映画はかなり見ていまして〈ALPHAVILLE〉では映像の背景について(成功しているかは別にして)試行しているのではと考えて選んだ名前です。」(山本麻子)。
[9] W-Window House(2005),Hall
House 2(2007),Hall House 1(2008), House Twisted(2008),New Kyoto Town House,
Roof on the Hill(2010) ,House Folded(2011),
Dig in the Sky, Slice of the City(2012), 高野山ゲストハウス(2013),
Spiral Window House(2014), Skyhole(2015), New
Kyoto Town House2(2013) , カトリック鈴鹿教会(2015), 絆屋ビルヂング, 庭路地の家(2017),粋伝庵ゲストハウス(2018), 西大路タウンハウス(2018).
[10] DFAA デザインフォーアジアアワード2013 金賞x2 (香港)SDレビュー2013入選JCDアワード2013 銀賞NICHIHA SIDING AWARD 2013 GOLD prize 第一回京都建築賞 優秀賞(京都府建築士会)日本建築家協会関西建築家新人賞Architectural Review House Award 入賞(イギリス)第57回
大阪建築コンクール 渡辺節賞(大阪府建築士会)など。
[11] 1940年京都市生まれ。京都大学名誉教授、元中部大学特任教授。数量経済史、日本経済誌、日本帝国史、日本植民地史、貨幣・金融史。博士(経済学)。1967年京都大学大学院経済学研究科修士課程修了。三和銀行を経て、京都大学人文科学研究所助手、神戸商科大学助教授、京都大学人文科学研究所助教授、同教授、中部大学人文学部教授を経て、同大学特任教授。(2011年3月退職。主要著作に『日本植民地経済史研究』(名古屋大学出版会、1992年)『両から円へ 幕末・明治前期貨幣問題研究』(ミネルヴァ書房、1994年)『「満州国」経済史研究』(名古屋大学出版会、2003年)『「大東亜共栄圏」経済史研究』(名古屋大学出版会、2011年)など。